振動励魔ゴルグギノン

登美川ステファニイ

振動励魔ゴルグギノン

 新潟県村上市。山形県と県境を接する一番北にある市だ。午後八時。高坪山の頂上は闇に包まれ、眼下には明かりのついた街並みが広がっている。しかしそのほとんどが田んぼであるため、光はまばらだった。

 高坪山の山頂で一人の少年が夜空を見上げていた。月はなく、澄んだ空に星が明るく光っていた。都会ほど街の光が強くないため、さほど山奥に行かなくても十分に綺麗な星を見る事が出来た。

 少年はコートを羽織っていた。色は白く襟の立ったスタンドカラー、金色のボタンが闇の中でもぼんやりと見えていた。今は夏。季節外れの格好だったが、少年は暑がる風もなく湿気のこもった草いきれの中に立っていた。

 少年の右耳のインカムに通信が届く。

「まもなく時間だ。準備はいいな、継太郎」

 継太郎は右耳にかかる髪の毛を掻き上げ、インカムに触れながら答えた。

「いよいよですね。一週間遅れですが、ようやく日輪を使える。一七二,八〇〇フレームのレンダリングエナジー……使いこなして見せますよ」

「期待している。予想では先週と同じく二十時ちょうどだ……後二分」

 マドゥギ司令からの通信で時計を確認する。残り時間は二分を切っていた。

「しかし場所は不明……やれやれ、近いといいんだけどな。先週みたいに山口県だと……何キロあるんだ?」

「ここから山口県だとざっと千キロあるブレ!」

 継太郎の左手首の腕時計から声が聞こえた。機械的な合成音声だが、幼い少年のような声だった。腕時計に宿る電子生命体、ブレンだった。

「千キロか。それでも十分あれば着くんだからすごいな」

「エクサドライブのおかげブレ! 地球の裏側でもひとっ飛びブレ!」

「そんなすごい装置が、こんな小さなスーツの背中に収まってるんだからほんと、信じられないぜ。超次元ブレンダーさまさまだ」

「継太郎、おしゃべりはそこまでだ。時間だ」

 マドゥギ司令の声で、継太郎と腕時計の音声は静かになる。腕時計にはカウントダウンが表示されていた。二十時零分まであと十秒、九秒……一秒、零。

 腕時計がぶるぶると震え、液晶に地図が表示される。それは東京、五反田周辺の地図だった。

「五反田? 聞いたことはあるな……行くぞ、ブレン! 降魔強骨、転!」

 継太郎は胸の前で両腕を交差させ叫ぶ。腕時計の液晶に転の字が表示され、そして黄金色の光が全身を覆っていく。輝く曙光が内側からあふれ出るようにその身を包み、そして光は結晶化し鎧を形作る。真っ暗な山頂でそこだけ朝日が煌めくように強い光を放っていた。

 光が収まると、継太郎の体は白銀の鎧に包まれていた。着ていたコートをそのまま置き換えたかのような鎧、胴の部分は中心で左右に分かれ、腰からは脛の辺りまでの長い前垂れが下がっている。首元もコートと同じようにスタンドカラーになっており、それはネックガードの様にも見えた。右肩には大きな肩当がついており、日輪という文字が螺鈿飾りのように象られていた。頭部も白銀の金属に覆われ、上部がベレー帽のように広がった形状をしている。目の部分は浅いVの字のような形をしており、内側から赤い光を発し闇の中で輝いていた。

「これがエクゾスカル日輪……レンダリングエナジーが満ちているとこうも違うのか……!」

 継太郎は鎧をまとった自分の体をしげしげと眺めた。具合を確かめるように動かした指先の隅々にまで力を感じる。握る拳の中に波濤のような力強い轟きがあり、地を踏みしめる足の指一本にまで痺れるような力の流れがあった。

 鎧は超次元ブレンダーにより生み出されたものだった。本来はパソコン上でモデリングするだけのソフトウェアが次元を超越する力を持ち、レンダリングにより現実世界に影響を与えられるようになった。

 魔を斬り伏せる剣を作れば、それは退魔の剣となる。空を舞う翼を作れば、それは自在の白翼となる。そして怪獣と戦うために作られた鎧は、継太郎の身を包む超常の強化外骨格となっていた。

「五反田までのナビはお任せブレ!」

「ああ、頼んだぞブレン! 比翼展身!」

 継太郎が声を発すると、背中の肩甲骨の辺りから炎のように光が吹き出し、金属の角ばった翼が生えていった。

「エクサドライブ起動! 発進ブレ!」

「日輪、飛翔する!」

 継太郎がしゃがんで十メートル近く跳び上がる。その跳躍の頂点で、背中の翼から青白い炎が噴出した。継太郎の体は一気に加速し空へと上昇、急角度で旋回し、直進して速度を上げる。そして前方に青白い円形の空間が広がり、その中へ飛び込んでいった。


 東京、五反田。午後八時の駅前には大勢の人がいた。学生、会社員、観光客、街の住人、その他大勢。様々な目的を持った人が行き来し、そして通り過ぎていく。

 その雑踏の中で動きを止め、周囲の様子を窺うものがいた。まるでこの世界に初めて生まれ出で、その全てが未知のものであるかのように。

 駅前のターミナルの中央のスペースに、それは居た。

 それはまるで特撮映画の怪獣のようだった。身長は約三メートル。その頭部は透明なガラスのリングのような物で出来ていて、中央の空洞から細い塔の先端のような構造が上向きに飛び出している。

 首から下は頭部とは異なり有機的で、紫色のトカゲのような肌をしていた。体は下に下がるにつれて太くなり、その足はずんぐりと太く、そして力強い。それとは対照的に、腕は短く小型で、何かを持ったり殴ったりするには不向きのように思われた。

 そして腰の辺りから背後に伸びるその尾は、付け根は太く、伸びるにつれ細くなっていたが、先端には複数の突起を持った丸い骨がついていた。尾の長さは優に三メートルを超え、その怪獣はゆっくりと左右に尻尾を振っていた。


