Sideアレク:図書館にて

 夢を見た。

 もう失ってしまった日々の夢を。


「もう、姉さんってば、折角綺麗なんだから、もうちょっと髪をといて!」

「ごめんったら。私の癖毛だと、編み上げるのは難しいよ」

「そんなことないわ。姉さんの髪、本当に芯が通っているって感じの硬い髪で、私は好きよ?」


 私の硬い癖毛をそう言うのは、あの子だけだった。

 あの子は私の髪をゆるゆると編み上げると、自慢げに鏡で見せてきた。


「ほら、姉さん素敵!」

「そうかな。これはお前のほうが似合うと思うけど」

「そんなことないわ!」


 白磁色の滑らかな肌。村の麦穂を思わせるような金色の髪。なによりも、あの子の笑顔は太陽のようだった。私にとっては、自慢の妹だった。

 あの子が嫁に行くのを、私は家族で笑顔で見送り、私は家と畑のために婿を取って、そこで一生を終えるはずだったのに。

 ……生きなければいけないのは、私ではなくあの子だったのに。

 あの日の出来事が、今でも私を苦しめている。

 苦しくとも、つらくとも、あのときの記憶を私は手放すつもりはない。

 もうこの苦しみは、私で終わらせるべきなのだから。


****


「アレク様! 明日は倶楽部見学の日ですけれど、どこの倶楽部に入るかお決めになりましたか?」

「アレク様! 実家からいい茶葉をいただきましたの。中庭でお茶をなさいませんか?」


 この学問所にいる子たちは、どの子も皆幼い顔をしていると思った。

 実家に大切に育てられてきた子なのだろう。よく言えば箱入り娘で、悪く言えば世間知らずなんだ。

 この子たちが全員、ローゼンクロイツの悪事を知らず、社交界の闇を知らず、権力争いに縁遠い。全員を守ることはできずとも、なんとかしてこの子たちを逃がしてやれないものか。

 そうは思うけれど、私も教会の人たちがそこまで優しいとは思えない。

 あの子たちが許してもらえるとしたら、出家して完全に社交界と縁を切ることだろうけれど、それはあんまりに可哀想だ。

 私もしばらくの間、教会で世話になったことがあるけれど、あそこは綺麗過ぎて生きにくい場所だったから。

 入学して早々、大したことをした覚えはないのだけれど、声をかけてきてくれた子たちに、私はこう言っておいた。


「すまないね。私はこれから勉強をしなくてはいけないから。図書館に篭もらせてもらうとするよ」

「まあ……図書館ですか……」

「勉強でしたら、私の寮はどうですか? 皆でお茶とお菓子を囲みながら勉強とかは……」

「こら、いけないよ。昼間だからと言って、女子寮に男子を招き入れるようなことをしちゃ」


 私は軽く注意をしてから、図書館へと向かっていった。

 この学問所に来たのは、ここに根付いているローゼンクロイツを滅ぼすためだ。あいつらは錬金術の知識をあちこちに設置して、さも錬金術は素晴らしいと吹き込むつもりだろうけれど。

 幸い、この学問所で権力を持っている人間たち……グローセ・ベーアの実家はまだ、ローゼンクロイツに組していないのは教会で調べてもらったから知っている。

 彼らを味方に付けた上で、言い逃れできないように全生徒の前で告発する。

 学問所内の情報は、随時教会に暗号として送っているから、検閲が入ってもローゼンクロイツの連中には気付かれないはずだ。証拠があらかた揃い、学問所内に味方を増やしたところで、告発するのだから。

 でもそのためには、まずはグローセ・ベーアに近付かなければいけない。

 成績優秀な特待生としての資格は、嘘で塗り固められた経歴を持っている私でさえ、まだその資格が足りない。

 勉強。そして倶楽部活動。やらなきゃいけないことがあまりにも普通の貴族の子息と変わらないのは情けないけれど、仕方がない。

 私がそう思いながら、図書館の扉を開けた。

 ……本だ。分厚く装丁の美しい本が、ところ狭しと本棚に立て掛けられている。私はその本を夢中で読んでいった。

 教会では皆で回し読みするものだから、装丁が取れてみっともなくなってしまったり、一部を信徒の子供が暴れて破いてしまって修復した跡があったりしたのに、どの本も本当にきちんと片付けられ、ときおり読む型の付いてしまった本すらも、綺麗に扱われている。

 本当に、貴族ってすごいな……。その中で、教会で読み聞かせてもらった童話集を見つけた。妹と一緒に教会に何度も通って、夢中で読んだ本だ。

 もう、その本も村の教会も、どこにもないけれど。

 勉強しなくてはいけないのはわかっているのに、それでもページをめくる手が止められなくて、そこにあった童話集を熱心に読み進めて、また新しい本を取りに行ったときだった。

 誰かと手が触れてしまった。


「……すみません」

「いや、すまない。君が先だったか。おや、新入生か?」


 こちらを見てきた人の顔を見て、私は目を見開いた。

 星明かりを思わせる流れるような銀色の髪。瞳はエメラルドに輝き、肌は陶磁器のようにつるりとしている。

 グローセ・ベーアのルドルフ・オーフェルベックがそこに立っていた。

 私が凝視していたものの、彼は慣れた対応をしていた。きっとこの人は、自分が見られる立場だということをわかっている人なのだろう。

 彼は私の取ろうとしていた童話集を取ると、それをひょいと私に差し出してくれた。


「いえ、先に手にしていたのはあなたです! 私は、そのあとで……」

「かまわないよ。俺は調べ物のために目を通そうとしただけだから。君ほど熱心な読者のほうが、この本も喜ぶだろうさ」

「……ありがとう、ございます」


 嫌みのない人だ。少ししゃべっただけでわかる。

 この人は妬みや嫉みというものの受け流し方を心得ているし、人に対しても嫌みな言葉遣いはしない。

 綺麗な人だ、この人は。見た目だけでなく、性根が美しいのだ。

 ……この人だったら、きっとローゼンクロイツの悪行を。共に手を取って戦ってくれる。

 私は「あのう、私は」と声を開く。

 ルドルフは少しだけ目を瞬かせた。


「アレク・ダーヴィトと申します。あなたは、グローセ・ベーアのルドルフ・オーフェルベックでしょう? 私は、必ずグローセ・ベーアに入ります。お覚悟を」


 彼は一瞬だけ虚を突かれたような顔をしたものの、途端に破顔した。


「ああ、君が入ったら、きっと面白いことになるだろうね。楽しみにしている」


 そのまま彼は図書館を立ち去っていった。

 ……童話集を調べていたと言っていたけれど、なにを調べたかったのだろう。

 これはただの地方の説話を吟遊詩人が取りまとめたものだったはずなのに。

 ひとまず私は、童話集は借りることにして、目的の勉強に励むことにした。

 私はなんとしても、グローセ・ベーアに入らなくてはならないのだから。私は制服越しに胸元をぎゅっと押さえた。

 胸元には、赤い石のペンダントが、頼りなさげに光っていた。

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