過ぎた時間

愛空ゆづ

踏み出した先

 私には記憶がない、正確には28歳の時から今までの記憶がない。

 身体には管が繋がれ、口には呼吸器をつけられている。気が付いた時には既にこの姿だった。


 長い間、横たわったままの身体がまともな訳もなく、朽ち果ててしまったかのように重い。私が目を覚ましていることを見つけた看護師はとても驚いていたし、病院内はとてもざわついていた。回復できるような状態でもなかったようで、理由もわかっていない。呼吸器から出る酸素と繋がったいくつもの管によって無理やり生かされているだけ状態だった。


 私は28歳の冬、ビルの屋上から飛び降りた。聞いた話によると、下に生えていた木にぶつかって奇跡的に助かったらしい。全く詰めの甘い人間だ。そのせいで周りの人間にも大変な迷惑をかけてしまった。


 その後、私は進歩していたのであろう医療に助けられ、徐々に車椅子で動けるまでには回復をした。目が覚めてから初めての外の世界。知らない道に知らない建物が並び、知らない車が通り過ぎていく。これも夢であってほしいと願ってしまう。しかし、私がした過去は現実であり、それを変えることはできない。


 自分の精神は幼いまま、身体だけが衰えてしまった。自分を知る者もいない。まるで浦島太郎だ。踏み出した一歩が60年という時間を進めてしまった。


 私には何もない。もう何かに役に立つことも、出来ることも何もない。その現実が耐えられず、許されざる事とは分かっていながらも、私はまたその一歩を求めた。

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過ぎた時間 愛空ゆづ @Aqua_yudu

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