一つ先の光景
それからの話だ。
半年にわたって警察に足取りを掴ませなかった“連続児童誘拐事件”はあっけなく、たった一夜にして解決した。
と言うのも、私があの暴力男から引き出した情報には子供達の軟禁場所もあり、一気に事件を解決出来る場所を突き止めていたのだからある意味当然の結果であった。
誘拐された子供達と言う動かぬ証拠の在処を私が知っていて、警察官の神楽坂さんが私と協力することとなった。そうなると行動力の化身である神楽坂さんは、誘拐実行犯“紫龍”の確保をしたその夜のうちに監禁場所に突入する。
後は、情報通りその場所に捕えられていた子供達全員を無事に助け出し、その場にあった証拠物なども抑え、事件はあっと言う間に解決することとなった。
子供達は誘拐被害にあった者達一人残らず助け出し、監禁されていた時の話を聞くことと、医者による体調の確認を行うために、秘密裏に一時的な保護として氷室警察署に連れて帰ったが、どこから情報が出たのか次の日の朝には親達と報道各社が氷室警察署へと殺到。
一夜にして起こった事件解決劇は詳細不明のまま、あっと言う間に世間に公表されることとなってしまったのである。
曰く、『氷室署の一人の警察官が“偶然”誘拐された子供達が監禁されている現場を見つけ、救い出した』と、そんな風に。
‐1‐
「……はふぅ……今、何時れす……? ……!??」
妹のいない休日の朝は久しぶりで、昨夜の深夜に及んだ子供達の救出活動の疲れから私はぐっすりと眠り込んでしまっており、目を醒ましたのは昼の正午を回った時間になってから。
今日やろうと予定していた事が全て崩れ去っていることに気が付き、慌てて布団から飛び起きてリビングへと向かえば掃除機片手にニュースを眺めている父親の姿が目に入る。
「ああ、燐香起きたね。燐香が寝過ごすなんて珍しくて声を掛けなかったけど、何か予定でもあったかな?」
「お、お父さん……」
リビングの様子からして、やろうとしていた家事はすでに終わっている。
ニコニコと普段通り温和な雰囲気を見せる父親に、申し訳ない気持ちになった。
「……ごめんなさい。少し疲れてて……」
「いやいや、謝ることないよ。いつも燐香には迷惑ばかり掛けてるからね。これくらいやらせてくれないと、むしろ僕が怒られちゃうよ」
慌てて私の謝罪を否定した父親は、私に新しく注いだコーヒーを勧めてくる。
大人しく、父親の勧めに甘えてコーヒーに口を付ければ、少しだけ残っていた眠気も苦みで打ち消されていく。
お父さんはふと思い出したように私を見る。
「そういえば、桐佳は夕方頃帰ってくるそうだよ」
「……私、昨日の泊まりの話。直前まで聞いてなかったんだけど」
「桐佳が言わないでおいてって言っていたからね。本人が言うものだと思っていたんだけど」
「ご飯とかの予定もあるからそういうのは言ってくれないと私が困るし。次からちゃんと話を通してほしいかな」
「ははは、ごめんね。でも、桐佳ももう中学三年生だから、あんまり子供扱いするのは本人が嫌がるんだよ。もう、自分の事はある程度自分で考えられる歳だからさ。ある程度は認めてあげないと」
やけに桐佳を擁護する父親に、目じりが上がっていくのを自覚する。
「中学三年生は子供です。悪い大人には何の抵抗も出来ないし、自分でしたことの責任を自分で取る事もないんだから。桐佳にはまだしっかりと目を向けないとだめ」
「まったく……桐佳のことになると燐香は頭が固いなぁ……」
私の譲らない態度に困ったような顔をするお父さん。
いつも仕事を頑張ってもらっているが、これだけは譲れない。
世間の犯罪率の高さの土台となっていた犯罪事件は昨日解決したが、世の中悪い人間はいくらでもいる。
特に、見た目の良い年頃の女の子なんて格好の獲物になりかねない。
しっかりと縛り付けるくらいがちょうどいいのだ。
語気を強める私に困ったような顔をしたお父さんは、丁度流れて来た“誘拐事件”が解決したと言うニュースを指差して私を説得しようと口を開く。
「ほら見てごらん。解決できないと言われていた誘拐事件も、ちゃんと警察は解決してくれたみたいだよ。世間に言われているほどこの国は危険じゃないさ。燐香もそんなピリピリしてないで、学生らしくちょっと夜遊びするくらいが良いんだよ?」
