第47話 落ちていく

 落ちていく。いつだって平等に働く物理法則に従って俺の身体は落ちていく。

 落ちていく中で冷静になっていく思考が今の状況を一気に分析していく。

 ドラゴンも落ちてくる。だが、果たしてこの落下で地面に叩きつけられた程度でドラゴンは死ぬだろうか。俺は死ぬだろうけどドラゴンは問題ないだろう。それだけの生命力を感じる。

 ならば俺が落ちる前に仕留めなければいけない。だが、どうすれば。いや、解決する手段はある。俺は持っている。

 あの時。魔神の放った破壊の火球。それを斬った一振り。だけど、どうやって作り上げたかわからない。再現できるという確信が持てない。ただできるという自信と共に作り上げた無限の斬撃の一振り。あれをもう一度作るにはどうしたら良い。

一秒、一秒、少しずつ手遅れになっていく。思考は冷静なのに、判断が、判断ができない。ゴーゴーと風が鳴る。うるさい、浮かびそうな考えが形を成す前に散っていく。加速する思考の結果、認識する前に消えていく。

 気がつけば地面が迫っていた。飛行魔術に回していた魔力は? 魔力……くそっ、さっき全部突っ込んだばかりじゃないか、魔力が戻るまでまだ時間が……。

 全身が空気の壁を押しのけながらアスファルトの地面に迫っていく。全身が熱を持つが同時に寒かった。けれど地面に衝突することに恐怖は無かった。

 どちらにせよ、ここでドラゴンをどうにかしなければ死ぬ。それに変わりはない。

 がむしゃらに振っただけの一撃では足りない。どうすれば、どうすれば足りるんだ。

 だめだ。立ち向かうと決めても、結果に繋げられない。このままじゃ、世界は終わる。

 斬るべきところ、斬るべきところはどこだ。直感が思考に塗りつぶされていく。威力も、角度も、用意できる気がしない。俺では、俺だけでは足りないんだ。でも、俺がやらなきゃ。

 その時だ、空を切り裂くように向かってくる黒い影、迷いなく落ちていく俺とドラゴンを追いかけて弾丸のように飛んでくる。

 アリサだ。大剣を構えドラゴンを追い抜かんと加速する。アリサはすぐに気づいた、俺の魔力がほぼ尽きていることに。けれど、それでもと叫ぶ。


「っ……! くっ……! タクミ! 一撃! 一撃だけで良い! 合せるから!」


 風に紛れて聞こえない筈の声が、どうしてかはっきりと真っ直ぐに耳に届いた。

 感じる。思考が一気に繋がりクリアになる。やれる。これなら勝てる。ドラゴンを仕留められる。晴れ渡った思考が、直感が、感じた景色を映し出す。斬るべきところは額、ドラゴンが魔力を取り込んでいる場所。グッと握り込む手、残った魔力をかき集める。既に復活を始めている魔力障壁、それはドラゴンの額を真っ先に守る。

 これだけ。これだけ破れば良い。そうすればアリサが決める。アリサの進む道を、俺が切り拓く。


「! はあああああ! ぐっ、うぐっ」


 一瞬の滞空。ティナさんの結界だ。青い顔で必死に手を伸ばしているのが見えた。

落ちてくるドラゴンと目が合う。目を細めたのは恐怖か、威圧か。その答えが出ないまま、振り上げた斧。悲鳴を上げたのは魔力障壁か、斧か、腕か、足場になった結界か。

腕が、腰が、足が、千切れたか。ひしゃげたか。持っていかれたか。潰れたか。予想はできていた衝撃、だけど今の俺の魔力量で、ドラゴンの落下速度を活かさないという選択肢はない。

でも、俺は耐えている。強化の魔術をかけてなお悲鳴を上げる全身を唸らせる。

「あ、がああああ、が」

 足場の結界にヒビが走る。散った火花が頬を掠める。今の一瞬の間に何回意識が飛んで目覚めたか。白飛びする景色が全身が破壊される痛みではっきりとしたものに変わっては色を失う。

 それでも、振りぬいた。同時に確かに聞こえた、自分の腕が破壊される嫌な音。トマトがつぶれたような音。それに交じって、魔力障壁が破れる甲高い音が、確かに響いた。

 同時に、足場の結界が崩壊した。

 振りぬいた斧が手から零れてどこかに飛んでいく。腕があべこべにねじ折れ曲がって。赤黒く色を変えてぶら下がっている、多分全身あちこち何かしらぶっ壊れてる。痛さを通り越して何も感じない。自分の身体なのに他人の身体を眺めているような現実感の無さ、そんな俺の他人事のような感想を他所に再び落下を始める。もうどこにも力が入らない。魔力もめぐらせられない。ただ物理法則に従って落ちるだけ。一度全身を潰すような衝撃を受けたんだ。スムーズに地面の染みになれるだろう。

 でも、そんなことはともかくだ。あとは託さなきゃいけない。


「アリサああああああ!」

「はああああああ!」


 ぶん殴られて上を向いたドラゴンの額、吸い込まれるように振り下ろされる、魔神王の一撃。輝く闇を纏った刃。それは確かに巡り始めていた魔術無効化の魔術を再び破壊し、そして。

