異なる能を持つ者達
日も暮れて、人目が少なくなってきた時間帯に私はとある場所までやってきた。
それは廃棄され未だに取り壊されていない廃れた倉庫がある場所だ。
この場所は誘拐した子供を取引する場所として利用されているようで、ちょくちょく“紫龍”とやらや誘拐事件を起こしている組織が使う場所でもある。
そして、なぜこの場所に私がやってきたのかと言うと、“紫龍”と言う異能持ちを誘き出して、早々に無力化してしまおうと考えたからだ。
裏路地で子供を暴行していたあの男からこっそりと拝借していた携帯電話を使い、登録されていた“紫龍”に電話をし、私の声に違和感を持たないよう異能を使ってから話があると呼び出した。
後は、一人呼び出しに応じて出てきた“紫龍”と言う奴を背後からボコボコにすれば私の計画は達成。
長らく世間を騒がせていた連続児童誘拐事件も無事に解決すると言う寸法だ。
(完璧すぎる計画っ……! 憂さ晴らしも兼ねてるし、久しぶりに全力全開でぶっ飛ばしちゃおう……! 悪即斬! 悪即斬!)
ククク、と言う笑いを漏らしながら、もう一度“紫龍”とやらに電話する。
倉庫の何処にいるのかしっかりと場所聞き出して初手に全力で異能をぶつける、戦闘型でない私の異能でできる唯一の必勝法だ。
何の疑いもなく私の電話に出た男に、もうすぐ着くことを伝え、どの位置にいるのか聞き出そうとしたところで――――異常が起きた。
『――――!? あ、ああ、なんだいきなり?』
「は? 何かあったか?」
どうにも電話先の“紫龍”とやらの様子がおかしい。
別の誰かと会話しているようだが相手の声は聞き取れない。
何度か呼び掛けてみたが、返事のないままそのまま通話が切られてしまった。
「……え? これ、バレてたって訳じゃなさそうですけど……」
バレていてあえて私をここまで誘き出したのなら最後まで、電話を繋げる筈だ。
だが、電話先の男はどうにも予想外なことが起きたと言う反応で、何か策略を企てていたようには思えない。
(……想定外が起きたのは見過ごせない。また別の日にするべきか……いやいやでも、あの男からの呼び出しとして“紫龍”を呼び出せるのはこれっきり……)
「とりあえず様子見だけでも……」なんて考えて倉庫に近付いていった直後、ガシャンという大きな音が倉庫の入り口近くから聞こえてくる。
人目が少ないと言っても、これだけ大きな音が出れば周辺の人達が様子を見に来たり通報されたりだってあるだろう。
もうこれは駄目だと、私は完璧だったはずの計画を投げ捨て、回れ右をして逃げ出そうとするが時すでに遅し。
転げる様に飛び出してきたくたびれた男性と目が合った。
と言うか、神楽坂おじさんだった。
「お、おおおおっ、おじさんですか!?」
「なっ、んでっ、こんな所に君がいるんだっっ!?」
動揺も収まらないまま、素早く私目掛けて飛び付いてきたおじさんは私を脇に抱え、その場を素早く飛びのいた。
瞬間、先ほどまでいた場所に鉄材が突き刺さる。
「――――!!?」
「すまんっ、巻き込んだ!! とりあえずこの場を離れるぞっ、しっかり捕まってろ!!」
「て、てててて、鉄が、地面に突き刺さっててててて」
「ああっ、君の場合はそうやってしっかりパニックになってくれた方が安心するな!」
そう言うと、おじさんは私を抱えたまま恐ろしい速さで、近くのコンテナ置き場の中に入っていく。
やばい……間違いなくやばい……。
姿は見えないが“紫龍”と呼ばれている異能持ちは臨戦状態で、私もろともおじさんをぶっ殺そうと全力で異能を発動している。
私も異能で応戦しようにも相手はしっかりと私の姿を捉えているし、何より多少の思考誘導程度なら大丈夫かもしれないが、派手に異能を使えばすぐそばにいる神楽坂おじさんには完全に私の力がばれてしまう。
そうなれば、超能力が使える人間として研究対象となり一生を送る羽目になるかもしれない。
それだけは、それだけは絶対に嫌だ。
「あわわわ、で、でも、このままじゃ死んじゃうっ……死んじゃううぅ……」
「な、なんだか、バスジャックの時とはえらい違いだが……とにかく安心しろ、君は俺を信じてしがみついておけ」
