娘が見た六文銭

秋山如雪

一. 奥州の真田家

 穏やかな春の日だった。


 寛永四年(1627年)、奥州白石しろいし城。世は徳川幕府三代将軍、家光の治世。

 戦国の世ははるか彼方に消え、平穏な毎日が続いていた。


 奥州伊達家62万石は、江戸幕府の治世においては「大藩」で、当主の「独眼竜」伊達政宗だてまさむねはまだ健在だった。


 ここ、白石城を治めていたのは、その伊達政宗の「片腕」と言われ、「知の小十郎」と言われた片倉小十郎景綱かげつなの息子、小十郎重綱しげつな(後に重長に改名)であった。


 そして、つい先年の寛永三年(1626年)、正室の指月院しげついん(綾姫)を亡くした重綱の正室に上がったのが、阿梅おうめという側室の女性だった。


 この時、彼女は28歳。


 少々気が強いが、若く、容姿端麗で頭もいい彼女は、「正室」に相応しい女性に成長していた。子供こそ二人の間に出来なかったものの、仲睦まじい夫婦だった。


 春、5月7日。

 この日は、彼女にとって、「特別」な意味を持つ一日だった。


 それは、父の命日であると同時に、自らの誕生日でもあったからだ。彼女は29歳になる。

(父上が亡くなって、もう12年か。早いものじゃのう)

 白石城は、藩庁とも言える、仙台・青葉城に比べ、質素で小さな城だったが、その一角に設けられた仏壇に彼女は足を運び、線香を上げて祈っていた。


 阿梅の父は、真田左衛門佐信繁さなださえもんのすけのぶしげ。後に「真田幸村」として、大衆に名が知られるようになる戦国武将だった。なお、「真田幸村」の名は後世、軍記物や講談で知られるようになった名前で、本人は一度も名乗っていない。そのため、ここでは「信繁」で統一する。


 信繁の名は、武田信玄の弟にして、名将として名高い、典厩てんきゅう信繁に由来するという。一方で幸村の由来は、「幸」が真田氏の通字、「村」は徳川家に仇なす妖刀「村正」に由来し、さらに先の元禄頃に人口に膾炙された。



 そんな5月7日。昼過ぎに、居室にしていた城内の一角にある部屋に、彼女の弟が訪ねてきたことから、物語は始まる。


 なお、彼女の夫の重綱は、藩の所用として、政宗に呼ばれて仙台に出向いており、不在だった。


 訪ねてきたのは、16歳の若さの大柄な男で、筋肉が盛り上がっているような肩が特徴的だった。彼は、阿梅と同じく、伊達家に「拾われた」形になっていたが、まだ正式には家臣としては仕えていない立場だった。


「姉上」

 襖を開けて入ってきて、着座する弟。阿梅にとって、13歳も年の離れた弟ではあるが、信繁の正室・竹林院ちくりんいんの次男で、側室・高梨内記たかなしないきの娘の三女の阿梅とは、腹違いの姉弟きょうだいに当たる。


大八だいはちか。大きゅうなったのう。そなたがここに来るとは珍しいのう」

 通称は「大八」。本名は、真田守信もりのぶ

 後に、伊達家に仕え、片倉守信を名乗り、初代仙台真田家を作ることになる。


「お久しぶりです」

「で、何じゃ?」

 少々、気位きぐらいが強く、美人の割には性格がキツいところがある阿梅は、左手に持った、扇子を仰ぎながら、ぶっきらぼうに問うていた。


 すると、彼は阿梅が思いも寄らぬ一言を発してきた。

「それがしも16歳になりました。今日は、父の命日。父上の最期の事をお教えいただきたい」


 それは、阿梅がこの白石に弟と一緒に来て以来、彼が物心ついた頃から何度か問われていたが、その度に「幼いお前にはわかるまい」とはぐらかしていた。


 阿梅は、躊躇した。

「そなたもしつこいのう。その手の話は、おやかた様か、殿にでも聞けばよい。戦好きな方々じゃから、喜んで話すであろう」

 と、体のいい断りをしようと試みる阿梅だったが、弟の目はいつになく真剣だった。


 そもそも、

「それがしは、まだ伊達家の家臣ではありませぬ。聞ける立場にありませぬ」

 と、むべもない返答。彼はまだ、お館様、つまり伊達政宗にも殿、つまり片倉重綱にも会える立場にない。


 片倉重綱の正室である阿梅の縁者ということで、城内への出入りは許されていたが、まだ守信は、従者のような扱いだった。

 守信が片倉家に仕えるのはもう少し先になる。


「それなら、父の最期を知る他の男子おのこにでも……」

 言いかけた阿梅は、口をつぐんだ。


(そんな男はもはや誰もおらぬか)

 何故なら、皆とっくに死んでいるから。そのことを阿梅はよく知っていた。


 小さく溜め息をついた阿梅。


「わかった。まあ、女子おなごのわらわの口からは、そなたの望み通りの回答はできぬかもしれんがのう」

「それで構いませぬ。姉上が、あの戦場いくさばにいたというお話は、聞き及んでおります」


 そう。弟の守信が言うように、阿梅は、あの凄惨な戦場にいた。守信もいたが、まだ赤子同然の幼児だったから、覚えてはいまい。

 血で血を争う、戦国時代最後の「大戦おおいくさ」の渦中に阿梅は確かにいた。


 阿梅は、ゆっくりと記憶を過去に飛ばす。

 もっとも、彼女が体験したことは、「忘れよう」にも「忘れられない」ほどの衝撃を持った事件だった。

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