説得の果てに(二度目の挑戦につき)
私は科学倶楽部室で、ウィリスを待っていた。シュタイナーが呼んでくれることになったのだ。
……正直、これはありがたい。私が直接呼びに行ったらウィリスに今度こそ殺されてもしょうがなかったし、いくら教義の違いで亀裂が生じてるからといっても、まだ互いのことを嫌いになってないんだもの。なによりもウィリスが他のグローセ・ベーアに会ってたらアウトだった。
今日がまだ、倶楽部活動の日じゃなくってよかった。まだ今日だったら、それぞれのグローセ・ベーアがどこにいるのか、バラバラだから、いくら同じグローセ・ベーアだからといって、このひっろい学問所だったら、すぐに見つけ出すことはできなかったと思うから。
私の存在を、まだアレクに知られたくはない。
今、ジュゼッペがどこにいるのかわからない以上は、私ひとりでウィリスを仕留めないといけないんだもんなあ。
私がひとりで心臓をバクバクとさせていたところで、科学倶楽部室の扉が開いた。
赤い髪を揺らして、ウィリスが顔をしかめて私と、一緒にやってきたシュタイナーを睨んだ。
「シュタイナー、あなたは僕を騙したの?」
「違う。彼女と話をしたから、彼女は危険がないと判断したから、我は貴公を呼んだ」
「危険って……! 僕は何度も何度も言ったでしょう!? 教会はそんなに優しくないから、今錬金術から手を引いたら、目を瞑ってくれるはずだから、早く錬金術から手を引けと」
「だが、我はそれでも、彼女を見捨てることができない」
ふたりの激しい言い合いがはじまった。
うーん。シュタイナーは元々医者の家系だから、この時代の医学だと治せない人が多過ぎるのをわかっているんだよね。だからこそ、妹の治療方法確保のために錬金術に傾倒した訳で。
でもこの世界じゃ、錬金術は教会の教義から大きく反してしまう。教会からしてみれば、錬金術は奇跡の量産であり、神の領域を侵す危険因子ってことになってしまっている。ウィリスの主張って、まんまそれなんだよね。
だからこそローゼンクロイツは地下深くに隠れて、社交界を隠れ蓑にしてしまった訳で。
ウィリスはシュタイナーの妹のことを聞いていたのだろう、少しだけ悲し気に顔を歪める。
「……でも、それは天命じゃない」
「我は妹の虚弱を運命だなんて認められない」
「あなたは……そのために歪めるの!?」
うーん。これどうやって介入しよう。私は考えながら、食堂から少しだけもらってきたお菓子を見る。
もらってきたのは、ソフトクッキーだ。
……これを食べてもらって、話を付けたいところなんだけれど。私はソフトクッキーを入れた包みをぎゅっと握ると、意を決してシュタイナーとウィリスの間に割って入った。
「喧嘩は! お止めになって!」
「……あなたは!」
「アデリナ」
ウィリスが琥珀色の瞳を吊り上げてくるのがいたたまれない。私は必死に言う。
「おふたりは、ゆっくりとお話をするべきですわ。ほら、お茶菓子も用意していますから」
「でも、あなたはさっき」
「なにもしてませんわ。ほら!」
さっきのさっきで、同じ手を遣ったらウィリスに怪しまれるもの。私は科学倶楽部室の椅子を引っ張り出してきて、真ん中にソフトクッキーを広げ、それをひょいと食べる。
シュタイナーもそれに続いて、ソフトクッキーを食べる。当然、ここに媚薬を仕込むような真似はしない。そもそもふたり同時に万が一のことがあったら、私の身が持たないんだから、ふたり同時に媚薬を盛る訳ないでしょ。
こちらふたりを観察して、ようやくウィリスはソフトクッキーに手を伸ばしてくれた。
さっくりとした味は、紅茶が欲しくなるところだけれど、ここで紅茶を持ってきたら、またもウィリスに怪しまれるから、茶器は持ってきていない。
「……ありがとうございます。アデリナさんは、シュタイナーとお話をしたんですか?」
「しましたわ。シュタイナー様は優しい方と思いましたの。それは、ウィリス様と同じですわね?」
「僕と? でも、僕はあなたを……」
「あなたは、ご友人であるシュタイナー様を思って、私を殺そうとなさったんじゃないですか。友情は、大事ですわ。ですが」
ソフトクッキーをサクリと食べてから、思っていることを言う。
「……命は、もっと大切なものだと思います。今の医学で治せないものを、治そうとすることは、本当にいけないことですか? 教義に反するからいけませんか?」
