『結界師の一輪華5』

プロローグ

 コツコツコツと、歩く度に靴の音が響く階段を降りた先に、その部屋はあった。

 独房のようなそこに入れられた、ただ一人の親友と言ってもいいその人物を鉄格子の向こうに見つけ、男は苦笑する。

「ずいぶんと落ちぶれちゃったもんだ。ねえ、かずら

 声をかけられた葛は、椅子に座ったまま微笑んだ。

 その表情はとても独房に捕まっている者のそれではなかった。

えんじゆですか。ええ、あなたに教えてもらった呪いの知識を遺憾なく発揮させてもらいましたよ。……それにしても、よく会いに来られましたね」

 葛は厳戒態勢のもと監視されている。

 当主や家族ですら面会が許されない厳しいものだった。

 なのに今は監視もおらず目の前の男一人しかいない。よく面会の許可が出たものだと葛は感心する。

「まあね。最初は渋られたけど、この独房の確認をしておきたいって言ったらすぐに通してくれたよ」

「やはりというか、この独房に呪いを施しているのはあなたでしたか。どうりで抜け出せないはずだ」

 葛は不自由な状況に置かれているにもかかわらず嬉しそうに、クスクスと笑う。

 そこには、捕まったことへの不満も怒りもなく、葛はただこの状況を楽しんでいるように見えた。

「漆黒最強を閉じ込めるんだからそれなりのものを用意しないと、簡単に破られちゃうからさぁ」

「さすが、俺に呪いを教えた師匠なだけありますね」

「まっ、これでもようだから。たとえ相手が漆黒だったとしても破られたら五葉木の名が泣くでしょ」

「五葉木だからではなくあなたの力でしょう? あなたが真面目に術者として活躍していれば、恐らく俺が漆黒最強などと呼ばれることはなかったでしょうね。あなたがの家の当主候補を辞退したのは、術者の世界の損失でしかなかった」

 葛は知っている。

 目の前のこの男の実力を。

「誰よりも呪いに精通し、五葉木の当主に相応ふさわしい実力を持っているのはあなただけだ。それなのに、今の状況を許している五葉木の当主にはがっかりですよ」

「ずいぶんとまあ、僕の実力を買ってくれるねぇ。褒めてもなんも出ないし、そこから出さないよぉ」

「おや、残念」

 クスリと笑う葛だが本心からの笑みなのか分からない。

 二人の間にはとても独房の鉄格子を挟んで行われているやり取りとは思えない穏やかな空気が流れている。

 二人は同級生で仲がよく、親友だった。

 だからこそ、漆黒という術者の頂点を目指している葛の役に立つだろうと、槐と呼ばれた男は、呪いの知識をあますことなく教えた。

 それのおかげもあってか、呪いは葛の得意とする分野となり、槐はその後も葛が漆黒として頂点にいたる手伝いをしてくれたのだ。

 けれど、漆黒最強と呼ばれるようになっても、葛は槐を超えたと思ったことは一度としてなかった。

 現に、槐が呪いを施した独房を打ち破れずにいる。

 漆黒最強とはなんなのかと笑いがこみ上げてきてしまう。

「……葛。もう止めておくんだ」

 途端に真剣な顔へと表情を変え、忠告する槐を前に、葛は変わらぬ穏やかな笑みを浮かべる。

「あなたが五葉木の当主となるなら考えてもいいですよ。これまで通り大人しく協会の犬でいましょう」

「それは無理な話だ。俺は研究がしたいからねぇ」

 槐はそう言って、先程までとは違うへらりとした笑みで返す。

 その言葉の意味を、裏に隠された真実を知っている葛には、彼の笑顔が憎らしく感じられた。

「あなたはそう言うと思いました。だから嫌いなのですよ、責任にとらわれたの人間は。五家などつぶれてしまえばいい」

 顔をしかめて吐き捨てる葛からは、焦燥感が伝わってきた。

「仕方がないさ。だって五家に生まれた運命を変えるなんてできないんだからさぁ」

 葛はチッと舌打ちする。

「運命などくそ食らえだっ!」

 そんな風に葛がガラの悪さを表に出すのは、槐という親友の前でだけだ。

 唯一無二の親友。

 主家であるかどよりも、漆黒の地位よりもずっとずっと大事な、なににも代えがたい存在。

「俺はこの国なんかより、槐、あなた一人の方が大事です。それはあの子も同じでしょう。ここで止まるならはなから行動を起こしてなどいません。やり遂げてみせますよ。必ず」

 覚悟を決めた者が持つ、意志のある強いまなしに、槐は苦笑するしかない。

「一人、二人の力でどうこうなる問題ではないのに、馬鹿だねぇ、まったく……」

 あきれのもった言葉を聞いても、葛の意思が変わることはなかった。

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