「私」と友人の話。

風原そうか

私と彼女とおにぎりと

「やっちまったな……」

 右手には愛用のトートバッグ、左手にはおよそ家族四人分程度の肉や野菜、卵一パックに牛乳が入ったエコバッグ。

 久々の連休で、たまたま流し見していた朝の情報バラエティのいちコーナーで「家庭で出来る本格チキンステーキ!」などという情報に影響を受けて、近場のスーパーまで鶏もも肉を買いに来たまでは良かった。

 しかし、いざスーパーに行けば、人参、玉葱、じゃがいもの安売りが目に入ったが故に「そうだ、カレー作ろうかな」と当初の目的をあっさり彼方に追いやってしまい、その後も目についた安いものやそういえばそろそろ在庫が無くなりそうな調味料、タイムセール中だった鶏もも肉と鶏むね肉もポイポイと買い物カゴに入れてしまい、気がつけば一週間分の食材をまとめて買ったような荷物になっていた。多分、節約家が見たら大層な怒りを受けるような買い物をしてしまった。しかもこういう時に限って、健康の為にと徒歩で来てしまったのだから、我ながら救いようのないアホである。

 完全なる自業自得で腕に多大な負担をかけながら、漸く契約中のアパートまで辿り着く。ほう、と一息ついた所で、スマホの通知音が鳴った。

 すぐに確認したい所だが、両手が塞がっている以上バッグの中のスマホに触ることすらできない。私は急いで自分の部屋まで足を運び、鍵を開けて玄関をくぐる。入ったらすぐに鍵をかけ、そして荷物をテーブルの上に置いた所でやっと【ミサキ スタンプを送信しました】と表示された通知欄を見る。

 そのまま画面をタップしてみると可愛らしいウサギが「うわーん」と泣いたスタンプだけが表示されていた。

 なるほど。「また」かな。

 送り主——ミサキさんの意図を察した私は、すぐさま彼女に「何時に来るか返事をちょうだい」と返信し、早めの昼食をストックしていたカップラーメンで済ませ、夕食のカレー作りに取り掛かった。独りで食うには持て余す量をついつい買ってしまったので丁度良い。せっかくだからちょっと頑張ってみようか。

 

 ・ ・ ・


 ——午後五時を過ぎ、ようやく暗くなり始めた頃。インターフォンのチャイムが鳴った。

「はーい」と返事をしつつ玄関のモニターを表示させて来訪者を確認する。モニターには、琥珀色に染めたロングヘアを後ろに束ねた美人が映っている。

『あたしよ』

「『あたしよ』という方は存じ上げませんが」

『そういうのは今求めてないんだけど』

「うん、ゴメン。ちょっとふざけた」

 言って私はモニターを切り、玄関の鍵を開ける。そしてドアを開けた瞬間、自分より頭一つ分程高い来訪者が勢い良く抱きついてきたものだから、私は咄嗟に「ひゃっ」と実に情けない声を上げた。彼女と出会ってから、こうしたスキンシップは常に挨拶代わりにされており、確かもう二十回以上の経験を積んでいるが、パーソナル・スペースが狭い私は未だに慣れずに固まってしまう。彼女もそんな私の事を知ってくれているので、いつもなら「ヤッダ、もう照れんなよ〜」なんて軽口を叩きつつすぐ離れるのだが、今日は一向に離れる気配はない。

「あの……ミサキさん?」

 呼びかけているけど返答はなく、ただ私を抱きしめる腕に一層力を入れてくる。ミサキさんとはおよそ二年程度の付き合いだが、それでもここまで弱った姿を見るのは初めてだ。彼女が纏うコロンの香りと細いようでしっかりとした胸板に鼓動が速くなる自分を必死に抑え、「ミサキさん」と私は彼女の腕の中で、努めて平静にもう一度呼びかける。

「今日はカレー作ったの。話なら部屋の中で気が済むまで聞くけど、まずはごはん食べよ? おなか空いたでしょ」

「………空いてる」

「ンじゃあ、一緒に食べよ。『いつものアレ』も用意するから」

「ん……ありがと」

 そうしてミサキさんはようやく私を解放する。まだ少し整えられた眉が下がり気味であったけど、形の良い唇は微笑みを作っている。いつも自信満々で、私の方が元気をもらうぐらいにパワフルなミサキさんは時々色恋沙汰で傷付いてはこうして私の所に訪れる。だけど今回はいつもより明らかに落ち込んだ様子は気になったが、私は追求することはせずに彼女を部屋に迎え入れた。

  

 ・ ・ ・


 じっくりコトコト作ったチキンカレーをシンプルなデザインの白い深皿によそい、『いつものアレ』こと、土鍋で炊いたごはんで握った塩むすび二つを隣に添え、更に福神漬けの代わりに刻んだ沢庵を二切れ。大きめに切った具材がゴロゴロと転がった具沢山のカレーは食べ応え充分だ。それから付け合わせにはコンビニで買ったキャベツ千切りにツナとカットしたゆで卵とトマトを合わせたサラダ。自分独りで食べる時はこんな風に盛り付けはしないが、数少ない友人との食卓なので今日は彩りを気にしながら頑張った。私、偉い。と、心の中で自分を褒める。