「…………勇敢で優秀な警察官がいてくれたようで何よりですね。その部分は私も安心しています。でも、それとこれは話が違います。お父さんが何と言おうと、桐佳は子供で、悪い大人には抵抗できなくて、この世の中は悪意で満ちているんですから」
お父さんは楽観的だ、世界中で犯罪事件が増加していると言われている現状でも、自分達の国は心のどこかで大丈夫だろうと思っている部分がある。
それは違うと、人の心を読める私は断言する。
何時だって、悪意は本人の知らないところからふいに襲ってくるのだから。
話は終わりだと、コップに入ったコーヒーを一気飲みする。
テレビから流れる、神楽坂さんとした約束通りの情報に、ひとまず連絡を取ろうと携帯を開き、随分前の時間に彼から連絡があったことに気が付いた。
『受信時間:4月16日9:34
送信者:神楽坂おじさん
表題:これからの話がしたい
本文:こっちの処理は終わった。君が指定した喫茶店で待っている』
「…………」
「ど、どうした燐香。顔を真っ青にして。やっぱり今日予定でもあったのか?」
時計を見る。
今の時間は既に13時を回っている。
もっと掛かるだろうと思っていた神楽坂さんの事件処理は、思いのほか早く終わっていたようである。
‐2‐
「さて、君の要望通り、事件処理に君を巻き込まず、“異能”と言う超常の存在を表沙汰にせず、昨日の件を収めた訳なんだが……俺はてっきり君に裏切られたものかと思ったよ」
「す、すすすす、すいませんっ……ね、寝落ちしてっ……あ、い、いや、言い訳とかではわわわっ……」
「……いや、待て待て。別に怒ってない」
慌てて辿り着いた喫茶店の隅には、神楽坂さんが腕を組んで椅子に座り目を閉じた体勢で私を待ち構えていた。
バタバタと近づいてきた私に薄目を開けた神楽坂さんの言葉は私を抉りに来たものの、どうやら怒ってはいないらしい。
……少しだけ心を読んでみるが、その言葉に嘘偽りはないようである。本当に人の良いおじさんだ。
「め、面目ないです……あ、あの、約束を守っていただいたのは報道を見て確認しました。本当に、私の事も、力の事も公表しないでいただけて助かりました」
「いや、それは大したことじゃない。超常の力があるなんて騒いでも証明しきることは難しいのは俺がよく分かっているからな。なによりも……俺個人としては、無策に真実を世間に公表しようとするよりも、君の協力を取り付けられる方がずっと価値があった。それだけなんだ」
連続児童誘拐事件の実行犯、運び屋“紫龍”を拘束した後に私が神楽坂さんにした提案。
それは、異能と言う超常の力を公表しないこと、私のことを周囲にばらさないこと、それらを飲んでもらえるなら今後異能の関わる事件に協力すると言う交換条件だった。
突然意識を失った“紫龍”に、状況が分からず少し悩む様子を見せた神楽坂さんだったが、私の有用性を示す一端として攫われた子供達が監禁する場所を話せば彼は即座に二つ返事で頷いた。
結果として、その夜のうちに実行犯の逮捕と攫われた子供達の保護を行えたものの、私の条件を呑んだことで“紫龍”が行った誘拐の実行は証明できず、あくまで事件に関わる疑いがあった者として話を聞こうとした神楽坂さんに対する暴行の罪での逮捕にとどまったようである。
……まあ、神楽坂さんが言うように、いくら異能の存在を主張しても、今の法律では裁けるものでもなく、その存在も周知されていないのだから、罪として認められることはなかっただろう。
しかし、そこまで言った神楽坂さんの表情が解せないと言うように少しだけ曇る。
「だが……少し分からないことがある。昨日捕まえたあの男とは違い、君は別に力を使って犯罪を犯している訳ではなかった。わざわざ協力の約束までして力の存在を隠すほどの必要性が、君にはなかった筈だ。なぜわざわざ交換条件までしてそんなことを……?」
「……えっとぉ、それは……その……」
そんなのは当然、私がこの力を使って後ろ暗いことを一杯やってきたからに決まっている。
でもそんなこと馬鹿正直には言えない訳で。
