娘の年齢を間違えた話

小花ソルト(一話四千字内を標準に執筆中)

第1話   娘の年齢

 デパートの一階で、母の日の似顔絵を展示するイベントがあるらしい。妻と娘が、その話で夕飯時、盛り上がっていた。


 娘はお絵かきが大好きで、母の日も父の日も、自分の誕生日にも、なぜか家族三人全員の顔を、一枚の大きな画用紙に描いて、壁に貼るのだ。


 娘はデパートで、展示用の作品を描く用紙をもらっていた。これに、作品を描くらしい。


 絵が大好きな娘は、まだ母の日には十日ほどあるのに、夕飯が終わるとさっそくクレヨンを掴んで、真剣な顔でガシガシと妻の顔を描いていった。真ん中に妻がおり、その右隣には娘が笑顔で、俺は下の方で小さく描かれていた。どうやら、描くバランスを考えていなかったらしく、かろうじて空白があった下側に、俺を収めたようだ。


「パパ、ここはおうちの人に書いてもらってって、デパートのお姉さんに言われたの。ママはお皿洗いしてて忙しいから、パパに描いてもらいなさいってー」


「わかったよ。ボールペンはあるかな」


 用紙には、娘の名前と年齢を記入する欄があった。昨今は個人情報の流出に過敏な時代だから、デパートの人も考えたのだろう、あだ名でも結構だし、ご記入に抵抗がある保護者は空欄でも良いとの一文が、記入欄の下に小さく書いてあった。


 妻は娘のことを叶子かなこと呼んでいたが、俺は娘が幼稚園で友達から呼ばれているカナちゃんと書いた。今回の展示会で、娘と同級生の子も、たくさん参加しているだろうと思っての事だった。


 その時、たまたまつけっぱなしだったテレビが、美味そうなビールのシーエムを流した。喉を鳴らしながらジョッキを一気に傾ける女優さんの、その豪快な飲みっぷりに、つい視線が奪われてしまった。


 俺は書き終わった用紙を、娘に返した。娘の話によれば、これをデパートのお姉さんに渡せば参加できるらしい。もう夜も遅いのに、今からデパートのお姉さんに渡すんだと駄々をこねる娘に、明日パパが仕事帰りに渡しておくからと約束して、何とかなだめた。



 そして母の日当日。デパートは、母の日セールと、赤いカーネーションを模したイミテーションで、赤く飾られていた。


 たまたま仕事の休みが取れた俺たちは、娘を連れて、デパートの展示会場に赴いた。偶然にも娘の友達も親御さんと来ていて、さっそく娘とはしゃぎあい、指をさし合って、自分たちの描いた絵の位置を教えあっていた。


 俺も妻と、叶子の友達の親御さんと挨拶していた。どこもクレヨンを引っ張り出して、一生懸命にママの顔を描いたらしい。それが本当にすごく嬉しかったのだと、涙ぐんで話すママさんの話は、思わずこちらも釣られそうになった。


 にわかに娘たちが大騒ぎし始めたのは、ちょうどそんな時だったと思う。


 なにやら男の子たちに、からかわれて娘が泣いている。何があったと間に割って入る。娘が大泣きしながら、指を差した先にあったのは、昨日娘が大張りきりで描いた母の日の絵……ではなかった!


 その下にある、親御さんが書く欄だった。


 俺は娘の年齢を、「88さい」と記していたのだ。娘ギャン泣き。妻からは「娘の年齢もわからないの!?」と正気を疑われた。


 娘の友達は「かなちゃん、おばあちゃんみたいなトシになってるよー」と己の親に無邪気に報告し、指まで差している。


 あまりに娘が泣き叫ぶので、俺は係の人に、今からでも年齢の部分を書き直させてくれないかと頼んだ。


「はい、構いませんよ。では、取り外して参りますので、少々お待ちください」


 俺は人を見た目や雰囲気で、仕事ができるかできないかを決めつける狭量な人間では無いはずだったのだが、この時、すごく嫌な予感がしたのを今でも覚えている。


「よいしょっと……」


 その人は、もたもたもたもたとした足取りで娘の絵の前にやってくると、両手を伸ばしてぴょんぴょんと飛び跳ねだした。小柄な女の人だった。ギリギリ、手が届かない。大の大人がドタバタと飛び跳ねる姿は、とても目を引き、おそらく会場に来ていた親子連れ全員が、俺の過失「88さい」の目撃者となっただろう。


 子供とは残酷なもので、何か珍しいものや面白いものを見つけると、親に教えたがる。クスクス、ケラケラと「88さい」を指差され笑われ、娘は妻にしがみついて嗚咽を漏らしていた。


「あーもう! 俺が取ります」


 俺は手を伸ばして、娘の絵を壁から引き剥がした。

 背広の内ポケットに入れていた修正テープで、バッと「8」を一個消す。


「ほら、かなちゃん、これで8歳になったよ」


「あなた、叶子はまだ4歳よ」


「え……?」


 この日は、娘の機嫌をとるために、デパートで大きなハンバーグを食べた。泣き腫らした娘の、いまいち満足してなさそうな不満顔と、怒った妻がまったく目を合わせてくれなかった横顔は、今思い出しても冷や汗ものだ。



 以上の内容をまとめた原稿を、俺は今日、嫁いでいく娘の結婚パーティで披露した。世情もあり、娘は大勢の友人たちに気を遣って、なじみの居酒屋で、しっかりコロナ対策をして、白のミニドレスにケーキ屋から配達されたウエディングケーキを手配し、今日から苗字が相手側に変わる。


「お父さん……もう、急にスピーチするんだって言い出すから、急いで時間を作ったけど、そんな昔の話を、持ってくる、なんて……」


 いけすかない花婿の隣で、娘が白い手袋をそのままに涙を拭いだす。


 俺もつられて、熱くなった目頭を抑えた。鼻水が出そうになるのは、大きくすすって、咳払いでごまかす。


 理奈、娘は優しくて世界一幸せな女性になって、今日、巣立ってゆくよ。


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娘の年齢を間違えた話 小花ソルト(一話四千字内を標準に執筆中) @kohana-sugar

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