19

 翌日、麗奈れなは大学に顔を見せなかった。体調がよくないのかな? 女の子は毎月大変だな……あとでメッセージを送ってみよう。バイトの前に寄るよ。ケーキか何か買って行こうか? それとも別の物がいいのかな?


 そんな事を考えながら懐空かいあが学食でカレーを食べているところに忠司ただしが来た。


 忠司はクリスマスイブ前日に、いったん断られたバイト先のコを口説き落としていたらしい。そして、見事、イブのデートに誘いだすことに成功していた。


 手応てごたえはばっちりで、イルミネーションでムードも盛り上がる。そこで再度交際を申し込み、OKの返事をもらった。懐空がそのことを知ったのは正月明けの事だった。


 忠司としてはすぐにでも懐空に言いたかったが、それより先に懐空の母親が病気と聞いて、遠慮していたようだ。


「一緒に鹿児島に行ったんだ」

ニヤニヤしながら忠司が言った。

「え、もう?」

すると嬉しそうに忠司が笑う。

「同じ飛行機ってだけだ」


 あきらめきれない忠司が彼女をかまううちに、彼女が同郷だと判ったそうだ。話すうち帰省に使う飛行機が同じ便だという事も判った。

「そこからは、なんだかどんどん巧くいった……」


 元旦には兄貴の車を借りて日南にちなん海岸に初日の出を見に行った。ついでに初キスもした、と忠司が自慢する。

「こっちは大晦日、元旦って土砂降りで、初日の出どころじゃなかったなぁ。それより、お兄さんがいるんだ?」

「うん、兄貴と俺の二人兄弟。今は名古屋の会社で働いてる。社会人1年生。正月には帰って来れなかった」

忠司が少し、寂しそうな顔をする。


「車は実家に置き去りで、ときどきお袋が使うくらいだったんだ。たまには走らせてやってくれって、兄貴、気持ちよく貸してくれた。電話で話しただけだけどね。それより麗奈ちゃんと、休みの間、どこか行ったりしたのか?」

「いや、麗奈は麗奈で実家に帰ったって」

「懐空がいないんじゃ、麗奈ちゃんもつまんなかっただろうね」

そんな話をしたのが休み明けの事だった。


 懐空の隣で福神ふくじんけの小袋を開封しながら忠司が言う。

「懐空さぁ、おまえ、麗奈ちゃんと巧くいってるの?」

「へっ?」

いきなりな話に懐空が目を丸くする。

「小耳に挟んだんだけどね ――」

忠司の話によると、麗奈を千葉のテーマパークで見かけたと、違う学部の友人から聞いたという。


「それがさ、そいつ、オフィシャルホテルに泊まったらしいんだけど、そのホテルでも見かけたんだって」

「……見間違いじゃないか? そんな話し聞いてないし、いや、もし、それが麗奈だとしたら、きっと母の事で遠慮して言えなかったとか」

「―― 男と一緒だったって。30手前くらいの、なんか、おしゃれな男だったって」


 庄司しょうじさんだ、何の根拠もないのに懐空はそう思った。そして同時にそれを懐空は否定した。バイト先で、麗奈の庄司への態度も、庄司の麗奈への態度も、変わったとは感じていなかった。それとも、僕が鈍感なのか?

「懐空……心当たりがありそうな顔してる」

「ないよ、そんなの ―― 麗奈とは巧くいってる。昨日だって」

「昨日だって?」

言葉を止めた懐空に忠司が先を促す。


 しゃべり過ぎた、そう思った懐空だったが、声をひそめて白状する。

「麗奈が生理じゃなきゃ、麗奈の部屋に行ってた」

「……それって、麗奈ちゃんと深い仲になってるってこと?」

忠司もつられて声を潜める。

「いや……初めてところだったってこと」

「ほほぅ、やっとその気になったか」


 こんな時、どんな顔をすればいいんだ?