 怪獣に最初に気づいたのは、客待ちをしている近くのタクシードライバーだった。

「あぁ……何だ、あれ?」

 ターミナルから一般道に出る手前、交通島の手前のスペースに、彼は奇妙なものを見つけた。かなり大きい……三メートルはありそうだった。しかも何なのかよく分からない。何かの怪獣の着ぐるみにも見えるが、頭はリング状の蛍光灯のようで、しかし光ってはおらず、周囲のビルや街頭の光を反射している。首から下は怪獣と言った風の形で、長い尻尾がゆらゆらと揺れている。

「何かの……イベント? 撮影?」

 彼がまず思い浮かべたのはそれだった。新しい怪獣映画か、子供番組用の撮影。しかし周りにはスタッフはいない。カメラもスーツを着たヒーロー役なども姿は見えなかった。

 彼は車の窓を開け、顔を外に出して覗き込む。そして異臭に気づいた。何か消毒薬のような、鼻の奥を刺激する臭い。彼は知らなかったが、それはオゾンの臭いだった。時空の歪みから彼らが現れる瞬間、大気の成分が影響を受け発生するものだった。

「何だろう……おっと、時間だ」

 客待ちの制限時間が終わり、彼はタクシーを発進させた。ターミナルにいる奇妙なものが何なのか分からないまま、彼は道路に戻っていく。それは彼にとって幸運なことだった。この直後に起きる惨劇から逃れる事が出来たのだから。


 やがて多くの人が怪獣に気づいた。歩きながら視線を向け、携帯端末で写真を撮る者もいた。囁き声が溢れる。それは雑踏の喧噪の中に消えていくが、消えない物もあった。それは電子的な囁きだ。怪獣に起因するインターネットのトラフィックの増加。範囲百メートルの範囲で増加していくトラフィックを、怪獣は本能で感じ取っていた。トラフィックを更に増やさなければならない。それもまた本能だった。

 そして彼は、ゴルグギノンと名付けられた怪獣は、自らに授けられた力を行使した。

 頭部中央の振動針が発振。その振動は放射リングの中で増幅され、指向性を持った振動波として前方に発射される。

 音速で発射された直径五メートルのリング振動は、円柱状に空気を切り裂いて直進した。路面のアスファルトを破砕し、途上にあったガードレールを砕き、停まっていたタクシーと歩行者を巻き込み、駅ビルの壁を打ち砕いた。リング振動の通り抜けた空間は例外なく破壊され、そして真空になった空間に吹き戻しが起こり、周囲の空気が吸い込まれていく。

 悲鳴が聞こえた。タクシーはミキサーにでも放り込まれたように車体が細かく切り刻まれ、乗っていた運転手も腰から上がトマトペーストのように崩れていた。巻き込まれた歩行者数名も同様に、原形が分からないほどにその体は粉みじんの肉片になっていた。衝撃波の外にあり破壊を逃れた体の一部が転がっていたが、上半分だけになった頭部は、自分が死んだことにも気づいてはいないようだった。

 突然の爆発のような衝撃に、行きかう人は足を止めた。そして粉塵の舞う跡を目にし、目を凝らした。

 ゴルグギノンは咆哮した。それは全方位へのリング振動となり、周囲百メートルの範囲のあらゆるものを破壊した。収束していない為空間当たりの破壊力は低いが、それでも車体をひしゃげ、歩行者を弾き飛ばすには十分な威力だった。

 信号柱が倒れ、逃げようとした半壊の車両が激突する。血まみれになった歩行者は何が起きたのか分からないまま逃げようとするが、その眼球は衝撃で潰れ何も見る事が出来なかった。比較的軽傷の者は立ち上がって逃げるが、周辺は既に恐慌に陥っていた。逃げる者は互いに押し合い、転倒したものは踏みつけられ、二次被害が広がっていた。

 駅から出てくる人は、血を流しながら逃げてくる人々に戸惑い、そして何が起きたのかと外を見る。破壊された車。倒れた人々。その中央にはゴルグギノンがいた。

 消防や警察に通報する者。そしてこの惨状をカメラに収める者。遠巻きに見ていたものは被害から逃れ、その光景をSNSにアップロードし始めていた。

 トラフィックが増加していく。ゴルグギノンの本能は満足していた。しかし、これで完璧ではない。求めるものは、更なる情報の渦だ。

 ゴルグギノンはリング振動を続けざまに発射した。体の方向はそのままに、頭部の放射リングから様々な方向に発射する。一射ごとに路面が抉れ、車が吹き飛び、逃げ損ねた人々が肉片に変わっていく。

 ゴルグギノンは間断的にリング振動を発射し続けながら待った。トラフィックを増加させる存在、自分に対抗する者を。


 東京上空。闇夜に青白い光が出現し、その内側から継太郎が飛び出した。エクサドライブによる空間歪曲航行。新潟から五反田までの約三五〇キロの距離も数分で移動することが出来る。

「継太郎。約二キロ前方、二時方向が出現地点だ。既に被害が出ている」

 インカムは右耳から鎧内部に組み込まれ、骨伝導で継太郎に通信を伝えた。

「了解! このまま突っ込みます!」

 継太郎は鎧の内側に映る映像を確認し、機首を下げて加速した。視界の端にSNSにアップロードされている動画が映る。頭部がリング上で、紫色の体の怪獣だった。

「怪獣コードはゴルグギノンだ。音波兵器を使う。頭部から発射されるリング振動に気をつけろ」

「音波兵器? 盾で防げるかな?」

「無理ブレ! 振動を抑えきれないし、回折して到達するから盾で防ぐのは諦めた方がいいブレ!」

「じゃ、どうすんだよ!」

 継太郎は飛行角度を微調整しながらブレンに聞く。ブレンの宿る腕時計もまた鎧に組み込まれ、今は左手の手甲になっていた。

「食らったら脳震盪じゃ済まないブレ。やられる前に斬るしかないブレ! 日輪刀なら怪獣の表皮や骨格も問題なく両断できるブレ、多分!」

「多分かよ、まったく」

「いずれにせよやるしかない。頼んだぞ、継太郎」

 会話を聞いていたマドゥギ司令が言った。

「了解。契約ですからね、っと!」

 拡大した視界に五反田駅周辺が映っていた。既に周囲は被害を受けていて、ネットのトラフィックも増大している。アップロードが増え、それにつれてダウンロードも増加。怪獣の情報は広まりつつある。報道ヘリが来れば更に増加するだろう。可能であればその前に仕留めなければならない。

