ママのために作ったパパ特製カレー

北島坂五ル

ママのために作ったパパ特製カレー

(1)

 パパが亡くなってから3週間経った今でも、翔子は毎晩眠りにつくたびに泣いている。朝目を覚ますと、枕はまだ涙で濡れていた。

 「翔子、朝ごはんよ」と長崎さんは翔子の寝室の外から声をかけた。「学校に遅れちゃうわよ」

 「はい、長崎さん、ありがとう」

 長崎さんはパパの再婚した妻。翔子は彼女を『お母さん』と呼ぶことが出来ずにいた。ずっと『長崎さん』と呼んでいた。所詮、翔子の実の母親は『長崎さん』としての称号を放棄し、ママも再婚してもう長く、今の姓は高畑となっていた。

 長崎さんは2年前にこの家に来て以来、ほとんどの場合翔子に親切に接してきた。

 しかし、翔子はママが恋しい。

 ママの誕生日は2週間後で、翔子はプレゼントを贈りたいと思っていた。

 朝食の時間、翔子は何を食べているのかさえわからないまま、彼女はママにどんな贈り物をするか考え続けている。

 「……」

 静かに、長崎さんは翔子を観察している。

 金曜日の学校でのお昼時間に、翔子は贈り物の良いアイデアを思いついた。

 彼女は家族の思い出のカレーをママのために料理するつもりだ。

 カレーはパパが作る数少ない料理の1つだった。それでもそれが彼の得意料理。彼は週末の夜によく作ってくれた。そして3人は一緒に食べた。翔子、パパ、ママ。

 それは彼らの家族がまだ壊れる前の思い出だ。

 その夜、翔子はインターネットでカレーのレシピを探しながら、パパがどのようにそれを調理してたかを思い出そうとしている。今、翔子はパパが生きていた時に、作り方をパパから教えてもらわなかったことを後悔した。

 しかし料理の名前だけは覚えている。

 「見て!これ!」パパは作り終わった後、カレーが入っている鍋を誇らしげに見せびらかした。「『ママのために作ったパパ特製カレー』!」

 「なにそれ?変な料理名!」翔子はけらけら笑った。

 「おい!すごくいい名前じゃないか!」パパは気分を害したふりをした。「ママが毎日ご飯を作るのは大変でしょ。だからパパは週に一度ママのために料理をする!」

 ママは嬉しそうにパパの頬をつついた。

 そしてパパたちは離婚…

 「……」

 翔子はまた泣き出した。

 彼女はパパにとても会いたい。。

 だめ、泣くことはできない、彼女は涙をぬぐいながら自分に言い聞かせる。あなたは今10歳。あなたはもう大きな女の子。泣くことはできない。

 パパがいなくなった。しかし、彼女にはまだママがいる。

 翔子は決めた。明日は土曜日で、長崎さんは出勤しない。だから翔子は月曜日まで待ち、彼女はあの家族の料理を再現するつもりだ。

 『ママのために作ったパパ特製カレー』。

***

 これは災害だ。

 台所はめちゃくちゃ。

 「……」翔子は急いで台所を片付け、時計を見る。長崎さんが仕事から帰ってくる前に、彼女はそれを片付け終えなければならない。

 長崎さんはきれい好き。彼女はいつも家の中を片付け、清潔に保っていた。

 長崎さんは不機嫌になると冷たい態度になる。

 パパはかつて、長崎さんは機嫌が悪くなると、冷戦を始めるのが好きだと言っていた。翔子が『冷戦』とはどういう意味かを尋ねるとパパは、お互いに話しをしなくなることだと教えてくれた。

 私は長崎さんとあまり会話をしない。翔子は散らかった台所を見ながら考える。今まで私たちは冷戦をしていたということになるの?

