第2話「はじまり」

 

 半月の光が照らしていく夜。

 場所は大陸の南側のほとんどを領地としているストラ領。

 それを跨るように群生している鬱蒼うっそうとした幻生林げんせいりんと呼ばれる林の中。吹き抜ける風は穏やかに、街角から立ち上る喧騒の匂いとは違い、濃厚な緑を漂わせるほどの青臭さが広がる。空はかろうじて見える場所で、薄暗い世界にたった一つの人工的な光が辺りへ主張し続けている。


 その明かりの近くには、毛髪は漆黒で襟足が長く、前髪も目にかかるほど伸ばし。

 その毛先が掛かった瞳は、焚き火の光で煌々としていたが、よくよく見れば黒色がほんのり混じった茶色をしている。

 そんな風貌のよわい十七歳の青年が、夜を越すための野宿をしていた。


 年季の入った黒色のローブを身にまとい、中には軽めの生地を首元まで伸ばした茶色の地味めな服。

 ローブの裾や袖には泥や土が付着していて、履き古した厚底の赤褐色のブーツも汚れが点在している。


 特にこの青年は、小綺麗な格好や身なりだと落ち着かず、ある程度寂れた格好の方が安心するという理由から、そろそろ買い替え時だと思いつつも、同じものを使い続けている。

 ちょっとした貧乏性か。はたまた、物持ちの良さからか。

 どちらかといえば、青年は魔獣まじゅう蔓延はびこるこの幻生林に度々出向き、魔獣討伐の依頼をこなしている冒険者でもあるため、買いに行く暇がない。というのが真相だろう。


 そして、数多いる冒険者の中でも若く、十七歳にしてかなりの手練てだれと、いい意味でも悪い意味でも有名であった。

 そんな彼でも飢えれば死ぬ。

 青年は慣れた手つきで木の串を取り出すと、先ほど仕留めた魔獣の肉へ刺していた。


 脂身がそんなに乗っていない。

 赤身も縮んでいて、見ただけで硬そうな印象を与える――そんな肉を。

 青年は、ゆっくりとその身を串で貫いていた。


「もう少しいい肉のほうが美味うまいのに、こういう魔獣の肉は豚と比べて、違う臭みがあるから苦手なんだよな。背に腹は代えられないが……」


 味覚も嗜好も普通の、腹が減れば不味いものでも食べなければいけない。そんな大して一般人と変わらない男でもあった。


「まぁ、依頼も受けていないのに、野宿しに来て野営食を忘れた俺が悪いんだけどな」


 そう言い訳する。

 そうすれば、多少この後に食らう肉の不味さが和らぐ――ような気がしたのだ。


 何故、この青年――名前をエヴァン・レイというが、この幻生林にいるのか。

 十七歳の冒険者ともなると働き盛りで、すぐにでも依頼をこなしているものだが、エヴァンの悪い意味でも有名な理由。

 それが、一般的に流通している依頼をこなさなくてもいい、という理由があった。



 彼は『勇者』の代わり。



 世界の『救世主』として『勇者』の代わりに、働いている。

 この世界にはかつて『勇者』が存在していた。

 だが、『勇者』は死んでしまった。

 『魔王』と呼ばれる人類の敵とされるものに対抗するため、生まれたのが『勇者』。


 『魔王』は残虐ざんぎゃく行為で、人族といった種族の破滅や己の欲望を満たすため。

 『勇者』は人類をまもり、『魔王』へ立ち向かうため。

 『救世主』は救うべき者を救うため。


 その『救世主』のエヴァンは、本業でもある冒険者として依頼をこなし、未開拓地を冒険する以外にも『魔王』と死闘を繰り広げ、全人類の存続のために勝たなければいけない運命を背負ったのだ。


「魔獣にしてもなんにしても、生まれた以上は死ぬわけだが。こういう魔獣も、ここにしかいないてのが怖いところだな」


 そんな疑問を吐き捨てながら、焼き終わった魔獣の肉を火から取り上げ、少しずつ冷まし、かぶりつく。

 肉はパサパサで、血の味が強く、筋も固い。

 お世辞にも美味い肉とは到底呼べない。 今すぐにでも吐き出したいほどの獣臭さが青年の口内を支配した。


胡椒こしょうの一つでも持ってくれば良かった……」


 青年はガックリと肩を落としながら、少しずつ食べ進める。

 長年冒険している熟練の冒険者でも、この臭みの強い魔獣の肉を食べるのは、冒険中に味わう一番の苦行だと評するくらい、魔獣の肉はとてつもなく不味まずい。


 そんな魔獣は青年が呟いた通り幻生林にしかいない。

 たまに近くの街や村に現れては人を襲うという厄介な生き物ではあるが、なぜかこの森だけを根城にしていた。

 近隣の村や街――誰彼構わず人々を襲うため、依頼がない時には幻生林へ訪れある程度討伐し、安寧を保つのもエヴァンの役目の一つでもあった。


 そんなそこそこ重大な役目を背負ったエヴァンは、魔獣の肉へかぶりつきながら、パチパチと燃える焚き火を眺める。

 念のために、と近くにある川辺で川魚を取っていたため、精神的ダメージは少なく済んでいた。

 これを食べ終えれば、魔獣の肉よりマシな魚にありつける。



 しかし、青年のそんな淡い期待は、一つの物音で片隅に追いやられた。




 ガササササッ……!




