押しかけ幼馴染と適当炊き込みご飯

わたのはく

押しかけ幼馴染と適当炊き込みご飯

「ひさしぶり、元気してた?」

 時計の短針が午後6時を回った頃。チャイムの音に急かされドアを開けてみれば、目の前に立っていたのは半年前と変わらない姿の幼馴染だった。厳密に言うと春服は夏服のワンピースに変わり、半年前にボブだった髪は肩につく長さまで伸びている。私の幼馴染、もとい佐藤は、パンパンに膨らんだリュックを背負い、スーパーのビニール袋と大きな麦わら帽子を腕いっぱいに抱えていた。

「……こっち来るの、明日って聞いてたんやけど」

「いやぁ、せっかくやし、ビックリさせたくなってもて」

 来ちゃった、と赤いハートマークをまき散らすように佐藤が微笑む。私は大きく息を吸い、鼻からふっと出した。「変わらんようで何よりやわ」と言うと、彼女はんふふ、と嬉しそうに笑った。

「はい、どーぞお入りください。しかし何、そのおっきい麦わら帽子は」

「お邪魔しまーす。ああこれ?夏といえばロングヘアの黒髪美少女に麦わら帽子と相場が決まってるもんやと思って」

 「まあ髪の毛は残念ながら足りてないんやけど」と心底不満げに言う佐藤は、相変わらず美少女然とした見た目をしている。小学校の入学式からの付き合いである彼女は昔から可愛らしかったが、その変に自信家なところと有り余る行動力のせいで、いつも話題には事欠かない愉快な人間なのだった。他人とお付き合いに発展しても「付き合いきれない」という決まり文句でフラれるのは日常茶飯事だったし、部活の大会だの学校行事だので何かしら活躍するので、学校新聞ひいては地方紙の常連生徒として有名だった。ちょうど半年前に卒業した高校では新しく3つも同好会を立ち上げ、卒業までの数年間ですべて正式な部活動までに昇格させた偉業は記憶に新しい。

 そんな嵐のような美少女がなぜ私と友人関係にあるかというと、私にもわからない。ただ私が彼女のことが好きで、彼女も私のことを憎からず思っている。多分それだけの話だ。

「卒業とともにバッサリ切ったのはいいんやけど、半年でこんなに伸びへんとは思わんかったわ」

「見通しが甘すぎる」

 佐藤が勝手にぺらぺらと話す。私がそれに口を挟む。唇の端が勝手に上がっていくのを感じる。

 私がそのことになんとも言えない安心感を覚えていると、部屋を見渡していた佐藤がおもむろにエアコンのリモコンを手に取った。

「な、冷房消していい?」

「別にええけど。あ、もしかして冷房効きすぎやろか」

 ごめんと謝ると、彼女は「ちゃうちゃう」と笑いながらエアコンの電源を切り、ベランダの窓をガラリと開けた。

「駅からここまで来る時に思ったんやけど、今日はけっこう風が気持ちいい日やなぁと思って」

 網戸も取っ払って全開にした窓から、生暖かい風がするりと足をなでるように吹き込んでくる。遠くにゆらゆらと落ちていく西日が見えた。

 街のすべてがそっくり赤むらさき色になって、もうすぐ眠りにつこうとしている。遠くに見えるあの駅前にそびえ立つビルのふもとでは、スーツ姿の大人たちが一心に駅へと歩みを進めているのだろうか。改札を抜けて電車に乗れば、あとは最寄り駅までずっと繋がる線路が導いてくれる。最寄り駅の改札を抜け、見慣れた住宅街を抜け、疲れ切った身体に鞭打ってトボトボと歩いた先に見える我が家。

 いいな、私も____

「帰りたい?」

 隣を見ると、佐藤がじっとこちらを見ていた。顔のちょうど右半分が街と同じ色に染まっている。風に吹かれる黒髪の間から、大きな黒い瞳が見え隠れしていた。

「……まあ、な」

 でもバイトもサークルもあるし、一人暮らしにも慣れたし。

「そんなさみしくないから」

 私がそう言うと、佐藤は「そう?ならええんやけどさ」と言って窓の目線を逸らした。その横顔がどこか翳って見えたのは気のせいだろうか。

 佐藤はよっしゃ、と気合を入れるように声を出すと、持参したビニール袋を持ち上げた。

「じゃあ涼しくなってきたことやし、作りますか」

「作るって何を」

「夜ご飯」

 なぜそんな当然のことを聞くのか、と言いたげな顔で佐藤がビニール袋を揺らす。彼女の頭には、私がもしかしたらすでに夜ご飯を作り終え、食べてさえいるかもしれないという想像はかけらほども存在しないらしい。それはまた見通しの良いことで。私はため息を出す代わりに右手を差し出した。