「……シュタイナーの妹さんのことは、僕だって残念です。ですが、それならば医学を勉強すればいいだけのこと。錬金術に傾倒することは、僕には認められません」
あー、本当に頭が固い。この子の教義を否定することは、本当に難しい。でもここで決めなかったらまずい。
私がテーブルに視線を落とす中、ふいに肩を叩かれた。振り返ると、さっきまでの憂いが少しだけ晴れた顔で、シュタイナーがじっとウィリスを見ていた。
「ウィリス。我も全ての錬金術を肯定する気はない。しかし、教義で許せる部分は増やすべきだとは思う。それに、これは奇跡ではない。治療だ。その方法を欲しているのだから」
「シュタイナー……あなたは、本当に……」
ウィリスがたじろいだ。
強固な意志が、本当にわずかだけ綻んだのだ。……シュタイナーがつくってくれた隙を、私は逃す訳にはいかない。私はガタリと立ち上がるふりをして、思いっきり食べていたソフトクッキーごと椅子ごと転がり倒れる。
食べていたソフトクッキーが割れ、そのままこけたときにべちょっと頭に被る。ひどい。
「ア、アデリナさん……!」
「きゃ、きゃあ! 申し訳ございません。話し合い中に!」
「クッキーを被って……ちょっと待ってください」
おろおろと彼は私に触れて、被ったソフトクッキーをはたき落としてくれた。
本当に教義に厳しい以外は優しい子なんだ……だからこそ、彼の優しさに付け込むしかなかった訳で。私は何度も何度もウィリスに謝る。
「申し訳ございません、ウィリス様……。すぐに他のお菓子を用意致しますから」
「いえ。もう大丈夫ですか?」
「はい」
ウィリスは椅子を上げ、私を立ち上がらせて座らせてくれると、再びシュタイナーと話をしようとし、ソフトクッキーを口にした……そのときだった。
彼は急に顔を赤くして、私を見た。
「な……なにを……したんですか……?」
「申し訳ございません。ウィリス様。最初から、あなたを仲間に引き入れたかったからです。でも、決してあなたを傷付けるような真似は致しませんから」
私は顔を真っ赤にし、潤んだ瞳の彼に手を伸ばすと、そのまま抱き締めた。
……せいぜい、三重苦の私とウィリスが抱き合ったところで、幼馴染同士がいちゃいちゃしているようにしか見えない微笑ましさしかないだろう。やったことは、媚薬を盛ったことなんだけれど。
ソフトクッキーには媚薬は盛っていない。私もシュタイナーも媚薬を口に含んでしまったら、どう作用するかがわからなかったからだ。
紅茶は既に失敗しているから、今回は出さなかった。
なら今回は。簡単。私の髪に染み込ませたのだ。私自身が口に含まなかったら大丈夫だし、ウィリスが私の頭に触るタイミングを計れば、彼は媚薬に触れる。そのままソフトクッキーを食べるタイミングを用意すれば、媚薬を盛るタイミングは来る。
シュタイナーと少しだけ媚薬を盛る方法を話し合って、彼立案で話を進めたのだった。
あー、これで私が間違って媚薬を盛ったら、今はいないジュゼッペにヘルプを頼まなければいけなかったんだから、成功してよかった。
ウィリスは顔を真っ赤にさせて、潤ませながらこちらを見てくるのを、私は背中を撫でて言う。
「……お願いします、私たちのことを、グローセ・ベーアの他の皆さんに言わないでくださいまし」
「……アデリナ、さんが……そうおっしゃるなら」
ようやく、くたりと私に身を寄せてくる。
媚薬が回ったらしい。多分、惚れ薬レベルで、そこまでひどいものではないらしい。私はそれに心底ほっとした。
私はシュタイナーと顔を見合わせる。
「……今は、これでよかろう。あとは少しずつ、ウィリスと話を進めなければならないからな」
「ええ。ひとまずは。今はおふたりが仲違いしなかったことを喜びましょう」
うん。ウィリスを落とせたからとは言っても、なにもハッピーエンドじゃない。
ウィリスとシュタイナー。ふたりだけでは、グローセ・ベーアの半分にも満たないのだから、残りのグローセ・ベーアのメンバーをアレクに票を与えないように落としにかからなかったらいけないのだから。
そもそも今日が初日なのだ。
あと最低でも一年、アレクを見張りつつ、彼女に目を付けられないように触れ回らないといけないのだから。本当に気が重い。
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