「えっ……それじゃああんたは、もう七回もこのわけのわからない状況を繰り返してるってのかい!?」


 泣きやんだ葉月から事情を聞いた美沙子は、心の底から仰天することになった。

 ダイニングの椅子に腰をかけた葉月は、ハンカチで目もとをぬぐいながら「うん」とうなずく。


「最初の四回が終わった後、元の時代に戻ることができたんだけど……そこでまた、静夫くんに殺されることになっちゃって……気づいたら、またお祖母ちゃんの姿になっちゃってたの」


「なるほど。それじゃああたしが目撃したあの光景は、まごうことなき現実だったってわけだね。……でもまあこうして再会できたんだから、ちょっとばかりは腹も収まったけどさ」


 美沙子が葉月の頭に手をのばそうとすると、今度は「やめてよ」とかわされてしまった。

 しかしそれもまた、実に葉月らしい仕草である。心中に吹き荒れる喜びの念を押し隠しつつ、美沙子は皮肉っぽく笑ってみせた。


「しかしそいつは、どういう状況なんだろうね。あたしなんかは、これが三回目の繰り返しなんだけどさ」


「三回目……? やっぱり母さんも、誰かに殺されるたびに、時間を巻き戻されることになっちゃったの?」


「うん。一回目は自爆で川に落ちちゃったわけだけど、そいつは父さんがおっかない顔で襲いかかってきたからだね。それで二回目は、こともあろうに祖父さんに殴り殺されることになったんだよ」


「殴り殺されるって……ゴルフクラブで?」


「ああ、そうだよ。なんであんたが、そんなことを知ってるんだい?」


「わ、私も二回目の時は、孝信さんにゴルフクラブで殴り殺されることになったんだよ」


 そんな風に言ってから、葉月はひどく真剣な眼差しになった。


「でも、そうか……ちょっとわかってきたかもしれない。五回目と六回目は、母さんが殺されちゃったから私の時間まで巻き戻されることになったんだね」


「うん? そういえば、その頃のあんたは何をしてたんだい?」


「私はずっと、この家にいたんだよ。五回目の時は、静夫くんからの誘いを断って……でも、次の日にけっきょく、同じぐらいのタイミングで時間を巻き戻されることになっちゃったから――」


「待った待った! 次の日ってのは、なんの話だい? あんたはこの世界で何日も過ごしてるってこと?」


「いや。最初の二回と五回目と六回目は、前日からのスタートだったんだよ。母さんは、そうじゃなかったの?」


「あたしは毎回、同じ日の同じ時間だよ。……こいつはちょっと、情報を整理したほうがいいみたいだね。とりあえず、あんたがこれまでどういう体験をしてきたのかを聞かせておくれよ」


 美沙子の要請に従って、葉月は「うん」と語り始めた。

 黒い瞳が強く輝いて、まるで蓮田千夏のような頼もしさである。そして実際に、今の葉月は祖母たる蓮田千夏の肉体であったのだった。


(なるほど。あたしはこの貧弱な体に悩まされてたけど、葉月は逆に母さんの立派な体に助けられてるってわけね)


 そんな想念を思い浮かべつつ、美沙子は葉月の驚くべき告白を拝聴することになった。それは美沙子が想像していたよりも、遥かに素っ頓狂な内容であったのである。


 まず、最初の回。葉月は前日の八月九日の夕暮れ時、野々宮の家の土蔵で覚醒することになった。その帰り道に野々宮静夫から遊びの誘いをかけられたが、それを断ったとのことである。そうして翌日、散歩の最中に静夫と隆介が言い合いをしている現場に出くわし――狂乱した隆介が、静夫と彼女を殺害してしまったのだという話であった。