「……手伝うわ。何すればいい?」

「じゃ、これテキトーに切ってください」

 佐藤はそう言って、袋詰めされたニンジンを私の右手にポンと置いた。3本1袋のどこにでもあるニンジンである。流し台の前に立ち、ビリリと適当に封を破る。袋が破けた勢いのままゴロゴロとシンクに転がっていくニンジンを捕まえ、心ばかりの洗浄作業を済ませる。本当はもう少し念入りに洗ったほうが安全なのだろうが、土もついていないしそこそこ綺麗なニンジンだったので良しとする。

 さて、これで何を作るのだろうか。せめて料理名だけは聞いておこうと振り向くと、部屋のローテーブルに食材を広げている佐藤がパッと顔を上げた。

「あー、使うのは1本でええよ。挑戦したかったら3本ぜんぶ使ってくれても可」

 「くらい」ってなんやねん、そもそも何に挑戦するねん。思わず私がそう言うと、佐藤はあははと楽しそうに笑うだけ笑い、「まあ後のお楽しみってことでー」と食材の陳列作業を再開してしまった。

 つい3本とも洗ってしまったがどうしようか。先ほどの「挑戦」という言葉が頭をかすめる。ああやって佐藤がぼかす時はいい感じの結果になることが3割、結果よりも苦労が勝るのが7割だ。ここは経験に従うべきだろう。私は黙ってニンジンを2本ラップでくるみ、冷蔵庫に入れた。1本になったニンジンの皮をピーラーで剥いていく。

「ニンジンの大きさはどんくらい?」

「小さめでー」

 切り方を指定してこないということは、小さければどんな形でもいいということなのだろう。私はニンジンを小さめの短冊切りにした。

「お米もらってもええ?あと炊飯器も借りたいんやけど」

「そこに無洗米あるから。炊飯器もご自由に」

「ありがと、借りるわ」

 黙々とニンジンを切る私の横で、佐藤が米を炊飯器の釜に入れる。

 ごそ、ざらり、ごそ、ざらり、ぱら。

 トントントン、トン、トントン。

 佐藤が米を袋から掬い上げる音、釜に米が当たる音、私がニンジンを切る音。佐藤の存在を隣に感じる。心地よい音が風にたゆたって、足元から玄関の方へと流れていく。ベランダの方にチラと目を向けると、カーテンの隙間から赤い夕暮れが一筋差し込んでいるのが見えた。

 キュ、ジャ、ジャー。

 佐藤が蛇口をひねる。白い米がどんどん水に浸かっていく。

 どこか懐かしい感情が胸をくすぐる。それと同時に、いつかこの風景を思い出す時がきっと来るのだろうという予感がじわりとざわめいた。

 トントン、……トン。

「……できた」

 ほら、とニンジンの入った水切りカゴを佐藤に押しつける。それを受け取った佐藤はそのまま炊飯器の中にどさどさとニンジンを入れた。炊飯器と米とニンジン。ということは、今晩のメニューは炊き込みご飯か何かだろうか。

「次はこれ、スーパーで買った豚汁の具材パック」

 佐藤がローテーブルの真空パックを指差す。なるほど、豚汁の具材パックとは言い得て妙だ。ゴボウやレンコン、しいたけ、こんにゃくなど豚汁ではスタンダードな具材がカット済み状態で詰められている。パックの表面には「味噌汁、煮物にどうぞ」と書かれていた。

「あこの豚汁パック水洗いするついでに、みりんと醤油も取ってきて」

「はいはい、仰せのままに」

 ニンジンがなくなって空になった水切りカゴにパックの中身を入れ、適当にジャバジャバと水洗いする。水気が切れるのを待つ間にシンク下の調味料スペースからみりんと醤油を取り出した。4月に入居してきた頃は醤油とコンソメしかストックしていなかったが、私は意外にも和食舌だったらしい。日が経つごとに醤油とみりんで作る和食料理への憧れが募っていき、結局梅雨の頃にみりんを買い足すことになった。今のところ、得意料理はにんじんしりしりだ。

