【かきこひわづらひ③】2016/08/13(土)夕方
お盆休みに入った夏の夕方、祐樹は駅前の中央広場で拍手を浴びた。
――やった。ここの人たちはノリが良いや。
初めて足を延ばした町、再開発が進み、新しいショップやビルが次々と立ち並んでいるエリアだ。いつもの『コンサート会場』は、元カノに会ってしまうかもしれず、祐樹は自然と足が遠のいてしまった。
――この人の多さ、どこかに音楽プロデューサーとか混じってねえかな。
そんな淡い期待を抱きながら、祐樹は観衆に頭を下げつつ、もう一曲披露した。足元に置いたギターケースには、オトリの千円札に釣られて小銭も入ってくる。彼女にフラれて無気力だった日々も、これでお別れのような気がしてきた。
繁華街のネオンが乱雑に光り輝き、コンコースに客引きが現れ始める。いつのまにか、完全に日が暮れてしまった。夜風が少し生ぬるい。
祐樹が最後の一曲を終えようとした時、離れた場所から若者の集団がこちらを伺っているのが目に入った。その何人かの顔には明らかに悪意のある笑みがある。祐樹は一抹の不安を胸に、足早に広場を後にした。
人混みの中、斜め前の方からうっすら声が聞こえた。気のせいだとそのまますれ違って歩いていると、その同じ声で今度は斜め後ろからしっかりと呼び止められた。
振り返った先で、かつての同級生が人をかき分けるように近づいてきた。
「祐樹じゃん!久しぶり」
「和久か?おお、元気だったかよ!お前んち、この辺なの?」
「いや、遊びにきただけ」
二人は懐かしい再会を味わうべく、人の流れから逃れると、ビル街へと足を向けた。
その時だった。
同級生の和久が祐樹の右腕を掴むと、勢いよく裏路地へと引き込んだ。
「おい、どこへ……」
そのまま何も言えなくなる。
壁づたいに、四人の若者が座り込んで祐樹を見上げていた。
路地の真ん中で、和久がヘラヘラ笑いながら両手を合わせるようにして祐樹に頭を下げた。
「悪い、祐樹。金貸して」
「な…………」
「さっき、たくさん稼いだでしょ?」
すると、座り込んでいた見知らぬ少年が立ち上がった。
「あそこ、路上ライブ禁止なんですよ。余所者だから知らないんでしょうけど、ああいうところで商売するには、許可とか要るんですよ」
もう一人が欠けた前歯を見せながら笑った。
「許可って、言っておくけど警察じゃないよ。オレ、知らねえぞ。何かされても」
――。
ゆっくりと、不良グループが祐樹を取り囲んだ時、すぐ後ろから人の気配がした。
「……どいてくれませんかね」
振り返ると、そこにはその場の誰よりも長身で、誰よりも鋭い目をした男が背中に何やら背負ったまま立っていた。
少年の一人が男を睨みつけた。
「何だよ、オッサン。逆から回り込めば良いだろうがよ」
しかし、男は眉毛一つ動かさず、首を傾げた。
「何で目の前の建物に用があるのに、わざわざ遠回りしなきゃなんねえんです」
「はあ?ボコられたいの?」
和久が男に詰め寄った時、旧友の顔が固まるのが目に見えてわかった。
「す、スミマセン……」
不良仲間も次々とその場を離れた。
「やべ、ホンモノだ」
誰かが小声でそうつぶやくのが聞こえた。
祐樹は呆然としたまま男を見つめていたが、窮地を助けてくれたことに変わりはない。慌てて頭を下げた。
「あの、ありがとうございます……」
すると、男はわずかに目を細めて祐樹を見つめた。その顔に、思わず身震いする。
――ホンモノって、そっち系のホンモノってことか!