私が慌てるのも当たり前だ。
なんたってこうしてまともに他の異能持ちと戦いになるのは初めての経験なのだ。
だが、そんな風に慌てふためく私とは正反対の自信に満ち溢れたおじさんの態度に少しだけ焦っていた気持ちが落ち着く。
そうだ、大丈夫だ。
だってこのおじさんの能力の高さはよく分かっているし、これほど不安を感じさせない態度なのだ。
何かしらの打開策は持っていてもおかしくはない。
(……なんて言ったものの、煙そのものに変貌したあの男に有効な手立ては何一つない。……せめてこの子だけでも逃がさないと)
だめじゃん。
思わず読んでしまったおじさんの思考に絶望し、辞世の句を詠み始めた私をおじさんは米俵でも抱える様に持ち替え、辺り一帯に広がった薄い煙から逃げる様に走り続ける。
追うように鉄屑や壊れた家電、若しくは道路に設置されている標識なんてものまで飛来し、圧し潰そうとしてくるが、おじさんはスポーツ選手かと思う程の速さで走り回りそれらを難なく回避していく。
対抗策が無いとは言え、このおじさんの身体能力の高さは化け物だ。
打倒することは出来なくとも逃げることは難しくないのかもしれない。
「っっ……良し、煙からだいぶ離れたな」
「おおっ、す、凄いですおじさん……! こ、このまま倉庫とは別方向に逃げましょう!」
「…………悪いがそれは出来ない」
コンテナの陰に隠れて一呼吸入れたおじさんは私の提案を断ると、鋭い目で上空に漂う煙へと目をやる。
「今何が起きているのか、きっと君は全貌を掴めていないと思う。だが、あそこにいるのは俺が捕まえなくちゃいけない犯罪者で、俺が長年追っていた“超常”なんだ。ここまでくれば君一人でも逃げられる。俺とあいつがやり合っている間に、この場を離れろ」
「え……嘘ですよね? あ、あんなのと生身でやり合うんですか……?」
「ああ。本当ならこうして逃げるつもりも無かったが……君がいたからな。流石に君が巻き込まれるのは避けたかった」
私を地面に下して、息を整えるおじさんは私に何かを押し付けてくる。
見ればそれは警察手帳と録音器具のようなものだ。
「君がなんでこんな所にいたのかは聞かない、そんな時間もないからな。ただ、これを……帰った後この機械を警察に届けてほしいんだ。一緒に渡した俺の手帳を見せれば、警察も動かざるを得ない」
「それって……まさか、おじさん死ぬつもりなんですか?」
「そのつもりはないと言いたいが、覚悟はしている。理由は何であれ君が来てくれた、だから、託せるなら託してしまおうと思っただけだ」
君はとても頭の良い子だからな、なんて言って私の頭をガシガシと撫でてくる。
手渡されたおじさんの録音機がこの日のために買ったように新品同然で、手帳が散々使い古されたようにボロボロなのが、よくわかる。
心配させまいと笑みを浮かべているが、そんな上っ面だけのものなんて私には意味がないのだ。
「…………お、おじさん、わたしは――――」
頭上、真上に異能の発動を察知する。
「――――おじさんっ!!」
「!?」
私の声に目を見開いたおじさんを掴み、押し倒す。
足先を掠める様に降り注いだ家電製品の山が地面にぶつかり、壊れた部品が私とおじさんに襲い掛かった。
ねじやガラスの破片、様々な凶器が体に打ち付けられ、ずきずきとした痛みが続いていく。
しかも、おじさんを押し倒す形であったから、その攻撃のほとんどを私が受ける羽目になってしまった。
めちゃくちゃ痛い。
「っっ!? 大丈夫か!? 怪我は――――」
「――――おい、今のを躱すかよ。お前本当に凡人か?」
私の身を案じるおじさんの言葉に被せる様に、知らない男の声が背後から掛けられる。
長身痩躯の中年男性、口は悪いがどこにでもいるような一般人。
凶悪な犯罪事件には到底関わっているとは思えない通行人A。
そんな印象を受ける男が、音もなく煙の中から姿を現した。
荒事や犯罪には無縁そうな見た目の男だが、異能を使う者特有のこの男から発せられている色濃い異能の力の輪郭がよく分かる。
間違いない、この男こそ、今世間を騒がせる“連続児童誘拐事件”の実行犯。
運び屋“紫龍”だ。