 水切りカゴ、それとみりんと醤油のボトルを抱えるようにして部屋に持っていくと、佐藤はさらに何か具材を入れようとしているところだった。炊飯器を覗き込むと、さっき入れたニンジンの上に茶色い小さなかたまりが積み上がっている。

「お揚げ?」

「そ、しかもいなり寿司に使う味付け済みのやつね」

 カシュリ。

 軽快な音を立て、佐藤が手に持った缶を開ける。

「あとはツナ缶と調味料を投入するだけ」 

「ツナ缶?」

 思わず聞き返す。ツナ缶というと、マヨネーズで和えたりサラダに入れたりして、副菜やご飯の供として食べるイメージだ。お米と一緒に炊くとなると、ピラフのような味付けになりそうである。

「なんの原理かわからへんねんけど、ツナ缶って和風の味に合うんよねぇ」

 佐藤はツナの油ごと中身を投入すると、「この油が美味しいんよ」と満足げな笑みを浮かべた。佐藤が次から次へと具材を入れるせいで、炊飯器の中はかなりの密度になっている。その上にさっき水を切ったばかりの具材を入れると、白米はおろかニンジンのオレンジ色まですっかり見えなくなってしまった。

「お、ぎりぎり入った。これならフタもちゃんと閉まりそう」

「……なるほどね、さっきキミが何に挑戦させようとしてたかわかったわ」

 ガバガバの見通しで人ん家の炊飯器をパンクさせようとするな。頭を痛める私の横で、佐藤は次々に調味料を入れていく。

 醤油ひと回し。みりんひと回し。顆粒出汁そこそこ。そして非常に混ぜにくそうにして調味料を全体に行き渡らせると、炊飯器のフタをパチリと閉めた。

「はい、これで終わり!あとは1時間弱待つだけ」

 ふと窓の外を見やると、すでに日は落ちていて、辺りはすっかり青暗くなっていた。いつも通りの夜だ。

 白いレースカーテンが室内灯に照らされて変に浮いて見える。カーテンの人工的な白色の裏に、夜の青黒さが透けて見えた。街は夜を迎えているというのに、この部屋だけ取り残されたようだ。

 そのため私は普段から、日が落ちるとすぐにカーテンを閉めるようにしていた。

 今日も、カーテンを早く閉めなければ。夜にぽっかり取り残されないようにしなければ。

 そうしなければ、私はずっと寂しいままなのだから。

「あ、カーテンは閉めんくてええよ」

「え?」

 どこから取り出したのやら、佐藤は腕いっぱいにお菓子の袋を抱えながら、クイクイとあごで電気のスイッチを指し示した。

「部屋の電気消そ。せっかくいい風が入ってるんやから、わざわざ重いカーテン閉めて邪魔することないって」

 そう言い、勝手にローテーブルの上にお菓子の山を作ってしまう。確かに今夜は珍しく涼しい。これも風流かな、と私はテーブルの前のクッションに腰掛けた。

 開け放した窓から涼やかな風が吹き込んでくる。正面のベランダ越しに住宅街の灯りを見ながら、私はベッドに背を預けた。

「じゃ、聞かせてもらおか」

 バリリとポテトチップスの袋を開けながら佐藤が口を開く。

「聞くって、何を?」

 思わず聞き返すと、彼女は「なんでも」と言ってにっこり笑った。

「大学のこと、サークルのこと、バイトのこと、最近の趣味のこと。私に会って話してなかったこと半年ぶん、ぜひ聞かせてや」


 ピピピ、ピピピ、ピピピ。

「ん、炊き上がったみたいやな」

 佐藤が炊飯器の方に顔を向ける。もうそんなに時間が経ったのか。昔からだが、佐藤と話していると時間が一瞬で飛んでいく。ついさっき彼女に話したのは別に特段大きなことではなく、日々の気づきだとか、授業の愚痴だとか、そんな小さなことばかりだ。どれもスマホを使えばいつでも伝えられるような話ばかりだが、なんとなくそうしないまま半年間心のうちにしまい続けていたのだった。

 心なしか体が軽くなった気がする。私はクッションから腰を上げ、手探りで部屋の照明をつけた。

 パチリという音とともに、部屋中に満ちていた暗闇が白い光に吸収される。長さにして1時間弱の暗闇は思ったよりも目に馴染んでいたようで、視界いっぱいの白色に目が眩んだ。

