祖母は旅立ちました

花見川港

祖母は旅立ちました

「おばあちゃん、お誕生日おめでとー!」


「ありがとう、やっくん」


 今年の祖母の誕生日は米寿のお祝いも兼ねてちょっと豪華だ。ケーキの白いクリームの上にはクッキーで作った「88」にチョコの花が添えられている。ケーキの周りには、夕食が並んでいる。


「私ね、八って数字が好きなのよ」


 祖母はクッキーを見てそう言った。


「割り切れるし、循環してるから」


「無限大のシンボルに似てるってこと?」


「そうなの? でもそうね、無限……ずっと続くのでしょうね」


 ずっと、の意味を僕は考える。祖母にとって、この人生がもっと長生きしたいと思うくらい幸せなものだったら嬉しい。


「ふふ、八が並んでるからなんだか特別な感じがするわ」


「特別なんだよ、おばあちゃん」


 そのとき、ドアチャイムが鳴った。


「あら」


「あ、ボクが出るよ」


 この家のはモニター付きのインターホンではないから、「はーい、どちら様ですか?」と扉を開ける前に声をかける。


「こんばんは。やえともうすものですが。おくにさんはいらっしゃいますか」


 随分と幼い声だ。


 扉をそっと開けると、やはり十にも満たなそうな幼い娘だった。一人だけで、連れらしい人はいない。日も暮れているというのになぜ。


「ええと、祖母はいますけど……」


「べいじゅのおいわいにまいりました」


「あ、はい……じゃあ、どうぞ」


 少女は脱いだ靴をきっちり揃える。教育の行き届いたお嬢さんだ。佇まいも落ち着いた不思議な少女を居間まで連れて行くと、祖母の顔がぱあっと華やいだ。


「まあまあ! 今日はちょっと早かったのね。お久しぶり八重ちゃん!」


「おひさしぶり、おくにちゃん」


 まるで少女のようにはしゃぐ祖母は初めて見る。


 どうやら本当に知り合いらしいが、歳の離れた友人だろうか。


「もしかして、ゆうげをたべるところだったかしら」


「あら気にしないで。そうだわ、八重ちゃんも食べましょうよ。やっくんの作るご飯は美味しいのよ」


「あ、じゃあお皿取ってくるよ」


 居間と隣接している台所からでも、少しだけ祖母たちの話し声が聞こえた。


「おくにちゃん、ほかのかぞくは……」


「息子夫婦は昔にね……今はやっくんと二人で——」


「——の? 今夜——、私——」


「大丈夫。——、やっくんは——。私たち——ずっと——」


 食器を持って今に戻ると、二人はぴたりと口を閉じていた。


 味付けは祖母に合わせていたため、子どもの舌に合うか心配だったが、やえちゃんはおいしいと言ってぱくぱく食べた。ケーキは半分残るかと思ったけれど、三人だと全部綺麗に平らげることができた。


 そして食器を洗っているときだ。祖母と一緒に風呂に入っていたはずのやえちゃんが一人戻ってきて。


「ごめんなさい……きょうはとつぜん」


「え、全然謝ることないよ。むしろ感謝してる。おばあちゃんすごく喜んでたし」


「……あなたは、とてもいいこですね」


 子どもにそう言われるのは変な気分だった。


「えっと、聞いてもいい? おばあちゃんといつ知り合ったの?」


「……ずっとまえです。こまっていたときにおくにちゃんにたすけてもらって、それからながいつきあいになります」


「そうなんだ。あ、ジュースの——」


「わたしたちは、あるやくそくをしているんです」


 やえちゃんはじっとこちらを見て、申し訳なさそうな、そして何か強い意志を感じた。


 この子が見た目通りの子どもだとはもう思えない。


「そのやくそくのせいで、あなたをかなしませることになるとおもいます。でもうらむならわたしをうらんでください」


 悲しませるとか、恨むとか、不穏なことを言っているけれど、僕が別のことが気になった。


「それはおばあちゃんが悲しむこと?」


「かなしむでしょうね。あなたは、あのこがしあわせなじんせいをあゆんだしょうちょうです。そんなあなたをかなしませたとあっては、あのこもへいきではいられないでしょう」


「それでも、その約束は大事なんだ」


「だいじです」


「そうか」


 廊下の方から祖母の声がして、やえちゃんは台所を去った。


 そのあとのことは、よく覚えていない。いつの間にか風呂に入って布団に入って、気づいたら朝、目を覚ました。


「それじゃあやっくん、行ってくるわね」


 白いワンピースに薄紫のスカーフ、ツバの広い帽子とやけに気合の入ったおしゃれな格好をした祖母は、やえちゃんと手を繋いでいた。やえちゃんの顔を見て、僕は想像していたよりもずっと静かに納得した。


「うん、いってらっしゃい。おばあちゃん」




 そしておばあちゃんは帰ってこなかった。


 あれから数年が経ち、結婚して、子どもが生まれてしばらくすると、一通のはがきが届いた。差出人は「美国さん」。裏は海辺のテラスに車椅子に座った老女と、やえちゃんによく似た高校生ぐらいの少女の写真になっていて、結婚と出産のお祝いメッセージが書かれていた。


 元気そうでなによりだ。

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祖母は旅立ちました 花見川港 @hanamigawaminato

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