「…………だが、お前から同類の力は感じないな。ただ運が良かっただけか」
値踏みするように私を見下ろした“紫龍”が下した判断にほっとする。
どうやらこの男の目には私は異能を持たない凡人として映ったらしい。
……ふざけやがって。
ずきずきと痛む背中のおかげで、精神が冷えて落ち着いていく。
本当なら泣きながら不平不満を漏らしたいが、そんなことは家に帰ってからやるとしよう。
今はこの状況を突破する術を考える。
「テメェッ……! 子供を構わず巻き込みやがってっ……!!」
「ああ? 何言ってんだお前、お前が悪いんだろうがよ。お前がそのガキを抱えて連れ出さなければ追うこともなかった。お前がその証拠をそいつに渡さなけりゃそのガキをつけ狙うこともなかった。全部お前が巻き込んだんだろうが」
「――――っ……!」
「可哀そうになぁ、こんな屑みたいな警察官のせいで巻き込まれて危険な目にあうことになるんだ。これから先どうなるかなんて考えたくもないよなぁ? ぜーんぶ、そこのクソ野郎のせいなんだぜ? ほら、何か言いたいことあるだろ? 言ってみろよ」
「…………」
ヘラヘラと軽口を叩く男に、おじさんは歯を噛み締めた。
まるで、『そうかもしれなかった未来』があったかもしれないと認める様に、おじさんは口を噤んでいる。
けれど。
「……何言ってるんですか? おじさんが私を抱える前に、貴方は私に向けて鉄材を飛ばしていたじゃないですか。この現場を見た時点で、貴方は私を無事に返す気なんてなかったくせに、まるで自分は善人だなんて言う妄言は止めて下さい」
「……可愛げのないガキだ」
男から笑いが消えた。
ヘラヘラとした笑みは不快だったから何よりだ。
何処からともなく取り出した、甘い香りがする煙草を口にして周囲に漂う煙を操り、だんだんと濃く、広範囲へと増大させていく。
「子供好きの変態警察官が女子学生を誘拐し失踪、二人のその後の行方は分からない――――筋書きはそんなもんでいいだろう」
顔を強張らせたおじさんが盾になるように私の前に身を出した。
それを嘲笑うように、男は口にくわえていた煙草を弾いた。
「立場だけしか取り柄のない、なんの才能も無い奴らが本当の天才に逆らったらどうなるのか。その身に刻んでやるよ」
宙を舞っていた煙草が煙の中に掻き消える。
代わりに煙から現れたのは、視界一杯に広がる巨大な有刺鉄線の網だ。
目前に出現した網をおじさんは驚異的な反射神経で蹴り飛ばし、一足で“紫龍”へと距離を詰める。
“紫龍”の腹部目掛けて振るわれた殴打は、“紫龍”自身が煙に掻き消えることで回避される。
それどころか、おじさんの姿も煙に吸い込まれるように消えて、辺りには濃霧の様な煙だけが残された。
「お、おじさんが消え……」
――――感知する。
頭上、右下、左正面で“紫龍”の異能が発動しようとしている。
(回避……いや、それよりもこのままじゃ煙に取り込まれたおじさんが危険……)
“紫龍”がやろうとしているのは、煙に取り込んだおじさんを上空へ運び解放するだけだ。
だが、6メートル上空に運ぶだけで、人間なんて落下すれば致命傷を受ける。
煙になると攻撃が効かず、煙に取り込まれるのに抵抗は出来ず、気が付けば即死の攻撃を受ける“煙の力”、初見殺しにもほどがある。
三歩後退して二歩左に動く。
私に目掛けた攻撃を当たらないように掻い潜る。
そして、煙の中に紛れる“紫龍”の思考を読み取って、6メートルの高さからおじさんを落とそうとするのを4メートル程度だと誤認させる。
「――――なっ、なんで俺は空中にっ!?」
目論見通り、4メートルの高さならおじさんにとっては大した高さではないようで、宙に投げ出されたおじさんは空中で体勢を整え私のすぐ近くに転がるように着地した。
いや、二階の高さとか私にとっては致死クラスなんですが……。
「ああ? ……なんだ? お前なんで無事なんだ……?」
「お前っ……!! なるほどな、そうやって子供達を攫った訳だっ! 家の中にいても煙だったらいくらでも入れて、煙に人を収納できるならどれだけでも子供を運べるものなぁ!!」
「うるせぇな。今質問してんのは俺の方なんだよ。それよりテメェ、どうして無事なんだ? 確かに俺はかなりの高さまで運んだはずだぞ」
