幼女と美少女は突然に

窓からは朝日がさしている。カーテンを開けると空には雲一つない綺麗な青空が広がっていた。まるで今日のデートを祝福しているような気さえしてくる。


やっほー! 今日も元気たっぷり完全無欠の完璧美少女の三木真理ちゃんだよ!


今日はマサとのデートが楽しみで6時には目が覚めてしまったんだ! いつもより一時間早く起きたのをいいことに、最近はやっているという噂の朝活とかいうやつでもやってみようかな!


私はパジャマから普段着に着替えて、居間へ向かう。今にはお爺ちゃんとお兄ちゃんが向かい合ってお茶を飲んでいた。私が「おはようございます!」と声をかけると二人とも驚いたように「おお、おはよう。今日はなんだか早くないか?」「雅人くんとデートなんだっけ? そんなに楽しみだったの?」と答えた。


「えへへ、そうなんだよね~。楽しみに思ってたら目が覚めちゃってさ!」


「イオン行くんだろう? もし良かったら送っていこうか?」


「いいの、お兄ちゃん!? やった~、早起きは三文の徳っていうやつだね!」


「むっ、雅人君だったか。一度あったが、悪い奴ではなかったな……。よし、今夜は寿司をとっておくから家に連れてきなさい」


「いや、お爺ちゃんそれはちょっと……」


「はっは、お爺様も耄碌されたと見える。今の若い子の価値観もわからないとは……。老兵は去るのみ、さっさと隠居されたほうがよろしいのではないですか?」


「舐めるな若造……! まだ貴様なんぞ三木家の当主にふさわしくないわ!」


お爺ちゃんとお兄ちゃんは毎度恒例の口論を始めた。なんだかんだ言って、この二人はとても仲がいい。これだけいがみ合っているのにさっきまで仲良くお茶を飲んでいるのがその証左だ。


台所に行くとお母さんが朝ごはんを作っていたので、「私も手伝う!」と声をかけるとおじいちゃんたち同様、驚いた様子だったが、「じゃあ、たまには手伝ってもらおうかしら」とほほ笑んだ。


しばらくするとお姉ちゃんも起きてきて、お姉ちゃんも朝食づくりに参加した。どうやらお姉ちゃんは朝食づくりをいつも手伝っているらしく、私が起きる時には完璧に準備された状態なので知らなかった。


時刻が七時を回ったころ、つまり私がいつも起きる時間には朝食は完成し、お爺ちゃんとお兄ちゃん、お姉ちゃん、お母さんと一緒にいただきますをした。


朝食中は他愛もない話をしながら、お爺ちゃんとお兄ちゃんは些細なことで口論をし、お姉ちゃんがそれを諫め、お母さんはそれを「あらあら」なんて言って微笑まし気に眺めている。いつも通りのなんてことない日常だ。


みんなが朝食を食べ終わり、お爺ちゃんたちはお茶を楽しみ、私はお母さんと皿洗いを終えると、この後なにをしようか少し悩む。


いつもなら友達と遊びにでも行くのだが、今日のデートは午後からの予定だ。


午後まで何にして時間を潰そうかな~、そんなことを考えているとお爺ちゃんから「真理、今日は一緒にランニング行かないか?」と誘われた。


特に断る理由もないので了承し、部屋に戻ってジャージに着替える。玄関に行くとお爺ちゃんはもう靴を履いて私を待っていた。


「お爺ちゃん、もう大丈夫だよ!」


お爺ちゃんは私の言葉に無言で頷くと、立ち上がって玄関に進んでいったので、私もランニングシューズを急いで履き、後を追いかけた。


玄関を抜け、アプローチの中のほどをお爺ちゃんがストレッチしながら歩いていたので、「いつもコースでいいんだよね?」と声をかけておく。


お爺ちゃんは「ああ」とだけ答え、少しするとジョギングぐらいのペースで走り始めた。


私も歩くぐらいのスピードから段々とジョギングくらいのペースまで上げていくと、少しずつお爺ちゃんの背中が近づいてきた。


お爺ちゃんの隣を5分ぐらい走っていると、梅雨独特の温い風が吹いている河川敷でお爺ちゃんに話しかけられる。


「……真理、お昼ご飯は家で食べるのか?」


唐突のお爺ちゃんの問いかけを疑問に思いつつも、少し頭を捻り「いや、モールで適当に食べるつもりだけど?」と正直に答える。


朝ごはんの準備の時にお母さんにはそう伝えていたし、マサもバイト終わりならきっとお昼ご飯は食べていないのだろうから。そう思って答えると、「なら、落葉園で食べるといい」とお爺ちゃんは言った。


「お店の方には私から言っておく。お代も大丈夫だから、楽しんできなさい」


「それはありがたいけど……、急にどうしたの?」


落葉園というのは、この付近で接待にも利用されるような料亭だ。ショッピングモールに併設されているのはその系列店だが、高校生がいけるようなお店でないのは確かだ。


お爺ちゃんは私のことを溺愛しているけど、甘やかすようなことはしない。それは高級店である落葉園、(たとえお爺ちゃんが店主と懇意で投資と出店まで手掛けたという恩があったとしても)そのようなお店を安易に私に使わせるようなことは決してしないということだ。


私はお爺ちゃんの意図が分からず混乱していると、「別に大したことではない」とお爺ちゃんは走りながら、息切れもなく言葉を続ける。


「あの、……雅人君だったか。彼には世話になったし、将来お前の伴侶となる人物かもしれん。……家に招くというのは少し時代錯誤だったかもしれんが、相応の礼をしなければというだけのことよ」とそっぽ向いて吐き捨てるように言った。


しかし続けて言った、「それに真一にばかりいい格好させられないのでな……!」という言葉は怒気と対抗心むき出しの強い口調だった。ちなみに真一というのはお兄ちゃんのことだ。どうやらお兄ちゃんが私を送ってくれることに対抗して、お昼ご飯をおごってくれるらしい。本当に二人とも仲良しだ。


まぁ、家族でも取り合いになるほどの魅力が私にはあるってことだよね!


