四. 命の危機迫る
和議はなった。
条件として、「本丸を残して二の丸、三の丸を破壊し、
豊臣家の総大将は、秀頼だが、実質的な実権は淀殿が握っているとも言われていた。
結局、条件を呑んだ豊臣方が折れる形で、和議は成立。
よく言われる「外堀だけを埋めるはずだったのに、徳川方が勝手に内堀も埋めた」とされるのは、後世の「創作」で、実際には、豊臣方は最初から「条件を呑んで」いたという。
それを聞いた阿梅は、盛大な溜め息を漏らし、父と母に愚痴を言っていた。
「愚かですね。城とは、『備え』があって初めて成立するものです。本丸以外残さない
信繁はいつものように柔和な笑顔で、しかしながら小さく声を上げて笑っていた。
「ははは。阿梅は、淀殿にも劣らぬ女丈夫よのう」
若干、阿梅を見る、竹林院の目が鋭く、睨まれているように、阿梅は感じていたが。
わずかながらも平穏な日々が続いた。
年が明けた慶長二十年(1615年)。
1月から始まった埋め立て工事も、23日は完了し、そこには、本丸のみを残して、平原の上に立つ「無様な」大坂城だけが残っていた。
狭間からその光景を眺めていた阿梅は、内心、
(何とも無残な姿じゃ)
と、大坂城の在りし日の姿を思い浮かべていた。
かつては、難攻不落の城で、淀殿に言わせれば「10年でも持ち堪えられる」だったらしいが、それがわずかな戦と和議で、もはや波間に漂う小枝のように、「頼りない」城になっていた。
小さく嘆息していると、
「姉上」
幼いような、声変わりしたばかりの声が響いてきた。
振り返ると、15歳になったばかりの大助幸昌がいた。彼は、凛々しい若武者に成長し、顔も信繁に似てきていた。
「いかがした、大助?」
「戦はまた始まります。そうなったら、姉上は母上や弟、妹たちと一緒に、城から逃げて下さい」
それは、腹違いとはいえ、家族を思う大助なりの優しさではあったが。
「逃げる? 一体どこに? そなたの申す通り、再び戦になれば大坂城は取り囲まれるであろう? どこにも逃げ場などない」
「それは……」
躊躇して、言葉を失う大助に代わって、近くから幼い声がかかる。
「駄目ですよ、阿梅殿」
見ると、いつの間にか、毛利勝永の子、勝家が来ていた。どうやら父の
昨年会った時は、どこか「頼りない」感じのする、あどけない少年であったが、彼もまた冬の陣で、大助同様、
内心、胸が高鳴る阿梅。知らず知らずのうちに、阿梅はこの勝家に、淡い恋心を抱き始めていた。
「式部殿」
「戦は、我ら男がするもの。
「しかし、淀殿は……」
(恐らく死ぬつもりだろう)
阿梅は、気位の強い、淀殿の心中を推し量って、予想していた。彼女の母は織田信長の妹のお市の方。絶世の美人と言われたが、兄・信長に似て気が強かったという。
その「織田信長の血」を、ある意味最も濃く受け継いだのが淀殿だった。徳川との和議を最後まで反対していたのは、淀殿と言われている。
「淀殿のことは、私にお任せ下さい。私と父上が最後までお供をします」
少年、式部勝家は、決意の籠った瞳を阿梅に向けた。
そして、
「何よりあなたは美しい」
「えっ」
思わず言葉を失って、勝家のことを見つめる阿梅に、彼ははにかんだ笑顔を向けた。
「その若さ、美しさで、亡くなることはあまりにも惜しい。どうか生きて下さい」
「はい……」
阿梅は、「美しい」と言われたことで、舞い上がっていた。若干16の娘にとって、それは「心に響く」一言でもあった。
だが、淡い恋心さえ抱き始めていた阿梅の恋は、とうとう叶うことはなかった。
一旦、江戸をはじめ諸国に帰ったはずの幕府軍は、4月には再び動き始めた。
3月15日に、「浪人の乱暴・
この年、御年74歳になる徳川家康は、「焦って」いた。無論、寿命にである。当時の「平均寿命」は50歳とも言われる。
とうに老齢を過ぎて、「お迎え」が近い。その前に「豊臣家を潰し」、後顧の憂いなく、幕府を存続させたい腹積もりもあった。
家康は、途中、寄り道をしつつ、4月18日には、京都の二条城に到着。5月5日には、京を出立し、大坂に向かっている。その際、自軍に対し「三日分の腰兵糧でよい」と命じたという。
一方、豊臣方は。
4月12日に、金銀を牢人衆に配り、武具の用意に着手した。また主戦派の牢人や、大野
和議による一部牢人の解雇や、もはや豊臣に勝ち目無しと見て武器を捨て大坂城を去る者が出たため、この時の豊臣家の戦力は7万8000に減少している。
一方、大坂城での籠城戦では勝つ見込みが無いと判断し、総大将の首を討つ機会のある野戦にて徳川軍との決戦を挑む事が決定された。
4月30日の夜。戦の準備で慌ただしい中、父の信繁が阿梅に声をかけてきた。
「阿梅」
「はい」
「この戦は負ける。おぬしは母上、弟、妹たちと共に逃げろ」
予想通りの回答だと、阿梅は思った。
だが、彼女は最初で最後の「父への反抗」を見せる。薙刀を持ち、長い髪を白い鉢巻きで結んだまま、父を睨みつけるように、
「嫌です。わたくしも戦います。父上と最期まで一緒にいたいです」
そう強い口調で、訴えていた。
父の信繁は、最初は驚いたように目を丸くしていたが、やがていつものような、優しい笑顔になり、そっと阿梅の体に抱き着いていた。
「父上?」
「そなた。誠に男に生まれておれば、わしと共に戦える、頼もしい同士になっただろうに」
信繁にとって、娘が娘であることが無念でならないように、阿梅には聞こえたが、当然、それは「女を否定」されたことと同義だ。
「父上。女ではいけませんか?」
噛みつくように抗議する阿梅。
だが、制したのは、父ではなく、弟だった。
「姉上。みっともないですぞ」
「大助」
父の体から離れ、振り向くと、幼い体に甲冑をまとった大助が立っていた。
「式部殿にも言われたではありませぬか? 姉上は美しいから、死んではならぬ、と」
「ほう。そうなのか。式部殿がのう。惜しいな。かような世でなければ、婿にしたかった」
「大助! 父上も! からかわないで下さい」
阿梅の向きになって、真っ赤になった表情を見て、真田の家族たちは、「笑顔」を見せて、笑っていた。
それが、「最期の別れ」になると思いきや。
「父上。もう少しだけ、時間を下さいますか?」
阿梅が、決意の籠った一言を告げていた。
「何故じゃ?」
「最後になるのであれば、せめて父上の戦ぶりを見たいのです。近くなくても構いません。わたくしはまだ城内にいます」
その一言に、信繁の妻・竹林院までもが応じていた。
信繁は、彼女たちに言われて、押し切られる形になっていた。
そして、
「行くぞ、大助。明日の戦の策を練る」
「はい! 父上!」
父に声をかけられて、嬉しそうについて行く、大助少年の背を見送って、阿梅は、
(やはり男に生まれた方が、父上と一緒に戦えたのに)
と、己の出自すら後悔していた。
その時は目前に迫っていた。
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