当然だが訝し気な“紫龍”の言葉に、私がやったからだよ、とは言わない。
おじさんは姿を現した“紫龍”の動きを警戒しているが、私は周囲に漂う煙と頭上でおじさんを吐き出した煙の濃さを見比べる。
「おじさん。原理は分かりませんが、取り込む物体によって必要な煙の濃さが違うようです。おじさんが取り込まれた時、周りにはかなりの濃さの煙がありました。煙が濃い場所は回避してください。次、煙に取り込まれれば即死と考えた方が良いかと思います」
「……なるほど」
「はぁ? おいおい、何冷静に分析してんだ。そんな正確かもわからない分析一つで、俺とお前らの才能の差を突破できると思ってんのか?」
「出来る出来ないは結果を見てから私が決めます。それとも……貴方の科学、解明されるのが怖いんですか?」
「…………ガキが」
私の挑発で“紫龍”の視線が私に固定される。
証拠となる録音機も私が持っている。
これでコイツの中の優先度は、おじさんよりも私だ。
「…………二手に分かれますよ。どちらに追ってきても、恨みっこなしです」
「な!? い、いやだが、俺は奴を捕まえないと……」
「今ここで、たった2人だけでどうにかなる相手じゃありません。一度撤退を」
おじさんがいなければ、少し派手に異能が使える。
極力出力の高い異能の使用はしたくないが、“紫龍”とやらは犯罪者で、悪人だ。
後遺症が出ようが知ったもんか。
懐から水筒を取り出し“紫龍”目掛けて投げる。
飛んできた水筒を煙と化すことで躱そうとした“紫龍”だったが、水筒から飛び出した粉に包まれ、正面から水筒と粉を浴びることとなった。
「っっ!!??」
自分が煙になれなかったことに驚愕しているようだが、なんてことはない。
水筒の中に入っていたのは水ではなく小麦粉。
“紫龍”と言う名称から、煙に関する力だろうとは当たりを付けていた。
だからこそ、こうして接触する前に使えるかもしれないと準備しておいたのだ。
そして実際に会ってみて煙草をいちいち使っていたから、自分で作りだした煙か煙草からの煙でしか扱えないと考えたが、どうやらその予測は正しかったようだ。
煙とはすなわち水分、水分を吸収する小麦粉に囲まれれば煙の扱いが上手くいかないのは当然だ。
現に今、奴は自身の周囲を取り囲んだ小麦粉の粉塵に邪魔をされ、煙に紛れることが出来なくなっている。
事前準備の差が猶予を生む。
「今ですっ、逃げますよ!」
「――――っっ、クソッ!」
効果があるか半信半疑だったから少量だけしか持ってこなかったが小麦粉の効果は判明した。
もしここで仕留めきれなくても、もっと大量の粉塵を用意すれば疑似的に“紫龍”の異能を封じることは可能だ。
今この場で制限を持ったままやり合うよりも数段勝算がある。
おじさんが私とは反対方向に走り出したのを確認して、計算通り進んでいることに口元が緩んだ。
(最初こそどうなるかと思ったけど、ここで私を追ってきたら当初の予定通り1対1。しかも布石も打てた、全力で異能を使えるなら負けはない。もし私達の追跡を諦めたとしても、“紫龍”の異能に対する対策も分かったから次やる時はもっと有利な状況を作り出せる)
周囲に漂っていた粉塵を手で払う“紫龍”を後ろ目で確認し、どれくらいの時間有効なのかを見ておく。
結構な距離を空けることが出来た、ここまでくれば、先ほどまでの“紫龍”の異能の出力なら捕まることは無い。
勝ちを確信した瞬間、粉塵を振り払い終えた“紫龍”が憎悪を込めた目で私を見た。
「このっ、クソガキがぁっっ!!!」
“紫龍”が怒りの叫びをあげて、ポケットから石の様なものを取り出した。
距離があるから詳細は分からない、だが夜の暗闇の中でも“紫龍”が取り出したその石はひときわ暗く、そこだけがぽっかりと空洞があるように黒かった。
そして“紫龍”はその石を、あろうことか呑み込んだ。
「クソガキィ、お前だけは無事に帰さねぇぞっ……」
「――――!!??」
“紫龍”が纏っていた異能の力が増大する。
出力が桁違いに跳ね上がる。
届かぬはずの距離が、たった一瞬で埋められる。
煙が槍の様な形状に変わり飛来する。