 わからない。だけど、特にその答えを出そうともしなかった。翔子は心配そうに時計を見て、台所の掃除を再開する。

 翌日、翔子は再挑戦。

 彼女は放課後再びスーパーに行き、急いで家に帰って料理をする。

 もう一度、大失敗。もう一度、翔子は台所を片付けるため、時間との競争だった。

 その夜、長崎さんは晩ごはんの時間かなり不機嫌そうに見える。たぶん彼女は私がこっそり料理したことを知ったのだろう、と翔子は思った。しかし、翔子はゴミをも処分したしそれは違うだろうとも思った。長崎さんの仕事で何かあったのかもしれない。二人は静かに食べる。それで、これは冷戦なのだろうか?翔子は自問した。

 それは本当に問題ではない、と彼女は結論付けた。

 就寝時間。それでも、翔子は見つけたカレーのレシピと自分のメモを比較するのに忙しく、何が間違っていたのかを見つけようとしていた。

 羽毛布団の下に身を寄せた翔子は、スマートフォンでカレンダーをチェックする。ママの誕生日は来週の金曜日。今日は火曜日だ。大丈夫。彼女にはまだ時間がある。

 その夜、翔子は泣くことなく、ただ疲れ果てて眠りに落ちたのだった。


(2)

 水曜日の昼食時に翔子の仲良しの結菜が、触れたくない話題を持ち出してきた。

 「ねえ、もし翔子ちゃんがママの新しい家族と一緒に暮らすことを選んだら、翔子ちゃんの名字は高畑になるんだよね?」

 「……」翔子はスプーンを使って卵焼きで遊んでいる。それは、長崎さんが彼女のために作ったお弁当のおかず。「高畑になりたくない。私は長崎!」

 「でもさ、翔子ちゃんの新しいお母さんは、ママのところみたいにはお金持ちじゃないでしょ」

 ママの新しい夫は非常に成功したビジネスマン。長崎さんは普通のOLで、小さな商社で働いていた。

 「翔子ちゃんたちが今住んでいるマンションは借りているの?それとも買ったの?パパの収入がなくても、まだそこに住むことができるの?」

 「大丈夫だと思う。お葬式の後、長崎さんが彼女のお母さんと話しているのが聞こえてきたんだけど、今のところは住宅ローンがあまり残ってないから、残りは払えるって言ってた」

 「長崎さんはタフだね。私のママは毎日うちの住宅ローンのことパパに文句言ってるよ……翔子ちゃんのママの家はすごく大きくて住みやすそうだけどな。前私にそう言ってたじゃん……ね、聞いてる?現実みて。ただの名字じゃん。きっとその名字にも慣れてくるよ。重要なのは、何不自由なく快適な生活を送ることだよ」

 「……」翔子はスプーンで卵を刺し続ける。

 「その上――」

 結菜は翔子の手をつかみ、彼女の目を見るように強いる。

 「彼女はあなたの本当の母親、そうでしょう?」


(3)

 翔子の指から血が噴き出している。

 翔子はナイフを置き、救急箱を探して台所から走り出た。

 彼女がやっとそれを見つけると、パパの記憶が浮かび上がってきた。数年前、彼女は公園で遊んでいるときに転んでしまい、すすり泣きながら帰宅したときのこと、パパは傷口をきれいにしてから負傷した膝に絆創膏を貼ってくれ、もっと気を付けるように優しく伝えてくれたことがあった。

 パパ……

 泣きながら、翔子は負傷した指に絆創膏を巻く。

 長崎さんが帰宅するときには、すべてが片付けられていた。床に血は残っていない。ゴミはマンションのゴミ置き場に捨てておいた。長崎さんはいつものように夕食を作り始める。

 次の2日間、翔子は、長崎さんが仕事から帰る前に、練習、さまざまなレシピのテスト、台所の掃除、ゴミ捨てを続ける。そして週末は長崎さんは休日で家にいるため、翔子は貴重な2日間を失って不安になる。

