2  美女、微笑む

「あー……隼人はやと、それ、ミチルの肉だってば! それに、そのコーンもミチルのだってば!」

「ミチル、気にしない、気にしない。いっぱいあるし、あ、そうちゃん、そのエビ、ボクに。ピーマンは嫌いだって知っているよね、バンちゃんにあげて」


 一番楽しんでいるのはみちるに間違いない。ウキウキの満に乗っかって、やっとこさ隼人が感じで、僕とさくは黙々と食べて飲んで、奏さん ―― 食材を調達してくれた上、車を出してくれた ―― はニコニコ顔で調理に専念している。そして……隼人が連れてきた彼女はただ静かに微笑んでそこにいた。


 もちろん、気配り上手の満がさり気なく彼女の皿に入れた料理はちゃんと食べている。おちょぼ口を小さくあけて、食べる仕種も静かで上品だ。


 今日の集合場所、『美都みつ麺』に隼人は彼女と二人、僕たちより少し遅れてやってきた。僕は隼人と同じ家……探偵事務所『ハヤブサの目』の二階に住んでいるが、彼女を迎えに行くと隼人が言うので、僕は一人、先に来ていた。美都麺は奏さんが一人で切り盛りしているラーメン屋だ。


「おまたせ。で……こちらがかけさん。掛地 紅美那くみなさん。ボクの絵を描いてる絵描きさん。まだ学生さん」


 隼人の紹介をぼんやり聞きながら、僕と双子は彼女の顔に見取れてしまった。どこをどう見れば、隼人の説明になるんだ? えぇと、隼人はなんて言ったっけ? 笑うとまん丸な目が溶けて、横に伸びた口がビロン、だったっけ? たしか、そんな感じだ。


 やや瓜実顔の色白美人、彼女を一言で言えばそんな感じ。僕が知っている限り、初めて隼人が美人を連れてきた。美人と言うのは、あくまで僕の主観だけれど。


 腰まで届く黒髪を低めの位置で一つに束ね、あごのあたりで切り揃えた前髪は左右に分けている。凛とした切れ長の目、スッとした鼻は大きからず小さからず、おちょぼ口でやや唇が厚ぼったいがかえってバランスよく見える。ちょっと古風な感じはいなめないが、確実に美人だ、と思う。そしておしとやかで上品だ。


 彼女は、隼人に紹介されると、ゆっくりとした動作で深々とお辞儀した。そして、微笑ほほえんだ ―― と、ここで僕は、おそらく朔も、隼人が言っていたのはこういうことか、と思った。


 彼女の目はわずかに目尻が下がったが何を見ているかよく判らず、そして口元だけは大きく口角が上がり、確実に『笑』を表している。下がった目元を溶けそう、上がった口角をビロンと横に、と隼人は表現したのだろう。


 でも、この微笑は……アルカイックスマイル? うーーん、ちょっと違うかもしれない。何しろ不思議な雰囲気の持ち主だ。


 服も明らかに和服をイメージしたデザインで、似合っているのだけど、古風と言うか、垢抜けないと言うか、ま、隼人は怒るかも知れないけど、変わっていると言えば変わっている。


 満だけは彼女のムードに飲まれることなく、いつも通りアッケラカンと、

「ささ、クミナちゃん、乗って、乗って」

と、彼女にボックスワゴンの後部シートに座るよう勧め、

「ほれ、隼人!」

と、ボケっとしている隼人をその隣に押し込んだ。


 朔が二列目の奥に座り、続いて僕が後部シート、隼人の隣に座ろうとして、満に朔の隣に引っ張られる。

「気を利かせろ」

ボソッと朔が僕の耳元でささやいた。


 満が助手席に座り、奏さんが乗り込めば、車は二股川に向かって走り出す。


 ここ八王子から圏央道、東名高速と乗りついて、大きな渋滞がなければ、ざっと一時間と少しで着く。


 圏央道に乗り入れた頃、僕はこの席割りが失敗だったと思い知る。後ろの二人、隼人と彼女が言葉を交わす気配がまったくない。もともと無口な朔は窓の外を眺めているだけだし、ムードメーカーの満は奏さん相手に、ひっきりなしに喋っていて、後ろの僕たちにも話しかけようとしたが

