Green flash ー焼き鳥が登場する物語ー

MACK

* * *


 焼き鳥には思い出がある。


 今日みたいに同僚と仕事終わりにちょっと飲みに行こうか? というときの居酒屋で頼むイメージが強くて、焼き鳥=おっさん、という人は存外に多そうだ。僕だってそう。けれども僕の考えるおっさんは他人ではない。


* * *


 父。


 普段は不愛想で口数の少ない人で、饒舌になるのは酒を飲んだ時だけ。でも酒を飲むと陽気で下品でお喋りでひょうきんで面白い人になる。


「向こうに帰っても、母ちゃんの言う事ちゃんときけよ」


 帰省終わりの別れの際に必ず言われるのこのセリフ。

 いつも通りに「はいはい」と聞き流す。もういい大人だし、今更親の言う事をきくとかきかないとかそういう次元でもなかったけど、彼が素面しらふの時にかわす言葉はこれぐらいになっていた。別にあえて逆らう必要もなかったから、僕は「はいはい」と答えるのだ。


 たまの帰省でいつもするこのやり取りが、前回で最後という事になった。突然に。

 改めて思えばいつ最後になってもいいような言葉でもあって。遠くに住む息子にこれだけ伝えておきたいと、これだけは守って欲しいと、これが最後になるかもしれないからと、選んで言っていたのだろうかと思うと、胸が苦しくなってくる。自分が大人になっているという事は親は年老いているのだから、いつが最後でもおかしくなかったのに、親が死ぬなど全く考えていなかったのである。



 そんな父は、毎日仕事で家にいない人。僕が朝起きるともう出かけていたし、日が暮れると帰って来るけど、風呂に入って晩酌しながら野球を見て八時には寝る。休みは日曜だけで、週に一度ぐらいは遊ばせて欲しいとパチンコに出かけて姿を見ない。二十四時間働けますか? などとキャッチコピーが踊るCMの時代。皆が馬車馬のように働いていて、父親は常に家にいないし学校行事にも出ないという家庭は多かった。

 だからなんとなく、父親と距離があってもそれが普通だと思っていたのである。

 

 ダム建設という大きな公共事業を終えた小さな田舎町からは活気が消えて、人口が減るに伴って仕事も店もどんどん無くなっていた中、父は本当にコロコロと職業を変えた。同級生の父親は役場で働いているとか、大工をやってるとか、農業をやっていたりとわりかし固定だったから、仕事を頻繁に変える父は一つの事が続かない人なのかと不安になったりもしたけど、あれは西に稼げる仕事があればそこに行き、東に材木を運べば金になると聞けば大型免許とクレーンの免許を取って転職していて、子供二人と妻一人を養うために、身を粉にして働いていたのだと随分後になってから知ったものだ。


 だって、何も言わないんだもの。

 黙々と、ただ黙々と働く人だった。


 そんな娯楽の減った田舎、うちの近所に飲み屋が出来た。居酒屋なんて大層なものではなく、カウンター七席程度、酒とちょっとしたつまみしか出ない店。


 母の従姉妹が経営するという事もあり、付き合いもあってか父は仕事が早く終われば、本当に稀ではあったけどふらりと行くようになった。


 そこで注文できる唯一の料理っぽいものが焼き鳥。


 ある日父が「ウィー~、帰ったぞ~」と、テレビで見る酔っ払いのサラリーマンが折詰の寿司を持ち帰るかのように、パックに入った焼き鳥をお土産にしてきた。

 それを見て、「テレビで見る”お父さん”みたいだ!」と変な感動をしたものである。家にいなさ過ぎて、父親のイメージはテレビのドラマやアニメに出てて来るおっさんで定着してしまっていたようで。

 何という事か、この時に呼称でしかなかった「父ちゃん」が父という存在になったのである。


 炭火を使うような本格的なものではなく、ガスコンロで焼く家庭でも出来そうなやつ。だけど落ちて焦げたタレの煙がよくからむのか、炭火のような香りがする代物で。

 母と祖母の作る料理以外を食べる機会がなく、外食の経験もなく、はじめての”よその味”でもあった。お店の食べ物という特別感も相まって、「美味しい!」と魂に刻み込まれた。


 滅多に行かない飲み屋の、時々持ち帰られる焼き鳥のお土産。酒を飲んでいるからとってもご機嫌で、使い古されたダジャレやギャグも絶妙な間で披露して笑わせてくれる父。


 この二つが合わさって、焼き鳥は楽しい父との記憶になった。


 

 焼き鳥の思い出はその後も他の思い出に上書きされる事なく、楽しい父の思い出とセットになって幾年も僕の中にある。

 滅多にない事だったから、一日一日が鮮明に記憶に焼き付いたまま。


* * *


 会社の同僚を前に、串から焼き鳥を外す。

 外しながら父を思い出し、これに合わせて白いご飯が食べたいと同時に思う。


 夜遅くに持ち帰られるお土産の焼き鳥は次の日の夕食のおかずになって、一食分を作る手間の浮いた母を大層喜ばせていて、今思えば子供のために持ち帰るお土産ではなく母のためだったのかも。

 幾度となく繰り返された父の最期の言葉から、そう感じるのだ。


 喜ぶ子供達の向こう側で喜ぶ母の顔を、間接的に見ていたのかもしれない。愛してる等と言わない不器用な父の、精一杯のメッセージ。


 ついつい浮かぶ涙は炭火の煙のせいではないけれど、怪訝そうに見る同僚には「煙が目にしみるねえ」と父譲りのお酒を飲むと明るくなる性格でおどけてみせるのだ。



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