バイトをバックレた話
鮎河蛍石
石ころで十枚書いてみよう
《石ころ》で十枚書けたら物書きの資質があると、公募ガイドに載っていた作家インタビューで目にした。
十枚とは四百字詰め原稿用紙換算で四千字を指す。
この四千字、過去に私が書いてきた小説のスケール感と一致する。五分ほどで読み終わるこじんまりとしたケール感。しかし書いている側としては、なかなかに苦労をする。
個人的な印象としては四千字の掌編であれば一つのアイデアから二人、多くて三人の登場人物で回すと納まりが良いように思う。苦労をする点は、非常に短い尺に納めねばならない点だ。書き始めは四千字も書くのかと、原稿の空白に辟易するが、いざ書き終わると足が出る。そんな描写力の低さを自覚する程度の素人であってもこの始末。とどのつまり、観察眼の未熟や感性の鈍さが成せる業だ。伸びしろがあるぞと嘯くことしかできない。
思い付きで石ころに因んで四千字書いてみようとWordに文を書き散らしているが、困ったことに水増しのボヤキですら、一枚分しか埋まっていない。
資質が足りない証左であろうか。
この程度で道の険しさを感じてしまう気弱さに苛立ってしまう。
アドリブで書いているのだから仕方ない部分もあろうがこの体たらく。冗談じゃねえ!
私の持っている書く能力の底を感じる。私は路傍の石ですらないのかもしれない。そんな不安が重たくのしかかる。
私ならできると虚勢すら張ることすらままならない。いやはや情けない。
無い自信を無理やり奮い起こすくらいの気位が無ければ、エンタメを創ることなどできないように思うのだ。最近アウトプットの調子が悪く、新作に使えそうなアイデアが降って湧く頻度も落ちている。
肩に力が入り過ぎているのだろう。下手の横好きから一段上に這い上がりたい。そんなスケベ心がというか雑念が、歩みのテンポを狂わせる。
向上心を抱くだけで具体的な行動に移せていない焦り、がふつふつと湧き上がってくる。
石ころが石ころ足りえるのは、一つの岩から零れ落ち、気が遠くなるような時間を掛けて、風に削られ、雨に穿たれ、川底で磨かれ動き続けたからこそ、石ころは石ころ足りえる。動かねば磨かれるものも磨かれない。
私の現状を例えるならば、角だけ出っ張り肌の質感は凸凹と荒く触れることを躊躇わせる石礫といったところか…………
ええい止めだ! 止めだ!
辛気臭いにも程がある!
気分転換に始めたウォームアップで憂鬱になってどうする?
俺は阿呆なのか?
否だ。阿呆ならまだ救いがある。何故なら面白いからだ。
ではこの、ていたらくは何なのか?
愚かと言えよう、それも中途半端な愚かである。
中途半端な愚かは醜い、突き抜けて、極めて愚かであればまだ見どころがある。しかし中途半端なのは良くない。無職にかまけ公募に五千字だの、二万字だの、三万字だのと書き綴た小説を送りつけ、おまけにバンドリと立喰師列伝を掛け合わせたよくわからないクロスオーバー、バンドリとコワすぎを掛け合わせたよくわからないクロスオーバー、果てはバンドリの二〇二二年エイプリルフール企画のギャルゲーを基にこの世に存在しないアニメのあらすじを二六話書き散らしたりした。
勢いが落ちてきたので、無駄に文体を変えて自分語りをして、まだ三枚分しか書けていない嘘だろ?
ボキャブラリーの貧困を思い知らされて泣いてしまいそうです。
あなたも一緒に泣いてくれますか?
