88歳のメッセージ

或木あんた

第1話

「万作ひいおじいちゃん、誕生日おめでとー!」


 米寿の誕生日、私の周りには子どもや孫、ひ孫が集まる。大勢の家族に祝福されるこの瞬間は、長い人生を生きた私にとって、この上なく幸せな時間だった。


 私が祝いの席を離れても、家族は談笑を続けている。そのことにも穏やかな喜びを感じながら、私は自室の仏壇の前に座り込む。


 1つだけ、後悔があった。

 亡くなった妻のことだ。

 妻とは約70年寄り添ったが、晩年はアルツハイマーのせいで、家族のことを忘れてしまっていた。私はその悲しみに耐えきれず、感情的になって妻とは距離を置いた。そのせいで、私は妻の臨終に立ち会えなかった。どんなに後悔しても、そのことは拭えない。たとえ米寿まで生きたとしても、妻を看取らなかった罪は消えないのだ。


 感傷的になった私はアルバムを取り出し、妻との思い出を振り返る。新婚の時。子どもが生まれた時。離婚を考えるほどケンカしたのち、お詫びに行った旅行。妻との思い出はどれもありふれていたが、そこにいる妻はどれも笑顔だった。


(なのに、ごめんなぁ)


 心の中に後悔が押し寄せ、私は胸が苦しくなる。急くようにしてページを進め、


「あ?」


  今まで何度もアルバムを見てきたが、気付かなかった。アルバムの最後の1ページ。アルツハイマーになる直前の、妻の笑顔の写真。その写真の端から、紙切れが挟まっているのに、ようやく私は気付く。

 震える手で紙切れを取ると、そこには見知った妻の字があった。




 万作さんへ


 久しぶりにアルバムを見返したら、どうしても一言伝えたくなってしまいました。


 幸せにしてくれて、ありがとう。

 これからも、笑顔で、いつまでも。



 私は静かに涙を拭く。ゆっくりとアルバムを閉じ、家族の談笑へと足を向けた。


(こちらこそ、ラブレターありがとう。私は本当に、幸せ者だ)


「あ!ひいおじいちゃん、笑ってる!おめでとー!」


再び笑い声が鳴り響く居間で、私はいつまでも手紙を握りしめていた。


 

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