鉛色が混じった煙の槍は、煙であって煙でない。
蓄えた鉄と混ざり合った煙はこの世の自然界では絶対に存在しない、煙と鉄の両方の性質を併せ持つ『超常』だ。
寸でのところで横に飛び躱したが、地面に突き立った煙の槍から“紫龍”が現れる。
「――――死ね」
私の頭目掛けて翳した手のひらから、数多の煙が吐き出される。
いや、違う。
煙に煙を収納し、今私目掛けて解放したんだ。
人を呑み込む濃度の煙に為すすべなく私は取り込まれ、そしてそのまま上空へと運び落下させられる。
――――“紫龍”は、そう誤認した。
「……あ?」
落下しない。
何も落ちてこない。
いくら待っても捕まえて運んだはずの私が上空から吐き出されない。
「……ああ?」
怪訝そうに運んだはずの上空へと視線をやった“紫龍”に、『本当の』私は真横から熊用スプレーを吹きかける。
「――――あ? ああああっ、あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!!!」
直接顔に吹きかけられた“紫龍”は激痛に顔を抑えて尻もちをつく。
この男と出会ってからずっと積み上げてきた布石、思考誘導の網はすでに強固に彼を縛り付けている。
だから言ったのだ、負けは無い。
先ほど“紫龍”が私を異能持ちだと見抜けなかった理由は単純、年季の差だ。
私は物心ついたときからこの力を扱い、中学の頃なんて調子に乗って見境なく試行錯誤を繰り返していた。
だからこそ、使用時と未使用時の切り替えは完璧で、この“紫龍”のように異能の力が垂れ流しになっていることはない。
何より練度も違うし質も違う。
出力は……まあ、そんなに変わらないけども、煙を操る力と精神に干渉する力じゃ格の違いは歴然。
妙な石を使って出力をブーストしたことには驚いたが、それで改善できる状況はもう少し前だった。
意識を完全に雁字搦めにするまであと少し。
(私のヘロヘロ物理攻撃なんて少しの影響も与えられないでしょうから、このまま異能で押し切りましょう)
あの妙な石の詳細は気になるが、同じ異能持ち相手にあれこれやれるほど余裕がある訳でもない。
これまでのような違和感を感じさせない程度の出力ではなく、全力で。
“紫龍”への精神干渉を行おうと頭の中のスイッチを切り替えようとした。
「無事かっ!?」
だから想定外の声に意表を突かれた。
分かれたはずの、あのおじさん。
別方向に逃げる事を確認した筈の、私の異能を知られてはいけない人が私の身を案じて戻ってきてしまった。
いや、いつか戻ってくるだろうとは思っていたが、それまでには終わらせられると思っていたのだ。
迷いなく私を助けようと戻ってきた、その判断が早すぎる。
(あわっ、あわわわ……!!??)
「――――これはっ……!?」
想定外の場面を目の当たりにしたような声を上げるおじさん。
それはそうだろう、少女が熊用スプレーを持っており、その近くにいる中年男性が顔を抑えて絶叫している。
私だってこんなもの見たら少女の方がやべぇ奴だと思う。
なにより不味いのは私の異能の使用をどこまで見られたかだ。
(そ、そうだ、重たいもので頭を殴れば記憶が飛ぶかも)
なんて、のんきにそんな考えたのが間違いだった。
あれだけ意識を向ける大切さを知っていた筈なのに、目の前の無力化しきっていない敵から意識を逸らしてしまったのだ。
「おごっ、ぁああ゛あ゛っ、あああああ゛あ゛!!!」
暴風のように“紫龍”の周囲の煙が渦巻いた。
取り込んだ鉄と融合し鉛色に変色した煙は、刃物のような鋭さを持っている。
そんな煙が“紫龍”の周囲、全方向へと撒き散らされた。
意志もなく計画もない。
偶然、異能の暴走、言ってしまえばただの事故。
だからこそその出来事は、知性体の精神に干渉する術しか持たない私の死角となった。
そして迫りくるその鉛の煙は――――
「……あ」
異能を除けば平均以下しかない私の能力では回避など出来ない――――不可避の死そのものだった。
ざっくりと、肩口が深く裂けた。
腕やわき腹、背中の至る所が引き裂かれ血が噴き出し、きっと内臓や骨にまで傷口は達しているだろう。
あまりの激痛に顔を歪める。