お爺ちゃんとはそのまま30分くらい走った後に家に帰り、お爺ちゃんと一緒にシャワーを浴びる。運動後のシャワーはとても気持ちがよく、浴場を出るころには気分爽快だ。


ルンルン気分で廊下を歩いていると、私は一つ悪戯を思い浮かんだ。


この間はマサには苦労を掛けられたし、一つぐらいやり返しても罰は当たらないだろう。


私はいたずらの下準備として一件の電話をかけ、自室へと戻った。


そのあとは、マサとのデートのために服を選んでいるとあっという間に時間は過ぎ、お兄ちゃんが階下から大きな声で「真理~、そろそろ出なくていいのかい?」と声をかけてくれる頃にはマサとの約束の時間が差し迫っていた。


私は「ごめんお兄ちゃん、すぐ行く~!」と叫ぶと、「じゃあ車で待ってるからね!」とお兄ちゃんの声が聞こえてきた。


服選びは途中だが、仕方がない。


私はそれまでで一番自分に合った組み合わせ、白色のシンプルなワンピース、それだけだと肌寒いと思ってレースで編まれた淡い水色のカーディガンを合わせた服を身に着け、部屋を出た。


車にはお兄ちゃんがすでに乗っており、小粋なジャズを口ずさんでいる。


「お兄ちゃん、お待たせ」


私は後部座席に乗り込みながらお兄ちゃんに声をかけると、「ああ、マサ君のバイト先に向かうのでいいんだよね?」と返事をした。


いつも通りならそれでいいが、私は首を振る。


「実はちょっと寄って欲しいところがあって———」


続けて言った言葉にお兄ちゃんは少し驚いたようだった。


「雅人君、それ終わったら上がってくれていいからね」


「分かりました、すぐ片づけますね」


取次に返すための段ボールを2つ重ねて、持ち上げる。これを通用口まで運んで、今日の仕事は終わりだ。


通用口に段ボールをおろし、店の方に戻ってくると店主さんが、「いつもありがとうね、お茶でも飲んでいって」といってお煎餅とほうじ茶を用意してくれていた。


俺は素直に「ありがとうございます」といって、カウンター横のパイプ椅子に腰かけた。


ほうじ茶を啜り、お煎餅をかじっているとなんだか少し安心する。バイトで疲れた体にはほうじ茶はしみわたり、のどを潤してくれた。


飲み終わったので湯飲みと菓子請けを軽く水洗いをし、水切りに立てかけると、店主さんに「そういえば……」と話しかけられる。


「三木さんとこの娘さんと遊びに行くんだったっけ? 真さんは元気かい?」


「……少し前にあったときはお元気そうでしたよ。あまり会いませんが、伝言でも頼んでもおきましょうか?」


「いや、いいよ。便りがないのが何よりの息災の便りだ」


店主さんはそう言ってカラカラと笑った。


このバイト先自体、真理からの紹介ではあるが、俺自身なんで紹介されたのかわかっていない。もしかしたら真理ではなく、その化生とも呼ぶべきお爺さんの紹介なのかもしれない。


俺はちょっと真さん、真理のお爺ちゃんの影響力が怖くなって固まっていたが、書店の扉が勢いよく開く。


「マサ~、迎えに来たよ! お兄ちゃんが送ってくれるっていうから行こ!」


扉が開くのがもどかしいほどの勢いで胸に飛び込んできたのは真理だった。俺はびっくりしたが、真理の柔らかな体を難なく受け止めた。真理はそのまま頭をぐりぐりと押し付けたかと思うと、いきなり店主さんの方を向いて「斎藤さん、お久しぶりです!」とにこやかな笑顔を向ける。


真一さんが送ってくれるというのは予想外だが、これ幸いとばかりに、「すみません、丁度いいので上がらせていただきます」と店主さんに頭を下げる。


店主さんはいきなりの来訪を気にした様子もなく「今日もありがとうね」とほほ笑んでくれた。


しかし、急に真理の方を向いたかと思うと「明日の午前中、家にお邪魔すると真さんに伝えておいてくれないかい?」と声をかける。


真理はそれを不思議に思うこともなく、「はい! お爺ちゃんに言っておきますね!」と快諾した。


俺は突然の会話に驚いていると、真理は気にした様子もなく俺の手を引っ張り、「すみませんが、マサ借りていきますね!」と店主さんに可愛らしい笑顔とともに俺の手を引っ張った。


店主さんはまたもカラカラと笑いながら、「ああ、行ってらっしゃい。仲良く楽しくね」と快く送り出してくれた。


俺は少し戸惑いながらも、真理の手に逆らうことなく店を出た。


店の前には真理のお兄ちゃん、真一さんの車が止まっており、真理は勢いよく後部座席のドアを開く。


「実は今日サプライズがあるんだよね!」


真理の声は確かに俺の耳に届いていた。でも、それは脳内で理解するまでに時間がかかり、突然の出来事に俺は硬直してしまっていた。


「雅人さん、今日はよろしくお願いします」


後部座席に座っていたのは、この間の事件の原因というかきっかけである三ノ宮 美里さんだった。美里さんの顔は何処か不安げで、昨日ことがまだ尾を引いているのは確かだろう。


俺が固まっていると、「さあさあ、さっさと乗りなよ!」と真理が強引に俺を後部座席に押し込んだ。


当の真理は助手席を乗り込み、俺が戸惑いながらもドアを閉めると車は何の問題もなく走り出した。


ショッピングモールに併設されている料亭・落葉園。


俺の身分では到底来れないような店だが、なぜか俺はその個室で顔を顰めていた。


「これ凄く美味しいね~!」


「はい、丁寧な味付けです。これなら本店にも劣らないのではないでしょうか……」


向かいに座っている二人は立派なお重に入った料理に舌鼓を打っている。


お重は仕切りによって9等分されており、それぞれに色彩豊かな懐石料理が詰められていた。立体的に盛られた鯛のお造り、キラキラとした光沢が反射している根菜の煮浸し、綺麗なサシの入った牛肉のステーキ。他の料理も見劣りするものではなく、同じくらい豪華だが繊細な料理なのは見るだけでわかった。


「マサ、食べないの? お腹空いてないとか?」


「いや、お腹は空いているんだけど……」


真理は疑問顔だが、そういうことではない。むしろ肉体労働が終わった後なのでお腹はペコペコだ。そういう問題ではなく、場の雰囲気というか、純粋に高校生の身分で食べるようなものではないので躊躇しているのだ。