 翔子はママの誕生日にサプライズのカレーを持っていく予定だ。しかし、時間はまだ決めていなかった。

 日曜日の夜、それの答えが出た。

 夜8時ごろ、ママからショートメールが来た。新しい夫と、翔子の異父姉妹の花子と、一緒に金曜日の夜に誕生日の夕食に出かける予定であることを翔子に伝えたのだ。そしてママは翔子に一緒に来るように誘ってきた。

 「……」翔子は拒否するためにメールを送り返す。彼女は新しい夫と一緒にママの誕生日を祝いたくなかった。

 しかし、この招待のおかげで、翔子はその日の夕食を避けるべきであることを知った。お昼の時間の前にカレーを持っていこうと決めた。高畑さんは仕事に出かけるだろう。だからたぶんママと一緒に食べることができる。もしママが外出していたとしても、家の前で待つだけだ。ママは一日中外出する可能性は低いのだ。

 月曜日、火曜日、練習、失敗、練習、進捗。

 水曜日に、翔子はついに食べることができるレベルのカレーを作ることに成功した。しかし、どういうわけかそれは彼女の記憶とは違う味がする。彼女は材料をチェック。玉ねぎ、じゃがいも、にんじん、豚肉、甘口カレーのルー、中辛カレーのルー……彼女は自分が大事な何かを忘れていることに気づいている。しかし、それは何だろう?

 その夜、翔子はパパの夢見る。

 彼女は自分が夢を見ていることに気づいているが、それでもすべてがとてもリアルに見える。それから彼女はこれが自分の記憶であることに気づいた。彼らは台所にいる。パパはカレーを作る準備をしている。そして彼は翔子に材料を説明している。はい、彼女は今、夢の中で、これが数年前の出来事だということを思い出した。

 「ほら、これがパパの秘密兵器だ!」パパは材料の1つを持って、それを彼女に見せびらかしている。「せえーの――」

 翔子はベッドから起き上がる。そうか、あれだ!

 木曜日。

 翔子はまた食材の買い物に行く。

 ママは再婚して以来、翔子に会うたびにたくさんのお小遣いをくれた。翔子はこの時までそのお金の多くを使わず貯めていたが、そのほとんどをカレーの材料費として使ってしまっていた。しかしまだパパのカレーを再現できていない。貯めていたお小遣いが底をつきそうだった。もしもお金が足りなくなってしまった場合、長崎さんの財布からお金をくすねる必要があるのではないかと心配した。

 それでも今のところは、まだ材料を買う十分なお金が残っている。

 翔子はそれを見つけるまでに3つのスーパーマーケットに探しに行った。それらは果物のコーナーできれいに整列し座っていた。

 パパイヤ。

 翔子はどうしてそれを忘れたのだろうか?パパは何度かパパイヤを彼女に見せながら、その面白い早口言葉を一緒に唱えた。

 「せえーの――パパイヤ、ヤハリパパの秘密兵器!」

 そして二人はお腹を抱えて一緒に笑い合った。

 彼女は大きなパパイヤと他の食材を持って家に帰り、もう一度試してみる。

 そして彼女はそれを味わう。

 今の彼女の記憶に残っているパパのカレーに近づいてきた。それでも、まだ少し違う…。たぶん、少しの甘口のルーを減らして、あとはもう少し中辛のルーを入れるべき…?まぁでも、すでにかなり良い出来合いになった。

 そして翔子はカレーが入っている鍋を見ながら考えた。それを冷蔵庫に入れて、明日ママの家に持っていくべきか?いや、それではだめ。長崎さんに見られたくない。これは彼女と、ママとパパだけに属する特別なものだからだ。それなら、それを寝室に隠すべきだろうか?だめだ、腐ってしまう。

 翔子はできたカレーを捨ててしまうことにした。そしてもう一度台所を片付けてごみを捨てに行く。明日の朝は十分な時間がない為、再びスーパーに急いで戻り、彼女はベッドの下に買ってきた食材を隠した。それらを長崎さんが帰宅する前にすべて終わらせた。

