第11話 夢見の悪い朝。

 ようやく異世界の言葉を覚えて、会話も拙いながらもできるようになっても。今日寝て明日起きたら、元の世界に帰れているのではないだろうか、どこかの誰かが魔神王を倒して、帰れるようになるのではないか。毎晩思っていた。

 もうこれが、夢だと思っていた時期は既に過ぎていた。

 固い地面に布を敷いて寝る。前線拠点を前へ、前へと進める日々。戦場では一番前に出て、無数の剣の雨を降らせる。

 敵側の駐屯地を襲って、物資を奪い、少しはマシな野営施設として使う。もっと前へ。

 一歩進めば、帰られる日が近づく。そう言い聞かせ、足を、手を、前へ、危険地帯へ、動かし続ける。安全な場所と正反対の場にあるのが、俺の帰りたい世界だ。

 魔術を使う感覚が、全身に刻まれていく気がして。それが馴染んできた頃のある日だ。


「我は、魔将軍の一人。アルザーンである。貴殿は……魔術師か?」


 赤い鎧に身を包み、柄の赤い両手剣を肩に担いだ、見上げるほど巨大な男が現れる。兜を取ればそこには歴戦の戦士だと、老練の剣士だと一目でわかる。深いしわが刻まれた男。その眼光は鋭い。その周りには、同じような鎧をつけた兵士たち。


「……魔術師? 二個しか魔術を使えなくても、魔術師名乗れるのか……? 魔術使いなら名乗れるかもしれないけどさ」


 魔将軍、魔神王直属の幹部、五人いるんだったかな。

 こいつを倒せば、また一つ、帰るための一歩を、しかも、かなり大きな一歩を踏み出せる。だからっ……!


「魔術師とて容赦はせん。我が剣の錆びとなり、朽ちるが良い」

「ククッ。邪魔だ、そこを……どけぇっ!」


 土の味にはもう慣れた。全身に感じる鉛のような重さも、何とも思わなくなった。血を見ても景色の一部としか思わなくなった。

 向けてくる刃が、立ちはだかる敵が、ひたすら、邪魔で、邪魔で、邪魔で……。

 右手を上げた。無数の武器が、空に並ぶ。多重詠唱というらしい。詠唱してないけど。


「……なっ」


 魔将軍は呆然と空を見上げる。

 立ち塞がる者、全て。


「どけぇええっ!」


 降り注ぐ刃は殺意の嵐。直剣が、短剣が、刀が、戦斧が、槍が、戦槌が、棍棒が、鎌が。


「うおおおお!」


 アルザーンが振りぬいた、彼の背丈の半分ほどの長さ、そして幅広い刀身を持つ剣は、風を巻き起こし、自分に降りかかるものを払うことはできた。   

 だが、周りにいた兵士は、貫かれ地面に縫い付けられ息絶えている。無造作に投げられた武器に貫かれた自分の部下を一瞥し、魔将軍は悔し気に顔を歪める。


「なるほど、貴様が無尽の武器使いの勇者」


 答えない。答える必要なんて無い。右手を上げる。包囲攻撃だ。魔将軍の周りにずらりと並ぶ様々な武器。完成した傍から次々と放っていく。


「ぬぅん!」


 だが、流石は魔将軍に選ばれるほどの実力者。360度から迫る必殺の一撃達を、再び一振りで起こした風の盾で弾く。


「チッ」


 作り上げた日本刀を構える。

 こうなれば接近して隙を作るしかない。


「はぁっ」


 打ち合えば間違いなく不利。

 振り下ろされた一撃を横に躱す。左足を軸に後ろに回り込みながら横に一閃。首を後ろから狙う一撃は金属と金属のぶつかり合う鈍い音を鳴らしただけ。咄嗟に身体を捻って鎧で受けられたか。

