ベージュ色の回想

凹田 練造

ベージュ色の回想

 人里離れた山の中。

 付近には、もう、誰も住んでいない。

 丘の上に、とっくに廃校になった小学校の、木造校舎が建っている。

 時は春。旧校庭に植えられた何本かの桜が、まさに満開を迎えていた。

 わずかに散り始めたさくらの花びらの中、二人の老人が互いに近寄っていく。

 一人は、とても太った男性。もうひとりに、しみじみと語りかける。

「よう。久しぶりだな」

 もう一人の、こちらは対象的にやせた男が、懐かしそうに目を細める。

「ああ、もう何十年ぶりかな」

 二人とも、かつてこの小学校で学んだ旧友同士だ。さくらの花びらの舞い散る中、ゆっくりと校舎の入り口に向かってゆく。

 太った方、棒山峰男が、教室のドアを開ける。教室の中には、二人の老女が、小さな椅子に、窮屈そうに座っている、

 背の高い方が、二人の男性に向かって言う。

「男の子たち、遅いわよ」

 やせた方の男、紐田針助が、のんびりと答える。

「別に、何をやろうってわけでもないんだ。遅かろうが、早かろうが、関係ないさ」

 背の高い女性、空野上子が、しみじみと言う。

「それにしても、あっという間だったわねえ。全員が昭和八年酉年の八十八歳になった記念に、おそらく最後になるだろう同窓会を開くだなんて」

 背の低い方の女、土筆丘歩子が、異を唱える。

「あら、私だけは早生まれだから、昭和九年戌年よ」

 空野上子が、めんどくさそうに言う。

「どっちだっていいの。結局は、みんな、八十八歳になったってことなんだから」

 棒山峰男が、まぜっ返す。

「歩子だけ若いんで、すねてるんだろう」

 上子もムキになって、

「そんなことないわよ。みんなおんなじ学年だって言いたいだけよ」

 紐田針助も、しみじみと言う。

「若い頃は、早生まれなんて、幼いだけだと思ってたけど、年をとってみると、何か月かでも若いのは、うらやましいな」

 棒山峰男が、その場の雰囲気を変えようとするように言う。

「担任の矢印磯風先生は、どうしてるかな。まだ御存命だろうか」

 空野上子が、軽くいなすように言う。

「とっくにお亡くなりにになっているわよ」

 土筆丘歩子がしみじみと言う。

「そう。それじゃ、今日お呼びするのは無理なのね。たしかに、生きておられたら、百歳は越えていると思うわ」

 棒山峰男が聞く。

「いつごろ亡くなったんだい」

 空野上子が情報通ぶりを発揮する。

「もう十六年、いえ、十七年前かしら。御病気だったそうよ」

 土筆丘歩子が聞く。

「何の御病気だったの」

 空野上子が、こともなげに、

「そこまでは知らないわ。もう、ある程度、御高齢だったでしょうからね」

 棒山峰男が、思い出したように言う。

「矢印先生といえば、やっぱり、体罰を思い出すな」

 紐田針助も言う。

「廊下に正座させられて、よく木刀で殴られたもんだったな」

 土筆丘歩子が、遠くを見るような目で言う。

「そういう時代だったわよね。在学中に戦争が始まったし」

 紐田針助が、思い出したように言う。

「戦争といえば、疎開してきたやつがいたな」

 空野上子がすぐに答える。

「草履林土平ね。ここから、また、富山の方に疎開していったわ」

 土筆丘歩子が聞く。

「その後どうしたのかしら」

 空野上子が答える。

「気の毒に、富山で空襲にあって、亡くなったそうよ」

 棒山峰男が言う。

「第二次世界大戦における富山市の家屋消失率は、九十九%だったそうだ。叔父が戦後新聞社に入って、時々刻々更新されていく情報を見ていたけど、結局富山市が世界一だったらしい」

 なんとなく、重苦しい雰囲気になる。

 土筆丘歩子が言う。

「家族で朝鮮半島に渡った子もいたわね。たしか、急半田鹿女ちゃん」

 空野上子が、憂鬱そうにいう。

「あの子は、行方不明になったらしいわ」

 棒山峰男が言う。

「大陸に行った人たちは、命からがら逃げ帰ってきたからね。荷物だけ乗せて列車が発車しちまったり、殺されそうになったりは、ざらだったようだ」

 土筆丘歩子が、その場を代表するように言う。

「本当に、戦争は嫌ね」

 誰もが無言でうなずく。

 棒山峰男が聞く。

「今日は来てないけど、俵平麦男はどうしてるかな。あいつとは、よく遊んだものだが」

 空野上子が、努めてさり気なく答える。

「事故で死んだらしいわ」

 土筆丘歩子が、流れを変えようとするように言う。

「新田の赤山田寄席子ちゃんは?」

 空野上子が答える。

「あの子は、病死。まだ四十そこそこだったみたい。お子さんが、まだ、小さかったそうよ」

 棒山峰男が言う。

「それで全員かな。小さな学校だったからな。」

 土筆丘歩子も言う。

「本来、男女七歳にして席を同じゅうせず、の時代だっものね。本来なら、三年生から男女別々になるはずだったのに、学年全部で十人いないんだから、結局おんなじ学級のままだったわね」

 空野上子も言う。

「男女とも、変に意識しちゃってね。意味もなく対立したりしてたわ。よく、男の子がいじめてたっけ」

 意味ありげに空野上子に見つめられた棒山峰男が、顔を赤くして言う。

「いや、それは……。おれ、本当は、空野のこと、好きだったんだ。だから、ちょっとでもつながりを持ちたいと思って……」

 今度は、空野上子が顔を赤くする番だった。

「何を今さら馬鹿なこと言ってるのよ。そんなこと言ったら、私だって、紐田君に、ちょっぴり憧れてたのよ」

 今度は、紐田針助があわてることになった。

「いや、俺はずっと、土筆丘のことが気になってたんだ。小柄だけど、なんとなく可憐で、可愛らしくて」

 それを聞いて、土筆丘歩子が、あわてだす。

「あら、私は、棒山君が好きだったわ。男らしくて、頼りがいがあって」

 四人は、それぞれ顔を見合わせあっていた。

 懐かしさが、時の流れを巻き戻し、まるであの日に戻ってしまったような雰囲気になっていた。

 校庭の桜は、何事もないかのように風景を彩っている。山の春は、早くも日が西に傾きかけていた。

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