サクッと読める百物語

沫茶

第1夜「hey,タクシー」

 まっすぐな国道を、深夜、俺は車で走っていた。前にも後ろにも車の姿は見えず、対向車もいない。田舎の道で、等間隔に並ぶ街灯だけが唯一の明かりだった。

 はあとため息をつく。友人と話し込んでいて気がつけばもう深夜、そこから急いで車を走らせ、家に向かっているところだった。明日は、朝早くからバイトだというのに、ぼりぼりと頭を掻いた。風呂に入ってから丸一日が経ち、頭皮と髪は少し油が乗っていた。

 欠伸を噛み殺しながら、信号で否応なしにブレーキを踏む。本当は信号無視をしたいところだが、どうせ一分や二分ぐらい早く帰ったところで、何の意味もない。伸びをしようとしても、狭い車内では十分に体が伸ばせなかった。いや、車が小さいというよりかは俺の体がでかいのかといつもの癖で唇を噛んだ。

 欲を言えば、こんな中古の軽自動車ではなく、中が、足元が、広々とした車を買いたかったが、貧乏学生にはバイトで金をためたところで軽自動車が限界だった。

 せめて、身体が小さければと唇を噛む。小学校の頃から他の同級生よりも頭一つ分背が高く、そのくせバスケもバレーもへたくそで、ついたあだ名は、木偶だった。身体が大きくて良かったことなんて片手で数えられるくらいしかない。

 そんな生まれてこのかた、何度も考えたボヤキを繰り返していると、いきなり、バタンとドアが閉まる音がする。反射的に勢いよく振り返ると、白色の水にぬれたように肌に張り付いたワンピース姿の女が後部座席にうなだれるように座っていて、思わず俺は、ヒッと声を上げてしまった。

「s海岸までお願いします」

 それだけを言って女はピクリとも動かずに顔を下げている。

 正直に言って、俺はおっかなびっくりだった。普通に考えれば、ヤバい女が乗ってきたというのが、現実的なんだろうが、ビビりな俺はそれとは別のことが真っ先に頭に浮かんだ。

 濡れた体、後部座席の女、タクシーに乗った時のような口ぶり、これはいわゆるタクシーに乗ってきて気がつけば消えてしまう怪談そのものじゃないか。

 怖いのもあり、ガタガタとシートベルトを外して、車外に出る。そこで深呼吸をして、ようやく、これは怪談なんかじゃないと思えた。たぶん、女は酒でよっぱらっていて、たまたま通りがかった俺の車をタクシーと勘違いして乗ってきたのだろう。

 それならタクシーでないことを説明しなければと、車の後ろを通って、女が座っていた方の後部座席のドアを開ける。

 いきなり、ドンっと何も手を触れていないのに、開けたドアが閉まってきて、ドアと車の間に、身体が挟まれ、いきなり車が走り出す。もしも、俺の体が小さかったら、ドアの勢いで、そのまま体全体が車内に入るところだった。

 ドアに挟まれながら、かろうじて見えた車内には、運転席にさっきの女の姿が見えて、さあと血の気が引いた。

 これはヤバいと身体をねじってどうにかこうにか、ドアと車体の間から抜け出す。

 車は俺を置いてそのまま闇に消え、俺は道路に投げ出されて、ゴロゴロと転がった。幸いにも、打ち身と切り傷で済み、大きなけがをすることはなかった。

 次の日、このことを友人に話すと、そりゃあ災難だったけど幸運だったねと、友人はタブレットの画面を俺の方に向けた。そこには、s海岸で車ごと入水自殺したという記事がおびただしい数、表示されていた。

「おかしいとは思ってたんだけど、そういうことだったんだな。お前、車内に入ってたら今頃海の中だぜ」

 その言葉を聞いて、心底、からだがでかくてよかったと思ったのだった。

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