「距離五〇〇を切ったブレ! 着陸シークエンス!」

「おう!」

 翼からの炎の噴射が一瞬消え、その間に継太郎は姿勢を修正し、翼端の噴射口を下部前方に向ける。そして進行方向に向かって逆噴射。高度を落としながら、亜音速から時速四〇キロにまで減速する。

 目視で怪獣が見えた。向こうもこちらに気づいたのか、体ごと継太郎の方へと振り返った。

「降魔剣、招!」

 左手の手甲表面が剣の字に輝く。継太郎は落下しながら手甲の光を掴み、その内部から刀を引き出した。

「このまま行くぞ!」

 ゴルグギノンに向かい、継太郎は一直線に落下していく。空中で上段に構え、そして気息を整える。距離五〇メートル。あと二秒で激突。

 機先を制するように、ゴルグギノンからリング振動が発射された。収束した音波が継太郎を迎え撃つ。

「うおおお!」

 攻撃は予想の内だった。翼から姿勢制御のための噴射が行われ、継太郎は音速に匹敵する速度で剣を振り下ろした。

 空間が切り裂かれた。リング振動を伝える大気は継太郎の剣を境に左右に分かれ、リング振動の威力も逸れていく。ゴルグギノンへの攻撃を阻むものはなかった。振り下ろした刀を下段に構え、斜め上に斬り上げながら激突する。

 巨大な金属塊がぶつかるような重い響きが空間を揺らした。近隣のビルの窓が割れ、逃げていた人々は鼓膜と全身を揺らす衝撃に思わず膝をついた。

 継太郎は空中で数度回転しながら、地上に降りた。ゴルグギノンは二十メートル先で無傷のままだった。

「くそ、超次元ブレンダーか。プリミティブは斬れない……!」

 無用になった翼は光の粒子になり消えていく。継太郎は腰を落とし、剣を肩の上に上げ、切っ先をゴルグギノンに向けた。霞の構え。無暗に斬りかかってもブレンダー能力がある以上、正攻法では無理だ。

 今はもうエナジー崩壊して消えているが、さっきの斬撃は円柱で防がれた。超次元ブレンダーの基本造形物、プリミティブオブジェクトの一つだ。レンダリングされているなら破壊も可能だが、今のはレンダリングを介さない非レンダリングオブジェクトであり、ソリッドオブジェクトと呼称される。ソリッドオブジェクトは物理的な破壊ができないが、その代わり単純な物体としてしか機能せず、短時間でエナジー崩壊を起こし消滅する。

 ゴルグギノンも超次元ブレンダーのオブジェクトを操る力を持っている以上、正面から斬りかかっても防がれるだけだ。隙をつくか、さもなくば、レンダリングエナジーを消耗させて斬るしかない。

「トラフィック急上昇! 日輪の画像や動画もアップされてるブレ!」

「誰だよ、こんな状況で! とっとと逃げればいいものを……行くぞ、ブレン! さっさと怪獣を倒す!」

 継太郎の鎧のスリットが、内側から山吹色の光を放つ。その光を、ゴルグギノンの頭部リングが反射していた。

 ゴルグギノンは短い腕を翼のように左右に広げる。継太郎はゴルグギノンの周囲にプリミティブの気配を感じた。そしてそれは実体化し、ソリッドオブジェクトとしてこの世界に姿を現す。左右に一つずつ、ゴルグギノンの手の高さに一メートルの立方体が浮かんでいた。

「来るブレ、継太郎!」

 継太郎はブレンへの返事の代わりに、ゴルグギノンに向かって地を蹴った。その継太郎に向かい、ゴルグギノンは腕を動かして立方体を投げつける。

 唸りを上げ迫る立方体を継太郎は横に飛んで避ける。右、左と跳び、そして大きくゴルグギノンに向かって飛び掛かる。

「もらった!」

 継太郎は上段に構えゴルグギノンの頭部を狙う。立方体は投げ捨てられ今は無い。今度は斬れる。継太郎は殺意を込め刀を振り下ろした。

 しかし、突然の背後からの攻撃に空中で姿勢を崩す。

「な、にっ?!」

 空中でぐらついた所を再び何かで強打される。そしてゴルグギノンのリング振動波が継太郎の体を弾き飛ばした。

「うおおっ!」

 二十メートルほど吹き飛ばされながら体が回転する。衝撃そのものは刀身で受け鎧が防いでくれたが、振動の一部は内部に伝わっている。鎧は超常の力を持つが、継太郎自身は生身だ。脳が揺れ三半規管が狂い、吐き気と眩暈が起こる。それでも継太郎は、辛うじて膝をついて着地した。刀を持つ右手はリング振動の衝撃でまだ痺れていた。

「何だ?! 後ろからの攻撃……何を食らった?」

 ゴルグギノンを見ると、先ほど投げたはずの立方体がゴルグギノンの手元に戻っていた。そしてゴルグギノンは大きく尾を揺らしながら、継太郎に近づいてくる。

「立方体が戻ってる? また出したのか?」

「違う、よく見るブレ! あれは操作されてるブレ!」

「何だって?!」

 ゴルグギノンの左右の腕は歩行に合わせてゆらゆらと揺れていた。そして、その動きに合わせて立方体も揺れている。ただ単に空中に浮いて固定されているわけではないようだった。

「どういうことだ? いちいち座標のキーを打ってるのか?!」

「そうじゃないブレ! あれはエンプティオブジェクト経由でドライバーを噛ませてるブレ!」

「ドライバー……?! そうか!」

 オブジェクトを操作する方法はいくつかあるが、一番簡単なのは時間ごとの座標をキーで指定することだ。しかしその場合は、ある時点まで空中などに固定され、決まった時間にならないと動かない。

 だがドライバーを使えば、術者本人や別のオブジェクトの動き、例えば手のXやYの座標に連動させて動かすことが出来る。Xの百倍としておけば、僅かな手の動きだけで大きくオブジェクトを操作することも可能だ。

 ゴルグギノンが使っているのは、このドライバー機能のようだった。これを使い腕の動きで立方体を遠くに飛ばし、そして逆に呼び戻すこともできたのだ。

 「また来るブレ!」

 継太郎は再び霞の構えを取り、ゴルグギノンの手の動きを注視する。右手が動けば右の立方体が飛んでくる。左手なら左だ。リング振動波の攻撃にも気を配りながら、継太郎はゴルグギノンの一挙手一投足を見逃さぬよう睨みつける。

 ゴルグギノンは歩きながら、右手が大きく前に出した。

 右が来る!

