レオンとライフのダメな日ご飯
黒い白クマ
レオンとライフのダメな日ご飯 パスタ回
ピピピ、というアラームの音が部屋に響き渡っている。毛布から生えた手が、目覚ましの頭部に常よりも重めの一撃を決めた。
あ、これ今日ダメっすわ。
レオンは寝返りを打って、枕に顔を埋めた。体が重いし、何よりも起きる気力というやつが足りない。腹も空いてない。ベッドを抜け出す動機がない。
これ、今日はダメな日だな。無理無理、もうこれは確定。ダメな日です、ダメな日。
確信を持って、地の底から湧いたような低い唸り声を上げる。無理やり起き上がろうとして、ごめん寝の体勢で二度寝が始まりそうになる。始まりそうになるが、体が硬いので土下座していると膝と太ももが痛い。直ぐに身動ぎして諦めて立ち上がった。
レオン・アレクサンダーは割合自他ともに認める「ダメな奴」である。いやまぁ、もしかしなくとも実家にいる弟のウィルは「そんなことないよ兄ちゃん」という顔をするだろうけど、概ね大半の知り合いがこの意見に同調するだろう。
ご飯は大抵まともに食べないし、昼夜はしょっちゅう逆転するものだし、日光に当たれば死に至る。
日光に関してはあくまで比喩表現だが、事実ちょっと具合が悪くなるのだ。引いた血の隔世遺伝じゃないかって父は気遣ってくれるが、母は気の持ちようじゃないかと眉を寄せる。
さておき。そんな、いつもダメ、の中でも今日はダメ。特にダメ。レオスは誰に言うわけでもなくベッドの上で言い訳する。
あのー、もう今日は何も出来ない。分かる?生きるのに向いてないデーってやつですわ。
ただこういう時って不思議と寝ることも出来ない。いや、別にそこにある不眠症治療の睡眠薬をぶち込めばほぼ確で穏やかな眠りにつけるだろうが、朝の九時に睡眠薬を飲むようなことは希望していない。さすがにね。
「あぁー……」
やらなきゃいけないことがあまりにも膨大だと、どこから手をつければいいのか分からなくなる。例えば今まで利用していたシステムに致命的な欠陥が見つかって、提出用に作成した何十ものデータをちまちま書き換えなくてはならない、とか。誰だこんな初歩的なミスをしたのは。俺だ。ちくしょう。
「ホントになんもやーりたくない……ウィルがいないだけマシか……」
まぁいたらいたで心の栄養にはなるが、可愛い可愛い弟がいるとやはりカッコつけたくなってしまうのだ。壊滅的に死んでいる日は弟の目がない方がありがたい。母から「情けないな」と小言が来ることもないし、父に「ご飯くらい食べなよ」と首根っこを掴まれることもない。一人暮らしバンザイ。
実家から出てまだ一年も経っていないが、引きこもり生活は最高だった。スクールの研究員としての仕事は基本自宅からの連絡で終わるし、来客になるような親しい友人も少ない。気楽なもんだ。
「ライフ、おはよう。今日の天気。」
声帯認証で起動した飛行タイプの小型ロボが目を開けて、本棚の上から飛び出した。
「おはようございます、レオン。本日3月15日11:34の天気は、曇り。のち14時頃から晴れ。」
「え?11時?」
「イエス、レオン。只今の時刻は11時35分。」
ライフの声に顔を上げて、驚いたように叫ぶ。目の前を飛ぶモニターがライフの顔から切り替わって、時計を表示した。
「は?11時なんだが?なんで?誰に断って11時になったんだ?いやそもそも誰に断って3月になったんだ?知らないんだけど!?」
「時間と喧嘩でもしましたか、レオン。」
「うるさいな、あー……9時くらいだと思ってた……うっそ俺何回目の目覚ましで起きた?」
「目覚まし時計と同期します。本日、停止ボタンが押されたのは、スヌーズ五回目です。」
「うーん……まごうことなく11時だね……」
9:00,9:30,10:00,10:30,11:00とかかったスヌーズをもれなく全部消費したらしい。一個目で起きた気満々だったのに。
「ならもうちょい腹空いててよ俺……」
「食事を推奨します、レオン。」
「分かってるよ。美味いもの……こういう日はなんでもいいから美味しいものを食べるしかない……」
まずはカロリーだ。それからお昼ご飯。
棚から朝の分の薬を飲む水用のコップ、それから大きなマグカップを引っ張り出す。マグカップにインスタントコーヒーをぶち込んで、それから同じくらいの砂糖もぶち込む。コップとマグを持って台所に行って、ポットを持ち上げる。昨日のお湯がまだ結構入ってるようだ。
「ライフ、賞味期限が近いものは?」
「賞味期限が今週のものは、椎茸、しめじ、卵、水菜です。来週に、パスタが切れます。」
「……ゆで卵かな……あとパスタか……」
冷蔵庫を開けて、アナウンスされたものとトマト、麺つゆ、それから棚からツナ缶をキッチンの台に広げる。
