第18話「とりあえず着てください」

 宿に戻ったリュールたちを、受付の女性は唖然と見つめた。


「すまん、風呂を使わせてくれ」

「今度はあんたかい」


 カウンターに置かれた硬貨を受け取りつつ、女性はため息をついた。


「金さえもらえたら文句は言わないけどさ、その子、困らせるんじゃないよ」

「善処する」

「大丈夫ですよ、優しいので」


 リュールはブレイダを従え、浴室へと向かった。背後から「仲良くしなよー」との声。たぶん、いや、完全に勘違いされている。変に照れくさくなり、ブレイダの顔を見ることができなかった。

 脱衣所の手前まで来た時、リュールは着替えを持っていないことを思い出した。血まみれの服を洗うのだから、どうしても必要になる。それも、一昨日のブレイダと同じだ。


「ブレイダ、部屋に置いてある着替えを持ってきてくれ」

『はいっ!』


 元気のいい返事と共に、ゴトリ、という鈍い音がリュールの耳に入った。


「ん?」


 振り返ると、そこに少女の姿はなかった。その代わり、緋色の鞘に収まった大剣が転がっていた。鍔には朱色の飾り石。猪の化け物を斬り裂いた剣だった。


「は?」

『あれ?』


 リュールは剣を手に取った。やはり軽い。鞘の分だけ昨日より重量はあるが、それだけだ。鉄製の剣とは到底考えられない。

 しかし、しっくりと手に馴染む感覚は、リュールが愛用する大剣そのものだった。


「お前、また戻ったのか?」

『わかりません!』

「だよなぁ」


 リュールは仕方なく、ブレイダを手に部屋に戻った。着替えを手に取り、再び浴室へ。


「戻るなら戻るって言えよ」

『そう言われましても』

「いいや、とりあえず待ってろ」

『はい。リュール様をお流しできず残念です』

「流す気だったのかよ」


 体と服を洗っている際、リュールは胸の傷が治りかかっていることに気が付いた。胸板を横断するように一本の傷痕が残るだけだ。さほど深くはなかったが、一晩で癒えるほどの傷でもなかったはずだ。

 傭兵としての生活を続けていれば、怪我は日常だ。慣れているからこそ、治る経緯もよくわかる。どうにも違和感を覚えてしまう。


「なぁ、ブレイダ」

「あっ……はい、なんでしょう」

「俺、胸に傷あったよな? 診療所でブレイダも見ただろ?」

『あっ……はい、見ました』

「それが、ほとんど治っているんだよ」

『私がお見かけした時は、もう血は止まっていましたよ』

「そうか、ブレイダが見た時には……うーん」

「あっ……そうですね」


 会話しながら、血汚れは一通り流し終わった。服に染みは残るものの、気にする程度ではない。


「あ、しまった」


 体を拭う布は脱衣所に置いたままだった。少々緊張感が抜けすぎている。リュールは自嘲しつつ、濡れたまま浴室を出ようとした。


「はい、どうぞ」

「おう、ありがとう」


 気を利かせたブレイダが、布を手渡した。リュールは反射的に礼を告げる。こういう時に手を貸してくれる相手がいるのは、とても助かる。


「って、おい」

「はい?」


 体を拭い終えたリュールは、裸のまま脱衣所に飛び出した。


「きゃ」

「お前、また人に」

「とりあえず着てください」


 自身の目を手で塞いでいるのは、人の形をしたブレイダだった。つい先程までは剣だったのにと、服を着ながらリュールは混乱する。


「いつからだ?」

「たぶん、リュール様が私を呼ぶ度に」


 ブレイダの返事はいつもの『わかりません!』ではなかった。

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