あこがれの焼き鳥

碓氷果実

あこがれの焼き鳥

「じゃあ焼き鳥の話はあります?」

 僕の問いかけに、先輩は腕組みをして天をあおいだ。

 大学時代に一級上だったこの人は無類の怪談好きで、何を隠そう僕が怖い話を収集するようになったのも先輩の影響だ。

 先輩の特技は、お題に合った怪談を即興で披露すること。どんな無茶なお題でも答えられるから、その怖い話のストックの多さには舌を巻く。

 そのままの姿勢で数秒悩んだあと、「ああ」と言って先輩はこちらに向き直った。

「焼き鳥のならあるよ」

「話の話?」

「焼き鳥が出てくる映画の話、かな」



 先輩が知り合いのFさんから聞いた話だそうだ。

 子供のころに見た映画の中に、焼き鳥屋のシーンがあったのだという。

 串に刺した肉がじゅうじゅうと焼ける音、滴る脂、もうもうと煙る店内で、香ばしく焦げ目のついた焼き鳥を頬張り、ビールで流し込む――そのシーンがやたらに印象に残って、何度も何度も繰り返し見た。

 それでFさんは、小さいの頃から焼き鳥屋に強いあこがれを持ち、大人になったら焼き鳥屋さんでお酒を飲むんだ、とずっと思っていたらしい。


 そんなFさんの二十歳の誕生日、両親から一緒に飲みに行こうと誘われた。

 成人のお祝いなのだから、高級ホテルでも洒落しゃれたバーでもなんでもいいと言われたが、Fさんは迷わず焼き鳥屋を希望した。

 あまりにも長い間あこがれ続けていたため、実際の焼き鳥屋は正直「こんなもんか」という感じだったとFさんは言う。飲み慣れないビールは苦いし、焼き鳥自体も(コンビニやスーパーの惣菜ではなく、炭火焼きの焼き鳥は初めて食べたのだが)なんとなく思っていたのとは違った。

 とはいえ、味に不満があるわけではない。想像とは違っても焼き立ての肉は十分旨く、煙でうっすら白くなった店の中で飲み食いするのはやはり楽しかった。


「でもなんで焼き鳥なんだ?」

 串は一通り食べ尽くして、締めの鶏ガラスープとおにぎりを頼んだあたりで、父親が聞いた。

「ほら、俺子供のときによく見てたじゃん」

 と、Fさんはあの映画のワンシーンの話をしたが、両親はピンと来ないようで顔を見合わせて首をかしげている。

「そんな映画、小さいFにわざわざ見せるかなあ?」

 それ、いくつの時? と母親がく。

「二歳か三歳かな」

「実写? アニメ?」

「実写」

「誰が出てた?」

「えーっと……」

 そう言われて、その映画に誰が出ていたのか、それどころか、その映画がどんな話だったのかすら、全く覚えていないことに初めて気付いたのだという。

 ただ、うまそうに焼ける肉、それを豪快に頬張る、そのシーンの印象だけが強烈に脳にこびりついている。それなのに、食べている人物の顔もわからなかった。

「たまたまテレビで見たドラマかなんかじゃないか?」

 父親はそう言ったが、確実に繰り返し見たという記憶があった。たまたま一回見ただけということはないはずだ。

「親父か母さんが好きな映画で、それを俺も一緒に見てたんじゃないの?」

 今度はFさんが問うたが、二人とも見るのはもっぱら洋画ばかり、数えるほどのお気に入りの邦画の中にはそんなシーンはなかったという。

 三人でウンウンうなったが、結局なんの映画かはわからずじまいで、当時のテレビCMかなにかではないか、という話になった。


 あとあと、なんとかその映画の内容を思い出そうとして、Fさんはあることに気付いた。

 二十歳の誕生日に食べた焼き鳥が、どうして想像と違ったのか。

 記憶の中の映像をよくよく思い出してみると、たしかに、肉に串を打って炭火で焼いているシーンではある。

 だが、その串刺しになっている肉の、見た目が違う。


 あれは多分、だった――とFさんは言った。


 人間の指を、関節ごとに切ったものを串に刺して焼いていた。

 強いて言うならその見た目は、細いウインナーを短く切ったものにも似ているが、ウインナーではないと思う。

 だから、あれは、要は人肉食のシーンだったのだ。

 そう気付いたら、その前に店主が肉をさばく映像があったことも思い出した。

 それはかなり直接的で、店主が人間の手首から先をまな板に置いて指を切っていた。骨があるから包丁の上から体重をかけ、ダン! と大きな音とともに人差し指の第一関節から先が転がる、という描写もあった。

 他にも、人間の舌の皮をいで仕込んだり、目玉に串を打つ場面なんかもあったという。


 Fさんは、今考えるとその映像自体は作り物だと思う、と言う。

 いわゆるB級ホラー映画で、手や目玉もゴムのような素材で作ったいかにも偽物という質感のものだったように思う。

 でも、そんなものを二歳児に見せるだろうか? そもそも、Fさんの両親はホラー映画、特にグロテスクなものを好んで見るタイプではない。

 実際にそんな映画が存在するかどうかもわからなければ、あったとしても幼い自分がどうしてそれを見たのかもわからない。


 なにより、自分がショッキングな人肉食描写のことはすっかり忘れて、そのシーンをただ「美味しそうな焼き鳥のシーン」と認識していたのが、まったく意味がわからなかった。



「それを思い出して以来、焼き鳥のイメージが百八十度変わっちゃって、Fさん今では、付き合い以外では焼き鳥屋に行くことはまずないってさ」

「いやあ……嫌ですね」

 記憶の内容も嫌だし、幼少期からのあこがれが、誰のせいでもないのに一瞬で気持ち悪いものに塗り替えられてしまったのも嫌だ。

「だからねえ、子供のころの曖昧あいまいで断片的な記憶は、深堀りしないほうがいいんだよ」

 そう言って先輩が口に運んだ串に、一瞬目玉が刺さっているように見えてぎょっとする。

 ――話にすっかりてられてしまった。

 その恥ずかしさをごまかすように、僕もちょうちん串を頬張った。

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