私を守るように抱えたおじさんの、そんな姿が目の前にある。
(――――)
理解できない理解できない理解できない理解できない。
目の前の光景の何一つが、私にとってあり得ないものだった。
私を抱えたおじさんはそのまま地面を転がる。
背後から受けた傷は激痛を訴えているはずなのに、地面を転がる時も彼は私が傷付かないように抱きしめている。
傷口に土が入るだろうに、地面に散らばる鉄や石が傷口を広げるだろうに、彼は私を抱えて離さない。
「っ……怪我はないかっ?」
「……は、ぁっ?」
馬鹿だ、この男はどうしようもない馬鹿野郎だ。
自分はこれだけ傷付いているのに、血も出ていない私に向けて何を言っているんだ。
しっかりと傷一つ無いように守り切っておいて、何をふざけたことを言っているんだ。
「君は、早く帰れ。君が無事に帰れるように俺が何とかする。最後まで君を守る」
終いにはそんなことを言ってきたこの人に拍子抜けしてしまい、考えていた色々なことが抜け落ちていってしまう。
自分の身を顧みず私を守ろうとするこの人を見ていると、自分の身ばかり守ろうとしている私自身がどこまでも醜く思えてくる。
「……なんでそんなに私を守ってくれるんですか?」
「なんでかって……君が善良な一般市民で、俺が警察官だからだ」
「…………私はおじさんが思っているほど、善良なんかじゃないですよ。それでも最後まで私を守るんですか?」
「……言ってることが分からないが……そうだな。たとえ君が自分を善良と呼べなくても、少なくとも俺にとって君は、守られるべき子供だよ」
「……………あー、そうですか。そうですかー」
この人は口に出す言葉と心に乖離が無い。
何から何まで善人で、どこまでも誠実な人だった。
くしゃりと歪んだ心と共に、口から出たのは投げやりになったようなそんな言葉。
善人は苦手だ。
善良は理解に苦しむ。
単純な人は……どうしていいか分からなくなってしまう。
人の汚れた部分を見すぎた私は、こんな人を前にすると眩しさで目がつぶれてしまいそうになってしまうから。
もう私は、どうするのが正解なのか分からなかった。
「……あのですね、神楽坂さん。私、隠し事がありまして」
意識をはっきりと取り戻した“紫龍”が、焦点を私達にしっかりと合わせた。
今から思考の誘導は出来ない。
振り上げた手の先から射出されそうな大量の鉄材を別の場所に打たせる術を私は持たない。
動き出した“紫龍”に気が付いた神楽坂さんは私を深く抱きしめて、何とか回避しようと動き出す。
そんな状況の中で私は片手を構え、何も考えないままその手を攻撃態勢に入っている“紫龍”へと差し出した。
「私、ちょっとだけ凄いことが出来るんです」
パチン、と指を鳴らした。
異能が指から音を伝い、空気に流れ、標的に辿り着く。
乗せられた異能の力が標的に届き、標的の脳、精神を攻撃した。
そうすれば一瞬にして、“紫龍”が携えていた煙は跡形もなく霧散し消し飛んだ。
ぐるりと白目を剥いた“紫龍”がそのまま背中から地面へと倒れ込む。
音も色も空気の揺らぎさえない不可視の衝撃波は、何の抵抗も許さず“紫龍”の意識を刈り取った。
「――――なっ、なにがっ……!?」
白目を剥き、口から泡を吹いて顔から地面に倒れた“紫龍”は数回痙攣して動かなくなる。
しばらくは目を醒まさないだろう。
呆然と、突如として崩れ落ちた“紫龍”の姿に、神楽坂さんはそれを為したであろう私へと顔を向けた。
「君は、なんなんだ……?」
愕然とした視線を向ける神楽坂さんの腕から逃れた私は、少し距離を取って、初めて自分以外の誰かに対してこの力を告白する。
「人を化け物みたいに言わないでくださいよ――――私は佐取燐香、高校一年生。特技に少し凄いことが出来る一般人です。私は、貴方が待ち望んでいた“超常”を、貴方には明かすことにしました」
どうぞ末永くよろしくお願いします、なんて言って。
これが本当に正しい事かなんてわからないまま、にっこりと笑顔を浮かべて、私は神楽坂さんの手を取った。
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