俺がうだうだしていると、美里さんはお箸をおいて、俺に微笑む。


「私もここの料理は初めてですが、どれも美味しいですよ。是非雅人さんも食べてください」


「はぁ、そういうことでしたら……」


美里さんの笑顔は初めて見るが、意外と迫力がある。俺は圧に耐え切れなくて箸を手に取り、料理を口に運び始めた。


二人は、「鯛の昆布の風味と脱水具合が———」とか「出汁の風味が生きて———」とか話しているが正直よくわからない。重箱のどれを食べても美味しいのは間違いないが、残念ながらそれを理解できるような舌は持ち合わせていない。持って生まれたものもあるだろうし、目の前の二人は正真正銘のお嬢さまで俺とは経験の部分で大きく勝っている。きっと教育の一環で、料亭の料理を食べたり、品評するようなことまでやっていても不思議ではない。


二人はそのまま料理談議に花を咲かせ、俺は一人でぼそぼそと食べていると、個室のドアが開き、割烹着をきたガタイのいいお兄さんがお茶の乗ったお盆を持って立っていた。


「当店の料理はいかがでしょうか?」


お兄さんは俺たちにお茶を配りながら聞いてくる。


「とっても美味しいです! もう大満足です!」


「本店の味にも劣らないと思います。すこしテイストが違うとは思いますが……、私はこちらの方が好きです」


真理はにっこりと笑って、美里さんは上品に微笑んでそう言った。


お兄さんはそれを聞いて嬉しそうに、「真理お嬢様と美里お嬢様にそういっていただけるとは、料理人冥利に尽きますね」と笑った。


「今朝がた急に真様より連絡があったときは驚きましたが……、楽しんでいただけたようなら幸いです」


「お爺ちゃんが無理言っちゃってごめんなさい。なんて言っていましたか?」


「そうですね……、『うちの孫が雅人君という少年を連れて伺うから存分にもてなして欲しい』といったことを仰っていました」


俺は口に含んでいたお茶を吹き出しそうになるところを寸でで堪える。


「そちらの方が雅人さまでしょうか? 」


全員の視線が俺を捉え、俺は居たたまれなくなて逃げてしまいたかったが「はい、加藤雅人と言います。本日の料理美味しかったです」と失礼にならない程度の挨拶を返した。


お兄さんは気にした様子もなく、「そうでしたか、それはなによりです。私はこの店の料理長をやらせていただいている阿久井です」と答える。


「真さまから『将来は真理の伴侶となる人物だから、失礼のないように』と申しつけられていたのでどんな怪物じみた人が来るのかと怯えていましたが……。実に謙虚で素直そうな方なので安心しまし———」


「———ブフォッ!」


阿久井さんの言葉は謎の音によって途中で止まり、温い液体が俺の顔面を濡らした。


音の方を向いてみると顔を真っ赤にしながらプルプル震えている真理と、おしぼりを持ってアタフタしている美里さんが目に付く。


「お爺ちゃんのバカ……!」


真理は持っていたお茶を一息に飲み込み、部屋中に響き渡る声でそう叫んだ。


俺はまだアタフタしている美里さんからおしぼりを受け取って、顔をふく。どうやら謎の液体の正体は真理が噴出したお茶のようだ。俺は堪えられたが、真理にとってお爺さんの言葉は相当衝撃的だったらしい。真理は真っ赤にした泣きそうな顔でどこかを睨んでいた。


俺たちのそんな様子を阿久井さんはどこか微笑まし気な顔で眺めて、「この後にデザートをお持ちします。それでは最後までお楽しみください」と言って退出していった。


個室の中は静寂に包まれており、美里さんが慌てたように「……、この後デザートが来るですって。楽しみですね!」と少しから回った言葉で食事は再開されたが、そのあとも部屋は静まりかえったままだった。


俺たちの食事が終わるぐらいになると個室の扉が開き、今度は阿久津さんではなく和装の女性が「こちら本日のデザートの夏ミカンのシャーベットになります」と配膳してくれた。


夏ミカンのシャーベットは驚くぐらい風味豊かで、口で溶けると柑橘らしいさわやかな香りが鼻を通り抜けていった。


デザートを食べている間も俺たちの間に会話はなく、いつも騒がしい真理も口を開くことなく、黙々とシャーベットを口に運んでいた。


みんなデザートを食べ終わり、お茶を飲んでひと段落した辺りで美里さんが「……そ、そろそろ行きましょうか」という言葉で俺たちは店を出た。


お店を出るところで阿久井さんが厨房から顔を出し、「本日はありがとうございました。またお待ちしております」と声をかけてきたが、真理はすっごい不機嫌そうな声で「……ご馳走様でした」とだけ返答した。阿久井さんはそれを見てハハッと笑うと「楽しんでいただけたようで幸いです」と奥に引っ込んでいった。


店の外に出ると、週末のショッピングモールは人でごった返しになっていた。家族ずれも多いが、俺たちと同じで高校生くらいの集団もちらほら見かける。誰もかれも楽しそうで、人混みに紛れては消えていった。


さて、俺たちも本来楽しくショッピングモールを散策するなり、フードコートでスイーツを堪能するなり、ゲームセンターに行くのも一興だろう。というかもともとその予定だった。なんで美里さんがいるのかは未だに謎だが、一緒に遊ぶと考えればそう不思議なことでもない。


しかし、目下の問題は「お爺ちゃん許すまじ……!」とすっごい怖い顔でつぶやいている真理だろう。正直こんな怖い真理は見たことなくて、ビビってしまう。


俺はどうしたらいいものかと悩むが、結論が出ない。なので俺は真理の横で困った顔をしている美里さんをちょいちょいと手招きし、「どうやったら真理の機嫌治ると思う?」と聞いてみた。