 エヴァンの近くの茂みが小さく揺れた。


 その音を聞いたエヴァンはすぐさま、肩へ寄りかかるように置いた剣を持ち、臨戦態勢へ移行する。その時にポトリと落ちた食べかけの肉など、一切気にならないくらい一瞬にして研ぎ澄まされた双眸そうぼうを物音がした方へ向ける。

 少しの恐怖と緊張感がそうさせた。


(魔獣? だったらなんでこの距離まで気付けなかった?)


 エヴァンのすぐ近く、五メートル程の茂みまで何らかの生き物が近付いていた。

 手練の冒険者でもあるエヴァンにとって、そんな事はあってはならないこと。

 そんな事が出来るのは世界を恐怖に陥れる『魔王』くらいだと、考えている青年の緊張感は更に増してきた。


 心臓が少しずつ早鐘のように加速する。

 思考の隅ではうさぎみたいな小動物が飛び出してきて「なんだー」と、言わせて欲しいと願い始める。

 青年は『救世主』であるため、戦闘行為そのものが好きではないし、得意でもない。むしろ、苦手な部類なのだ。

 魔獣ならいざ知らず、『魔王』というほぼ見た目が人に近い奴と交えたくない。




 そんな考えなど知らない音の主は、茂みから飛び出した。




 飛び出した、というのはエヴァンが虚をつかれただけで、出てきたものにとっては、至って普通に体を茂みから出しただけである。

 出てきたものの姿を見て、エヴァンは驚愕きょうがくした。


(人だ)


 人。

 ただ、人族ではなく、角の生えた魔人族まじんぞくが茂みから出てきたのだ。

 それだけではない。



 女の子だ。



 髪は白銀の綺麗なもので、月明かりを反射する首元までの長さ。

 エヴァンをジッ、と見つめる目は深紅までではないが、美麗な紅色の瞳。

 みすぼらしい見た目のボロボロになった衣類をまとい。

 身体はやせ細り、肉なんかはなく骨と皮、中にかろうじて内臓が入っているくらいの細さ。


 女の子と思ったのも青年の直感で、本当は男の子なのかもしれない。

 そう思えるくらい虚弱な見た目。

 衣服の隙間から見える肌にもいくつかの切り傷や泥の跡。

 顔付きは可愛いとさえ思えるのだが、生気を感じられない。

 頭に生えた二本の角は黒曜石のように黒く、艶がある程に光を反射し、綺麗で小さなものだった。


(痛々しい……)


 真っ先にそう思った。


 エヴァンは臨戦態勢だったのを少しだけ解いた。

 こういった小さい子でも暗殺稼業に染まっている子もいる。

 それを知っているエヴァンはひとまず、観察と考察を始めた。


 もし、命を狙われているのならと、警戒をしておいて損は無いが、そもそも魔人族は暗殺をするのか。

 魔人族は人族と比べて圧倒的に全ての力が高い。

 だからこそ、暗殺などしなくても殺すことだけは容易。


 しかし、情報というのも、種族としての特徴や風土とかの当たり障りのないもので、その程度しか流通していないくらい、他種族を拒絶している。

 そんな種族で生きてきた子が、興味本位に人の野宿を覗いてくるのか。

 好奇心だとしても両親の教育があるなら、それはありえないだろう。


 ましてや場所は、幻生林という危険な地区。

 ストラ領の北西にあるとしても、エヴァンのいる場所は人族の生息圏内に近い。

 対して、魔人族の住処は幻生林が面した西の山を抜けたずっと先にある魔都まとのエティリカ。


 エティリカからわざわざ魔獣が蔓延る場所へ、魔人族の子がいるのは厄介事を一緒に引き連れているのではないか。

 この子が奴隷で、エヴァンを襲うための囮にしている可能性も考えられる。


 生傷が多いのは奴隷だからなのか。

 奴隷だった環境から逃げてきたからなのか。

 それとも、ただ家族とはぐれた迷子か。


 ということを矢継やつぎばやに考えていると、魔人族の子は少しずつ、エヴァンを見ながら近付いてきた。


 その行動にエヴァンは強く警戒する。

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