「そういえば、アンタのカレーは初めてよね」

 食卓の席に着いたミサキさんは興味深そうにテーブルに並べられた食事を見やる。

「うん。私も一人暮らししてからは、ほぼ初めて作ったみたいなもんだからね」

 因みに、人生初の手作りカレーの出来栄えは「不味くはないけどカレーの味がしない」という家族のお墨付きだったのはここだけの話である。

「…………大丈夫なの?」

「だいじょぶだいじょぶ。ちゃんとネットでレシピ見ながらやったから」

 ……まあ、ほんのちょっぴりアレンジもしているが。最初はバターチキンカレーに挑戦してみようと思ったけどヨーグルトもバターも買ってなかったので、バター風味のマーガリンをサラダ油代わりに使ったぐらいだ。

「まあ、とにかく食べよ。私もうおなか空いちゃって空いちゃって」

 言いながら私も席に着くと、ミサキさんは軽く両手を合わせてからスプーンを右手に取った。私も彼女に倣って「いただきます」と呟いてから、スプーンでカレーをひと掬いし、それを口に運んだ。

 弱火でじっくり煮込んだ人参はひと噛みしただけで素材の甘さが口に広がる。カレーのルーは私の好みでやや甘めに仕上がっているが、塩むすびと沢庵も合わせて食べれば、塩味が効いてまた違った味わいをもたらす。一口サイズに切った鶏むね肉も、下ごしらえをしっかりしたお陰でしっとりとやわらかい食感になっており、自画自賛になるが思わず口角が上がる出来映えだ。

「ふふっ、ちょっと薄味だけど、野菜の出汁が凄く出てて美味しい」

 そう顔を綻ばせるミサキさんのコメントに、私は胸を撫で下ろす。皮剥きで出た野菜くずで出汁を取った甲斐があったというものだ。

「『見た目も味も野菜たっぷりのチキン入りカレー』ってところかな。名前付けるとしたら。あ、そうそう。薄かったら、ソース入れる? 多分違うと思うよ」

「なんでそこ曖昧なのよ。ていうか、自分ではやんないの?」

「だって私薄味の方が好みだし。あと実家の母親が昔のカレーは味が薄かったから醤油かけて食べてたって言ってたから。ソースかければ違うんじゃない?と思って」

「テキトー!」

 ツッコミを入れる彼女をスルーして「はい」とテーブルに置いてある中濃ソースを差し出せば、こちらに疑いの目を向けつつも少しだけカレーに垂らして、それを口にする。

「……うん。そうね。意外とイケるもんね」

「でしょでしょ?」

「アンタは自分でやってないでしょ。何が「でしょ?」よ」

「まあまあ、気にしない気にしない。それよりそれは食べないの?」

 さっきからおにぎりをひと口もつけていないので指差して言うと、ミサキさんは最後に食べるから大丈夫よ、と笑顔で返す。その表情には、先程玄関先で見せた陰りが殆ど見えなくなっていた。

「あたしね、アンタの作るおにぎりが好きなのよね。おにぎりなんて自分で作れるし、別に特別なブランド米を使ってる訳でもないのに、無性に食べたくなる」

「はあ」

 なんと返していいのか分からず、思わず間の抜けた返事をしてしまう。確かに私の作るおにぎりは特別良いお米や塩を使っていないし、握り方だってプロ級の腕前ではないのだ。

 しかし。

 それでも憧れの人から(料理が)好きと言われて嫌な気はしないし、寧ろ天に昇る勢いで浮かれてしまうというものだ。

「えーっと……私の作ったもので良ければ……私の都合がよっぽどダメじゃなければ、いくらでも作るよ? いつも私の方が仕事の愚痴を聞いてもらったりしてるし。それに、友達に『好き』って言われるとやっぱ嬉しいもん」

 そう素直に感情を伝えた私は、自分のおにぎりにかぶりつく。少し冷めてはしまったが、噛んだ瞬間に感じる米の甘みと塩味が疲れた身体に染み渡る。ああ、お米最高。パンもうどんも蕎麦もラーメンも好きだけど、やっぱり毎日食べるなら米がイチバンだ。

「友達。………友達」

「うん、『友達』」

「……そっか」

 ミサキさんは何かを噛み締めるように小さく呟く姿に、胸がチクリとした。

 やや細身ではあるが引き締まった抜群のスタイルに、そのままでも通用するような端正な顔立ちは本当にモデルのようだ。施されている化粧も、ヘアスタイルも、仕草もすべて女性的なのに、こうして静かにしている時に見せる表情に、男性を感じてしまう。

 その度に「彼女は大切な友人」なのだと己に言い聞かせる。ミサキさんが好きになるのはいつだって(彼女曰く)素敵な男性なのだ。だから、女である私はあくまで『彼』ではなく『彼女』の友人で在らねばならないのである。

「あ、そうそう。この前の休みの時にね……」

 自分の感情を誤魔化すように、私は行儀悪くおにぎりを食べながら世間話を切り出した。


 口にしたおにぎりは、さっきより少しだけしょっぱかった。

 

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「私」と友人の話。 風原そうか @wind_firld

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