幼馴染で同性の美里さんだったらどうにかできるかもしれない、俺はそう思ったのだが「私にもお手上げです」彼女はそう言って苦笑した。


「真理ちゃんはあんまり怒ることないんですが、癇癪起こすと誰にも止められなくって、よく皆を困らせていました」


「……なんか美味しいもので釣るとかでも駄目かな?」


「昔真一さんがそれをやったことがありましたが、ケーキだけ奪われて癇癪は続いてましたね……」


なんとなく想像できる光景に真一さんを心の中で同情していると、「いっそ、真理ちゃんを褒めてみるというのはどうでしょうか?」と彼女は言った。


「褒めるって……、どういうこと?」


「真理ちゃん、雅人さんのこと大好きですから、雅人さんが精いっぱい褒めたら羞恥心を上回って元気になるかもしれません」


「え~、真理ってそんなちょろい奴じゃないと思うけど……」


何とも言えない気持ちでそう言うと、美里さんはクスっと笑い「確かにそうですね。でも雅人さんは別かもしれませんよ?」と少し離れたところに移動した。


これはやれという無言の命令か……。


やれやれ、この間会った感じだともう少し気弱な感じがした美里さんだが、意外と強かなのかもしれない。


「はぁ……」


俺はため息をつき、覚悟を決める。どうせ他にいい方法も思いつかないのだ。ダメで元々、やるだけやってみよう。


「あの、真理さん」


「……なに、なんか用?」


声をかけると、真理はジトッとした目で俺を睨む。正直、めっちゃ怖い。けど逃げ出したい気持ちをぐっと堪え、言葉をつづけた。


「今日の服、いつもと違う感じだけどすごく綺麗だね。前から思ってたけど、真理は派手目なやつよりもそういう淡い色のほうが映えると思ってたんだ」


迎えに来てくれた時から思っていたが、今日の真理はいつもと違う雰囲気だが客観的に見てもとても可愛かった。それに女の子と会ったときにはまず服装を褒めろと聞いたことがある。きっと間違っていないはずだ。


「その白いワンピース?は見たことあったけど、その色のカーディガンと合わせるとすごく可愛いと思う」


あんまりこういうことに慣れてなくて、少したどたどしくなってしまったが、思ったことは全部言えた。美里さんはこちらを微笑まし気に見つめていて、顔から火が出そうなほど恥ずかしい。


当の真理はというと、怒気のようなものはなくなっていたが、まだジトッとした目で俺を睨んでいた。


「……なんかマサにそういうの似合わない」


真理はボソッと呟くと、そっぽを向いてしまった。


残念ながら失敗してしまったようだ。女の子の気持ちというか、真理の気持ちは俺には少しばかり理解しがたい。


肩を落としていると、真理は「はぁ~……」と大きく息を吐き、「もういいよ」と言った。


「というかごめんね。私が意固地になって迷惑かけちゃった。折角来たんだし、遊びいこ?」


真理はいつも通りの笑顔でそう言った。


「みーちゃんもごめんね。折角呼んだのに……」


「ううん、大丈夫だよ。それよりどこに行くの? 私ショッピングモールって初めてだから……」


「いつもならゲームセンターかな~。でも、せっかくみーちゃんいるんならウィンドウショッピングでもいいし……」


真理は機嫌が直ったようで、いつもの調子で美里さんと話している。真理はこちらを一瞥すると顔をそらし、「じゃあ、まずはゲームセンターいこっか!」と美里さんの手を引いて歩き始めた。


機嫌が直ったようでよかった。不機嫌なままの真理は見ていて気持ちのいいものでもないし、それ以上に居たたまれない。真理の機嫌をとるための外出なのに、真理が不機嫌になってしまっては本末転倒だし。


二人についていき、少し後ろを歩く。


「ゲームセンターも行ったことないのか~。初心者向きのゲームって何だろう……、ってみーちゃんなに笑ってるの?」


「いえ、別に? 笑っているように見えますか?」


「うん、めっちゃ嬉しそう」


「ふふ、真理ちゃんも嬉しそうですよ。……何かいいことでもありましたか?」


「……! もう、みーちゃんの馬鹿!」


なにやら二人とも騒がしいが、仲が良いようで何よりだ。


「それで、結局どこ行くの?」


「う~ん、ショッピングでもいいけど荷物増えるしゲーセンかな。」


「私もそれで構いません」


じゃあ、ゲームセンターか。俺たちのいる飲食街は一階で、ゲームセンターがあるのは2階なのでまずはエレベータを目指すべきだろう。


「やっぱり休みだから混んでるね~、逸れないように手でもつなぐ?」


「……真理って俺を子ども扱いしている節ない?」


「あっ、そんなこと言っちゃうんだ! じゃあ、いいもんね〜。みーちゃんと腕組んじゃうから!」


「きゃぁ、真理ちゃん急にやめてください!」


真理は美里さんに飛びつきいちゃついている。羨ましいような羨ましくないような、そんな不思議な感じがする。でも、前にあったときに美里さんに感じた、真理に苦労している性分というのは間違いないようだ。


俺はあきれ顔をしながら前を歩く二人についていく。きっとそれがいけなかったのだろう。出会いというのはいつも突然で、漫画や小説にあるようなフラグなどというのは基本的には存在しない。出会い自体が良いか悪いかなんて俺に到底分かりえないことだが、出会わなければこの後の不幸がなかったかと胸が痛い。俺は自分のせいで誰かが傷つくのが一番嫌いだ。


「うぇあいまいしう」


そこで服を引っ張られる。何か引っかかったかなと思って振り向くと、幼稚園児くらいの女の子が俺の裾を掴んでいた。


女の子は日本では珍しい銀髪で、顔だちも西洋風な雰囲気を感じる。それに彼女の喋っている言葉は俺になじみのないものでおそらく外国語だろう、何と言っているのか全く分からない。


「……はぁ!? え、なんて?」


俺は混乱してそう言ってしまうと、女の子は「うぇあいすまいしうたー」と繰り返し、俺の裾を握りなおした。周りを見渡しても、保護者らしい人も見当たらない。恐らく迷子で、手近な人物に声をかけたのだろう。しかしその中で俺が選ばれるとは、……なんとも運が悪い。


銀髪幼女は不安そうに俺を見上げる。なんとなく庇護欲をそそられる表情だが、俺はなんだか困ってしまって真理の方に視線を向けてしまう。真理は着いてこない俺を不思議に思ったのか、途中で歩みを止め、女の子を驚いたようにみて、続けて俺に目を向ける。


「マサどうしたの? てか、その女の子誰?」


「いや、なんか迷子らしいんだけど……。なんて言ってるか分からないんだよね……」


「あ~、外国人なのか……。……ねえ君、お父さんかお母さんは?」


「? みしんぐまいしすたー。どぅゆうの?」


真理が女の子の前に膝をついて尋ねるが、返答は相変わらずよくわからない。真理の方を見てみても、困ったような顔をしているので分からないのだろう。


俺たち二人が困っていると、それまで口を開かなかった美里さんは女の子と視線を合わせると「Do you come here with sister?」と綺麗な発音で言った。