 そして、二回目。こちらでは、前日の夕暮れ時に、静夫とともに蓮田の家に帰る場面で覚醒した。それで前回とは異なる運命を辿るべく、静夫からの誘いを了承したのだ。

 しかし翌日、静夫は彼女と出会って間もなく、喘息の発作に見舞われてしまい、たまたま通りかかった吉岡医師とともに家に戻ることになった。そして、それを追いかけて野々宮の家に向かった彼女は、隆介ともども野々宮孝信に殺害されてしまったのだった。


 三回目では、八月十日の午前九時半に目覚まし時計で目覚めることになった。それで、野々宮家の人々を狂乱させる日記帳を処分するべく、静夫と二人で書庫を探索することにした。その最中に吉岡医師がやってきて、ひとりとなった彼女は仏間で日記帳を発見することになり――蓮田の家でその中身に目を通し、呆然としているところに吉岡医師がやってきて、殺害されてしまった。その前に、吉岡医師は野々宮孝信をも殺害していたとのことである。


 そして、四回目。これまでの経験を踏まえた彼女は、日記帳を確保した上で吉岡医師を糾弾しようと試みた。そのさなかに静夫が応接間に踏み込んできて、吉岡医師を殺害し、母親を殺したのも自分だと宣言した。


「そのときは、私は殺されていないはずなの。それで次に目が覚めたら、元の時代で母さんと一緒に野々宮の家に向かう最中で……母さんから聞かされる打ち明け話の内容が変わってたんだよ」


「なるほどね。あたしの中に二つの記憶が同居してるのは、そういうわけだったのかい。片方はもともとの歴史で、もう片方はあんたが改変した歴史ってこったね」


 葉月があれこれ介入したために、歴史が改変されることになったのだ。野々宮の家にいつまでも居座っていたはずの静夫は、この八月十日に吉岡医師を殺害し、精神病院に収容されることになったわけである。


「それで私はお墓の前で、年を取った静夫くんに殺されて、またこの時代に放り込まれることになったんだけど――」


 五回目――あるいは二巡目の一回目において、葉月はやはり前日の土蔵で覚醒し、帰り道で静夫から誘いをかけられたが、それを断った。どうせどのようにあがいても同じ結末にしかならないのだと、絶望してしまっていたのだそうだ。

 それで葉月は翌日になってもずっと家に引きこもっていたが、十時五十分頃に意識を失い、またセピア色の奔流に呑み込まれてしまったのだという話であった。


 そして前回、二巡目の二回目。一巡目の二回目と同じように、葉月は前日の帰り道で覚醒した。それで気力を振り絞り、静夫からの誘いを了承したが――翌朝にはその気力もしぼんでしまい、迎えに来た静夫を追い返してしまったのだそうだ。

 その後はずっと家に引きこもっていたが、やはり同じぐらいの時刻に意識を失うことになった。


 それで今回、二巡目の三回目である。

 葉月は目覚まし時計が鳴るより早く、美沙子が騒いだために目を覚ますことに相成ったわけであった。


「なるほどなるほど……それじゃあ今度は、あたしの話を聞いてもらおうか」


 美沙子がそのように言いかけたとき、蓮田千夏の寝室からけたたましいベルの音が鳴り響いてきた。


「ああ、ちょうど九時半だ。確かに前回も、この時間に目覚ましが鳴ってたね」


「え? あのとき、母さんは寝室にいたの?」


「いや。表で川向こうの道を見張ってたんだよ。とにかくあのやかましい音を止めてから、じっくり聞いてもらおうか」


 そうして美沙子は、語り始めた。

 それを聞く内に、葉月はどんどん驚嘆の表情になっていく。ただそこには、深い理解の色も浮かべられていた。


「そっか……それでわかったよ。だから一回目の時、静夫くんはあんなに早い時間から日記帳を手にすることができたんだね」


「ん? どういうこと? それはあんたにとっての五回目の話なんだから、一回目とは関係ないでしょ?」


「違うよ。やっぱりこの世界は、私たちが干渉しない限りは同じように展開してるんだよ。だから、一回目と五回目は私がたまたま同じように振る舞ったから、同じように展開したってことなんじゃないのかな?」