 雨が降り始めた。赤い雨だ。絶対強者、生態系の頂点。天空すら我が物顔で舞う存在、ドラゴンが今、真っ二つになり落ちていく。

 容赦なく降り注ぎ俺の身体を染めるドラゴンの死をぼんやりと眺めていた。


「っ!」


 なんだ、頭の中に何か。流れ込んでくる。これは、術式? 古代語とはまた違う、もっと古い、これは……言葉なのか。もっと原始的な、そうだ、音だ。

 その意味が、それで何ができるか、わかる。くそっ、でもこんなもの押し付けられても。このままではトマト祭り会場に紛れ込んでも違和感ない状態になってしまう。はぁ、着地、どうしよう。眼前に地面が迫っていた。今更になって竦む身体。音が遠くなる。さっきまで飛んでいた空も遠い。僅かに回復したなけなしの魔力で身体を強化するけど、それも無意味になる未来は容易に想像できた。


「はぁ」


 ため息を吐いた。ため息を吐けた。安堵のため息だ。垂れた前髪の先がアスファルトに擦れる。地面スレスレで俺は浮いていた。


「間に合った」

「……アリサ。大丈夫か?」

「先にアリサの心配をされるのは正直心外……アリサは、たくさん大切なことを忘れていて、それを思い出した」

「なんだよそれ」


 俺の足を掴んで引き留めた手が震えていた。思わず見上げた。

歯をきつく食いしばっていたのは、俺が重いからではない。震えているのもそうだ。ガタガタと。俺の頬を伝うのは、俺の涙ではない。逆さだから俺の頬を俺の涙は伝わない。

 震えを抑えようと、堪えようとしても、ガチガチと歯が鳴って涙は溢れて。


「それでも来てくれたんだな、アリサ」

「え?」

「ありがとう。助けてくれて」

「それ、は当然、のことで」

「それでも、ありがとう。アリサのおかげで、俺は帰れる」

 



 結界が解けた。どこか淡かった景色がはっきりとした実感を持ち始める。

 指の鳴る音、認識阻害の魔術が施されたのがわかった。確かに今の俺、車に轢かれたとかそんな感じの見た目してそうだ。


「治癒魔術を、すぐに治す」

「頼む」


 気が抜けたせいか痛みが。ずきずきと、肉に骨が刺さってるような感じが、あれ、していた筈、なんだけど……?


「タクミ?」

「いや、なんか痛くない、というか」


 腕を見ると、グロテスクな感じをしていた筈の腕が時を戻したかのように元通りで。


「あれ、俺の、怪我は……?」

「ほんとだ。そうか、ドラゴンの血!」


 ドラゴンの血か、伝えるべきだろうか、今俺の頭の中に刻み付けられたこれを。

 すぐにずっと知っていたことかのように思い浮かぶ知識、ドラゴンの血でできること。

 そしてすぐに理解する。この刻まれた知識を活かすには、俺の練度がまだ足りていない。

 何より、ヒトであることを捨てなければいけない。その覚悟も足りていない。


「うえ、マジで血の味がする」

「我慢して。それで治ったんだから、ティナは?」

『ここ、ここだよ。ごめん、下ろしてくれない? 魔力がもう』


 と、伝令魔術によって伝えられた位置は空の上。アリサがすぐに飛んで迎えに行った。


「街の人もすぐに目覚めるはず。でもその前に」


 アリサの目は、へたり込むティナさんに真っ直ぐに向いた。


「あれは、何」

「あれって? いやいやそんな顔しないでよ、何のことかは流石にわかるから」


 ティナさんは肩を竦めて。


「魔神王がやれって無茶振りしたことじゃん。魔力を捕まえるということ。隔絶結界の中に打ち込ませて取り出してお返ししたんだよ。反射型隔絶結界、とでも呼ぼうかな」


 ティナさんの言葉にアリサは目を白黒させる。理解できないけど理解しようとしている顔だ。


「結界の中を一つの空間と仮定してそこに隔絶結界を張る。結界を隔絶結界と本来ある世界の境目と仮定することで、結界が壊れない程度に穴を開ける。それがあたしのやったことだよ。それで熱線を受け止めたというか、別の空間に逃がしたというわけ。隔絶結界はその規模に関わらず内部の広さはコピーされた空間情報に依存するからね」


 アリサはその説明を受けてようやくどこか渋々といった様子で頷いた。


「あれほどの威力、そして濃密な魔力の熱線を自身で操ることが可能になるほどに減衰させることが可能な広い空間を、あの程度の小さな結界に収めるイメージ……」


 いや、やっぱり納得がいっていないようだ。ブツブツと手の中に結界を作りながら考えている。アリサの悩んでいる内容を察するに、小さな箱に街一つを収めるイメージができるかということか。


 確かに、ジオラマのようなイメージとはまた違うだろう。ドラゴンの渾身の一撃を減衰させきるような大きな空間を小さく用意する。矛盾した状態を成立させるのだから。

 これをティナさんが自由自在に操れるというのなら、無敵の盾を持っていると言っても過言では無いのであろうか。世界そのものを盾にするというのなら。

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