「Missing your sister?」


「Yes! Do you know where my sis?」


「……Sorry,I don't know it. But we are going to looking for your sister with you」


「Really!? Thank you!!」


なんだかよく分からないが、銀髪幼女は服の裾を嬉しそうに引っ張る。どうでもいいが服が伸びるのでやめて欲しい。


美里さんに視線を向けると、「どうやらお姉さんを探しているらしいです。……流れで一緒に探すといってしまったんですが大丈夫ですか?」と心配そうな顔で聞いてきた。真理の方を見ると、「いいよ! 迷子の子を放っておけないしね!」と元気に応えた。


俺も特に異論はないので黙ってうなづくと、美里さんは安心したように息をついた。


銀髪幼女は嬉しそうに、俺と真理に向かって「Thanks you!」とそれぞれに頭を下げた。


どうにか「Thanks you」という言葉は聞き取れて、彼女がさっきまで話していたのが英語だということに気づく。中学高校と勉強を続けているはずなのに、実践では全く役に立たなかった。しかし、日本語喋れないくせにお辞儀はしっているとは珍しい。


というか、女の子は俺の裾を掴んで離れない。どうしたものか、俺は少し悩んで強引に引き離すと、女の子は「Nooo!」といって一層強く裾を握りしめ、目には涙を溜める。


美里さんはその様子を見て、幼女と二三言、言葉を交わす。相変わらず俺には分からなかったが、美里さんは困惑した顔で「……多分ですが、雅人さんと離れるのを嫌がってるみたいです」と告げた。


「申し訳ありませんが、ちょっと面倒を見てくれませんか……?」


美里さんの申し訳なさそうな態度、そして銀髪幼女の庇護欲を誘う態度、俺はそれに耐えきれなくて精一杯に嫌そうな顔をしながらも頷く。いかに俺が面倒くさがりと言っても時と場合は選ぶのだ。


でも流石に裾が伸びるので裾から手を取り、少し屈んで幼女の手を握った。幼女は少し戸惑ったようだったがすぐににっこりと笑って手をブンブンとふって歩き始めた。


「ねえ、お姉さんってどんな格好しているか分かる?」


「?」


まあ、日本語がわかるとは思っていなかった。俺は美里さんに頼んで、お姉さんの特徴を聞いてもらう。でもどうやらあまり成果は芳しくないようだ。ちなみに彼女の名前は分かったらしく、アナというらしい。俺の裾を掴んで離さなかった(というか無理やりはがそうとすると泣き叫んだ)彼女と、お姉さんを探すことを約束されてしまった俺たちは、周辺を歩き回りながら少し探してみたが一向に見つからなかい。お姉さんもアナと同じく銀髪らしいので、人がごった返しているとはいえ目立つ髪色なのですぐに見つかるかと思ったが、そうは上手く行かなかった。


このぐらいの年齢でお姉さんの服や特徴を覚えている方が珍しいだろう。それにこの子にはいまいち危機感が薄いように思う。迷子だというのに泣きそうな様子もなく、不安に思っている様子もあまりない。どちらかというと楽しそうで、今も笑顔で俺の手を握って歩いている。


「どうする? 迷子センターでも行く?」


「う~ん、それでもいいけどお姉さんの方が迷子センターの放送流すかもよ? それまで私たちで探してもいいんじゃないかな?」


ふむ、真理の言うことももっともだ。それに高校生の集団がアナを連れて行ったら別の面倒臭い事態に陥るかもしれない。真理と美里さんがいるから大丈夫だと思うが。


アナはキョロキョロしながらお姉さんを探しているようだが、なかなか見つからない。しばらく連れ立って歩いていると彼女はパシパシと俺の太ももを叩く。


「Hey,I may find sister from a high place. Please put me on your shoulder!」


当たり前のことだが、俺には意味が分からない。美里さんの方を見てみると、「……えーと」と苦笑いを浮かべている。ちなみに真理はその隣でニヤニヤしている。どうやら真理には意味が分かっているようだ。


「なんて言ってるの?」


俺がそう問い詰めると、真理は「肩車してほしんだって……!」とプルプル震えながら小声で言った。


「……は?」


「あの、肩車してほしいって……、言ってます」


「ぷぷ…! やってあげなよ……、別に減るもんじゃないし……!」


駄目だ、こいつ完全に面白がってやがる。美里さんも困ったような顔をしつつも、「しょうがないんじゃないですか?」みたいな感じなので、断ることは難しそうだ。


しかも、それに加えて、


「……!」


すっごいキラキラした、希望に満ちた目でこちらを見上げてくる幼女が一人。これを断ったら、面倒くさいとかそういうことを言っている場合ではなく、人間じゃない気がする。しかし、肩車か。


俺はため息をついてしまう。まあ、別に何かしらの損をするわけでもない。恥ずかしいのと少し肩が痛くなるぐらいのものだろう。


俺はアナに手を差し出す。アナは目をキラキラさせたまま手を取り、俺はそのまま脇に手を入れて抱きかかえ、肩へと乗っける。アナは「oh!」と歓声を上げると横にグラグラと揺れて嬉しそうだ。


「アハハ、カタグルマ! アリガト、マサト!」


「ぷぷ…! 似合ってるじゃん、マサ。将来はいいお父さんになるんじゃないの……! いっそ見つかるまでずっとそのままでいたら……!」


「勘弁してくれよ……」


俺の肩の上で幼女はキャッキャとはしゃぎながら、周りを嬉しそうに見渡していた。


俺たちはそのままショッピングセンターを歩き回る。でもやっぱりアナのお姉さんは一向に見つからない。まあ、人がごった返しているショッピングモールで誰かを探すなんて、それこそ砂漠で一粒の砂金を探すようなものだろう。


