はなとはち ひとむかし-2

林凪

第1話



 年度が変われば異動がある。関係なさそうなホストクラブにもじつは多大な影響を与える。

「そういえばアムロもカイも会社員でしたね。アムロが同僚のカイを紹介してくれたんでしたか」

 ナンバーワンを競い合うほどではないが安定した売り上げのある二人。それが勤務先の支店集約によって4月から転居を伴う転勤。ここでのアルバイトが出来なくなったと言って来たのだ。

「そうなんだよー、困っているんだよー」

 オーナーから経営を任せられている店長は頭を抱えていた。全国に支店のある大手会社に勤務している二人はあわよくばの結婚を夢見る水商売の女の子たちにウケよくて、二人揃って抜けられるのは確かに苦しい。親に偶然、昔のアニメがらみの名前をつけられた二人はアフターもつるむほど仲がよく、それがさらに奇妙な人気を煽っていた。

「専業にならないかって誘ったんだけど」

「そりゃムリでしょう」

 若く見えるが二人とも三十を過ぎてる。まともな会社をやめて水商売に足を突っ込むつもりにはならないだろう。内情を少し知っているならなおさら。

「それで、どうしても、どーうーしーてーもー人手不足でさ」

 新年度にはクラブの客も増える。会社の上司に若いOLが連れてこられることもあるし、飲み屋の女の子が客の会社員を連れてくることもある。毛色の変わった二次会、面白いところ行こうかという社会見学、みんな最初は冷やかしのつもり。

 その中で対応したホストが好みだったり雰囲気に夢中になったり、性向が適合してしまった人間がコアな常連客になる。この店は男性客も普通に受け入れるので、男性を含めた新入社員の新規開拓も大切な『種まき』。

「それでね、レイちゃんの、彼氏にね」

 客の女の子たちならともかく四十過ぎたオッサンにちゃんづけされる筋合いはないと、相談されている古株のホストはぎろり、相手を睨む。

「ぜひ手伝って欲しいんだ。短期の体験入店でいいから」

 睨まれて萎縮するような気弱な人間はクラブの経営を引き受けないし、まかされもしない。

「細身のスーツ着てネクタイ崩してもらってさ、うちいまメガネ男子が居ないから伊達メガネとか掛けてもらってさ、頬杖ついて客待ち顔で煙草吸ってもらったら、すっごくモテると思うのアタ……、ボク!」

 ふだん隠しているけれどオネエ系の店長は私情をまじえた妄想を絶叫する。ホストはますます苦い顔になる。

「ダメです」

「そう言わないで、助けると思って」

「手助けなら源泉の発行で十分だろ」

 ホストの口のききかたがぞんざいになっていく。話の対象を意外なほど大切にしているのだ。話題の『彼氏』は法律関係の仕事をしている。駅前にある司法書士事務所の繁華街出張所。本人も有資格者で本事務所との関係は屋号借、会計は独立している実質的な経営者。

 従業員は居ない一人事務所だが、クラブの副業ホストたちの給与はその事務所を通して支払われている。会社員が勤務先に提出する副業申請で士業なら世間体がいいし、資格取得を目指していて実務を経験したいから、とか言っておけば同僚・上司のウケもいい。

 もちろん手数料は取っているけれど、おかげでこの店はホストずれしていない新人ホストを雇いやすくてずいぶん助かっている。

「あんまりしつこいと俺も店かえるぞ」

「そんな切り札、早々と出さないでよー」

「駆け引きするつもりはねぇよ。かえる」

「ごめんなさい、やめてください。レイちゃんの『彼氏』の艶姿をちょっとだけ見たくなっただけです。だってすごく美形で格好好いんだモン。皮肉屋さんな感じなのに話すと礼儀正しいし、声も素敵で、アタシ大好きなの。ファンなのよ~」

「離せって。家に帰るんだ」

 閉店後に引き止められ話を聞いていた友達営業系のホストは生あくびをひとつ。

「寝盗ろうとかしたら俺と殺し合いだからな」

「腕っ節でレイちゃんに勝てるわけないし。そもそもレイちゃんとセットが一番好きなんだわ。並んでるの見てると心がフワフワするの。乙女に戻っちゃう」

 店長の告白に世辞の気配はなくて。

「……あんた、バカだろ」

 呆れたような返事は浮かれる相手をかなり許している。

「人手不足は俺もちょっと気をつけと……」

 く、とは続けられなかった。

「おはよう」

 夜明けの薄明るい廊下に、店長が妄想したほぼそのとおりの姿が立っている。

「ドアの隙間に突っ込んどくつもりだったが、声が聞こえたんで」

 まだ空調を切り替えていない店内は暑く入り口の扉は開け放しだった。差し出された封筒には『飲食店営業許可証・更新分』の文字。

「渡しといてくれ」

「おぅ」

 封書を店長に、と振り向けば、相手はこちらに背中を向けしゃがんでいる。

「……ココロの準備が……」

「訳わかんねぇこと言ってんじゃねぇよ」

 ホストは店長の襟首を掴んで立たせた。長身の上に持ち上げられて、ほとんどぷらーん、とぶら下がった姿で廊下に顔を向けられる。徹夜仕事のあとらしい『彼氏』は細身のスーツを着てネクタイを緩め、シャツのボタンさえ二・三個外し、寝不足の少し疲れた妍を目元に漂わせている。

 繁華街では逆に珍しい染めていない髪は艶々と黒く、すっと通った鼻筋に形のいい唇といういまどき流行らない正統派の美形。逆にいうなら流行り廃りなく、100年前も100年後も周囲をきゅんとさせるだろう。

「あ……、の。……ごめんなさい……」

 暴言を店長は謝罪した。美形は少し困った顔をして、それからさらに少しだけ、本当に少しだけ、笑う。

 謝らられるようなことはなかった。別に気にしていない。いつもこいつが世話になっています。口元のかすかな綻びはそんな諸々を一瞬で伝えた。

 店長を床に降ろしてホストは美形に歩み寄る。腕をまわし肩を抱いた。顔を覗き込む。広い背中に阻まれて何をしているのかは見えない。でもはっきりと分かる。

「家帰れンのか?」

「9時になったら法務局に補正に行く。終わったら帰る。事務所で仮眠しようとしたんだが寝付けなくて散歩中だ」

「寝かしつけてやろうか」

「疲れて起きれなくなるだろ。何時になるか分からないからメシ待っとくな」

「作って置いとく。俺が寝てても、帰ったら一回こえかけろよ」

「分かった」

 仲むつまじくエレベータに乗り込む二人を店長は床に座り込んだままで見送り。

「アタシいくつよ。どこの小娘よ」

 うるさい鼓動をもてあましながら指先の赤くなった掌をあわせ。

「おごちそうさまでした」

 けっこう真面目に、二人が消えたあとを拝んだ。


 



 

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