コンロに置いてある鍋はなんだっけ。あぁ、昨日のスープの残りか。邪魔だな。
コンロから小さい鍋を持ち上げてシンクの横に置く。ちょっと不安定だが、まぁ狭いキッチンでは仕方ない。でかい鍋を取り出して、ポットの中身をそこにあけようとする。すぐにコーヒーのことを思い出して、慌ててポットの蓋を閉めた。インスタントコーヒーと砂糖の入ったマグ半分までお湯を注いでから、残ったお湯を鍋に開ける。
危ない、俺の朝のカロリーがゼロになるところだった。まぁ水入れて電子レンジでもいんだけどさ。
鍋いっぱいになるまで水を足して、蓋を閉めて火にかけた。やかんに水を入れて、これも火にかける。マグカップの残り半分に牛乳を入れて、それからコップに水を入れる。二つとも持ち上げてリビングルームに移動した。
リビングルーム、と言っても食事もここでとるからダイニングのようなものでもあるのだが。便宜上のネーム付だ。ライフに指示をするにも名札はつけておいた方がいい。ベットルーム、バスルーム、キッチン、リビングルーム。
「ライフ、椎茸としめじ、あと水菜なくなったから消しといて。それからツナ缶ひとつ減った。」
「野菜室から、椎茸、しめじ、水菜のデータを削除します。貯蓄物から、ツナ缶一缶を削除します。残りのツナ缶は三つです。」
「……うそ、消し忘れたかな。残り二つしかなかったけど。」
言い終えてからコップを傾けた。水を口に含みながら棚を開ける。ツナ缶が二つしか見あたらないことを確認してから、テーブルに戻って薬を口に放り込んだ。水と一緒に飲み干して、コップはシンクに入れる。
「データを修正しますか?」
「よろしく。ねぇ、冷蔵庫にバターって入ってたっけ。」
「データを確認中。三日前に冷蔵庫からバターの情報が削除されています。」
「切れとる〜。」
ぼやいて、実家からの荷物に入っていたクッキーを開けて口の中に放り込む。それから、カロリー、違った砂糖入りのカフェオレ。
「あっまぁ。」
好みでいえばレオンはブラック派だ。乳製品と糖分を補給できるから、一食抜いた時にとりあえずこれを飲むだけで、別に甘いコーヒーは好みじゃない。
「レオン、買い物リストにバターを追加しますか?」
「オナシャス。」
お湯が沸騰する音がした。慌ててもう一口カフェオレを飲んで、キッチンに走る。鍋の蓋を開けて沸騰したお湯に洗った殻付きの卵を放り込む。
そういえば卵は水からだっけ?お湯からだっけ?まぁいいや、15分くらい煮れば固くなるでしょ。
タイマーを15分にセットする。それからまな板を出そうとして、レオンは他所に避けていた昨日のスープを睨んだ。
「危ないな、これ。」
「レオン、鍋Aをリビングルームへ移動することを推奨します。安全性36パーセント向上。」
「分かったって。もー、今度ライフにアームでもつけようかな。」
「ToDoリストに、ライフにアームを装備、を追加しますか?」
「冗談、そんな時間ないよ。それにいよいよ俺がダメになりそう。」
鍋を持ち上げて、リビングルームのテーブルに移動。それからカフェオレをもう少し飲んで、スマートフォンを確認する。メールが増えているのを確認して、DMだけ消す。プロフェッサーからのメールに眉を寄せて、それは見なかったことにした。だいたいがところプロフェッサーだって三日くらい返事をくれないことはザラなので、こっちが二、三時間メールを放っておいて怒られる筋合いはない。
15分にセットしたタイマーが鳴る。
またキッチンに飛んでいって、ボウルに氷水を作った。ゆで卵を氷水の中に救出する。残ったグラグラいうお湯にオリーブオイルを入れてから、棚からパスタを引っ張り出した。
「パスタの1人前ってどのくらい?」
「90グラムです、レオン。二週間前にレオンはパスタを調理し、次は量りを使う、と発言していました。」
「……あー、うん、すんごい沢山になった覚えあるわ。おけ、量ります。」
沸騰しているお湯が急かしてくる。量りをビニール袋から出しすらせずに電源を入れる。その上にパスタの袋をデン、と乗せた。
「546グラム。90引いて……いくつだ?」
「456グラムです、レオン。」
「あざす。」
プログラマーが全員暗算が得意だと思わないで欲しい。むしろレオンは2桁が出てきた時点で電卓を取り出すタイプだ。
「90……こんくらい?」
適当に出して鍋にぶち込む。それからもう一度パスタ袋を量りの上に。
「482。あと30くらい?」
量りの使い方が間違っていることは重々承知の上だ。また適当にとって鍋に入れる。
「449……やべ、入れすぎた。」
まぁ7グラムは誤差だろう。パスタを棚に戻して、タイマーを7分にセットする。既にお湯に使っている半分が柔らかくなるって?腹に入れば同じだ同じ。