「あの……あっ、あれです! この一連の事件には大きな組織が関わっていると私は思っているんです! 下手にここで力の存在を公表しようと目立つ動きをすれば、神楽坂さんの命を真っ先に狙いに来ると思ったからです! となると、もっと強力で、凶悪な力を持った奴がこの地域に来る可能性がありますからっ、それをなんとかして阻止したかったんです!!」
「…………なるほど。筋は通っているが……もう少しうまく嘘を吐けないのか……?」
「う、嘘じゃないですよ!!」
「ああ、うん、そういうことにしておこうか」
「嘘じゃないですよっ!!??」
嘘ではないのだ、本当だ。
大部分は自己保身だが、そういう理由もちょっとだけあった。
強力な異能を持つ奴と好んで戦いたいなんて言う戦闘狂ではないし、自分の限界を知りたいなんていう欲求も私にはない。
だから出来るだけ同類の方はこの地域に近付かないでくれるよう動きたいのだ。
けれども神楽坂さんの私を見る目は、子供が吐く単純な嘘を呆れるような色がある。
甚だ不本意ではあるが、ここまでくると否定しきるのはもう難しいだろう。
せめて違う話題に移ろうと、私は神楽坂さんが最もしたいであろう話を切り出す。
「……それよりも、これから神楽坂さんに協力しますけど、おじさんが追っている事件ってどんなものなんですか? もしかしたら既に私がある程度は知っている事件かもしれませんし、出来れば教えていただけたら嬉しいんですけど」
「ん、ああ。それは…………いや、その前に、今回の誘拐事件の黒幕をあぶり出してからそちらの話はしよう」
「え? ま、まあ、それは良いですけど」
てっきり神楽坂さんが追っている事件についての説明が、この待ち合わせの主題だと思っていただけに拍子抜けしてしまう。
確かに、大きな組織が黒幕ならばこの誘拐事件はかなり根深いものであり、誘拐された子供達を助け出した場所で見た物を考えば、優先してそちらを解決しようとする気持ちも分からなくはない。
「俺としては、この場ではそこまで大きく君との関係を築いて、一気に事件の解決を進めようとしている訳では無くてだな。あくまで、君が本当に俺と話をしてくれる気があるのかの確認と、君への感謝を伝えるためのものだったんだ」
「はぁ……まあ確かに、お互いのことを碌に知りもしないですし、たまたま命を預け合ったような偶然の関係ではありますから別に私はそれでも良いですけど……。でも、私は別に神楽坂さんから受ける感謝なんて特にはありませんよ。だって能動的に神楽坂さんを助けようと私は動いていた訳ではないですから」
「いや、確かに俺としても君には十分感謝しているが、ここで君に伝えたかった感謝は俺からのものじゃない」
そう言って神楽坂さんは、鞄から一枚の手紙を取り出した。
短く感謝の言葉が書かれたその手紙は、派手さもなく、彩りもない、なんとも地味な一切れの紙。
「――――バスジャックを引き起こしたあの夫婦から、君へ届けてくれと言われた手紙だ」
「え……あの人達、ですか?」
熊用スプレーをぶちまけた女の人と、責任を取るつもりもない言葉で惑わせた男の人。
あの人達からの感謝の手紙だと、神楽坂さんは私に言う。
手に取ったその手紙は薄くて、少しだけ湿ったような跡があった。
『名前も知らない少女へ
バスジャックの件では君達にとても迷惑を掛けた、本当に申し訳ない。
行方の分からなかった息子が助けられたと、あの男の人に聞いた。
君が関わっているのかは分からない。でも、なんとなく君が助けてくれたんだろうと言う予感がある。ありがとう。
君があのバスに乗ってくれていて本当に感謝している、それだけは伝えたかった。』
そんな簡潔な文章が、その手紙には書かれていた。
「……神楽坂さん、すぐにこの人達に子供達が帰ってきたって伝えたんですね」
「ああ、彼らは犯罪者ではあったが、子供がいなくなって、脅迫されたと言う理由があった。もちろん犯罪を正当化できるものでは無いが、安心させてあげられるならそれに越したことはないだろう?」
「そうですね……私もそう思います」
「……本来なら、犯罪者になんてならなかった人達なんだろう。面会して、そう思ったよ」
神楽坂さんが約束を破って彼らに私の詳細を伝えたのか、なんてことも一瞬だけ頭を過ったが、文章を読めばそんなことはないのだとすぐに分かる。
あんな風に子供を誘拐したと名乗る者からの脅迫に従って罪を犯すほどに追い詰められていた彼らは、私の何の信憑性の無い言葉に縋るしかなかったのだろう。