 もう一度、パパはその夜彼女の夢に現れた。

 別の記憶が蘇る。パパはカレーの食材を見せて、匂いを嗅ぐように頼んでいる。

 「嗅ぐ、翔子、それらを嗅ぐ必要があるよ。息を吸って。そして息を吐いて……」

 金曜日の朝。

 翔子は学校授業をサボった。彼女は先生にショートメールを送信し、病気休暇を求めた。そして、いつものように家を出て、長崎さんが出勤するのを外で待つ。それから再び彼女は家に忍び込んだ。

 翔子はすべての食材をカウンターに置き、そして目を閉じる。

 パパは微笑んで、彼女の心に現れ、話しかける。

 「準備はいい、翔子?食材の匂いを嗅ぎましょう……にんじんの匂いを嗅ぐ、じゃがいもを嗅ぐ……良い!玉ねぎの匂いを嗅ぐ、甘口のルーを嗅ぐ、中辛のルーを嗅ぐ……ああ、もちろん、パパイヤを嗅ぐ!……て、それらを想像して、すべての食材は、手をつないで、一緒に輪になって踊っています。息を吸って、息を吐いて……」

 翔子は目を開ける。

 そして彼女はパパイヤを手に取る――

 ついに完成した。鍋の中でカレーが元気に泡立っている。翔子は小皿に少し分けて味見した。

 彼女は舌を転がし、カレーを口の中で流した。

 音楽が聞こえてくる。

 カレーは口の中で踊っている。食欲をそそるのに十分スパイシーで、甘すぎず、だけど感じる十分な甘みは翔子を元気づける。

 カレーの香りとパパイヤの香りのバランスが、さわやかな風のように吹いている。この風は彼女を空中で踊らせ、そして彼女を優しく包み込んでいる。

 パパイヤのまろやかな甘さは、甘口のルーの甘さと完璧に調和していて、それらは彼女に楽しいデュエットを歌っている。

 にんじんはやわらかい、じゃがいもはほくほく、豚肉はぷりぷり、うま味がたっぷり!

 これは喜びのカレーだ。翔子にはパパが歌い、ママが笑うのが聞こえる。そして彼女は彼らと一緒に笑っている。

 「……」彼女は涙をぬぐい去り、時計を見上げる。 10時50分。今台所を片付ける時間はない。長崎さんが帰宅したら、怒るに違いない。そして、彼女は翔子と冷戦を始めるに違いない。いや、おそらく非常に熱い戦争だ。

 しかしそんなことを考えている暇はない。今すぐ出発ないと間に合わない。


(4)

 翔子はバスを降り、その大切なカレーの鍋が入っている大きな帆布の袋を注意深く持っています。お弁当箱を使おうとしたが、カレーを全て入れる十分な数が見つからなかった為、鍋全体を運ぶことにした。ふたを鍋に固定するためにたくさんのセロハンテープを貼った。

 ご飯を炊くのを忘れたが、ご飯は簡単に手に入るので問題ない。ママの家の近くのレストランで買うことができることを知っている。

 翔子は、ママと花子と一緒にランチをすることを考えながら、興奮してママの家に向かって歩く。花子は3歳。翔子は彼女に数回しか会ったことがなかった。

 翔子が花子を最後に見たのはパパのお葬式だった。ママが新しい家族を連れてやって来たのだ。

 それから2日後に、ママが翔子を訪ね、一緒に暮らさないかと聞いてきた。

 翔子はそれを断わった。それだけでなく、ママがパパの死に責任があると非難し、ママに向かって叫び怒鳴ったのだった。ママたちが離婚していなかったら、パパは死んでいなかっただろう、と翔子は言った。けど、彼女はそれが真実ではないこともよく知っていた。パパはガンで亡くなったのだ。それは確かにママのせいではない。しかし、翔子は気にしなかった。彼女はすべての恨みを解放しなければならなかったのだ。

