二〇一六年十二月三日 2016/12/3(土)14:15
塩山夫妻と別れた後、車中の澄子はしばらく無言だった。
広々とした田畑と色づく山々を眺め、ようやくため息を吐いた時、運転席の塩山がバックミラー越しに澄子を見つめてきた。
「おう、降りるか?無理しなくて良いんだぜ?」
「……」
「老人たちの話だけで参っているようじゃ、この続きは、耐えられねえよ。まあ……スミちゃんも何となく気づいているかもしれねえけど」
「あ、あの」
澄子はストールを両手で握りしめながら口を開いた。
「塩山さんは、ご存知なんですか?その……柿坂さんと、林芽衣さんという女性のこと」
「知ってるも何も……さっき言っただろう?学校の教員は家庭環境を把握する必要があるんだって」
信号待ちの中、塩山が大あくびをした。
「……うちの両親は……あの女を誠司の新しい母親だと思い込んでいるが、そもそも誠司と生活したのは一年程度だったはずだ。それでも、まあ……二胡だの何だの、生活の援助はしたみたいだがよ。一応、アレも誠司の保護者みてえなものか」
急発進に身体を揺さぶられながら、澄子はさらに身を乗り出した。
「本当に、義理のお母さんとかじゃないんですね?」
「義理どころか、誠司の父親とも籍は入れてねえよ。押しかけ女房みてぇなもんだろうけど、それなら父親が死んだ後は姿をくらましても良いはずだよな?でも、そうしなかった」
塩山が深いため息を吐く。
そして、何に対してなのか、小さく舌打ちをした。
「……あの女、体調を崩して長期入院とか言われてるけど、実際は違う。悪さをして逮捕、実刑、服役だよ」
――。
並べられた単語に澄子はしばし放心した。
「……た、いほ」
「詳しくは知らねえけど、警察からの話によれば詐欺まがいのことをやらかしたらしい。まあ、年齢にしちゃ若く見えて可愛い顔してるから、美人局でもやったんだろうな。柿坂の家を潜伏場所にしていたのかもな」
信じられない、そう澄子の口から零れ落ちそうになった時、バックミラー越しの塩山の顔が一瞬険しいものに変わった。
「あの女と二人暮らしになってから、明らかに誠司の生活が荒れ始めたんだ。最初から、オレはあの女を誠司から引き離すつもりだったが……まあ、教員なんてのは無力なものだ」
「……」
「そんな時に、誠司が上手いタイミングで暴力事件を起こしてくれたおかげで、警察が目を光らせた。しばらくして、あの女も足がついて、誠司は再び施設で暮らすことになったわけよ。両親が悲しむから、オレは黙っていたけどな」
塩山の両親への想いに、澄子は胸が詰まった。
二十五年以上、伏せてきた事実。
ここにも、苦しんできた者がいた。
「……その後は、誠司も独立して東京で暮らし始めたが、あんな犯罪者でも養ってもらった恩があるのかねぇ。年に一度程度は顔を合わせていたみたいだな。ま、それも相手が出所した後だから……数えるくらいだろうけどよ」
すると、バックミラーの中で塩山が苦笑いを浮かべた。
「芽衣ちゃんもオレのこと怨んでるだろうなぁ。すっげぇ頻度で家庭訪問に行ったし。義務教育でもない高校じゃあ、そんなの有り得ねえからな」
そして、小さくため息を吐く。
「……ま、誠司を犯罪に加担させなかっただけでも、あの女をヨシとするか。今は、結果的に平穏に過ごしているわけだし」
澄子は、ストールをグッと掴むと、バックミラーの塩山を見つめ返した。
「あの……芽衣さんは、もう刑期を終えているということですよね?もしかしたら、また柿坂さんと一緒に住もうって……」
「大当たりだよ。実際に、最近になって誠司はあの女と接触したらしい。いつだったかな?花火大会で偶然会ったとか何とか」
――あの時に、やっぱり再会していたんだ。
澄子の頭に、柿坂の苦しげな表情が浮かぶ。
昔の悲しい思い出がよみがえり、相当苦しんだに違いない。
――それなのに、わたしは、ワガママばかり言って。
信号が青に変わる。緩やかな山道を、タクシーはゆっくりと進んで行った。
「でも……神さまは見ているねぇ。そう簡単に、芽衣ちゃんの都合通りにはいかなかったわけだ」
「え?」
車体が大きく左にカーブすると、色づく木々の奥に白く大きな建物が浮かび上がった。
「林芽衣は、今度こそ……本当に大病を患っていたんだとよ」
「……」
「誠司も、一応は見舞いに行ったみたいだな。その時、今生の別れをしたと言っていたぞ」
――『もう、二度と会うことはありません』。
――『用がないからですよ』。
柿坂の暗い目が思い出される。
一体、どういう関係だったのだ。
どういう経緯で身体を――。
駐車券を取ると、塩山は澄子を振り返った。
「じゃ、オレは待ってるから、適当に行っておいで」
「え!」
澄子は身を固まらせた。
「一緒に行ってくださらないんですか?」
「イヤだよ。オレ、芽衣ちゃんには怨まれてるに決まってるんだから」
塩山は意地悪そうな目をして笑ったが、すぐに真顔に戻った。
「……気乗りしねえなら、言えよ。駅まで送るぞ」
しかし、澄子は首を横に振り、力強く答えた。
「いってきます」
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