「やっぱり迷子センター行こうよ。向こうだってきっと探してるだろうし」


「う〜ん、確かにそうかも……。全然見つからないしね……」


真理もちょっと困り顔だ。


「でしたら、ちょっとそこの店員さんに場所を聞いてきますね」


美里さんはそのまま手近な店へと小走りで聞きに行った。


「ね~、アナちゃん。肩車楽しい?」


「……タノシイ? Hmmm……、Does that means fun? In that sense、タノシイ~!」


「あはは、よく分かんないけど楽しそう! ねえマサ、今度私にもやってよ!」


「それはこの間断ったでしょ……」


「え~、アナちゃんには出来て、私にはできない理由でもあるの?」


真理が大分面倒くさいことを言い始めたところで、「迷子センターは一階のインフォメーションセンターのところらしいです」と美里さんが戻ってきた。正直助かった。


「一階だって。ほら、真理行くよ」


「む~、いつもそうやって誤魔化すんだから……」


真理は頬を膨らませているが、素直についてくる。俺たちはそのままアナを肩に乗せたままインフォメーションセンターに向かった。


俺の肩の上ではまだアナが「Ahhhh!」と左右に楽し気に揺れながら周りを見渡している。それは別にいいのだが、俺の髪を操縦桿のように引っ張るのはやめて欲しい。いや、落っこちてしまうよりはましなのだが。


俺がそんなことを考えながら難しい顔をしていると、隣を歩いている美里さんがクスッと笑った。


俺はなんだかそれが妙に気になって、「なに?」と尋ねると「いえ、なんだか雅人さんの印象が大分変わってきたな、と思って」というよくわからない返答が帰ってきた。


「ほら、雅人さんって学校ではいつも仏頂面してるか、寝ているかのどっちかじゃないですか? ……ここだけの話ですけど、周りからの話を聞いていると雅人さんってもっと怖い人かと思っていました」


「え、俺ってそんな風に思われてたの……? 別に怖くないと思うけど……」


まあ、学校ではちょっと不愛想にしていたからしょうがないだろう。ぶっちゃけ学校でまともに話すのは真理だけだし、それ以外には積極的にかかわろうともしなかったから怖いという印象も分からないでもない。


でも、真理が笑っていった言葉は俺に衝撃を与えた。


「あ~、分かる! 私、クラスのみんなに『何か弱みでも握られてるの!?』とか『あんな奴にまで優しくする必要ないんだよ!』とか言われるもん!」


「えっ!? ちょっと待って、俺って学校だとどう思われてるの!?」


流石に真理の言葉は受け流すことはできない。学校では俺は危険人物か何かだと思われているのか。だとしたら、少しは学校での態度を改めなければいけないかもしれない。周りから避けられているのはなんとなく感じていたが、流石に犯罪者扱いというのは受け入れがたい。


俺が学校生活の今後について熟考していると、「マサト、ダイジョウブ?」とアナがポンポンと頭を叩く。


俺はこんな幼女にまで俺は心配されるのか。


そう思って情けなく思っていると、いつの間にかインフォメーションセンターが目と鼻の先に迫っており、真理が「私が行ってくるね!」と駆け出していた。


真理とインフォメーションのお姉さんが話しているのを少し離れてみていると、お姉さんは少し驚いたようにこちらを見ていた。


まあ、高校生の集団が迷子の幼女を肩車をしていれば驚くだろう。


お姉さんが真理と話しながら電話を手に取り、耳に当て話し始める。おそらく、モール中にアナウンスしてもらうための電話だろう。


これでやっとアナのお姉さんが見つかる。


そう思って息を吐くと、「ネエ、マサト! Do you fancy anyone?」とアナはまたも頭をポンポンと叩いた。


でも、俺にはアナの言っている意味が分からず美里さんの方を見ると首を傾げていた。


「えっと、……誰かかわいい人はいるか、でしょうか。……すみません、多分慣用句かスラングなのでよくわかりません」


「いや、ありがと。……えっと、アイドントファンシーエニワン」


俺は美里さんと比べると拙い発音でいうと、「Oh、really!? yeah,very very lucky!」と嬉しそうに叫んだ。


アナが何と言っているかもわからないし、何故俺の返答で喜ぶのかはもっと分からない。


俺の頭を疑問符が駆け回っていると、「アナが見つかったっていうのは本当ですか!?」という叫び声が聞こえてきた。


振り返ってみると、インフォメーションセンターでアナと同じ銀髪の、俺たちとさして変わらないくらいの年齢の女性が両手をカウンターについて、カウンターのお姉さんに食って掛かっていた。その隣に佇む真理も驚いたように表情を固めていた。


俺と美里さんもどう反応していいか困って固まっていると、「オー、ミーシャ!」と俺の肩の上からアナは声を上げた。


アナは何時ぞやの真理のように器用に俺の背中を滑り落ち、インフォメーションセンターに向かって駆けていった。


「アナ! どこにいたの、心配したのよ!?」


「ン、スゴクタノシカッタ!」


アナはどこか見当違いな返答をしながら、銀髪のお姉さんに抱きつく。お姉さんは抗うことなく、アナを抱きしめると隣の真理に向かって「ありがとうございます!」と頭を下げる。


真理がビックリしたように何かを言うと、銀髪のお姉さんはこちらを向いて頭を下げる。


銀髪のお姉さんは泣きそうな、でもどことなく嬉しそうな顔をこちらに向ける。その人の髪は雪のように透明だったが、雪に反射する光のように眩しい銀髪で、その表情も相まって消えてしまいそうな儚い印象を抱く女性だった。俺たちより少し年上だろうか、いや外国人は大人びていると聞いたことがある。もしかしたら同い年くらいなのかもしれない。


俺は隣にいた美里さんとその女性の方へ歩いていく。


「あの、見つけてくださりありがとうございました! 迷子になっちゃって、ずっと探していたんです!」


銀髪のお姉さんは濡れた目でそう言って、勢いよく頭を下げる。


「あー、大丈夫ですよ。とてもいい子でしたし」


「あまり気になさらないでください。迷子を見つけたら助けるのは当然のことですし……」


「マサトとアソンデタノシカッタ!」


俺と美里さんは女性にそう声をかけ、アナは無邪気に声を上げる。


女性は「そういっていただけて助かります。本当にありがとうございました!」ともう一度頭を下げた。


というかアナのお姉さんなのに日本語上手いな。ほとんどネイティブと変わらないし、日本語での対応に慣れている感じがする。


そこでインフォメーションセンターに行っていた真理が「あっ、お姉さん。なんか書類書いてほしいって!」と叫んでいる。


「あっ、ではすみません失礼します。……ほら、アナ行くよ」


「Nooooo! マサトアソブノ!」


「そんなこと言わないの! 迷惑でしょ!」


「……もしよければ、もう少し面倒見ていましょうか?」


「アナちゃんもこういってることですし、書類を書いている間ぐらいなら大丈夫ですよ?」


「ホラ!」


「……では申し訳ないですが、お願いします」


お姉さんは後ろ髪惹かれる感じだったが、俺たちにアナをお願いしてインフォメーションセンターに向っていった。それと入れ違いで真理がこちらに戻り、「お姉さん、めっちゃきれいじゃない!? アナちゃん可愛いからもしかしてって思ったけど、予想以上だった……!」と興奮気味に言った。