 そして長崎さんは翔子のその時の振る舞いについてママに謝罪していた。ばかばかしい。彼女は長崎さんの助けを必要としていなかった。

 それ以来、翔子はママに会うことも話すらしていなかった。

 この数週間、翔子はママにそれらの恐ろしいことを言ったことについて後悔していないと自分に言い聞かせてきた。それでも心の奥深くで、彼女はどんどん不安になっていた。翔子は、もし何もしなければ、このままママを失ってしまうということを知っていた。

 翔子は最後の街角を曲がる。よし、右側の3番目の家のはずだ。このあたりで一番大きな家……

 翔子は止まる。その家の前に大きな黒い車が待っていて、ママは新しい夫と花子と一緒に庭の門から出てきた。

 彼らは皆、着飾り、楽しそうに話し、笑っていた。

 翔子は電信柱の後ろに隠れている。

 「ごめんね、夏美、このクライアントは1時間くらい前に私に電話をかけてきて、今日の午後東京に来ると言っていたんだよ。とても重要なクライアントなんだ……」

 「大丈夫よ。あなたは気にしないでその大事な接待に行ってきて。正直なところ最近は、おいしいごちそうは夜に食べるよりもお昼に食べるほうが好きなの!だってお腹がいっぱいだと気持ちよく眠れないでしょ」

 「天ぷら食べに行くんだよね?ねえ、ママ、今日はエビの天ぷら3つ食べたいな?いい?」

 「はいはい、でも全部食べれるかな?」

 「ね、夏美、もしカレーがいいならカレー食べに行ってもいいんだよ。カレー好きでしょ?」

 ママの顔から笑顔が消えた。

 「いいえ……カレー以外は何でも。もう二度とカレーを食べたくないな、無理」

 彼らは車に乗り込み、去っていった。

 翔子は電信柱の後ろから出てくる。

 彼女はゆっくりと歩き、バス停に戻り、見下ろした。

 ブッブゥーーーッ!

 トラックが嵐のように彼女を通り過ぎた。

 「馬鹿野郎!」と運転手が叫んだ。

 「……」翔子は地面に座り込み、何が起こったのか整理しようとしている。

 彼女は体をチェックし、怪我がないことを確認した。

 それから自分の目の前に広がる光景が目に入った。

 カレーが道路に広がりこぼれていた。


(5)

 翔子が家に帰ると、すっかり疲れ果ててしまっていた。

 彼女は台所に入り、鍋に異変がないか確認する。幸いなことに、彼女はセラミック製ではなくスチール製のを選んだ。もしそうでなければ壊れていただろう。

 鍋にはまだカレーが少し残っている。しかし、今はそれを残しておく理由がない。彼女はそれを捨てて早く台所を片付け始めたほうがいい、そう思った。

 翔子は鍋を流しに運んだ。

 「待って」

 向こうから来た手がその鍋をつかんだ。

 長崎さんが帰ってきた。

***

 彼らはテーブルに座った。

 「先生から電話がありました。あなたの風邪の具合を聞かれたんです。だから私はあなたの様子を見るために家に帰ってきました」

 「……ごめんなさい」

 「私はあなたが何をしていたか知っています、翔子。ママのために何か料理したいのよね?どうして?」

 「ママの誕生日だから」

 「ああ……」長崎さんは一瞬言葉に詰まった。「まあ、あなたが作ったカレーよね?もう終わったの?」

 「はい」

 「じゃあ、ママを招待して一緒に食べたいですか?」

 「……いいえ」

 「なぜ?」

 ゆっくりと小さな声で、翔子は長崎さんに何が起こったのかを話した。

 長崎さんは長い間沈黙している。

 今、私たちは冷戦中、と翔子は考える。でも、関係ない。もう気にしない。

 「……本当に怪我はなかったの?」

 「大丈夫です」

 「わかった。まず、お風呂に入ってきなさい。そうしたほうがいいわ。昼食を用意しときます」

***

 翔子がダイニングルームに戻ったとき、食卓の上に食べ物はなかった。でも長崎さんが待っている。

 「座って……翔子、この一週間、毎晩台所の掃除に余計な時間を費やさなければならなかったのにだけど、私はあなたが料理の練習をすることを止めませんでした」

 「……でも私はいつも台所を片付けました」

 「うん……」長崎さんは微笑む。「子供の台所の清潔さの基準は、大人の女性の基準とは異なるとだけ言っておきましょう。それと昨日、マンションの管理人が私に不平を言ってきました。彼は防犯カメラの映像から、あなたがごみの日ではない日にも毎日可燃ごみを捨てていたと言われました。私は謝らなければいけませんでした」

