異世界飯処じぱんぐ
水曜
第1話
……とにかく腹が減っていた。
こっそり仕事場を抜け出して、私は原始的な欲求を満たせる場所を物色していた。
どこか良い店はないものか。エルフにドワーフにホビットなど雑多な人種で賑わう大通りで途方に暮れていると、食欲を刺激する匂いが鼻先をくすぐった。引き寄せられるように足が進む。
「うん? 『飯処じぱんぐ』とな」
この世界では使われていない文字で書かれた看板。
珍しい木造の家屋。明らかに周りと一線を画する店構え……なるほど、異世界料理を食わせる所か。
実は今、異世界グルメがちょっとしたブームになっているのは私も知っている。というのも最近、転生やら転移やらで外来の人間がこちら側にやってくることも多くなった。彼らは今までにない発想や技術を持ち込んできて、しばしば劇的な変化を起こす。
だからこそ、私の仕事も余計忙しくなるわけだがそれはともかく。
良いか悪いかは別にして、食の分野においても新しい波は確実に迫っているというわけだ。きっとこの店もどこぞの異世界から来た人間が何らかの形で関わっているのだろう。
さて。
どうしたものか。
腹の声に耳を澄ませる。意を決して、私は暖簾をくぐった。
「いらっしゃいませ!」
張りのある声で出迎えられる。
広い店内は大勢の客で込み合っていて、テーブルは全て埋まっていた。カウンター席に座ってメニューを見る。
「なになに……カレーライスに、テンプラ、それにスシ?」
恐らく異世界の食べ物の名なのだろう。
どれもこれも聞いたことがないものばかり。
正直、どんなものか想像もつかず。何を頼んだものか取っ掛かりすらつかめない。そんな私の苦悩を察したのか、カウンター越しに店員の一人が話しかけてくる。
「お客さん、見ない顔ですね。うちは初めてですか?」
「うん。出来れば、店のおすすめを適当に見繕ってくれないかな」
「かしこまりました」
「……ところで一つ聞きたいんだが、君の頭のそれ」
「ああ、チョンマゲですね。うちのルーツとなる国で最も流行っている髪型なんですよ」
周囲を見回してみると、この店の者たちは全員が同じように頭髪を結っていた。
不可思議なヘアスタイルの料理人は、長い刀を取り出すと唐突にジャグリングを始める。そして、豪快に食材を居合斬りする。瞬く間に客たちから歓声が巻き起こった。
「ジパングサムライ!」
「ジャパニーズワビサビ!」
「ブラボー!」
良く分からないが、途轍もなく受けている。
ついていけていないのは私だけ。呆然としていると、カラフルな皿に盛られた魚の切り身が出てきた。
「お待たせしました。異世界お刺身盛り合わせになります」
「……魚を生で食すというのか」
「はい。今朝は良い魚に、あと活きの良いクラーケンも入りましたので」
「あまつさえ海王類たるクラーケンまで生で食えと!?」
恐るべし異世界グルメ。
どうやら、私の認識は相当甘かったようだ。
魚介類は当然のように火を通すべきものだと思っていたが。疑うこともなかった根底そのものを覆すとは。
「く、ここで退くわけにはいかないか。ところでナイフとフォークは……」
「この箸をお使い下さい」
またも虚を突かれる。
渡されたのは二本の棒。
まごうことなきただの二本の棒。
何だ。何かの儀式か。私の頭に大量の疑問符が渦巻く。
「これはですね。親指と人差し指で二本を持って、物をつまむ食器です」
「なんと面妖な」
見よう見まねで、箸とやらを手にしてみる。
二本の棒が生まれたての小動物のごとく、ぷるぷると震えた。何とも心許ない。もし野生で捕食者に出会ったのなら、間違いなくやられてしまうに違いない。
体中に無駄な力が入る。
皿の上の切り身を一枚、掬おうとして取りこぼす。
こぼしたものを掬おうしてまた取りこぼす。その繰り返し。
指がまったく思い通りに動かず。二対の使者は無様に空を切り続ける。思わず息が乱れる。頬に冷や汗が伝う。この地獄のような時間は永遠に続くようにも錯覚する。長い我が人生において、五指に入る死闘だった。
だが、私はどんな戦いにも勝ってきた。
生き残ってきた。
今回も例外ではない。
「……掴めた、掴めたぞ!」
「それでは、お刺身をこちらの小皿に入れたタレにつけてください」
「いや待て、もう色々限界なのだが」
「このタレは醤油と言いまして、味わいが増します」
「ぬぬぬ。致し方ないか」
「あ、山葵もつけると美味しいですよ」
「まだ手順があるのか!?」
結局。
どうにか一皿を平らげた頃には、私は精魂尽き果てていた。
あ。
お刺身は普通に旨かったです。
特にクラーケンの刺身と、海竜の赤身は絶品だった。
「ありがとうございました!」
代金を払って店を出る。
ちょっとした休憩のつもりだったが、思いがけず長居してしまった。
早く職場に戻らねば。
「あ、いたいた。探しましたよ!」
雑踏の中から、部下が駆け寄ってくる。
急に上司が姿を消して連絡がとれなくなってしまったものだから、慌てて探していたらしい。
「どうした、何かあったのか?」
「大変なんです。異世界転生してきた勇者がまた攻めてきました!」
「なんだ、またか」
思わず天を見上げ。
深く息を吐く。
「我々では手が負えません。早くお戻り下さい、魔王様!」
異世界グルメで英気は養った。
宿敵との戦いに臨むため、私は居城への帰路を急いだ。
異世界飯処じぱんぐ 水曜 @MARUDOKA
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