 継太郎は回避行動のために足に力を入れたが、それは一瞬の躊躇により妨げられた。跳んできた立方体は、右ではなく左のものだったからだ。

 予想とは反対の動きに、継太郎の回避は遅れ肩口に立方体が掠る。傷を負うほどではないが、次の一手が遅れる。

 ゴルグギノンの左手が突き出された。

 今度こそ、左だ。後方から戻ってくる。

 そう思い後方に注意を向けたが、動いたのはゴルグギノンの右の立方体だった。

 跳び損ねた継太郎はまともに正面から立方体を食らい、更に後方から戻ってきた立方体にもはね飛ばされた。

 空中できりもみ回転し地面にたたきつけられ、立ち上がろうとした所をまたリング振動波で狙われた。地面を横に転がりなんとか躱すが、先ほどから後手に回ってばかりだった。

 ゴルグギノンは続けざまにリング振動波を撃つ。ターミナル周辺の民間人の避難はおおよそ完了しているようだったが、継太郎が躱すと遠くのビルなどにぶつかり、その辺りで悲鳴やどよめきが聞こえる。継太郎が戦い始めたせいで、遠巻きに見ている群衆は却って増えているようだった。良くない状況だ。しかし警察や軍と連携が取れない以上、この状況で戦うしかなかった。

 ゴルグギノンは力むように身をたわめた。そして頭部の発振針から一際強力なエネルギーを発し、高密度のリング振動波を発射した。

「アド、立方体!」

 避けることは可能だ。しかし、そうすると背後、道路や交差点の向こう側にまでリング振動波が到達してしまう。怪獣の討伐が最優先。人命は二の次。それが継太郎の受けた命令だったが、継太郎個人としては人命を軽視する事など到底承服できることではない。

 継太郎は立方体を出し、薄い板状に変形させソリッドオブジェクトとして自分の正面に出現させた。継太郎がソリッドオブジェクトを斬れないように、怪獣の攻撃もソリッドオブジェクトを破壊することはできない。

 板はリング振動を受け止め、衝撃波は破裂するように上下左右に霧散する。路面が砕け、そして巨大な爪で引き裂かれるように抉られていく。バス停のアーケードも切り刻まれ吹き飛び、ビルの外壁にも無数の爪痕が刻まれた。板は役目を終えエナジー崩壊して消えていく。

 板の背後の継太郎にまでビリビリと空気を震わせる余波が伝わっていた。防御せずにそのまま背後に飛んでいれば、下手をすればビルが倒壊するかもしれない程の衝撃だった。

「継太郎、レンダリングエナジーは極力温存しろ」

 マドゥギ司令の声が聞こえた。穏やかな声だが、それは叱責だった。レンダリングエナジーは超次元ブレンダーにより超常のオブジェクトをレンダリング、実体化するためのエナジーである。それは二時間分、秒間二四フレームで一七二,八〇〇フレーム分しかない。鎧を起動しているだけでもエナジーは消費され、翼を出したり飛ぶことでも消費される。今防御のために出した板はソリッドオブジェクトだが、その場合でも実体化させていた数秒、数十フレーム分を消費していた。

 怪獣は恐らく巨大化する。そうなればこちらもレンダリングエナジーを使って巨兵を作り出さなければならない。それを考えれば、無駄なエナジーの消費はすべきではなかった。例え数十フレームであっても、最終的にはそれが勝敗を決するかもしれないのだ。

「分かってますよ、司令!」

 リング振動波を防がれたゴルグギノンは、立方体での攻撃を再開した。その立方体の動きは相変わらず謎だった。右手が動いているのに左が動く。逆になっているのかと思えば、左手が横に動けば立方体も横に動く。まるでめちゃくちゃだった。

 予測はできそうにない。継太郎は手の動きを見るのをやめ、立方体の動きに合わせて躱すことにした。そして左右に跳びながら、レンダリングエナジーを刀に集めていく。防戦一方だったが、継太郎の真骨頂は攻撃にある。初陣でゴルグギノンの奇妙な攻撃に面食らってしまったが、ようは斬ればいいのだ。

 エネルギーの集まる刀身が光を放つ。橙色の光が吹き出し炎のように揺らめき、夜の闇の中に残像を残す。ゴルグギノンはヨタヨタと左右に足踏みをするが、継太郎の動きについていけないようだった。

「降魔剣、炎牙!」

 立方体の攻撃をかいくぐり、継太郎は一気にゴルグギノンに接近する。振動針からエネルギーが放たれそうになるが、それよりも速く継太郎の剣が振り下ろされる。

「うおおぉぉ!」

 光をまとった刀がゴルグギノンの体を袈裟に斬り下ろす。間髪入れず、返す刀で首を横一文字に斬り払った。

「どうだっ!」

 継太郎は後ろに跳んで間合いを取る。ゴルグギノンの皮膚組織に数センチ斬り込んでいるが、その下の筋肉や骨格までは切断できていないようだった。断面からは緑色の体液が血のように溢れ出て来たが、傷を埋めるとすぐに固まり始めた。ゴルグギノンは斬撃にひるんだのか、攻撃を中断し継太郎の様子を見ているようだった。

「ブレン! 周囲の避難は?」

「駅内は反対の西口から避難が進んでるみたいブレ! でもこの周辺は全然ブレ! トラフィックも上昇中……むしろさっきより集まってきてるブレ!」

 ブレンが答え、情報が継太郎の視界にも表示される。地形図にトラフィックが重ねられるが、それはほぼ人の密度と同義だ。それを見る限りでは、駅の東口のターミナルを中心に約百メートル程の円状にトラフィックが赤く集中していた。