 迫りくる攻撃は嵐のように、一振りすれば地面は抉れ、巻き起こる風は身体を絡め捕り吹き飛ばさんと襲い掛かる。紙一重での回避すら許さない。


「ぐっ」


 盾越しの衝撃。鳩尾まで突き抜けて。腹の底から何かが込み上げてくる。一瞬遅れて巻き起こった風に錐揉みに飛ばされて背中から落ちて、口から何かが零れてた。


「はぁ」


 武芸の達人にとって間合いとは、攻撃が届く距離以上の意味を持つ。言わばその者が持つ武器による結界。

 武器の使い方は、武器自身が教えてくれる。握った瞬間にどうしてか理解できる。ヒト族の城にいた練習相手になってくれた兵士や教官はそれだけで倒せた。だが、今こうして、戦場で達人と殺し合う中で実感する。正々堂々の戦いで敵と渡り合うには、今の俺では足りない。

 一度見た攻撃を見切ることができても、絶対に避けられるわけではない。避け続けていたらいつか勝てるわけでも無い。

 別の何かが必要だ。俺は間違いなく、殺し合いの中で磨き上げられた達人の技術に届かない。

 迫る必殺から飛び退いて、間合いの外に逃れ、短剣を一本飛ばすが。攻撃のために振るった一撃のついでに吹き飛ばされた。


「どうした? その程度か。勇者よ」


 振り方が変わる。魔力が蠢く気配。咄嗟に横に飛んだ瞬間、さっきまで俺がいた場所の空気が切り裂かれ、その一瞬の後、地響きのような音を立てて後ろの木が倒れた。


「……斬撃を、飛ばした……?」


 再び剣が振るわれる。一瞬でも立ち止まれば、上半身と下半身がお別れすることになる。間髪入れずに飛ばされる不可視の連撃。だが、見切れる。見切れるが、状況をひっくり返すには、あれを成功させるしかない。だが、やるのか。未完成の戦法を。……いや、このままじゃどっちにしても死ぬ。死んだら帰れない。


「逃げ回っていては勝てぬぞ、勇者よ」

「……俺は、勇者なんかじゃない」


 真っ直ぐに、最大の速さで突っ込む。全ての動きを、より速く。ゼロ秒の先に待つ死の向こう側へ、刀を振り上げる。どんな剣士でも、振り抜いた後の一瞬の硬直は避けられない。


「単調な一撃」


 そう言いながらも、流石の剛腕。そして判断力。間に合わないと見極めて、攻撃をすぐに中断する判断。


「その程度か、勇者」


 アルザーンの中で、俺は、まともに相手する価値を無くしたらしい。退屈そうに、剣を横に倒して防がれるだけだった。


「あぁ、そりゃそうだ。俺は勇者じゃない。正々堂々戦う気なんて、毛頭ない」


 詰めだ。俺は賭けに勝った。成功だ。

 剣と剣が衝突した瞬間。鮮血が手を濡らした。魔将軍の腹から剣が三本生えて来た。


「……カハッ」


 アルザーンの後ろに作り上げた剣を飛ばして、貫いたのだ。


「慢心、油断。老練の剣士でも、そういうのあるんだな」


 俺のことを、武器を飛ばして面制圧するだけの単細胞野郎だとでも、思ったんだろうな。

 接近戦をこなしながら魔術を行使するのは、一般的には無理、あるいは難しいとされていると、ティナさんは言っていた。俺に魔術の基本を教えてくれた、ヒト族最強の魔術師だ。

 そもそも無詠唱であることが前提。できるとしても、魔力を練り上げ術式を思い浮かべ魔力を通し、事象改変を実行する。この過程を、相手の攻撃を躱し、捌き、反撃しながらやるには。

 それこそ無意識レベルでその魔術を使えなければ無理だと。

 まぁとりあえず。俺はそれができた。魔将軍は初見殺しに上手く嵌まってくれた。

 死体をどうするかは、まだ現実を受け止めきれないながらも、大戦果に喜ぶ部下に任せて、俺は足を、前へ、前へ。もう少し先に、魔将軍の城がある。城の主は倒したが、まだ、配下の兵士はいる。そこを奪い、拠点にして部隊を再編制したいとか、こちらの将軍が言っていた筈。既に伝令が早馬で向かっている筈だ。間もなく本隊を率いてくるだろう。それまでに、ある程度、突破口を開く。

 肩を揺すられる。

 ……誰に?


