見捨てられた白銀の少女を救いました。この子を幸せにしたいので、魔王討伐やめて平穏な日々を目指します。

月見里さん

第一章「青年、少女、出逢う」

第1話「救世主のはじまり」

 


 世界の命運は、小さく古ぼけた玉座の前で握られていた。




 神託歴千年 場所――魔都まとの王城。


 薄暗く、不気味な雰囲気が漂う黒々とした城壁の中。

 唯一といっていいほど、王城の中でも広く仕立てられた玉座の間。とても人気なんて無さそうな、廃城と指を指されても文句を言うべき人間なんかいないような、今にも崩れそうな城の一室。


 その広間にて、不気味なほど赤みの強いカーペットの上に二人の人間がいた。見つめ合い。睨み合い。とても仲良く話をしているような雰囲気ではない。その空間を彩るのは雑に置かれた調度品。

 長年の埃が積み重なり、中には倒れた燭台もある。寂れて、錆れたどれもこれも価値の高い物のはずが、その杜撰な保存方法を遺憾無く表明していた。この玉座の間がそれほど重要な意味を持っていないことが分かるくらいには、粗末な扱いを受けている。


 その広々とした薄暗い空間を存分に使いながら、二人は何をしているのかと問われれば、彼らは殺し合いをしていた。空気が冷たく、研ぎ澄まされたかのような寒気が流れ込む中。そこでお互いに殺意を向けているとは思えないほど、麗しい白髪の乙女と黒髪の美青年。その二人が最終局面と呼べるような緊迫した雰囲気で、対峙していたのだ。


 青年のその身は黒い革のローブだったはずがボロボロに。綺麗に仕立てられ、雨風を凌ぐだけでなく耐久性だって優れていたはずのものが、悲惨な形になっている。腕なんて剥き出しで、腹部だって刻まれてしまって、辛うじて体を覆う役目だけ果たしているような状況。刻まれた切り口からは、激戦の証らしく真っ赤な純血が垂れ流れていた。それでも、彼は目の前の相手を倒すという意思を強く瞳に示していた。この状況にありながら、この状態にありながら、彼は負けようとしていない。

 だが、現実は非情である。


 対して、少女は無傷。

 ほんの少しだけ戦いによるホコリが衣服に付いただけ。素肌を一切見せない真っ黒か、それとも今までの血が変色した結果の漆黒か、分からないような重苦しいローブ。誰から見ても、衣服の違いから見ても戦いは圧倒的な少女有利で進められている。


「こんなものかい? 『救世主』様よ。もう少し期待していたのだが、これほどにまで弱いとはガッカリだ」


 息もえな青年へ、嘲笑ちょうしょうを浮かべ少女は問い掛ける。

 声音も残酷さを帯びていて、聞くだけで意思そのものを挫いてしまいそうな、そんな声。腹の底を揺るがし、心臓を掴むような、おぞましい音が少女の口から流れていく。とめどなく、緩みなく。


 青年は少女からの質問に答える暇などないのか、黙ったまま少女を見つめる。

 一刻も早く、戦闘を優勢に運び、勝たねばいけない。

 そうしなければ、人類は滅びてしまう。

 そんな焦燥感が体を駆り立てようとするものの、唇を噛み締めることしかできない自分自身へ苛立ちにも似た感情を抱く青年。手を力強く握り、深く自身の皮膚に爪が立ってしまう。じわっと、流れ出てくるのが爪によるものか、少女からつけられた傷によるものか、分からないほど、青年は情けない感情に支配されていた。


愉快ゆかい愉快。これほどにまで弱いとは、もう少し痛ぶる趣味を持っていた方が良かったな。そうすれば、もっと楽しんで殺せる」


 ニヤリ、と少女は恐ろしく口の端を歪める。



 その瞬間、少女が怪しく笑った瞬間――青年の右腕が根元からちぎれた。



 痛みを感じるまでの、たった数秒にも満たない刹那せつなの光景は、青年の右腕が華麗に宙を舞い、血液やら組織液などを撒きながら地面へボトリと落ちるもの。

 突然の出来事に右腕の行方を呆然と眺めていた青年へ、遅れて痛みが襲いかかる。あったものがないことの現実と、失った悲しみと、自身に襲いかかった圧倒的力量差が。


「な……ぐっ……ああぁあぁ……!」


 咄嗟の出来事であったが、青年は冷静に対処しようと動いた。

 右腕をかばうように左手で覆いつつ、急いで治癒魔術を掛けようとする。青年の行動は決して間違っていなかった。止血を施さなければ失血死してしまう。あっけなく、容易く命は消えてしまう。そこに一抹の油断もない。