「同じように振る舞ったっていうのは……あんたがクソジジイの誘いを断ったことだよね?」


「うん。それで落胆した静夫くんが、吉岡の診療所まで相談に行ったって話なんでしょ? そこで吉岡を殺して、日記帳を確保して、隆介くんを呼び出した……何もかも、私が体験したのと矛盾しない展開だもん。ただ母さんは一回目の私より早く現場に到着したから、私の聞けなかった話まで聞くことができたんだね」


 そんな風に言ってから、葉月はぶるっと身を震わせた。


「それに私は、静夫くんの背中の側から覗いてたから……静夫くんがどんな表情をしていたかもわからなかったんだよ。まさかあのときの静夫くんが、あの怖い笑顔になってたなんて……私は想像もしてなかったよ」


「ああもう、頭が痛くなりそうな話だね! それじゃあ、前回の六回目――二巡目の二回目ってのは、どういうことになるのさ?」


「そっちは私が、違う行動を取っちゃったけどね。でも、大筋は変わらないんじゃない? 静夫くんが私とおしゃべりをしてる間に発作を起こしたか、私とおしゃべりできずに家に帰ったかって違いがあるだけで、吉岡は同じ時間に野々宮の家に向かったわけだからね。それで孝信さんが仏間の日記帳を見つけて、ゴルフクラブを振り回すことになったんだよ」


 そのように熱弁しながら、葉月はさらに考え深げな目つきをした。


「そういえば……私の前で静夫くんが喘息の発作を起こしたとき、右の脇腹を押さえてたんだよね。どうしてそんな場所が苦しいんだろうって不思議に思ってたけど、静夫くんはその場所を怪我してたんだね」


「ああ。十針ぐらいは縫ってそうな、大怪我だったよ」


「それに、二巡目ではいっつも新聞が玄関に落ちてて、お小遣いやメモが残されてなかったからさ。些細なことだけど、この違いは何なんだろうって疑問に思ってたんだよね」


「はは。金だけ渡してほったらかしなんて、この祖母さまもあたしと似たような教育方針みたいだね」


「うん。私もそう思ってた」


 葉月がくすりと笑い声をこぼして、美沙子の心を温かくしてくれる。

 それを皮肉っぽい表情で押し隠しながら、美沙子は「うーん」と思案した。


「あたしもひとつ、納得がいったよ。前回と前々回でどうしてクソジジイの行動が違うのかって、あたしはやきもきしてたからさ。あれはあんたの行動の違いが原因だったわけだね」


「うん。私が静夫くんの誘いを前日に断ってたら、きっと前回も同じように展開してたんだろうね」


「そうしたら、あたしがクソジジイを始末して、ハッピーエンドを迎えられたのにさ」


 美沙子がそのように言いたてると、葉月は「駄目だよ!」と眉を吊り上げた。


「母さんは、本気で静夫くんを殺すつもりだったの? そんなの、どこがハッピーエンドなのさ!」


「四十年後にあんたが殺されなきゃ、それでハッピーエンドでしょ。あんなクソジジイは、生きてたって誰の得にもなりゃしないんだしさ」


「得とか損とかの話じゃないでしょ! 母さんが人を殺すなんて……そんなの、絶対に嫌だよ!」


 と、葉月がよく輝く目に涙を浮かべたため、さしもの美沙子も慌てることになった。


「ちょ、ちょっと、何をそんなに興奮してんのさ? あのクソジジイは、こともあろうに自分の母親を殺したって言い張ってるんだよ? 実際、吉岡ってお医者のこともたびたび殺してるわけだし……」


「静夫くんがどんな悪人でも、関係ないよ! 母さんは、隆介くんや孝信さんが人を殺す姿を見て、なんとも思わなかったの? 家族が人を殺すところなんて……私は絶対に見たくないよ!」


