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 布団ふとんを運び終わった後、量販店に炊飯器と電子レンジ、掃除機を買いに行き、目についた組み立て式のチェストと足が折れる小さなテーブルも買った。それらを部屋に運んでからレンタカーを返す。冷蔵庫は事前に注文していて、明日の配達予定だ。


 3箱の段ボールのうち、2箱は衣類で、それを収納することをかいは考えていなかった。だから、チェストを買った自分をあっぱれ、よくぞ気が付いた、と思っていたが、いざ組み立てようとしたらドライバーが必要だった。工具の用意は何もしていない。

「コンビニ、行くか……」


 ついでだから今夜と明日の食事、インスタントコーヒーなんかもあるといいかな……


 鍋とフライパン、薬缶やかんは母が用意してくれた。飯椀と汁椀、マグカップにガラスのコップ、平皿やスプーン、細々した食器類も母がそれぞれ二つずつ、段ボール箱に詰めていた。


「なんで二つ?」

「予備、かな。割れても困らないように」


 かな、って言うことは、本当は別の意味があるのか、と思ったけれど、懐空は黙っていた。ストックが趣味か、と懐空が思うほど、母は予備品ストックを用意するのが好きだった。あると安心するのよ、と母は笑っていた。


 そんな母だから、きっと二つなんだ、そう思う懐空だった。


 アパートを出て、駅と反対方向に道を行けば5分でコンビニがある。さらに少し行けばスーパーもある。駅までも10分足らずなのにアパートに空室があるのは、古いのもそうだけど、駅からの道が急な上り坂だからだろうと懐空は思っていた。それがなければ、コンビニやスーパーが近く家賃が安いのだから、満室になっていても不思議じゃないのに。


 近頃の学生の主流が、新築、セキュリティ重視だと言うのは後から知った。みんな、金持っているんだな、でも、自分は自分、人は人。気にすることもない ―― 倹約家の母に育てられたお陰だ。


 コンビニよりスーパーのほうが食材はいろいろあると思ったが、コンビニにした。スーパーにドライバーがあるかどうかの知識が懐空にはなかった。コンビニにはあるはずだ。


 コンビニから帰り、部屋に入ろうとしているとき、隣のドアが開いた。


「あ、すいません、ちょっと待ってて」

と、声をかけ、ドアを開けたまま急いで部屋に入る。挨拶にと用意した菓子の包みを渡そうと思った。


「これ、ご挨拶です」

「お気遣い、ありがとう」

あいはニッコリと笑みを浮かべて、受け取ってくれた。さっきとは違ったラフな服装、パステルピンクのセーターにジーンズ、それに黒のゆったりしたパーカーを羽織っている。髪は後ろに一纏ひとまとめだ。


「お出かけですか?」

「えぇ、ちょっとコンビニに」

「あぁ……このアパート、コンビニもスーパーも近くていいですよね」

「そうね……でも、空室だけになっちゃって。わたし一人じゃ心細いと思ってたの。良かったわ、来てくれて」

「え? 一階は真ん中だけ空室って聞いたけど」

「もう二人とも引っ越してったわよ。おおさん、また借り手を探すのに苦労しそうね」

「そうだったんですか……安くていいと思ったのに」

「あら?」

と、愛実が驚いたような声をあげる。


「まさか、聞いてないの?」

「聞いてないって?」

「このアパート、出るのよ」

「出る、って何が?」


 まさか、幽霊?

「ほら、桜の木の下には埋まっているっていうじゃない?」

「え……?」


 サッと懐空の顔が引きつる。その顔を見て、プッと愛実が笑いだした。


「ごめん、冗談、嘘うそ。本気にしちゃった? 一階の住人が出て行ったのは本当だけどね」

「……」

何も言い返せない懐空を気にせず、渡した箱をヒラヒラさせて愛実が問う。


「ねぇねぇ、これ、なあに?」

「あ、あぁ ―― クッキーです。ほんのお口汚し」

「そうなんだ? クッキー大好き、ありがとうね」

ニッコリ笑うと愛実は自分の部屋の前に戻り、ドアを開けて懐空から受け取った箱を中に置く。シューズボックスに乗せたのだろう。そして、ボケっと突っ立っている懐空の前を、じゃあね、と通り抜け、階段を降りて行った。


 せっかくドライバーを買ってきたのに、組み立てを始める気になれず、懐空は買ってきた缶コーヒーを開けて、桜が見える窓際に座り込んだ。


 しょうにあてられるって、こんな感じなんだろうか。あいの話に驚いて、一瞬だけど信じそうだった。いや、愛実が嘘だと言わなければ、本気にした。


 みんなはこんな時、どう感じるんだろう? 怒るのか、笑うのか? 僕はどっちでもない。なんだろう、驚いているだけ?


 懐空は自分がどう感じているのか判らなかった。呆気あっけにとられた、ってことだろうか?


 缶コーヒーを飲み終わるころ、誰かが階段を昇ってくる気配がした。ドアの前を通り抜け、隣の部屋のドアが開く音がする。

(筒抜けなんだ……)

そりゃそうか、おんぼろの安アパートだ。


 そう言えば、大家は借り手を探すのに苦労する、って言っていた。つまり、また誰かが入居するってことだ。二人きりってわけじゃない。ホッとして、懐空は気を取り直した。チェストを組み立てよう。やる事をやっておこう……懐空は自分がホッとしたことに気が付いていなかった。


 チェストを組み立てて、段ボール箱の衣類を収納する。もう一つ、段ボールを開ければ荷物の整理が終わる。


「あ……」

食器を収納するものがない。小さな食器棚が欲しい ――

(いいや、すぐに使う物だけ出せば。それくらいならキッチンに置けるだろう)


 食器棚はネットで注文しよう。送料がかかるかも知れないけれど、自分で買いに行くのは大変そうだ。さっきの量販店は歩いていくには遠すぎる。


 そう決めると懐空は桜を眺めてから窓を閉めた。そろそろ夕闇が迫っている。

(……カーテンも忘れてる。暮らすにはいろんなものが必要なんだなぁ)

懐空の一人暮らしはこうして始まった。

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