「危ねぇから、おとなしく座ってろ! グチャグチャ言うな、うっさい!」

と、奏さんに一喝されて小さくなった。


 僕はと言えば、車に乗るとすぐ眠くなる隼人が心配で落ち着かない。隼人のヤツ、眠くなると背中に顔を埋めたがって、人形ひとなりじゃ自分の背中は無理なわけで、いつも僕が背中を貸している。いくら隼人が図々しくても、まさか彼女に背中を貸せとは言えないだろう。


 盗み見すると、いつの間にか隼人は窓に寄っていて、彼女との間は余裕で一人座れるほど空いている。足を組み、立てた肘で顎を支え、グラサンで見えない目は開けているのか閉じているのか? 彼女の様子も知りたいところだが、僕のところから彼女を見るには身を乗り出さなきゃ無理そうだ。


「ほっとけ」

モジモジ動き回る僕に肘打ちをして、朔がボソっと僕にだけ聞こえる声でつぶやいた。


 おかげで車の中はずっと静かで、カーナビが『200メートル先、交差点を左です』なんて、無機質な合成音を急に響かせて、飛び上がるほど僕は何度も驚ろき、朔の失笑を買う羽目になった。


 二股川こども自然園は広々とした公園だったが、隼人が予約したバーベキュー広場は駐車場から近く便利な場所だった。案内図を見ると、ヤギやウサギ、モルモットなどの小動物がいる『ふれあい動物園』があったり、大きな池 ―― 高台にある駐車場からよく見える―― やアスレチック公園、奥にはザリガニ釣りができる沢も配置されている。梅園、桜山という表記もある。もともとあった里山と池を活かして作った公園で、聞くと地元では、公園ができる前から桜の名所なのだそうだ。


 荷物をかついだ奏さんが『行くぞ』と声をかけてくる。手伝っていた朔と満は先にバーベキュー広場に向かっていて、後姿を見せていた。隼人は、と見れば駐車場のすみで、池の向こうを紅美那さんと並んで見ている。高台にある駐車場から見える池は、キラキラときらめいている。今日はいい天気だ。


 二人が何か言葉を交わす。すると紅美那さんが隼人に寄りかかり、隼人がその肩を抱いた。


 ……隼人――やめておけ、どうせまた泣くんだから。そして泣かせることになるんだから。


 奏さんの移動に気づいた隼人が、彼女と手を繋いで広場に向かって行った――


 バーベキューもひと段落つき、売店から買ってきたソフトクリームを舐めながら、満が言う。

「へぇ……池の向こうの山を越えたところにある家に住んでいたんだ?」

紅美那さんが、そっと頷く。


「今も家族はそこの家に住んでいるんだけど、彼女はあの洋館に移っているんだ」

と、続けたのは隼人だ。


玉丸美たまるびの学生さんだろ? こっから電車で通うにはちょっとあるからなぁ。二時間かかるだろうな」


 自分の分の肉を焼きながら奏さんが口を挟む。奏さんはいつも、みんなのお腹が満足するのを見届けてから食事する。たとえ食べ尽されて、自分の分がなくなっていても、美味そうに食べるみんなの顔が俺のご馳走だ、と気にしない。


「それもあるけど……彼女の家には問題があってね」

「問題? なに、なに? 何が問題なの?」


 無遠慮に、しかも楽し気に聞く満の背を朔がはたく。勢いで満は、手にしていたソフトクリームを自分の鼻に食べさせて、

「朔っ!」

と、怒りだす。


「うん、古い家でね……」

そんな朔と満を気にすることなく隼人が言った。

「妖怪に好かれちゃったみたいなんだ」


 朔の鼻にもソフトクリームを食べさせようとしていた満、それを阻止しようとしていた朔、口元に焼けた肉を運んでいた奏さん、そして僕、が一斉に動きを止めて隼人を見た。


「もちろん退治してくれる、よね?」


やられた……これが隼人のコンちゃん、じゃなかった、魂胆か!

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