【かきこひわづらひ②】2016/03/27(日)夜
「はい、今日のライブもお疲れ様でした!」
「乾杯っ」
駅前の居酒屋で、男たちが互いのグラスをぶつけ合った。
その中でも最年少、ギター担当のペグ(愛称)は、店員に料理の注文をしながら、メンバーの会話に耳を傾けた。
相変わらず、コンサート会場の機材の話や、演奏の反省点、次回の曲目など、音楽に関する話し合いしかなされていなかったが、今日だけは少し空気が違っていた。
――たぶん、おれのせい。
ペグは、孤高の二胡弾きの顔を横目で見た。すると、それに気づいた別のメンバーが、口をひん曲げて牽制した。
――わかってますよ。話は振らない約束ですから。
二胡弾き――柿坂は静かにグラスを傾けながらも、隣にいる笛吹きの話に聞き入っている。
――柿さん、さっきの女の人はどうしたんだろう。
ペグは少し後悔していた。
今日のコンサートが始まる前に、柿坂に頼まれて、公園のベンチで軽くセッションをした。思いのほか盛況で、本番への手応えを感じていたのだが――。
その後のことだ。
急に時間変更になったリハーサルのために、ペグが柿坂を探しに行った時、一人の女性が柿坂と一緒にいたのだ。
正直、驚いた。
メンバー内では、プライベートに立ち入らないことが暗黙の了解とされているが、どこか人を寄せ付けない空気をまとった二胡弾きに、まさか恋人らしき存在がいたとは――。
それを、つい他のメンバーに漏らしてしまった。当然のごとく、仲間内で盛り上がったわけだが、
「それで、カッキーの彼女はどんな感じ?ラブラブ?」
そう聞かれ、ペグは言葉に詰まった。
とても、そんな風には見えなかったから。
思い返せば、柿坂より一歩後ろを歩いていたのも気になる。大っぴらに出来ない関係なのだろうか。陰から見ていたが、すぐに女性の方が県道の方へ走っていったのも心配だった。
――まさか、喧嘩中?
そう、思い至った時、まるで、男子高校生のような振る舞いをした自分を恥じた。
他のメンバーも神妙な顔つきになり、この話は一切柿坂には振らないよう約束し合った。
ペグはビールを飲みながら、柿坂の横顔を見つめた。隣の笛吹きが持ってきた譜面を、楽しそうに見ている。
――放って置いて良いのかな……彼女さんのことは。
大きなお世話なのは重々承知しているが、これほど気になるのは、やはり柿坂自身も少し様子がおかしかったからだ。
今日のコンサートで、ほんの少し二胡の音がくぐもっていた。無駄な力が入っている証拠だ。大きなミスはなかったものの、調子が悪いのは伝わってきた。
――おれが、どうこうできる問題じゃないか。
ペグは、運ばれてきた料理を取り分けながら、そっとため息を吐いた。
打ち上げを終えると、ペグは、タクシー乗り場に向かって歩き出した。冷たい春風の中、たまらずクシャミをすると、ふいに何か聞こえた。気のせいかと思い、再びロータリーを目指した時、
「……ペグくん」
静かな声が真後ろから聞こえた。
振り返ると、そこには、長身の二胡弾きが立っていた。
「あれ、柿さん。こっちでしたっけ」
「いや」
その研ぎ澄まされたような空気、さすがに慣れてはいるが、ペグは少し緊張した。
柿坂が、首をかしげながら口を開く。
「少し、話を良いですかね」
「は、はい」
「次回の曲で、やってみたいものがありまして」
柿坂はバッグから楽譜を取り出した。さっき、笛吹と一緒に見ていたものだ。
「ほぼ、笛がメインなんですけど、なかなか面白いリズムなんですよ」
「けっこう、テンポは速そうですね」
「ここのフレーズは、ギターもアルペジオで頑張ってもらう感じで」
「ここですか?出来るかなぁ」
「お前さんなら平気ですよ」
柿坂が小さく笑うと、ペグは、少し恥ずかしくなった。メンバー全員が相当なテクニックを持っているせいか、やはり褒められるのは嬉しい。
ペグは、お返しとばかりに柿坂を持ち上げた。
「ここなんて、実際はバイオリンでしょう?弦が二本少ない二胡で弾いてやろうというんだから、柿さん、スゴイなあ」
柿坂は恐縮しつつも笑っている。
「ペグくん」
「はい」
「あの女のことを、メンバーに話しましたか?」
――。
「さっきの飲み会……どうも、全員が私に何か遠慮している気がしましてね」
背筋が一気に冷たくなった。
「えっと……」
「話したのであれば、別にそれはそれで構わねえんですよ」
柿坂は、片方の眉を持ち上げてため息を吐いた。ペグは、にわかに申しわけない気持ちになり、思いっきり頭を下げた。
「す、すみません!おれ、本当に馬鹿なことをしたって……」
「いや……こちらこそ、すみません」
「え?」
「演奏に支障が出てしまって、皆に迷惑かけました」
「……」
やはり、柿坂も自分の不調に気づいていたのだ。
ペグは、恐る恐る口を開いた。
「あの、おれが口出しすることじゃないと思いますけど」
「平気ですよ。どうぞ」
「……今日、コンサート終わってから、その、会わなくて良かったんですか?」
すると、柿坂が肩をすくめた。
「あっちに別の用事があったんですよ」
「あ、そうなんですね」
それなら、むしろ良い関係ではないのか。ほんの少しでも、会う時間を持とうとしていたわけだから――。
安堵のあまり、思わず笑みがこぼれる。
「おれ、喧嘩中なのかと思って心配しちゃいましたよ。恥ずかしがり屋の彼女さんなんですね」
「とても、喧嘩ができるような間柄じゃありませんよ。そこまで至っていません」
柿坂は困ったように笑っている。それが、逆にペグの中で不安を生み出した
何か、事情があるのは間違いなかった。
「……」
「お前さんに、頼みがあります」
「な、何ですか」
「メンバーには、このまま私が何も気づいていないことにしてください。次からは、演奏に影響が出ないようにしますので」
その時だった。
「何言ってるんだよ!この、バカッキー!」
「そんな精神状態に悪い『知らんぷり』が出来るわけないよ」
「柿さん、むしろオレたちが気になって演奏に支障が出ちゃうっての」
「応援もしなけりゃ、干渉もしない。ただオレは、後学のために馴れ初めだけ聞ければ良い」
――。
いつから潜んでいたのか。
電柱の陰から、バンドメンバーがぞろぞろと出てきた。
「……盗み聞きとは、洒落こんでますね」
柿坂の鋭い目に睨まれながら、パーカッションのバウロン(愛称)は胸をそらした。
「ケッ!女に捨てられそうになって、音程ズラしているようなヤツが何を言ってやがんだ!」
「せめて、聞いた内容は正しく把握してもらえますかね」
柿坂が呆れたような顔をすると、メンバーは声を上げて笑った。
「さ、帰るか」
そして、そこから一切誰も何も言わなくなった。
柿坂は、少し驚いた表情を見せたが、小さく笑うと、誰に対してでもなく、頭を垂れた。
【かきこひわづらひ② 了】
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます