尾行中の、お話

 あのとき聞いた会話の内容も、よく覚えている。あれは、お嬢様が4年生の冬休み前のころ。この半年ほど前から、もう送り迎えはお屋敷の最寄りの駅までで、お嬢様はそこから1人で電車に乗り、学校の最寄り駅で降りて、学校まで歩いて登校されていたんだった。

 …表向きは。


 お嬢様が2年生のときは、学校の門の前までずっと一緒に通っていた。お嬢様は、学校まで初海さんと一緒に行くのは半年でいいっておっしゃったのに約束が違う! と、父親である九条氏におかんむりだったけれど、夏が過ぎるころ駅の近くで起きた無差別通り魔事件のせいで慎重になった彼が意見を曲げることは、決してなかった。

 それでも、3年生になると(今度は、お嬢様が決して折れない態度を貫き通して)送迎は学校の最寄駅までに短縮された。そこから学校までは見守りの先生の庇護下となれるから、と、九条氏が(不承不承ながら)認めたのだ。

 そして4年生、ゴールデンウィーク明けからは、私の送り迎えは家の最寄り駅までへとさらに短縮。お嬢様は1人で電車に乗って、学校に向かうことになった。そう、表向きは。


        ***


「だってねえ、どうしても心配なんだよ。お願いだから、初海さん、駅まで送ることにして、こっそり一緒に電車に乗って見守ってやってくれないかい?」

 すがるような目(涙目!)と声音で言う九条氏に、私は目を丸くした。つまり、お嬢様と家の最寄り駅で別れるふりをして、尾行しろと? あのお嬢様のこと、そんなのがばれたら、大騒動になるんじゃあ…。

 そう思って躊躇っていると、その分はお給料に上乗せするから、ねえ、頼むよ―、とさらに悲し気な声ですがられた。奥様がいたら『もういい加減になさいな!』と、一喝したところだろうけれど、あいにく海外出張で不在。結局、押し切られるかたちで、私は尾行を承諾したのよね。


 でもこれは、かなりハードな役目だった。承諾したときには考えていなかったんだけれど、お嬢様を家の最寄りの改札口で見送ってから同じ電車に乗って、帰りは同じ電車で戻って、先回りして改札を出て迎える。当然、どちらもダッシュしないと間に合わない。もちろん、お嬢様には絶対に見つからないように。これって、ミッション=かな~り=インポッシブルだった(若かったからできた技よねえ。アラサーの今じゃあ、きっと無理だわ)。


 行きが、一番スリリングだった。だって、ばれたら言い訳が効かないもの。逆に、帰りは若干気が楽だった。帰宅時間はいつもほぼ一定しているから、学校の最寄り駅でスタンバイして、GPS情報を頼りに同じ電車で帰ってくればいい。万一見つかっても、たまたま近くの街に用があったと言い訳ができる。

 ともあれ、この話は、そんな“尾行”の一環で耳に挟んだのよね。

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