「ねえ、アナちゃん。お姉さんのお名前なんていうの!?」


「ナマエ? Do you want to know sis’sname? Misha,MIsha Watson!」


「ミーシャさんというらしいですよ。ミーシャ・ワトソンさん」


「へー、かわいい名前! 名は体を表す、っていうやつだね!」


ミーシャって可愛いのか?、俺はそう思ったが口には出さなかった。


「お姉ちゃん見つかってよかったね~」


「ウン! クレープタベルノ!」


「おっ、いいね〜。私もクレープ大好き!」


真理とアナは賑やかだ。なんというか真理は子供の扱いに慣れているような感じがある。末っ子のはずだが子供と触れ合う機会でもあったのだろうか。ちなみに美里さんは後方でそれを微笑まし気に眺めている。自分が触れ合うのではなく、子供の一挙手一投足を眺めて楽しんでいるようで、女神さまにふさわしいように思えた。


「ねえ、美里さんって女神さまって呼ばれてるんだっけ?」


俺がそう尋ねると、美里さんは「……うっ」と少し恥ずかしそうな顔をする。


「……確かにそう呼ばれているらしいですが、正直やめていただきたいです。恥ずかしいですし、そんな風に呼ばれるような人間ではないので……」


「ふーん、結構似合ってると思うけど」


まあ、本人にしか分からない悩みというやつだろう。こういうことを深堀してよかったためしはない。


「ちなみに真理ちゃんは天使様って呼ばれてます」


「へえ、それは知らなかった」


「真理ちゃんってみんなに人気なんですよ? 文武両道で昔から可愛いし、愛嬌もあって……。……みんなの憧れです」


美里さんはそう言ってはにかんだ。


真理が人気とはなんとなく知っていたが、天使様なんてあだ名があるのか。それよりも美里さんが自嘲気味なのが少し気になる。そんな顔をする理由は俺には分からないが、これも深く突っ込んでいいことはなさそうだ。


「すみませんっ、面倒見てくれてありがとうございました!」


インフォメーションセンターからミーシャさんが駆けてくる。顔は申し訳なさげで、いまにも頭を下げそうな感じだ。


「皆さん、本当にありがとうございました。見つけていただいただけではなく、面倒までみてくださって……」


「い~え、大丈夫ですよ! 私たちもアナちゃんと遊べて楽しかったですし!」


真理はそう言ってにっこりと微笑んだ。


ミーシャさんもそれを見て、胸を撫でおろしようで「そう言っていただけて助かります。ほら、アナ行くよ?」とアナの手を取る。


アナは俺の方を見て、名残惜しそうにしているが存外素直にミーシャの手を取った。でも顔は泣きそうで、「マサト、バイバイ」と目には涙を溜めていた。


ミーシャさんはそれを驚いたように見つめ、「本当にありがとうございました」と頭を下げて、帰ろうとする。


少し名残惜しいが、こんなものだろう。人との出会いは一期一会というし、きっともうアナと出会うこともない。あんなに子供に懐かれたのは初めてで、すこし新鮮な気分だったのも確かだが、これ以上の何かを求めるというのも酷だろう。


俺はそう思い、アナに向かって手を振った。それを見てアナも涙を溜めながら手を振り返してくれた。


でも真理は違った。


「あの、もしよかったら一緒に遊びませんか?」


真理が言った言葉にその場のみんなは驚いたように固まった。


うるさいくらいの電気音。でも不快というより、どちらかというと気分を高揚させる心地のいいものだった。ゲームセンターは音が絶えず響いているが、不思議と不快な気分にはならない。不思議なものだ、学校の授業はあんなにも不快なのに。


「んっふ~、あれれ~!? 意外とみーちゃん相手でも勝てちゃうのかな?」


「……! 絶対に負けません……!」


目の前で火花を散らしている女性二人は啖呵を切る。


しかしどうしてそこまでゲームセンターのエアホッケーに熱くなれるのだろうか。


真理と美里さんはホッケー台に向かい合って、火花を散らしていた。先ほどから見ている感じでは、美里さんは運動神経がかなり良く、初めてにしてはかなりのスピードと的確さでパックを打ち返している。しかし、それはどれも一直線にゴールを狙ったもので残念ながら得点にはつながらない。真理はというと経験者らしい反射をうまく使った動きで美里さんを翻弄していた。真理に手加減するという気はさらさらないらしく、余裕すら感じように嘲笑を浮かべてパックを打ち返していた。


「ふふふ、これでマッチポイントだよ! さっきの約束忘れてないよね!?」


「当たり前です! 二言はありません!」


どうやら俺のあずかり知らぬところで約束が行われていたらしい。だから、妙に白熱していたのか。やっと得心がいった。


しかし、どのような約束が交わされたのだろうか。真理はいつもだったら、負けた方が次のゲームを支払うとかを罰ゲームに俺とやることがあるが、初心者の美里さん相手にそんなことは流石にしないだろう。……ちょっと心配だけど、そこは真理を信じておこう。