「起きて」


 ……誰の声だ? 澄んだ声だ。そよ風のような。爽やかに吹き抜ける。


「朝。起きて」


 朝……? 


「誰、だ」

「アリサ」

「あ、アリサっ!」


 身体を起こすとそこは、、自分の部屋。見慣れた部屋。横を見れば、最近見慣れた顔。黒髪、黒目。魔人族の特徴。けれどこの現代日本では当たり前の特徴。

 無感情で無感動な表情に、少しだけ心配の色が混ざっていて。


「どうした?」

「ん。あなた、うなされてた。大丈夫?」

「あ、あぁ。悪い。少し、夢見が悪かっただけだ」

「ん。別に良い。ただ、あなたが大丈夫なのを、確認したかった。まだ確実に残っている魔力酔いの影響。純度の高い魔力」


 そう言いながら湯気を立てるマグカップを差し出してくる。


「これ、飲んで。落ち着く」

「あ、あぁ……ん?」

「なに?」

「いや」


 アリサの気配がいつもより薄い。なんか弱々しい。


「アリサ、なんか調子悪い?」

「悪い。昨日言った。反動で使えない。魔術」

「あぁ」


 なるほど、今アリサは、身体能力強化とか使えていないのだろう。魔力が巡っていないのだ。


「ぐっすり寝たから、少しずつ使えるようになるし使う。大事、リハビリ」

「そうだな。まぁなんかあったら言ってくれ」

「ん。とりあえず、飲んで」

「あ、あぁ。ありがたく」


 受け取って一口飲むと、不思議な香りがした。爽やかで、甘い香りだ。味は、何とも言えないけれど、飲み込むと、身体の奥からじんわりと温めてくれる。


「そういえば、人が扱えない魔力って、神霊の魔力だっけ? それってなんだ」


 俺に押し込まれたのは、そういう魔力って聞いたが。


「神霊が扱う魔力は、違う。アリサたちと使う魔力と。世界の狭間に満ちるのは、アリサたちが使う魔力より純度の高い魔力。歴代の魔神王にも、それを扱おうとした代もいた。漏れなく死んだ。反動で」