「トラフィック臨界までどのくらいだ?」

 継太郎の問いに、無線でマドゥギ指令が答えた。

「このままではあと五分程度でトラフィック臨界に達する。既に速報がニュースに出て、SNSなどの検索も増え始めている。それに警察への通報なども行われて、無線も多くなってきている。時間はないぞ、継太郎」

 マドゥギ司令は冷徹な声で言った。もしトラフィック臨界に達すれば、そのトラフィックエナジーを吸い上げゴルグギノンは巨大化する。そうなれば先週の怪獣と同じように体長は五十メートルに達するだろう。前回は沿岸部だったため被害は最小限で済んだが、ここ五反田の人口密度はその比ではない。被害が広範囲に及べば、最悪の場合、万単位での死傷者が出るはずだ。

「一気に片を付けるぞ! 降魔炎身!」

 継太郎の声と共に鎧の内部をレンダリングエナジーが駆け巡る。そして頭部の帽子のような部分が開き内側から赤い角が後方にせり出していく。肘と膝からも赤い角がせり出し、脚の背面には排気用のスリットが浮き出てくる。胴を覆う鎧が外れ、その下から筋肉を象った装甲が姿を現す。腰から下を覆っていた前垂れも外れ、継太郎は、エクゾスカル日輪は、身軽になっていく。

 最後に面頬が割れ、その下の鬼神のような表情が露わになる。継太郎が鋭く呼気を吐くと、面の口の部分から熱を帯びた蒸気が排気された。

 エクゾスカル日輪・炎神形態。防御を捨て、攻撃に特化した形態だ。

「解析完了ブレ! あいつのドライバーは前後と左右の動きの参照座標が一部だけ入れ替わってるブレ!」

「一部だけ入れ替わってる? どういうことだ?!」

「左の前後は左手の前と右の右、右の左右は右手の右と左の後ろ! そんな感じになってるブレ! 継太郎にも分かるようにするブレ!」

 継太郎の視覚に情報が重ねられ、ゴルグギノンの手と立方体に三色の矢印が付加される。ゴルグギノンの手が動くと、該当の座標に合わせ立方体の矢印も光る。継太郎に理屈はよく分からなかったが、とにかくこれで動きが分かる。

 姿を変えた継太郎を威嚇するように、ゴルグギノンは前屈みになり発振針を激しく震わせた。小さな両腕もわななくように震え、それに合わせて立方体も震えていた。今ならその立方体の動きが分かる。

 ゴルグギノンの両腕が動き二つの立方体が飛んでくる。それも直線的ではなく、弧を描き、そして二つが交錯するように飛んでくる。しかし動きの原理が分かった今となっては、その動きもテレフォンパンチと同じだった。継太郎は機敏に回避を繰り返し、ゴルグギノンとの間合いを詰めていく。

 継太郎の握る刀の刀身が再び炎をまとう。ゴルグギノンから放たれたリング振動波を断ち切り、なお盛んに火勢を増していく。

 立方体が継太郎の左右から挟み込むように迫る。それを跳躍して避け、立方体を蹴って継太郎はゴルグギノンの上方へと飛ぶ。刀身の炎が一気に燃え上がり、巨大な炎の剣に変わる。

「受けろっ! 降魔浄炎捨身剣!」

 エクゾスカル日輪の最強の攻撃。ソリッドオブジェクトである立方体での防御は間に合わない。ゴルグギノンはあがくように発振針にエナジーを集めたが、リング振動波が放たれるより速く継太郎の斬撃が迫る。激しい炎の斬撃が振り下ろされ、そしてゴルグギノンの頭頂から股間までを一気に両断した。

 ゴルグギノンの頭部リングは溶断され、首から下の肉体も二つに裂けていた。断面からはあぶくのように緑の体液が吹き出るが、今度は傷を固めることなく流れ落ちていく。そして二つになったゴルグギノンの体は左右に分かれ倒れていった。

「ブレン、トラフィックは?」

「急……急上昇だブレ~! 間に合わなかったみたいブレ! 上を見るブレ~!」

「上?」

 継太郎は自分を照らす光に気が付いた。自分を中心に直径十メートルほどが丸く照らされている。後方を振り返ると、頭上にヘリコプターの姿があった。戦闘で気が付かなかったが、報道ヘリが来ていたらしい。

「何だと、おい……これってまずいんじゃ……?!」

「ああ、非常にまずい……生放送されている……トラフィック臨界だ。来るぞ、継太郎」

 マドゥギ司令が冷静なまま言う。しかし、事態は最悪の方向へ向かっていた。

「うっそだろ?! せっかく倒したのに!」

 二つに斬ったゴルグギノンは死んだように見えた。しかしそれは地球の生命体と同じような存在ではなく、あくまで電子生命体が現実世界に影響を与えるために作り出したものに過ぎない。超次元ブレンダーによる創造物、有機合成体なのだ。その為、死という概念はなく、エナジーさえあれば再生し、再び動き出す事も可能となる。

 そして今、トラフィックエナジーの高まりにより、電子生命体はゴルグギノンに新たな力を与えた。

 巨大化である。

「継太郎、逃げるブレ~!」

「言われなくても逃げてるよ!」

 ゴルグギノンの体は紫色の光を放ち、その光はどんどんと膨れ上がっていく。その光と共にゴルグギノンの体自体も泡立つように膨らんで一つの塊に変わっていく。肉体組織が新たにレンダリングされ、更なる力を宿した巨大怪獣へと生まれ変わっていく。

 継太郎はターミナルの外に出て、一般道の真ん中で足を止めた。

 信号は普通に動いていたが、バリケードが張られて車は立ち入り禁止になっていた。歩道も同様だが、バリケードの向こうにはまだたくさんの人がいた。五反田駅から電車を利用しようとしていた人が多いのだろう。それと、騒動を見物している野次馬。バリケード付近は立錐の余地も無いほどに見えた。

 近づいてきた継太郎を見て、野次馬たちはどよめく。フラッシュが焚かれ、何人もが写真を撮っているようだった。

「くそ……一応言うか。お~い! 危ないから逃げろ! 死ぬぞ、あんたら!」

 腕を振りながら大声で言う。声は聞こえているようだったが、継太郎の言葉に従うものはいないようだった。継太郎の後方、ターミナルの所で発生した紫の光る肉塊は大きさを増し、野次馬たちは今度はそちらの方に注意を向けているようだった。

