ある朝の電車内での出来事
卯野ましろ
強いぜ、ばあちゃん! ~ばあちゃんは88歳でも強かった!~
おれは通学中の今、嫌なものを見ている。優先席付近に妊婦さんが立っているのに……誰一人、彼女に席を譲ろうとしない。
ならば、おれが譲れば良い……と誰もが思うだろう。しかし、それが難しい。なぜなら、おれは優先席から離れた場所に座っているからだ。おれが妊婦さんに席を譲ろうとすれば、逆に妊婦さんを疲れさせてしまいそうな距離だ。この人混みの中、身重の彼女にキツいことはさせられない……立ちっぱなしの今でも、ものすごくツラいと思うが。
……何でだよ。
どうして、一人も妊婦さんに席を譲ろうとしないんだよ。
優先席を見ていると、みんな強烈な個性を放っていた。ヨダレを垂らしながら眠る男子高生、化粧中のOL、大きな声で会話に夢中なカップル、音漏れが分からないであろう音楽鑑賞中の乗客、そして手の甲に独特なタトゥーが特徴の男。
……何か、みんなやべーな……。
おれがズカズカと「何で席譲らねぇんだこの野郎!」なんて言ってみれば、一気にフルボッコ間違いなし。
「次は……」
悶々としているうちに次の駅。妊婦さん、まさかの次で降りる展開とかないかな……と思っていたが彼女は降りなかった。そして優先席から誰も降りなかった。
この先マジで、どうなるんだ?
ずっとあの状態が続けば、もしかしたら彼女は……!
「なぁーんで誰も! この人に席を譲らないんだっ?」
おれが下を向いて頭を抱えていると、ゆったりながらも迫力のある声が聞こえてきた。ハッとして顔を上げると……。
「あたしゃあ88年も生きてきたが……随分と冷たくなったなぁ、世の中ぁ!」
あの妊婦さんの隣には、88歳のばあちゃんが立っていた……それにしても元気だな!
「勝手なのばっかだから優先席が作られたっちゅーのに、これじゃあ何のために優先席ができたのか……分かんないなぁ!」
ばあちゃんの声が響く中で、やっと優先席から誰かが外れた。立ったのは、おれが最もビビっていたタトゥーあんちゃんだった。音楽雑誌を読んでいた彼はペコペコと頭を下げている。この様子だと、あんちゃんはガチで気付いていなかったようだ。そして気まずくなったのか、あんちゃんは隣の車両へと移ってしまった。おれが乗っている車両にいる、ほとんどの人間がその背中を見ている。
「さ、座りな。あたしゃ足腰を鍛えるから、ずーっと立ったままで大丈夫だ! だからぁ、誰もあたしに譲るなよ!」
「あ、ありがとうございました……!」
妊婦さんは泣きながら、ばあちゃんに礼を言って着席した。
……はぁ~……。
強いぜ、ばあちゃん!
一部始終を見ていたおれは今、ドキドキしている。また、ばあちゃんの喝が終わると、ずっとその優先席に座っていた人々はピシッとしていた。
かっけぇな……。
おれは電車を降りた後も、まだ興奮は止まなかった。自分もあんな風に成長できるかな、と思いながら歩く道は、いつもより何だかキラキラしていた。あと、人を見かけで判断するのはやめようと誓った。
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