「まぁ、そう言う事だよ」

「なるほど。それで麗奈ちゃん、今日は見かけないんだ。重いんだろうね、女の子は大変だ」


 来週、懐空から報告があるのを期待してる、頑張れよ、と忠司は食べ終わったカレー皿を持って次の講義に行くと食堂を出て言った。


 その日の講義が終わり、SNSを懐空が確認する。最終講義が始まる前に麗奈に送ったメッセージは未読のままだ。

(そんなに体調が優れないんだろうか……)

でも、まぁ、麗奈はケーキが好きだ。大学の門前にあるケーキ屋がお気に入りなのも懐空は知っている。


(麗奈が好きなケーキ、残っているといいけど)

 そんな事を考えながら、教室を出て校門へ向かう。すると、そこで待っていたのは忠司だった。

「懐空……」

忠司は深刻な顔をしている。

「忠司……どうかした?」


 忠司は懐空の肩に腕を回し引き寄せた。そして小さな声でこう言った。

「俺、見ちゃったんだよ」

「見た、って何を? まさか幽霊?」

忠司は更にけわしい表情で懐空を見詰める。ただ事じゃない……さすがに懐空の表情も硬くなる。


「なにを見たんだ、忠司」

「うん……おまえの高校の先輩、なんて名前だったっけ?」

坂下さかした先輩の事?」

「うん、その坂下ってヤツと麗奈ちゃんが仲よさそうに帰っていった」

「え? って、昼はテーマパークで、って話を聞いたばかりで」

「でも、見ちゃったんだよ。男が麗奈ちゃんの肩を抱いて、歩きながら麗奈ちゃんのホッペにキスしてた。それははっきり見えた。見間違いじゃない」

「……キス?」

「よく見えなかったけど、口にもしてたかもしれない。そしてそのまま門を二人で出て行った」

「門を出て行った……」

「門を出て左に行った」

「麗奈も坂下先輩も家はその方向だ」

「懐空 ――」


 忠司が軽く懐空の体を揺すった。懐空の声があまりに力なく聞こえたのだ。

「しっかりしろ、懐空。麗奈ちゃんを責めるのもいい、このまま気が付かないふりして、成り行きを見てもいい。でも、その前に、自分の気持ちの整理は付けておいた方がいい」

そんな忠司を懐空が見た。

「気持ちの整理?」

「うん、麗奈ちゃんと、このまま付き合うのか、別れるのか。麗奈ちゃんに別れて欲しいと言われたらどうするのか」

「まだ判らない」

忠司の腕を強引に懐空が振りほどく。

「そりゃ、今、知ったばかりで判らないよな」

忠司を無視して懐空が校門に向かって歩き出す。

「おい、懐空」

「まだ判らない。忠司の見間違えかも知れない。麗奈は嫌がってても、僕の先輩だから我慢がまんしたのかもしれない」

「懐空、だからって、どこに行くんだ? バイトか?」

「麗奈のところに行く」


 急に走り出した懐空を忠司は追うが、門のところで立ち止まった。ここに居れば懐空は必ず通る、ここで待っていた方がいい。忠司はそう思った。


 麗奈のマンションの前で、懐空はSNSを確認する。送ったメッセージは未読のままだ。フロントのインターホンで呼び出したが応答がない。懐空は目を閉じる。そして、尚弥なおやのマンションに向かった。

 尚弥の部屋の前で、インターホンを押すか迷った懐空の耳に、部屋の中から声が聞こえた。

「……あ……」

女の声だ。麗奈か? 緊張が懐空を包む。そして耳をそばだてさせる。

「……かいあ……」

麗奈が、僕を呼んでいる。何も考えず、懐空がドアを開く。いつもの通り、尚弥の部屋は施錠されていなかった。


 ドアの向こうは開け放たていたが、奥の方はガラスの引き戸が邪魔で半分しか見えない。

「懐空……好き……」


 ガラス戸に隠された場所から聞こえるのは麗奈の声だ。かすれるような、あえぐような、そんな麗奈の声だ。


 ガラス戸に隠されていない部分で、驚いて懐空を見た尚弥の顔が青ざめる。あおけに横たわる尚弥、慌てて上体を起こそうとするが巧くいかない。そして服を着ていない。


 気が付いたら靴をいたまま、懐空は部屋に上がり込んでいた。


 その勢いで、部屋の奥に進み、ガラス戸に隠された場所をのぞき込んで。だらしない顔つきの女が、尚弥の上で裸の体を隠すこともなく懐空を見上げた。


「麗奈……」

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