つつき回して何とかパスタをお湯の中に全部収める。それから野菜を切って、切り終わったらフライパンを空いたコンロにセットする。三口コンロ万歳。
オリーブオイル、きのこ類、それから麺つゆと料理酒。酒入れとけばたいてい美味い。醤油もいるかな、と回しがけた。分量はノリである。火が通ったら水菜。
7分のタイマーが鳴った。
パスタをお湯からあげてフライパンに移す。そういえばパスタを全部フライパンですませる方法もあるにはあるが、レオンはそれで既にアルデンテというには硬すぎるパスタを何度も生成していたので、諦めて今日はでかい鍋で茹でた。洗い物は多分明日のレオンが毒づきながらやる。
フライパンで炒めた具材と馴染ませて、1本持ち上げて食べてみる。
「なんかぼんやりした味だな。」
こういう時は醤油を足しておく。あ、あとガーリックソルトとかかけてみる。ニンニクかけとけば大抵のものは美味い。多分。
「まぁよし。」
「レオン、ボウルに卵が放置されています。」
「あ、剥いてない!」
パスタを皿にあける。そこで初めてやかんのお湯が湧いていることに気がついて慌ててポットに移す。炒め物の音で気が付かなかった。
ゆで卵の殻をむいて、別の皿に載せる。とりあえず塩コショウをかけておけば美味しい。ヨシ。それから洗ったトマトも添えて、散らかった台所を片づける。片付けている時にツナ缶に気がついて、別の皿を出した。
「さすがに1人で一缶は多いんだよねー。」
全て皿にあけてから、少しだけパスタの上に乗せる。"コレいれときゃ美味いじゃろパスタ"の完成だ。酒とニンニクがあれば賞味期限の近いものをぶち込んだ何かもそれっぽい格好になる。限界飯ライフハックである、覚えて帰って欲しい。
残りのツナにラップをして冷蔵庫へ。
「ライフ、冷蔵庫にツナ缶登録。賞味期限は……明後日でいいか。」
早めに食べる、の気持ちでそう言えば、ライフが登録しました、と返事をした。
パスタ、ゆで卵、トマト。それから残ってたクソ甘カフェオレ。テーブルに並べてから、思い出したように昨日のスープも皿に移す。別に冷たくても困らないし温め直す気力がないのでそのまま食卓へ。
「ToDoリストに洗い物。」
「ToDoリストに洗い物を追加しました。」
「あり。」
冷めてしまったカフェオレを飲み干す。
「うわぁ、冷めるとさらにえぐ。あっまい。」
「貴方が作ったんでしょう。」
「なんすけども。」
パスタを数口食べて、なんか味薄いな、と首を傾げる。まぁツナ缶を混ぜればごまかせるのでよし。半分くらい食べてからゆで卵を齧って、トマトを食べて、でフォークをもう一度持ち上げて眉を寄せる。
「……なんということでしょう。」
「どうしましたかレオン。」
「ゆで卵でお腹がいっぱいになってしまいました。きつい。」
「レオン、貴方はろくに食べないのにいつも作り過ぎる。」
「さーせん。今度からちゃんとレシピ見ようかな……」
「今月十一回目の発言です。」
「マジ?」
「通算も出しましょうか?会話データベースにアクセスします……」
「しなくていいしなくていい!キャンセル!」
何とか食べきって、窓の外を覗く。まだ曇りだ。確か14時から晴れるから、外に出るなら今のうちかもしれない。
「やっぱりバターはあった方がいいな。買いに行くか……」
それにしてもなんか、不味くないけど微妙な味だった。ケーキでも買いに行こうかな、とテーブルに溶けてからレオンはあ、と小さく声を上げた。
「あ、思い出した。パスタ茹でる時に塩入れてなかったじゃん。」
そりゃぼんやりした味になるはずである。あー、ダメな日ってほんと何してもダメ。
「……ライフ、ケーキの取り寄せ。」
「Mr.ルイスのケーキ店までは徒歩15分。歩いて向かうことを推奨します。」
「えぇ、外出る為には着替えなきゃいけないじゃ、ッダァ!?」
立ち上がって食器を下げようとして、レオンは思い切り椅子に足をぶつけた。間一髪で食器は守ったものの、足首が凄まじく痛い。
「……外、出たら、気分転換になると思う?」
「イエス、レオン。例え貴方でも人の血を持つもの、太陽光は害であると共にセロトニン生成に必要なものです。」
「あ、そ……」
痛む足を引き摺りながらレオンはクローゼットの方に歩いた。こんな日でも自分の機嫌は自分で取らなくちゃいけないから嫌になる。
スマートフォンを一瞥して、レオンは結局部屋着の上にコートをそのまま羽織った。今日はダメな日なので。なので、ケーキ屋をプロフェッサーより優先しても許されるのである。
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