そうですボキャ貧困問題にぶち当たっているのです。
こればっかりはひたすら辞書を読むなり、小説を読むなり、漫画を読むなりして経験を積み出力し続けるしかない。
スヌーピーでお馴染みの漫画ピーナッツにも「人生は持ってる武器で戦うしかねえ……」みたいな事が書いてありますが、いま自分が持ってる武器があまりにも少なく、インターネット物書きという広大なフィールドにいざ立ってみると、素寒貧でダンジョンに投げ出されたような心もとなさに戦慄を覚えるのです。
一朝一夕でぐんと語彙力が付くような奇跡は起きない訳で、かといって何もしなければ現状は維持されどうともならない。ですので苦しいかもしれないが、石ころで十枚書ければ、ちょっとは気が晴れるやもとエッセイめいた何かを書き始めたは良いが、脱線に脱線を重ね。正直何を書いているのやら自分でもさっぱりわからなくなり途方に暮れている訳です。
白状すればとりあえず十枚分、言葉をひねりだせればええかなくらいのラフな目標に、二百字書いた辺りでシフトしています。
目標を自分で設定した手前、達成できなきゃだせえよなって、取り組んでいます。
でもな十枚分の文章ってな、ひりだすのクソ辛いのよ。
そういえば石田衣良先生が言ってたね「小説家は石ころを絞って言葉をひねり出すような仕事だ」うろ覚えだけども、そのような事を言ってたよ。
アウトプットを商業の世界でひたすらしてきたプロの本音って感じで、重たい言葉だと思う。
引き出しを開けきってから、更に引き出しを持ってくるみたいなことだよな。
常人には真似できない超人の所業ですよ。
小説で飯を食べている人は凄い。
やべえ薄っすらキーワードを拾いつつ、ぼんやりとした感想で、無理やりたたもうとしてしまった。
あと五枚書かなきゃならんというに、意志薄弱人間か?
目標を投げ出したところで命が取られるという訳でもないのだが、そうしてしまうと後味が悪いし逃げ癖がついてしまうような気がするのです。
逃げ癖は離職しまくるだけに留めておきたい。
社会から一時的に逃げることはできても、プライベートから逃げることは絶対に出来ないのだから。
でも逃げ出したいなあ。
逃げるって気持ちいいんですよね。
私が最初に職場から逃げたのは、高校生の時分にやっていた肉屋のアルバイト。その肉屋の店主は競馬の大穴で当てた数百万を使い、テナントが入っているスーパーの入り口前に小屋を建て焼き鳥屋台を作った。店主はパンチパーマ―の似合う恰幅の良い迫力ある日本ハムの営業をやたらに毛嫌いするオッサンであった。
このパンチパーマ―のおっさんは小屋に居るので、私とパートのおばちゃんで店番をしていた。
アルバイトの私は肉の量り売り、商品の陳列、空揚げやコロッケの総菜作りを主な業務としていた。
シフトの頻度と言ったら滅茶苦茶で、火曜日以外は全て入れていた。当時通っていた工業高校は実習科目以外に宿題が存在しないワンパクな学校だったので通った無理ではあったのだが、さすがに堪えたので正月にトイレで原因不明の嘔吐を催しそれからシフトは減らした。当時の時給も田舎とあって最低賃金がそもそも低く八百五十円。夏休みはお盆以外もシフトを入れたが五万円しか儲からなかった。
それに職場の環境も劣悪であった。
延々とループするUSENのヒットチャートが垂れ流す鼠先輩の「六本木~GIROPPON~」、夏は油の匂いで胸やけし、巨大なドブネズミは駆け回り、果ては屋根裏に住み着いたイタチが夜中に生鮮商品を荒らす異常な環境。
「昨日は罠に動きがあった。惜しかった」
などと魚屋のオヤジが空っぽの檻を見せながら釣果報告をしてくる。
正直それはどうでもよかった。
何より苦痛だったのはオーナーの嫁のババアだった。
売れ残りを出したくないので唐揚げの生産を停めているのに「唐揚げ無くなってるで」としつこくせがんでくる。
お客さんにはその日に揚げた美味しい唐揚げを食べて頂きたい。
純朴な高校生であった私は断固として拒否をしたのだが、揚げろ揚げろの一点張り。
仕方がないので唐揚げを生産し手巻きのシュリンクをかけて陳列する。しかし予想通り蛍の光が流れる頃には、半額シールが貼られた唐揚げの山である。
嘆かわしいったらない。
かくしてメンタルをババアに蝕まれ闇堕ちを果たした私は、常にむしゃくしゃしていた。揚げすぎたコロッケの如くカリカリに焼が回っていたのだ。
そんなある日のこと、外線が鳴る。
「文化祭の打ち上げで唐揚げを1キロください」
地元の私立高校から発注が掛かった。
『唐揚げの一キロくらい手前で揚げやがれ馬鹿がよ』
注文通り揚げた大量の唐揚げに、塩コショウをしこたま振りかけたスペシャル唐揚げを提供した。
今思えばなんと愚かな事をしたのかと懺悔室で告解したい気分だ。
スパイスが効きすぎたジャンクな味が受けて、私立の高校生が唐揚げを買いに来るようになったのだ。
何が楽しくてよく知らない学校の高校生に、高校生の私が悪ふざけで作ったクソ料理を振る舞わねばならぬのか?