そしてそれは私が出くわした彼らだけではない、子供を誘拐され罪を犯した者達はもっといるのだ。
そして、元々は罪を犯す筈がなかった家族達をそれほど追い詰めた奴らは、今もきっとどこかで優雅に暮らしていることだろう。
「……今の科学では証明できない力を随分長い間探し求めていた。ようやく出会うことが出来て、正直俺は今、冷静でいると言える自信はない。だが、超常の力が関わる事件の犠牲者達をこうして改めて目の当たりにして、何も悪いことをしていなかった人達が良いように利用される理不尽さは絶対にあってはいけないと思ったんだ。……どうしてでも、どうやってでも、罰せられない存在なんて許してはいけないと思ったんだ……」
異能を持つ私の前で、神楽坂さんは異能を持つ者の犯罪を許さないと断言した。
これからの科学では追跡できない事件を追う上で、協力してもらわなければならない相手である私に対して、きっぱりと。
ともすれば敵対することも厭わないと、神楽坂さんは私に対して断言したのだ。
「そして、そんな事件の数々を追うことは俺一人ではどうしようもないと言うことはもう身に染みて分かっている……分かっているんだ。だから……君にもう一度言葉にしてお願いしたい」
その上で彼は私に頭を下げるのだ。
「――――どうかお願いだ。俺と共に、非科学的な力を持つ奴らが起こす犯罪事件を解決してくれっ……何の見返りもっ、何の利だって君に与えられないかもしれないっ……!」
それでもと彼は言う。
「俺はっ、手が届かないそういう事件を解決しなくちゃいけないからっ!」
神楽坂さんのボロボロの感情が、慟哭するかのようにクシャリと歪む。
頭を下げたままでいるのは、自分の今の表情を見られたくないからだろうか。
そんなことを思う程に、彼の心の叫びが私にははっきりと視えてしまった。
彼が言っているのは全部自分一人の事情だ。
過去にどんな事情があろうとも一般人を巻き込んでいい理由にはならないし、そんなことは神楽坂さんだってわかっているだろう。
それでも、そうだとしても。
そんな道理や道徳を蹴り飛ばしてでも、為したいものがあるから、彼に選択する余地なんてなかったのだ。
机にぶつけるかと思う程深く下げた頭をぼんやりと眺める。
30にも迫ろうかと言う大の大人が高校生になったばかりの子供に頭を下げて力添えを願い出る。
それはどれだけのプライドを捨てればできる事なのだろう、そう簡単に出来ることでないのだろうとだけしか子供の私には分からない。
人によっては大人げなく、だらしのないなんて考える人もいるかもしれないが……私は神楽坂さんの姿勢は嫌いではなかった。
むしろ、私は尊敬の念の方が強い。
そんな彼の姿勢に私は敬意を払う。
はっきりと、私も彼の誠意に答えて本音を口にする。
「神楽坂さん、私は警察と言うものを信用していません。より正確に言うと、私は自分以外の人間のほとんどは信用に値しないと思っています。だから、私はこれからも自分以外の誰かを本当の意味で信用することはありません」
「っ……」
けれど。
「…………神楽坂さんは私と出会ってからこれまで、嘘を一つも吐きませんでしたね」
私はそう、思い出すように言った。
「バレないように害の無いように、なんて。自己保身ばかりの私と違って神楽坂さんは、ずっと誰かの為に走り回っていました。こんな小娘一人に対してもずっと誠実に接してくれました。超常の力を目の前にしても、私を守ろうと必死になってくれたことも知っています。こうして一回りも歳が離れた小娘に対して頭を下げるような決断も下せる。それらは何物にも代えがたい、大きな価値だと私は思います」
自己保身と打算まみれの小娘だが、この掛け替えのない善人がそれでもと望むなら。
「やりましょう神楽坂さん。この世界に蔓延る異能が関わる犯罪事件を。自分は特別だと世界を見下している奴らを根絶やしにしてやりましょう」
私は私の周囲が平和に暮らせる世の中にするために。
神楽坂さんは科学では追えない犯罪事件を解決するために。
そうして私達はお互いの手を取った。
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