「無理だぜ、こんなの……どうやって避難させれば……?!」

「諦めるブレ、継太郎。逃げないのは自業自得ブレ!」

 鎧を介して答えるブレンに、継太郎は苛立ったような声を上げた。

「おいおい、なんて無責任なことを言うんだ! 俺達は正義の味方だぞ!」

「またその話かブレ? おいら達の目的は怪獣の討伐ブレ!」

「ブレンの言うとおりだ、継太郎。君は一般人の避難を気にかけるより、巨兵のレンダリングの準備をしたまえ」

 マドゥギ司令もブレンに同意するようなことを言う。ブレンは電子生命体だし、マドゥギ司令も肉体の大半が電子生命体によりレンダリング物質に置き換えられている。そのせいか、二人とも人間の生命の価値に対する認識が非常に低い。死ぬという現象すら正確に認識しているかどうかも怪しい。ブレンはまだしも、マドゥギ司令ですらその認識なのだ。任務についても、人命を軽視するような発言ばかりだった。

 それを理解したうえで、継太郎はエクゾスカル日輪になった。怪獣を倒し、電子生命体の繁殖を防ぐ。それ以外の事は関係がない。人を守ることも、街を守ることも、エクゾスカル日輪に課せられた使命ではなかった。

「こうなったら秒で片づけてやる! 街が壊される前にやってやるぜ!」

 人と街を守るなら、それは継太郎の働き如何による。ゴルグギノンの巨大化はもう止められない。振り返れば、紫の光と塊はもう三十メートル程の高さになり、そして形がさっきの二足獣の形へと近づいていく。頭部も肉が硬化し振動リングや振動針が形成されていく。

「よし、こっちも巨兵を出すぞ、ブレン!」

「待ってましたブレ! 残存フレームは一四九,六〇〇フレーム、約一時間四四分ブレ!」

 戦闘を開始してから十分余り。消費量が十六分だったのは上出来だろう。一時間四十四分戦えるし、フレームを消費して攻撃エフェクトのレンダリングも出来る。

「降魔巨兵、顕!」

 継太郎は覚悟を決め、レンダリングを開始した。継太郎を中心に巨兵のオブジェクトが生み出され、継太郎の体と共に地上から浮かび上がっていく。

 それは体長四十メートルほどの巨人だった。全身はエクゾスカル日輪の通常形態と同じような鎧に覆われていて、右肩にはやはり日輪の文字が刻まれていた。五等身ほどの寸法になっていて、手足は少し短く見える。左の腰には刀を佩き、武器はそれ以外にはなかった。

 継太郎は巨人の胸の辺りの内部、地上から三十メートルの辺りに浮かんでいた。巨人の姿はまだ実体化しておらず、継太郎の目には白い張りぼてのように見える。一般人からは継太郎だけが浮かんでいるように見えている。

「ゴルグギノン巨大怪獣化まであと三十秒ブレ!」

「分かった! こちらもレンダリング用意だ、ブレン!」

「了解ブレ! レンダリングエナジー解放! レンダリングスタンバイ!」

 白い巨人の鎧のスリットが山吹色の光を放つ。そして光は広がり巨人の全身を包んでいく。

 怪獣の肉体が再構築され、その機能を発揮するまであと数秒。白い張りぼての巨人もまた、光により全身に生気が与えられ生まれ変わっていく。

 怪獣の全身から紫色の光が放たれる。それと同時に、白い巨人もまた全身から強い光を放った。

「行くぞおっ!」

 光の中で白い巨人は白銀の巨兵、日輪へと姿を変えた。継太郎はその内部で同化し、巨兵の体を自分の体のように操る。地を蹴り、ゴルグギノンへと突進するように走る。

 目の前には怪獣、ゴルグギノンがいた。向こうも日輪に向かって突進してくる。短い腕が突き出され、継太郎はその腕と巨人の腕で手四つに組み合った。二つの巨体がぶつかり、地面と大気を揺らす。飛んでいたヘリはその衝撃に僅かに機体を揺らすが、高度を上げて日輪とゴルグギノンを撮り始めたようだった。

 大抵の野生動物がそうであるように、その筋力は人間を遥かに凌駕する。巨大化したゴルグギノンの腕力も日輪のそれを上回っていた。小さい腕の見かけからは考えられないほどの力に、日輪は押されて徐々に下がっていく。

 数十メートル後方には野次馬の群れだ。突如巨大化した怪獣や日輪の姿に逃げ惑う姿が見えたが、混乱のせいで避難が完了するにはまだまだ時間がかかりそうだった。それに周辺のビル内部の人は、恐らくまだ逃げていないだろう。倒れこんだりすれば数百人単位で犠牲者が出てしまう。

 力では勝てない。それでも組み打つ事を挑んだのには理由がある。

 日輪はゴルグギノンの右腕を引きながら後ろに下がる。腕につられて前に出たゴルグギノンの右足を、日輪は外側から内側に払った。柔道の出足払いだ。

 ゴルグギノンは大きく姿勢を崩し右の腰から倒れていく。周囲にはビルがあるが、ここはターミナルと六車線の道路の中。倒しても問題のない場所だ。これを狙って、日輪は組み打ちを挑んだのだ。

 怪獣の手を放し、日輪は腰の刀を抜き放つ。そして切っ先を下に向けて柄を逆手で握り直し、両手で掴んでゴルグギノンの頭部に振り下ろす。

 殺せる! そう思ったが、刀の切っ先が貫く直前でゴルグギノンの短い腕が素早く動き、日輪は左方向からの立方体の直撃で弾き飛ばされた。

 日輪は道路にたたきつけられ、そして転がりながらビルにぶつかる。複数のビルの外壁を崩し、張り出している看板が落下していく。日輪は即座に立ち上がるが、一棟のビルは支えを失って途中から折れて崩れていった。その下にも野次馬がいたようだが、日輪の巨体とビルのがれきで押しつぶされていた。

 悲鳴と怒号が巻き起こる。先ほどまでは興味本位で戦いの様子を見ていた人達も、いよいよ自分たちの身に危険が及ぶと理解したらしい。我先にと通りの向こうへ走って逃げていく。