「はいこれ、しゃもじとお茶碗。お茶碗は1人分しかないから、私は汁椀で食べるわ」

 白地に赤いラインの入った茶碗を佐藤に渡す。今日は、木製に似せたプラスチックの汁椀が私の茶碗代わりだ。

「ええん?じゃあお言葉に甘えてお茶碗借りるわぁ」

 しゃもじを右手に、茶碗を左手に持った佐藤はやや芝居がかった仕草で肩を大きく回し、「では」としゃもじを構えた。

「オープン!」

 むわり。

 フタが持ち上がった部分から、ゆっくりと真っ白な湯気が漏れ出す。フタを完全に開け切ると、それはふわりと形を変え、私たちの顔の高さまで立ちのぼった。出汁の香りが温かく鼻の奥をくすぐる。

 さくり、さくりとしゃもじがご飯を切るたびに、その割れ目から新たな湯気が溢れ出す。思わずぐるると喉が鳴った。

「ツナ缶とお揚げの適当炊き込みご飯、出来上がり!」

 佐藤が声高らかに宣言する。

「ご飯よそうから、お椀ちょうだい」

 手に持っていた汁椀を佐藤に差し出せば、みるみるうちにその中に炊き込みご飯の山ができていく。気がつけば、汁椀の中には湯気を立てたつややかな米がきらきらと輝いていた。見せかけの木でできたプラスチックの器も、今だけは高級な素材でできた一級品に見える。

 自分の分もよそい終わった佐藤がしゃもじを置き、代わりに箸を手に取った。神妙な顔で私と炊き込みご飯を見つめ、手を合わせる。

「じゃ、手を合わせまして……」

 いただきます、と2人の声が揃った。

 炊き込みご飯の山に勢いよく箸を滑り込ませる。えい、と箸を持ち上げ、そのまま口の中にご飯を押し込んだ。

 次の瞬間、口いっぱいにやわらかな出汁の味が広がった。噛むと米の一粒一粒から、じわりじわりと旨味が滲み出てくる。

「……おいしい」

 ニンジンが甘い。こんにゃくがぷりりと舌を滑った。ゴボウとレンコンをむぎゅむぎゅと噛み締めると、旨味がいっそう口の中を躍った。

「ツナ缶の炊き込みご飯って想像できへんかったけど、あら汁みたいにいい旨味が出てる気がする」

 思わず感動を口にすると、佐藤もむぎゅむぎゅと口を動かしながら満面の笑みで頷いた。

 ご飯からぺろりと出ているお揚げをつまむ。奥歯でぎゅっと噛み締めると、甘辛い味が舌をくすぐった。

 次はお揚げでご飯を包んで食べてみよう。具材を全部一気に頬張ってみたい。おっと、おこげ発見。

 夢中で箸と口を動かす。さっきまですっからかんだったお腹の辺りが、噛んで飲み込むたびにあたたかくなっていく。

 どうしてだろう。どうしてこんなに懐かしくて、こんなにおいしいのだろう。

「私と食べてるからやで」

 顔を上げれば、佐藤がじっとこちらを見ていた。茶碗を胸のあたりで持ったまま、ゆっくりと目を細める。

「懐かしいやろ。一人暮らし始めるまでは、よく私と一緒にお弁当食べてたもん。それに私は常々な、人と一緒に食べるご飯って、めっちゃおいしいと思うんよ」

 ふいに涙の味がした。私は泣いているのだろうか。

「だからさ、帰っておいで。私と一緒に、地元でおいしいご飯食べよ」

 そう言って笑った佐藤の顔がだんだんぼやけていく。目から涙がボロボロとこぼれ落ちてきた。

「ほら、思ってた通り泣くギリギリまで我慢してた」

 ほんとは寂しかったんやろ、と佐藤が言う。

「……泣いて、ない」

「嘘つけ」

「これは汗やもん、こんな夏場に炊き込みご飯なんて、暑いに、決まってるやんか」

「じゃあ今年の冬にもっかい食べればええよ。もう1回つくろ。冬に帰ってきたらええ。今度は一緒に作って食べよ」

 半年前と少しも変わらない、佐藤のハキハキとした声がまっすぐにぶつかってくる。私は嗚咽が漏れそうになるのをグッと堪え、小さく頷いた。

「……寂しかった。帰り、たい」

「帰っておいで」

 その前に、炊き込みご飯のおかわりはいかがかな。おどけた佐藤の声に、ふっと笑いが漏れる。

「うん、お願い」

 空になった汁椀を差し出せば、佐藤は変わらぬいつもの笑顔で、んふふ、とほほえんだ。

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