あの人を忘れること

「幸せになって欲しい」

 そう願い、彼女と別れた。

 僕は末期がんを患い、病室から外を眺めていた。

 この時、切に願ったのは、彼女がそばにいることだった。正直に言えばよかった。「死ぬまで一緒にいたい」って。

 彼女は去っていったよ。本当に優しそうな表情を浮かべながら、最後の最後まで愛を注いだのだと思う。

 僕の末期がんがついに体の隅々までむしばんでいった頃、病室から窓の外を眺める癖が出来たんだ。

 彼女は楽しそうに男と歩いていたよ。

 僕は死ぬ運命だから、捨てられて当然なんだ。

 昔からそうだ。愛せば愛すほど、傷つき、逃げられ、僕の愛はおぞましいものなんだ、きっと。

 あの男と寝ているのかな……。

 

 意識が朦朧とする。親がかけつけ、泣いている様子を見せる。それなのに、僕は死ぬ間際まで、楽に死にたいと願っていた。思い出が全て消えればいい。魂なんかなくたっていい。

 彼女を愛したことを魂に刻むのが怖いのだ。

 もし来世があったら、僕は憎悪の塊になって、大切な人を次々と沈めたくなるかもしれない。愛の逆説はいつも決まって暴力なんだ。

 ああ、意識が薄れていく。もうじきだな。

 次の時間の感覚がやってくると、僕はもう何者か分からなくなっていた。

 

 忘れたのだ。何もかも。

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