第65話『行きましょう』

 目は良く見え、耳や肌や鼻は良く感じ、身体は良く動く。二人の手練を前にしても、リュールは負ける気がしなかった。本気で命を奪おうと思えば、ブレイダを二振りすれば済んでしまうだろう。

 ただ、本音としては、彼らと話がしたかった。人を恨む理由、これまでしてきたこと、今からでも引き返せないのか。聞きたいことと言いたいことが山のようにある。


 そして、今のリュールには時間がない。ゴウトが放った人型魔獣は、壁の街へ向かっている。

 恐らくはそれなりの数が揃っているだろう。レミルナと騎士団の連中だけでは分が悪いと予想していた。

 だから、頭を下げ懇願した。起き上がったルヴィエが、眉を吊り上げ声を荒らげた。


「おい! 何のつもりだよ!」

「俺は、街に行かねばならない」

「じゃあ、さっさと殺せばいいだろう!」


 ルヴィエの剣がリュールに向かう。先程と同じように、ブレイダで迎え撃つ。


『ルヴィエ様を愚弄するな!』

『そちらこそ、リュール様に迷惑かけないでください!』


 縦に横に振られる黒紫の剣撃。リュールは、その全てを受け止め、受け流した。ルヴィエの顔は焦りで歪んでいた。

 攻撃を捌きつつ、横目でトモルの様子を確認する。槍を構え、介入する隙を窺っているようだった。 


「こっちを、見ろよ!」

「ふっ!」


 ルヴィエが繰り出したのは、力任せに叩きつけるような一撃だった。白と黒の剣が激突し、周囲の空気を揺らす。

  

『うあっ……!』


 ルヴィエの剣が悲鳴をあげた。ブレイダと同じく幅広の剣身に、大きく亀裂が走っている。


「くそっ!」


 折れかかった剣を再度振り上げ、力を込めた。リュールの目には、正常な判断力を失っているように見えていた。


「死ね!」


 リュールはブレイダで受け止める事をしなかった。右手にブレイダを下げたまま、一歩前に出る。剣の間合いの内側に入り、振り下ろされる直前の腕を掴んだ。


「もう、やめてくれ」

「なんだと!?」

「剣が、折れてしまう」

「な……」


 リュールの言葉で初めて気付いたようだった。傷付いた剣を目にしたルヴィエの全身が震え出す。


「このまま引いてくれ」

「ひ、引けるかよ!」

「なら、折るしかない」

「ぐっ……」


 我を忘れていたルヴィエの瞳に、少しずつ冷静さが戻ってきた。今ならば話ができるかもしれない。

 赤から紫に変わりつつある空を見て、リュールの心は揺れた。少しだけなら、時間はあるのではないか。


「話を聞かせてくれ」

「話、だと?」


 掴んだ腕から次第に力が抜けていく。街は気になるが、この機会はどうしても逃したくなかった。


「あの後、お前に何があった?」

「俺は……」


 ルヴィエが口を開きかけた瞬間、リュールは軽く後方に仰け反った。二人の間に、鋭い槍撃が通過していた。


「おっと、俺を忘れるなよ」

「ちっ!」


 リュールの胴を目掛け、槍が突き出される。間を置かずに計六回。絶妙に位置をずらした攻撃には、大きく避けざるを得なかった。

 ルヴィエの腕を放し、軽く距離を取る。文字通りの横槍だ。この状況で無視はできない。


「トモル、邪魔をしないでくれ」

「弱った大将は守らないとな」

「大将?」

「おっと口が滑った。ここはお前の要求通り引くよ。見逃してくれるんだろ?」


 軽口を叩きつつも、槍の構えは解かない。リュールを牽制しつつ、ルヴィエを肩に担ぐ。


「街に行けよ。どうせお互い居場所はわかるんだ。また会おう」


 トモルはそのまま身を翻し、闇に染まりつつある平原に消えていった。去り際の一言で、リュールは彼らを追うことができなくなっていた。


『リュール様……行きましょう』


 未練を払うように、ブレイダを軽く振る。刃が空を斬る音が、小気味良く耳に入ってきた。


「ああ、行くぞ」

『はい!』


 愛剣を手に、リュールは再び走り出した。

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