 ただ、唯一あるとすれば、そんなことさえ。判断力さえ、霧散してしまうような力。そもそも行動を許さない押し付け。少女が痛めつける趣味を持たなかった弊害。

 青年の左手はそこへ添える事ができなかった。



 ――ボトンっ。



 左腕も重力に従って落ちた。

 痛みも、衝撃も襲わず。

 枯れた花が落ちるように。


「な……っ!」


「キヒヒ、両手も無いとは無様ぶざまだな。ああ……可哀想に。もっと楽に殺してあげたかった……。お前が『救世主』なのがいけないのだ」


 一歩ずつ少女は青年へ近付く。

 両手の喪失は耐えがたい苦しみとなって青年を襲うが、少女から遠のくように一歩ずつ距離を置く。


 ――近づかれてはまずい。


 そんな危機感が青年の脳内へ騒々しく響き渡る。

 腕のあった所から溢れ出る血は、真っ赤に床を染めていき、これまでの苦労を台無しにするかのように、無慈悲に流れ床の窪みへ留まっていく。

 出血量も尋常ではない。このままでは失血死してしまう。

 焦った青年に対して、少女はさらに言葉を重ねる。


「動くのは鬱陶うっとおしいな」


 言葉にした少女。

 その少女を瞳に映していた青年は、なぜか彼女の姿が右へと傾いていくのを不思議に感じた。

 どうして傾いたのか、それが気になって倒れゆく最中でふと、見てしまった。

 ゆっくりとした中に起きた、ただひとつの残酷。



 青年の左足は床に直立のまま、根元から切られていた事を。



 青年の体は床へと倒れ、衝撃と同時に鋭く切られた痛みが、下腹部より込上がってくる。


「ぐぁあああああああ……!!」


 両腕と片脚を失った青年は傷口を触る事ができず、もがくことしかできない。手がなければ治癒魔術を施すこともできない。口からは悲鳴が漏れ出るのみ。痛みに耐えることしかできず、それ以上の行動も言動も乗り越える精神がない。

 そんな虫のように身じろぐ青年へ、少女は着実に近付いていく。


 その道中に残された――切り取られた足を一瞥いちべつすること無く、通り過ぎる。

 通り過ぎた瞬間に足は、ブチュッ、とまるで小バエを叩き潰したような音と共に、原型が無くなる。

 血と細かな肉片、健康的で真っ白な骨片が、冷たい大理石の床へ飛び散っていく。


 その様子を恐怖に震える青年は眺める。

 眺めることしかできなかった。

このまま潰えてしまう。

あの足のように。なんの憂いも楽しみも、悲しみだってなく、当然のごとく自分も殺されてしまう。


 動悸どうきの激しくなった心臓の鐘。

 呼吸困難になった肺の震え。

 自然と広がった瞳孔どうこうで、目の前の恐怖を視界に映す。


 対して、少女はそんな青年の様子を楽しんでいるようであった。

 たのしみ、たのしみ、楽しんで、痛ぶって、傷付けて、殺そうとしている。


「なあ、『救世主』よ。あたしは何で『魔王』なのか未だに疑問なのだが、どうすればいいか教えてくれるか?」


 青年に近付いた少女は、そう尋ねながら残った左脚へ手を掛ける。

 その動作で、なにをされるか分かった青年は余計に青ざめ、抵抗の意思を示す。


「な……っ……や、やめ……!」


「お前は救ってくれなかったな。なら、いらないな」


 その言葉と一緒に、青年の左脚は潰される。

 骨も肉片もぐちゃぐちゃに。

 本来足のあった場所には、血溜まりしか残さず。

 もう痛みの感覚は麻痺まひしかけていた。


「なあ、『魔王』て『勇者』を殺すのが役目なのに、それが生き甲斐がいなのに、なぜお前が『勇者』を殺したんだ?」


 両手足の無くなった青年へ問い掛ける。

 痛みに耐える事で必死な青年は、答える術もない。

 ただ、嗚咽と悲痛な咆哮が響くのみ。


「『勇者』を救っておいて、お前はあたしを救わないのなら、消えてくれ」


 ゆっくりと、青年の頭部へ手を添える。

 優しく、愛し子のように柔らかく包み込んでいく。

 しかし、青年にとってその手は、死刑に使われる断頭台よりも恐ろしく見えた。


「や、やめ……っ!」


「さようなら、エヴァン・レイ」


 音もなく青年の頭部は爆ぜた。

 青年の頭部は潰れ、それは熟れたトマトが地面へ落ちた時のように、鮮血と脳漿のうしょうが炸裂して床を彩る。



 青年は少女によって殺された。



 ◆    ◆    ◆



 その様子を観察していた一人のローブ姿の女性。

 なぜそこに居たのか。

 なぜ傍観者として何もせず見ていたのか。

 真意は不明だが、彼女はポツリ、と一言。


「いい事ですね、でも、必要があるようですね」



 そう言い残し、女性は姿を消した。



 『救世主』の死亡。

 それは紛れもない事実であり、『魔王』によって殺された今。

 結果の違えた過去を彼女は作り替える。

 もう一度、違う未来を求めて。



 自身の欲望を満たすために――

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