「マジかよ」


 精製水を飲むとお腹を壊すみたいな話か? こっちは嘘らしいけど。


「ん? じゃあ、この世界に流れ込んでる魔力って……」

「世界に流れ込むと魔力はこの世界で扱えるように変換される。世界の調整機能。未調整の魔力は身体が耐えられない」

「なるほど」

「……もしかしてあなたが得た魔術や魔眼も、世界の調整機能……?」

「あぁ……そっちは俺にはよくわからないけど。あり得そうだな」


 もう一口。身体に、温もりが、ゆっくりと身体を巡っていく。

 観察するような目を感じる。アリサはじっと、俺が飲んだ反応を伺っている。

 相変わらず、距離がやけに近い。


「なんだよ、毒盛った対象を観察しているみたいな目を向けて」

「それはただのハーブティー。あなたを殺すとしても選ばない、毒殺なんて手段」

「魔神王は、じゃないんだな」

「毒殺を選ぶ魔神王もいる。魔術で作った毒沼で魔物の群れを骨の山にする代もいた」

「えげつねぇ」


 けど、指パッチンした次の瞬間に雷に焼かれるのとどっちがマシだろう。


「……魔神王って強いな」


 羨ましいくらい、強い。


「ん。アリサは強い。でも、あなたも強い。……違う。まだ、強くなれる。二度も本気を出すことを選ばされた。アリサは」

「俺はなぁ」


 これからこの世界で生きていくだけなら、正直、魔術を使う機会が偶にあるくらいで済むだろう、それこそ、もしかしたら使えなくなるかもしれない。


「まぁ、でも。そうだな……」


 思い出されるのは、昨日の魔獣。あんなことがしばらく続くというのなら、とは思う。


「ん。きっと、多いから。力が無くて、後悔することの方が」


 アリサは静かに頷いた。視線に、少しだけ温もりが宿った気がした。


「それで、どうしたんだ? 急に起こしに来て」

「ん。お願いが、ある」

「お願い?」

「欲しい。アリサも。それ」


 そう言ってアリサが指さしたのは、スマホだ。


「……持ってなかったけ?」

「持ってない」

「……持っておいた方が良いよなぁ」


 五年もスマホと離れていると意外と何とかなると思えてしまうが、あった方が便利なのは間違いない。向こうでのスマホの代わりは、使いに書簡を持たせて走らせる。あるいは、魔術師がいれば念話魔術とか伝令魔術なんて使ってはいたが、魔人族の勢力圏では、その魔力で居場所が向こうに筒抜けになるからと、あまり使うなと言われていた。

 逆に魔人族ののその手の魔術は隠蔽術式も組み込まれ、簡単には探知できず、苦労させれられたものだ。という話はさておき。


「スマホなぁ。保護者無しで買えるのか……?」


 と思いながら調べてみたが。


「無理かぁ。……んー」


 どうしたものか。スマホ……。


「母親に相談するか。場合によってはオンラインで最近は買えるらしいし、アリサのこっちの世界での親に連絡取ってもらって、かな。審査込みで最速でも三日か」


 しかし、スマホが無いのか。なぜだ。一緒に置いてありそうなものだが。


「スマホという概念が、向こうの世界に無かったから」

「あぁ。概念が無いから因果を書き換える時抜けてたってか……ん? てことは、魔人族にも学校あるのか」

「ある」


 思えば、向こうの世界、そんなに知らないな、五年も過ごしていて。多分、あったと思うけど、ヒト族にも、学校。

 軽く、基礎的な訓練をして、力の使い方を確認して。それからすぐに戦場に放り込まれて。求められるままに力を使って。こっちに早く帰るために戦って、休暇も断って、戦って、ずっと、戦って。


「あっ、返事来た……明日には届くようにするって、このサイトから選んでって……えっ早いな。サイトに書いてある説明より早い。ところで、急にどうしてスマホ?」


 アリサ、スマホとか必要無いとか言いそうなイメージがあった。


「ん。サラがさっき、チャットアプリ? の連絡先、聞いて来た」

「沙良? さっき? 来てるの?」

「ん。出かけよう、って」

「出かけよう……?」


 ベッドから出る。出かけるのか……沙良と。


「行くか」

「ん。伝えておく」

「アリサは?」

「……良い? 行った方が」


 それは、アリサ次第。そう言いかけて、口に出かけた言葉を飲み込む。

 違う、この場合は。多少強引でも。


「一緒に行こうぜ」


 言うべき言葉は、これだ。こっちは、向こうと違って、平和なんだから。


「アリサにこの世界のこと、もっと知って欲しい。もう少し、こっちにいるのなら」

「……ん」


 小さく頷いた。その表情が、一瞬、綻んで見えた。


「ねー、まだー? 匠海くーん。アリサちゃーん」


 扉が開いて沙良が顔を覗かせる。


「朝ご飯できてるよー」

「あぁ。悪いな。わざわざ」

「アリサちゃんもいるんだから、前以上に食事はちゃんとだよ。匠海君にやらせると、台所大変なことになるし」

「ははっ」


 一応五年の間に多少の料理もできるようになったのだが。今は甘んじてありがたく食べさせてもらおう。


「それじゃあ、行くよっ。もうすぐ校外学習なんだから。その準備しに」

「……校外学習?」

「えっ。忘れたの? 来週、学年全員で、山でキャンプするって。月曜日にも説明あったよ」


 沙良が困ったような顔をしながら解説してくれる。

 ……こちとら体感、五年と五日前の話だ。覚えているわけが無いなんて言い訳は通用しない。


「高校二年にもなってそんなことするのか」

「それ、月曜日にも聞いた」


 そこら辺の感性は五年の時を経ても変わっていなかったらしい。


「じゃあ、行くか」

「まずは朝ご飯ね」

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