そんなことを考えているうちに、真理の打ち返したパックがゴールに吸い込まれ、真理の「勝った~!」という叫び声と共に試合は終了した。


「ねえねえ、どうだった!? みーちゃんに勝っちゃったよ、わたし!」


「正直、初心者相手に大人げないと思う」


「えっ、真剣勝負なんだから手加減したほうが失礼じゃない!?」


真理はちょっとびっくりした顔で叫ぶ。


それは確かにそうだが、向こうで本気で悔しがっている美里さんを思うとそうも言ってられない。


「どうする? 次は俺とやる?」


「う~ん、それでもいいけどみーちゃんとの約束があるからな~……」


真理はちょっと考え込むように首を傾げる。


「そういえば、さっきなんの約束してたの?」


「ん? 別に大したことじゃないよ」


その大したことじゃないことを聞いているんだが。


「この後の買い物で着せ替え人形にさせられるだけですよ」


いつの間にか美里さんも立ち直っており、少し不思議なことを言った。


「着せ替え人形って何?」


「ウィンドウショッピングで服を見るつもりなんですけど、真理ちゃんが私の服を身立ててくれるらしいです」


「……、それって罰ゲームになってるの?」


「別に罰ゲームじゃないからね! ん~、みーちゃんにどんな服着せるか今から楽しみ!」


真理は嬉しそうに抱き着いてくる。美里さんの方に目を向けてみると、彼女は恥ずかしそうに苦笑していた。


「じゃあ、すぐに見に行く?」


「うん、行こっ!」


「あんまり変なもの選ばないでくださいね……?」


美里さんは少し不安そうな顔をしている。真理はそれを見て、さらに嬉しそうに顔をゆがませた。


……いざとなったら俺が止めよう。


美里さんに同情しながら、心の中でそう決意した。


「それにしてもアナちゃんとお姉さん、ミーシャさんでしたっけ? 一緒に遊べなくて残念でしたね」


「あ~、『もう帰らないと』って言ってたし、しょうがないんじゃない? それにアナちゃんが懐いていたとはいえ、初対面の人と遊ぶのハードル高いよね~」


結局、アナはあの後お姉さんに連れられて帰ってしまった。お姉さんは俺たちにしきりに頭を下げ、アナを連れて足早に去っていったのだが、アナの「Noooooo!!!!!」という叫び声がモール中に響いていたのでひどく注目されてしまった。


「でも、ミーシャさんが言っていた『また会えるかも』というのは何なのでしょうか?」


「そうなんだよね~、妙に意味ありげに言ってたし実はご近所さんだったりして」


ミーシャさんは俺たちとの去り際に「もしかしたらまたご縁があるかもしれませんし、その際にはよろしくお願いします」と妙に意味ありがなことを言っていた。


それに関してはある程度の予想が立てられたのだが、まあ今の段階で二人に伝える必要はないだろう。どうせ週明けには何となくわかることだし。


「というか、アナちゃんってマサにめっちゃ懐いてたよね」


「そうですね、私たちにも元気に接してくれてましたが、雅人さんにはとっても親し気でした」


まあアナが俺に懐いていたというのは確かだ。子供と接したこと自体、あまり経験のないことだが、だとしてもあんなに懐かれるというのは異常だろう。


「でも分からないでもないけどね。マサって学校とかでは怖がられてるけど、動物とかにはめっちゃ好かれるじゃん? だったら子供に好かれるっていうのも当然っちゃ当然かな~」


「雅人さんって動物にも好かれるんですか?」


「めっちゃ凄いよ! 前に一緒に猫カフェに行ったとき、マサが店に入るなり猫が一斉に飛び掛かってきてお店の人が困るくらいだったんだから!」


「そうなんですか、それは凄いですね、羨ましいです……!」


美里さんが驚いた眼を俺に向ける。


別に大したことでもないし、何かに役に立つものでもない。というよりも件の猫カフェでは騒ぎになりすぎて出禁をくらってしまったのだから、どちらかというと損な性分だ。


「んっふ~、意外とマサは凄いんだよ! まあ、それに気づいた私も相当なものだけどね!」


真理が何故か自慢げな顔をしているが、美里さんは苦笑を、俺はあきれ顔を彼女に向ける。


でも真理はそんなことも意に介さず、「あっ、あれなんてみーちゃんに似合うんじゃないの!?」と少し先の店に向かって駆けだしていった。


彼女は相も変わらず自由奔放だ。まあ、それ自体はどうでもいいんだが、振り回されるのは少し面倒臭い。


俺と美里さんは同時にため息をつき、それに気づいて互いに苦笑して、それから真理を追いかけた。


モールから帰った、深夜。スマホが音を鳴らす。


珍しいこともあるものだ。普段は真理からの連絡だけだから、スマホが鳴ること自体も珍しいが、こんな深夜に電話が来るというのは本当に珍しい。


寝る前の電話というのは面倒臭い気もするが、シャワーも浴びて、あとは寝るだけだ。


ベットから起き上がり、机の上のスマホの画面を見てみると、着信画面には『三木 真一』という名前が表示されていた。


「もしもし」


電話をとり、声をかけると、「やあ、こんな夜更けにすまないね」という謝罪の声が聞こえてきた。


「明日にしようと思ったんだけど、君は出来るだけ早く知りたいと思ってね」


真理のお兄さん、真一さんはいつも通りの声でそう言った。


「いまだに用件が見えないんですが、どのようなご用件で?」


「相変わらず君は余計な話が嫌いだね。まあ、そこも君の美徳の一つだと思うけど」


真一さんは嬉しげに笑う。


別に真一さんと無駄話をするのは構わないのだが、真一さんがこんな夜更けにわざわざ電話を掛けることに興味というか、異様さを感じていた。どちらかと言えば、その違和感を早く解消したかった。


だから俺は「真一さんだって明日仕事でしょう? 僕は構いませんが、睡眠は大事です」と先を促した。


真一さんは「うん、確かにそうだね」と頷き、少し声色を変えて「出所したらしいよ、彼」と告げた。


「ああ、もうそんな時期ですか。意外と早かったですね」


「……僕は君の返答のほうが意外だよ」


真一さんは苦々し気に答える。


そうは言われても、どう反応したらいいか分からないし、もう接点もないだろう。どうでもいいことに感情を荒立てる方が面倒だ。


「一刻も早く君は知りたいだろうと思ってたけど、そんなことなかったかな?」


「そんなことないですよ。出来る限り早く知れてよかったと思います」


「……そうか。ならいいんだ。前回、僕は何もできなかったからね。……お爺様共々、今回の件には厳正に対処するつもりだよ」


「……そうですか」


「用件はそんなところだよ。夜遅くに電話をかけてごめんね。もし良かったら今度うちに遊びに来なよ。お爺様もきっと喜ぶ」


「まあ、それは機会があれば」


「うん、じゃあバイバイ」


「はい、おやすみなさい」


真一さんとの電話は終わり、俺はベットに倒れこむ。


考えることがたくさんできた。考えるべきこともたくさんできた。でもそれは杞憂かもしれないし、むしろ杞憂であってほしい。


でも、備えるに越したこともない。真一さんにはああいったが、俺としても何も思わなかったわけではない。


「面倒くさい、……とも言ってられないな」


俺は約束を守るために、ため息を吐いた。

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