 継太郎はその様子を見ながら、吐き気がこみあげているのを感じた。ゴルグギノンの攻撃の為ではない。恐らくは数十人の人が今のやり取りで死んでいる。守ると誓ったはずが、自分の体で圧し潰し、ビルの瓦礫の下敷きにしてしまったのだ。

 情けがない。怒りが湧いてくる。だがその感情は戦いに於いては邪魔なものでしかない。必要なのはどこまでも澄み切った純粋な殺意。気力や思いなどは何の意味も持たない。怜悧な思考と鍛えた技のみがこの戦いを制するのだ。

 継太郎は思いを捨て、日輪の操作に集中する。ゴルグギノンもまた立ち上がっていた。仕切り直しだ。

「立方体が来るブレ!」

 ゴルグギノンの腕と立方体に再び矢印の画像が重ねられていた。まっすぐ飛んでくる。日輪は体を半身にしながら、立方体を刀で逸らす。飛んでいく立方体の隣を通り抜け、日輪は大きく踏み込みながら刀を後ろに振りかぶる。ゴルグギノンの頭部の発振針がエネルギーを高める。リング振動が来る。日輪は左足で地を蹴りながら、振りかぶっていた刀を思い切り振り抜いた。

 刀はリング振動の起こりを切り裂き、衝撃ははるか上空へと飛んでいく。あれを街に当てるわけにはいかない。防ぎつつ戦わなければ。日輪と継太郎は刀を上段に構え直し、ゴルグギノンの頭部に振り下ろす。

 立方体が真下から跳ね上がり、刀が止められた。更にもう一個の立方体が日輪の斜め後ろから飛んでくる。

「くそ! 立方体が邪魔だ!」

「こっちもプリミティブを使うブレ! 任せるブレ!」

 ブレンが言い、そしてレンダリングエナジーを消費してこちらも頭上に立方体を出した。

「立方体はこっちで抑えるから、継太郎はゴルグギノンに集中するブレ!」

「分かった!」

 ブレンが立方体を操作し、ゴルグギノンの立方体にぶつける。互いに破壊することはできないが、邪魔することは可能だ。逃げるように離れていくゴルグギノンの立方体を、ブレンの立方体が追う。そして日輪に近づこうとする動きを妨害する。立方体を出している間は一つにつき秒間二十四フレーム、それが二つで四十八フレームを余計に消費するが、その分早く決着をつけるしかない。

「覚悟しろ!」

 脳裏に犠牲になった一般人の死体が浮かぶ。抑えきれない怒りと悔恨を胸に、継太郎は日輪の刀を振るった。

 ゴルグギノンの頭部リングが震え甲高い音を出した。攻撃ではない。まるで咆哮だった。向こうも日輪と決着をつけるつもりのようだ。

 ゴルグギノンの短い腕、前腕の途中の手の甲側から、肉を突き破って白く太い角が生えてきた。それは腕の二倍ほどの長さになり、まるで剣のように鋭く形を変えた。日輪の武器に合わせて武器をレンダリングしたようだった。

「日輪と斬り合う気か?! 上等だ!」

 日輪は刀を上段に構え、ゴルグギノンに一歩ずつ近づいていく。ゴルグギノンは両腕を上げ、両腕の角を上に向ける。それがゴルグギノンの構えのようだった。

 膝から力を抜くようにして前傾姿勢になり、日輪は一気に加速する。ゴルグギノンも身構えるように腰を落とした。

 斬撃が来る。或いはこちらの刀を受ける気か。継太郎は一瞬の間に思考したが、そのどちらでも無かった。飛んできたのは、長い尻尾だった。

「うおっ!」

 長い尾の先端には棘のついた丸い骨がついている。右から顔面を狙ってきたその骨を、日輪は構えを下げて刀の腹で受けた。尻尾は止まらない。受けられた反動でそのままゴルグギノンの後方を回って加速し、今度は左方向から飛んでくる。更に右腕の角が日輪の胴に向かって突き出される。同時攻撃。思っていた以上にゴルグギノンは芸達者のようだった。

 日輪は深く腰を落とし尻尾の攻撃を躱す。そしてゴルグギノンの懐に飛び込み、角の攻撃を上にかち上げる。腕が上がり、隙が出来る。ゴルグギノンはすかさず左腕の角で斬り払ってくるが、日輪はほとんど前方に倒れ込みながら、ゴルグギノンの右腕を付け根から切断した。重く硬い手応えがあった。斬られた腕は勢いよく飛び跳ねていき、近くのビルを圧し潰した。

 日輪はそのまま前転し、駅の方に転がっていく。足先でカラオケのテナントビルを蹴ってしまったが、ほとんどビルを壊さずに立ち上がった。

 右腕を斬られたゴルグギノンは甲高い不快な唸りを出していた。脚はふらついたようによたよたと動き、後方のビルに突っ込んでいく。尻尾は電車の高架橋にぶつかって、橋が道路上に崩れ、そして地下道の入口を踏み抜いて左足が沈む。ゴルグギノンの体は大きく後方に倒れ込んでしまった。

「あっ、やばい!」

 継太郎が言っている間に、ゴルグギノンが倒れ込んだビルは途中から崩れ倒れていく。その隣や後ろにあったビルも巻き添えで次々と破壊されていく。まるで積木が崩れるように、ビル群は呆気なく潰れていった。また大勢の死人が出たはずだった。少しでも避難が進んでいればいいのだが。

「トラフィックの上昇がまだ止まらないブレ! トラフィックエナジーが溜まる前に早く倒すブレ!」

「残りフレームは?!」

「約一二〇,〇〇〇フレーム! 立方体を二つ使っているから実質四〇,〇〇〇フレームブレ!」

 ゴルグギノンの立方体を妨害するために日輪も立方体を使っているが、実体化している間はレンダリングエナジーを消費し続ける。残り四万なら約三〇分だ。大技で仕留めることを考えれば、ほとんど余裕は無いに等しい。

 だが通信量が増えてトラフィックエナジーが増加すると、電子生命体はそのエナジーをレンダリングエナジーに変えて怪獣を強化することが出来る。こちらにとっては不利にしかならない。

