お兄ちゃんの右足

福守りん

お兄ちゃんの右足

 お兄ちゃんは、杖をついてる。

 右足が、膝までしかないから。

 外では義足を使うけど、重たいんだって。だから、家の中では、義足のかわりに杖を使ってる。


「どうして、ヒーローっていうと、男の人ばっかり、思いうかぶんだと思う?」

 わたしの問いかけに、お兄ちゃんは、片方の眉だけ上げた。

「女の人でも、ヒーローでいいんじゃないの」

「女の人は、ヒロインだよ。守ってもらう立場の」

「なんで。思いこみだよ」

「そうかなあ……」

 今年から通ってる大学では、ジェンダー論の講義をとってる。せっかく女に生まれたんだから、ちゃんと、正しい性のあり方みたいなものを、知りたいと思って。

 でも、余計にわからなくなっただけのような気もしていた。

「お兄ちゃんは、わたしにとってはヒーローだよ」

「えぇ……」

 ひいたような顔をした。

「おれはヒーローじゃないよ」

「もし、お兄ちゃんがお姉ちゃんだったら、ヒーローっていう言葉は、使えないのかな」

「使っていいよ。『英雄』ってことだろ」

 読みかけのライトノベルに、目を落とした。あいかわらず、異世界の話ばかり読んでる。

「そんなの、楽しい? 読んで」

「うん。行ってみたい」

「異世界に?」

「うん。博美はさ、頭で考えすぎるんだよ。お前が誰かを助けたりして、お前が人からほめてもらえる時にはさ、お前が男か女かなんて、たいした問題じゃないよ」

「かなあー?」

「そうだよ」

 わたしとの会話は、もうおわりらしい。

 異世界で、猫耳の生えた幼女と暮らす、のほほんとした話に、もぐりこんでいった。


 わたしが、小学校に上がる前のこと。

 このへんでは一番大きなスーパーに、小学生のお兄ちゃんと行こうとしてた時だった。

 信号が青に変わって、すぐに歩きだそうとしたら、お兄ちゃんが、わたしの体を後ろから引っぱった。

 それから、投げた。後ろに。

 右の方から、ものすごいスピードで、車が左折してきていた。わたしには、ぜんぜん、見えてなかった。

 風が、通りぬけたみたいだった。にぶい音がした。

 わたしのまわりから、悲鳴が聞こえた。お兄ちゃんが、歩道と道路のさかい目で、倒れていた。黒いアスファルトの上に、赤い血が広がってた。

 行きすぎた車が、少し先で止まった。車から、知らないおじさんが下りた。大声で、なにかをさけびながら、おじさんが走ってきた。


 後から、どうしてそんなことができたのか、お兄ちゃんになんども聞いた。

 答えは、いつも同じだった。

「わからない。自然と、体が動いてた」

 右足は、くっつかなかった。お医者さんも看護師さんも、ずいぶん、がんばってくれたらしい。でも、だめだった。

 お兄ちゃんから、わたしを責めるような言葉を言われたことは、一度もない。

 それまでにも、大好きだったけど。あれから、もっと大好きになった。

 ようするに、わたしはブラコンなんだと思う。


「それ、楽しい?」

「うん。おれも、猫耳の幼女と暮らしてみたい」

 夢見るように言った。

 わたしだけのヒーローは、ライトノベルの小説家になるのが夢らしい。

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お兄ちゃんの右足 福守りん @fuku_rin

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