アルバイトの給料で買った撲殺天使ドクロちゃんを読みながら、悶々としたものである。
ややあって新人が肉屋に入った。
同い年の高校生であった。
話し相手ができたと喜んでいたのだが、ソイツは商品の肉を盗みクビになった。
いろいろ仕事を教えて、私と同じくらいに動けるようになった矢先である。
何もかもが馬鹿馬鹿しくなり、ババアが無限に唐揚げを揚げよと指図してくる。
もう我慢ならねえ。
タイムカードを粉々に破り職場から逃げ出した。
自転車を全力で漕ぎ風を全身で感じる。
なんと気持ちの良いことか。
この破滅的な体験で感じた世界が色づくような感覚が現状に通じているように思えてならない。
茶封筒に入った給料を握りしめ、ライトノベルや漫画を買い漁った体験よりも気持ちが良かった。
独りよがりなバックレによって得た自己破滅のカタルシスは、えも言われない快感だった。そして躁状態に陥った私は自転車で町を駆けまわり、辿り着いた河原で延々と石ころを投げ続け、携帯電話で友人に熱く顛末を語った。
一年後、肉屋が入っていたスーパーは潰れて更地になり、今は健康ランドになっている。
執筆で根を詰めすぎ書きあぐねると、気分転換に湯へ浸かりに行っている。
露天風呂に入り星空を見ると今でもはっきり思い出す十六歳の夏。
花火大会の中、シフトに入り揚げ物を仕込みながら、浴衣を着た高校生のグループに、値段三割増し(店主の指示による値上げ)の唐揚げを売りつけた夏のことを…………
何とか十枚書けた。
狂ってしまう程キツかった、痛いイキりエピソードの開陳でしかない。
バイトテロやんけこれ。
若気の至りで済まされへんよ。
というわけで、当時の肉屋の店主に菓子折りを持っていったんですよね。
十四年ぶりに会った店主は当時と同じパンチパーマ―で総菜屋をやっていました。
「その節はご迷惑をおかけしました」
「おお青腸くんやないか元気にしてたか?」
「ボチボチやってます」
「小屋なんか建てへんかったら良かったわ。要らん金を使ってもたわ」
店主は遠い目をしながらポツリと言葉を漏らした。
総菜屋は件の健康ランドと道を挟んだ向かいに建っている。
「これ持っていってや」
「いやいや悪いんで買いますよ」
「かまへんって、お菓子ももらってるさかい」
パックに入った唐揚げをもらった。
「また来てや」
「はい失礼します」
店主の持った人間の器のデカさに恐縮して気の利いた言葉が出てこない。
気まずさを感じて足早に総菜屋を後にした。
そのあとバイトをバックレた後に立ち寄った河原に行き唐揚げを食べた。
ブラジル産だか中国産だかの柔らかい鶏もも肉に、業務用の衣とニンニクを混ぜ込んだ当時のままの味。
涙の一つでも流せば少々絵になろう物だが、そう都合よく行くわけもなく、唐揚げを完食した。
足下に転がった石ころで水切りをしながら思う。
私も角の無い器の大きな店主のような人間になりたいと心の底から願った。
バイトをバックレた話 鮎河蛍石 @aomisora
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