 報道のヘリは二台に増えて飛び回り、大勢の死者も出ている。バリケードの向こうにはパトカーや救急車もいる。戦いの被害は大きくなり、発生する情報量は増えていく。怪獣を倒す以外にそれを抑える方法はない。

 ゴルグギノンの発振針がエナジーを頭部リングに送り込む。そしてリング振動波が放たれた。

「街は破壊させない!」

 日輪は前に出て、刀にエネルギーを送り燃え上がらせる。そしてリング振動を全力で斬り払う。振動と炎の触れあう瞬間に爆発が起こり、リング振動波は上空へと逸らされていく。それでも衝撃波は周辺に広がり、近くを飛んでいた一台のヘリが巻き込まれて墜落していった。

 そのヘリを横目に見ながら、次々と撃ち出されるリング振動波を斬り払っていく。だが全てを逸らすことは出来ない。衝撃の半分は足元や後方の街に飛んで行ってしまう。

 地面が抉れ乗り捨てられた車両が圧し潰される。炎上する車両さえあった。そして周辺のビルはことごとく窓が割れ、リング振動を受けた部分は抉られる様に崩れていく。被害範囲は半径百メートル以上に及んでいた。日輪はリング振動を斬り続けるが、街の被害は拡大する一方だった。

「あれを使うぞ、ブレン!」

「あれ?! 駄目ブレ! 訓練でもまだ一度も成功していないブレ!」

 ブレンが慌てたように言う。

「奴の攻撃で近付けない! やるしかないぞ!」

「やめるんだ、継太郎。レンダリングエナジーを大量に消費することになる。失敗すれば君自身も無傷では済まないぞ」

 マドゥギ司令からも通信が来る。ブレンと同じく否定的だったが、ここは譲れなかった。

「分かってますよ、そんな事! でも街の被害が……!」

「言ったはずだ。それは無視するんだ」

「無視するブレ! 人間はいずれ死ぬブレ」

「うるせえ!」

 日輪はリング振動波を斬り裂き、前に出た。そしてリング振動波を撃とうとするゴルグギノンの頭部に向かって鋭い突きを入れる。リング振動波が放射される寸前で弾け、ゴルグギノンは後方によろめく。

「とどめだ! 炎残輪刃!」

 日輪はゴルグギノンから一歩離れ、全身からレンダリングエナジーを放つ。

 現れたオブジェクトは四つ。真ん中の持ち手から上下に刃が生えた特異な形状で、風車のように回転を始める。そしてレンダリングされ実体化し、四つの刃は日輪の周囲に浮かび上がり炎を噴き上げた。回転する火車のように、刃の回転は速度を増し炎は鋭く尖っていく。

「継太郎、やめるブレ!」

「もう出した! 遅い!」

 ゴルグギノンはエネルギーを集めリング振動波を撃とうとする。だが、日輪の方が僅かに早かった。

「焼き貫け!」

 日輪が刀を振り下ろすと、周囲の四つの刃は枷を外されたようにゴルグギノンに向かい放たれた。レンダリング時点でキーを打った座標に向かい飛来する為、もし怪獣が大きく動けば回避されることになる。だがゴルグギノンはそこまで俊敏ではない。十分に当てられると継太郎は判断していた。

 リング振動が放たれた。それは日輪に向かってではなく、飛んでくる炎斬輪刃に向かってだった。刃のうちの一つが振動に弾き飛ばされる。そしてゴルグギノンの左腕の角が更にもう一つの刃を叩き落とす。だが残る二つは迎撃をすり抜け、ゴルグギノンの腰と胸に突き刺さった。

 ゴルグギノンが甲高い音を出す。だがその内部の力は衰えず、まだリング振動を撃とうとエナジーを高めていた。

「とどめぇっ!」

 日輪は刀を大上段に構え大きく飛び上がった。そしてエナジーを刀に集め、燃え盛る炎の刀でゴルグギノンを両断した。さっきの通常サイズの時と同じように、頭部リングは溶断され、体の断面からは緑色の体液を噴出していた。刺さったままの炎斬輪刃はまだ炎がくすぶり、ゴルグギノンの肉体を焼いていた。

「倒した……のか?」

 ビル側に倒れそうになるゴルグギノンの体を日輪は支えた。

「トラフィックエナジーは上昇中ブレ! でもそいつは機能停止したブレ! 消えるブレ!」

 レンダリングされた怪獣や巨兵は破壊されると機能を失い消滅していく。両断され死に至る程の損傷を受けたゴルグギノンも、その肉体を形成するレンダリングエナジーが崩壊して粒子化し、霧のように消えていった。

「仕留めたのか、ブレン?」

「やったブレ! すごいブレ!」

 継太郎は息をつきながら周囲を見回す。まだ報道ヘリが飛んでいて、周辺はビルの倒壊や被害者の救助でひどい混乱の中にあった。それでもまだアップロードのトラフィックは依然として高い状況で、この惨状を拡散している人が少なくないようだった。そしてそれにアクセスする人も。怪獣は倒したが、このトラフィックエナジーで電子生命体は繁殖してしまったことだろう。

「巨兵を消すぞ」

「よくやった、継太郎。そのまま基地に戻れ」

 マドゥギ司令の声が聞こえ、継太郎は巨兵のレンダリングを解除した。残るレンダリングエナジーは三八,〇〇〇フレーム、二十六分ほどだ。実際の戦闘は約三十分で、九四分消費した計算になる。炎断輪刃を使ったせいで想定よりも消費してしまったが、まずまずの成果だろう。多くの人が犠牲になったことを除けば……。

 巨兵が消え、継太郎は三十メートルの高さから落下する。地面に落ちる前に翼を出し、炎を噴射。一気に加速して空へと飛んでいった。


 あとには破壊された街が残った。そして死体。逃げ惑う人々。それでもその目は惨劇を求め、ネットワーク上のトラフィックは際限なく膨らんでいく。

 再び怪獣が現れれば、エクゾスカル日輪は戦う。その時はそう遠くないだろう。電子生命体がトラフィックエナジーを求める時、怪獣は再び現れるのだ。街と住人を巻き添えにして。

 だが今はひとまず勝利した。残された人々も、どうやら勝ったようだと認識していた。崩れた町と傷ついた自分の体を見ながら、ほっと息をつく。

 そして東京は平和になった。

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