 美沙子は内心の動揺をねじ伏せつつ、苦笑してみせた。


「生憎、あたしはあんたほど善良でも親切でもないんでね。……でも、それじゃあどうするのさ? あのクソジジイを放っておいたら、四十年後にあんたが殺されることになっちまうんだよ? 次に元の時代に戻ったとき、あんたが死ぬより前の時間だとは限らないんだしさ」


「でも……でも、何か方法はあるはずだよ。静夫くんに、お祖母ちゃんへの執着を捨てさせるとか……」


「あたしもそれは次善の策として考えてたけど、でもどうだろうね。相手は自分の母親を殺すようなイカレ野郎なんだよ?」


 美沙子の言葉に、葉月はきゅっと眉をひそめた。蓮田千夏の気丈そうな面立ちと相まって、ひどく凛々しい表情である。


「でもさ……由梨枝さんを殺したのは、本当に静夫くんなのかなぁ?」


「はあ? あたしもあんたも、本人から自白の言葉を聞いてるじゃん。今さら疑いようはないでしょ」


「でも私は、吉岡のやつが犯人だと思ってたんだよね。それで穴だらけの仮説を立ててみせたんだけど……静夫くんが犯人だとすると、仮説の立てようもないんだよ」


「どうしてさ? あいつは同じ家に住んでるんだから、父さんが祖母さんをお堂に呼び出すところも覗き見できるし、日記帳を盗み見ることも余裕じゃん。吉岡ってお医者が犯人だと考えるより、むしろ自然なぐらいじゃない?」


「それじゃあ、動機は?」


 葉月は凛々しい面持ちのまま、そのように言いたてた。


「吉岡は、野々宮家の人たちが静夫くんを苦しめてるっていう妄想に取り憑かれてる。でも、隆介くんがお母さんと吉岡の不倫に気づいたとしても、静夫くんがお母さんを殺す理由はないでしょ? 静夫くんだって、それは最初から知ってたみたいだし……」


「ああ、あのクソジジイの本当の父親は吉岡だって話かい。クソジジイも、そいつは最初からわきまえてたわけだね?」


「うん。吉岡がそれを私たちの前で口にしちゃったから……静夫くんは、吉岡を殺すことになっちゃったんだよ」


「どうせそれも、母さんに嫌われたくない一心でって話なんだろ? そんな根深い執着を捨てさせることなんて、できるもんかねぇ」


 美沙子は溜息をつきながら、ほつれたパーマの前髪をかきあげた。


「でも確かに、あいつらはまぎれもなく親子なのかもね。穴ぼこみたいに真っ黒な目も、薄気味悪い笑い方も、嫌になるほどそっくりだったしさ。……あんたはあんな連中を改心させる手立てでもあるってのかい?」


「それはまだわからないけど……でも、誰が犯人であるにせよ、きちんと真相を突き止めるべきじゃない? そうしたら、何か解決の道が見つかるかもしれないし……」


「あたしらに、そんな時間があるのかねぇ。そら、もう十分もしたら、クソジジイが迎えに来ちまうよ」


 美沙子の言葉に、葉月は椅子の上で飛び上がった。


「そ、そうだったね! 私はちょっと着替えてくるから、母さんはその間に考えておいてよ!」


「って、まさか、野々宮の家に乗り込むつもりかい? 前回も前々回も、あんたはずっと引きこもってたんじゃなかったっけ?」


「だって、それは……私は独りぼっちなんだって思ってたから」


 葉月は小麦色の顔をわずかに赤らめつつ、自分の寝室に飛び込んでいった。

 その後ろ姿を見守りつつ、美沙子はふっと微笑をこぼす。おかしな話に頭を悩ませていないと、美沙子はすぐに生きた葉月と再会できた喜びに心をとらわれてしまうのだった。


(でも、あれは葉月の本当の姿じゃない。本当のハッピーエンドを迎えるには、どうにかこの馬鹿馬鹿しい状況を打ち破らないといけないんだ)


 そんな風に考えながら、美沙子はどうしても微笑を引っ込めることができなかった。

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