 「……ごめんなさい」

 「それでも、翔子を止めたくありませんでした。あなたにとって重要なことをしていることを私は知っていましたから」

 「……」

 長崎さんはテーブルから携帯電話を手に取り、誰かに電話を掛けた。

 「もしもし……はい、彼女はここにいます……ちょっとお待ちください」

 長崎さんは電話を翔子に渡した。

 「翔子!」ママだ。

 「翔子、長崎さんが全部教えてくれました!ごめんね!あなたが来るとは知らなかった……」

 「……」

 「ね、聞いて、翔子、カレーについて食べたくないって言ったのは、パパを思い出させるからです。すごく悲しい気持ちになってしまうから!でも、あなたが作るカレーなら、もちろん食べたいわ!」

 「……」

 「翔子、何があってもあなたはママの娘だということを忘れないでほしい。ママはいつもあなたを愛しています、わかる?」

 「……」

 「ママと一緒に……私たちと一緒に暮らすのは大歓迎よ……けど、ママはあなたの選択を尊重します。必要に応じて、両方の家に順番に住むこともできるのよ!」

 「ママ……」

 「はい?」

 「今夜晩ごはん食べに来てくれる?」

 「……うん……もちろん!行きたいわ!」

 そして、翔子はまたばかなことをしたことに気付く。この家で勝手なことはできない…。彼女は長崎さんを恐る恐る見上げた。

 でも長崎さんは微笑みながら、うなずいている。

 「じゃ、六時半ねママ。カレー作ってあげる!」

 「わかった。すごい!……花子を連れて行くわ!……ああ、高畑さんも一緒に行ってもいいかな?」

 「でも彼は今夜接待に行くんじゃないの?」

 「大丈夫よ。彼はそれをキャンセルするはずだわ。ただ心配なのは、彼が行っても問題ないかしら?」

 「……うん!彼も一緒にどうぞ!」

 「ありがとう、そうさせてもらうわ。じゃ、また夜にね。愛してる!」

 翔子は長崎さんに電話を返す。

 「さて、昼食をとりましょう」長崎さんが立ちあがった。「あなたはここで待っていなさい」

 電子レンジの音が聞こえた。しばらくして、長崎さんが2膳のご飯を出してきた。そして、彼女はもう1つのお碗を持ってきた。その中には、残りの貴重なカレーが少し入っていて、温められ、蒸気が上がっている。

 「今夜はママのために新しいカレーを作りますよね?じゃあ、これを昼食に食べましょう」

 長崎さんはスプーンを使ってカレーをそれぞれのお碗に分け、そして彼女は座った。彼女はスプーンを手に取ったが、でもまたそれを置いた。

 「翔子……あなたのママに取って代わることは絶対にできないと思うし、試してみるつもりもないわ。でも、あなたが私を必要とするときはいつでも私はここにいるからね、忘れないで」

 「わかった。ありがとう…お母さん」

 静かに、母と娘はカレーとご飯を食べ始める。

「それと、もし必要なら今夜のカレー作りお手伝いするわよ?」

「ありがとう、でも私が仕切るわ!」

 長崎さんは目をグルグル回しながら言う。「はい、はい、料理長!今日のボスは翔子ね、私の台所で!」

 二人は笑う。そして二人は食べる。

 ほんの少しでも、もう一度幸せを味わうことができることに翔子は気づいたのだった。

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ママのために作ったパパ特製カレー 北島坂五ル @KitajimaSakagoru

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