背負っている黒いケースも、もしかしたら恐ろしいものが入っているかもしれない。
一刻も早く立ち去りたい衝動に駆られた時、男が小さく息を吐いた。
「お前さん……さっきコンコースでギターを弾いていたでしょう」
「へ?」
「なかなかストロークは上手でしたね」
その口元に小さな笑みが浮かぶ。祐樹は、一気に力が抜け落ちて、あわや、その場に座り込みそうになった。
「あの、その……」
「ただ、金を取るなら最低でもチューニングはしっかりやりなさい。GがG#になっていました」
「ジ……ジーシャープ?」
「三弦が半音高けぇと言ってるんですよ」
そのまま男が立ち去ろうとしたので、祐樹は思わずその袖を引いた。
「ま、待ってください!何でそんなことわかるんですか?」
「逆に何で、お前さんはわからねえんです。弦楽器やってるなら最低限の知識でしょうが」
「あ、あなたも楽器を……?」
男は背負っていた黒いケースを開けると、中から細い竿を取り出した。
見たことがあるフォルムだ。女性が優雅に弾いているイメージが目に浮かぶ。
男は道の脇に置かれていた木箱に片足を乗せると、楽器を足の付け根に据えて弓で軽く音を出した。
その曲は、さっきまで祐樹が駅前で披露していたものだ。
――おい、オレのオリジナルだぞ?一瞬で耳コピしたのかよ!
男は横目で祐樹を見ると、
「これがG、こっちがG♯です」
と音を鳴らした。
祐樹は唖然としながらも、どうにか言葉を発する。
「あの……プロの方ですよね」
「まさか。プロはこんな程度じゃ話になりません」
男はため息を吐いた。
奏でられた音色が、祐樹の耳から離れない。
「オレは……プロを目指したいんです。でも、まだ自信がなくて」
「自信がない時点でプロにはなれません。ほんの一握りの人間しか成功しない世界なんですから」
無意識に、励ましの言葉を期待していたのだろう。ことさら、祐樹は気持ちが沈んだ。それでも、どうにか言葉を返す。
「でも、ミュージシャンの中には『女にモテるから楽器を始めてプロになった』って言う人間だっていますよね?そいつらは、演奏に自信があったとでも言うんですか?」
「そんなもの真に受けているうちは、なおさら無理ですよ。プロは何事も結果です。過程など、どうでも良いんですよ」
「……」
「凡人の感覚なんか通用しません。彼らはそういう壮絶な精神世界に身を置いてるんです。だから盗作は激しく叩かれるでしょう?一人が命を削って生み出した作品を横取りする輩も……まあ、ある意味で凡人の感覚じゃねえんでしょうが。チヤホヤされたいだけなら、尚更、プロは目指すべきじゃありません」
祐樹は悔しくなり、男に食ってかかった。
「じ、じゃあ、貴方は何で楽器を始めたんですか?女にモテたいからじゃなくて?」
「……この二胡が、女にモテる楽器とは思えませんけど」
男はどこか困惑した表情を見せた。それが、祐樹には少し意外だった。つい今まで鋭い目つきで論じていた人間とは思えなかった。
「オレ、その楽器は女の人が弾くイメージでしたけど、男が弾くと、こう……何となくちょいセクシーだと思いましたよ」
「セク……」
「はい。若いヤツより年輩の男の方が様になるというか」
それは素直にそう感じた。
祐樹はただそれだけの気持ちだったが、男はさっきから変な咳払いばかりしている。
「いや、そんなことは……ないと思いますけど」
だんだんと、祐樹は男の反応が楽しくなってきた。今までさんざん言われた仕返しに、少し意地悪な心が芽生えた。
「きっと、オバサンとかにはモテるかもしれませんね」
男の目が鋭く細められた。
「オバサンじゃねえですよ」
「は?」
「あ」
男は口を押さえると、慌てて楽器を片づけた。そして、
「……ありがとうございます」
小声でそう言うと、足早に立ち去ってしまった。
【かきこひわづらひ③ 了】
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