二〇一六年八月二一日 2016/08/21(日)夕方
澄子は、最寄り駅からの始発電車に乗り込むと、ようやく一息ついた。
目の前に座っていた高齢女性が、チラリとこちらを見た気がする。
にわかに、澄子は不安になってきた。
――やっぱり、アラフォー女の浴衣って……おかしいかな。
下駄の赤い華緒を見つめ、ため息をつく。これでも、若い女の子のように派手な柄ではなく、薄い水色の生地に淡い透かし模様が入ったシンプルなものにしたつもりだ。
――柿坂さんに、どう思われるだろう。
そのことが頭をよぎるたびに、何度もため息が出る。考えてみれば、今まで柿坂と会う時に、服装を褒めてもらったことは一度もない。そういう柄じゃないのは澄子も承知しており、また期待もしていないのだが、今日だけは特別だった。
――さすがに、浴衣をスルーされたら落ち込みそう。
夕暮れの西日が車窓に差し込む中、鈴峰の駅に着くまで、終始、澄子の心はどこか落ち着かなかった。
鈴峰町に到着すると、一年で一番の人出に改札口の前もたいそうな賑わいを見せていた。強い西日が差しこむコンコースの大窓からは、町の中心を流れる大川と、その両岸に並ぶ祭り屋台が見える。住民たちの祭り存続への熱気がここまで伝わってきそうだ。
駅前で配っていた祭りのパンフレットを手に、澄子は緑風プロジェクトのブースを目指した。町役場の駐車場というなかなかの立地に構えているのが少し嬉しく感じた。先週、同じ駅前通りを歩いた時はだいぶ閑散としていたが、今日だけは多くの店が祭りに乗じて店頭販売をしている。子どもや若者の姿もあり、まるで町が生まれ変わったようだ。
信号待ちをしていると、かすかに祭囃子の太鼓が聞こえてきた。町で唯一残った小学校の校庭で行なわれている、ふれあいステージの音楽だ。
――そういえば、柿坂さんは、何時くらいに来るのかな。
パンフレットのタイムテーブルによると、柿坂たち『コボック』のステージは夜七時から七時半となっている。メインの花火は八時にスタートだ。
――ビールを買って、待ち合わせをして……ギリギリか。
澄子は、花火見物の穴場スポット――河畔公園までのルートを頭の中で描いた。そこの裏小道は、地元の人間でもなかなか知られていない場所だ。
人混みもない静かな空間で、愛しい人と二人だけの大切な時間を過ごしたい。
――でも。
「それはそれで……緊張するな……どうしよう」
澄子は西日と体温で顔を熱くしながら、道を急いだ。
緑風プロジェクトのテントの前には、思った以上の客が並んでいた。子どもたちの姿も多い。この炎天下、どうやらアイスキャンディーが飛ぶように売れているようだ。忙しくしている同級生たちに、のん気に声をかけるのは抵抗がある。澄子は少し離れた場所から、人の流れが途絶えるのを待つことにした。
その時、浴衣を着た理代が、すぐさま澄子を目に留めて手を振ってきた。
「スミちゃん!」
その大声に、同級生たちも澄子に気づいた。
「え、和泉さん?」
「スミだ!久しぶり!」
「あら、そこの浴衣美人さーん。何か買っていかない?」
浴衣で着飾った昔の女友達に、澄子も思わず笑みがこぼれた。
「じゃあ、ビールください」
級友たちがドッと笑った。
「いきなり飲むのかよぉー」
「まずはタピオカにしておきなよ」
「鈴峰にもやっとタピオカ上陸したぞ」
澄子は、温かく迎え入れてくれた友人たちとしばらく談笑すると、プロジェクトの展示コーナーを見て回った。自分が眩暈を起こしながら撮った写真が貼られている。その近くでは、大先輩であろう老人が、子ども相手に何やら解説をしていた。
あまりに子どもたちが熱心なため、澄子も横から聞こうとした時、背後から声がした。
「和泉、手伝ってくれないの?」
振り返ると、そこにはスタッフTシャツを着た同級生の門田が立っていた。この暑さのせいか、どこか元気がないように見える。
「あ、お疲れ様……」
澄子は目線をさまよわせつつ、どうにか言葉をかけた。
先週、同級生との再会に乗じてからかわれた一件から、この男は特に苦手だ。まさか、この不真面目な門田が当日のスタッフをやっているとは思わなかった。
上手く切り抜けて、この場を立ち去ろうと試みた時、門田が近づいてきた。澄子は反射的に距離を保つ。
「なあ、和泉……この前も気になったけどさ」
門田は澄子を探るような目で見つめた。
「お前、よくこのプロジェクト参加したよな」
「え?」
「もう怖くねえのかよ。草むらとか雑木林とか」
――。
澄子は目をしばたかせた。
「えっと、あの、何の……こと?」
すると門田が明らかに困惑した表情を見せた。
「は……?まさか覚えてないのか?中二の秋の遠足だよ」
「遠足……」
門田は周囲を気にするようにしながら、声をひそめた。
「山登りで同じ班だったろうよ?その時さ、鹿だか何だかの動物が出たとかいって、騒いで逃げて、みんなで雑木林に逃げた時、お前だけ山道の真ん中で座り込んでワンワン泣いて……『そっち行きたくない』って」
――。
まるで、すぐ耳元で蝉が鳴いているような錯覚に陥る。
ひどい耳鳴り。
構わず、門田の話は続いた。
「その後もさ、美術か何かの授業でクリスマスリースを作る時に、枯れ枝とか拾いに大川の上流に行ったんだよ。そこでも、お前だけ先生とずっと一緒でさ。いくら何でも中学生で有り得ないと思ったんだけど……。転校していった清野も覚えていたぞ?あの時の和泉はヤバかったって」
「……」
「まあ、たいしたことねえのか。今のお前が平気なら、それで良いか」
そこへ、ギターケースを背負った青年が澄子の視界に入った。
両手にはビールを抱えて、こちらを伺うように会釈をしてくる。
――あの人は確か。
柿坂のバンド仲間でギターを担当している青年だ。何度か挨拶だけはしたことがある。
門田もそれに気づくと、澄子を一瞥した。
「……アイツ?」
澄子は慌てて首を横に振ると、門田はため息を吐いてその場を離れて行った。
――。
首筋に、細く汗が流れていくのがわかった。
澄子は眩暈を起こしそうになるのをどうにかこらえる。
門田に告げられた昔の記憶、澄子は徐々に思い出してきた。
秋の遠足で鹿と遭遇した時も、確かに大泣きしていた。
クリスマスに枯れ枝を拾いに行った時は、先生の腕を離さなかった。
それらが鮮明になるにつれ、身体が震え出す。
これまで忘れていられたのは、中学卒業と同時に、両親の離婚で鈴峰町を離れ、都会暮らしを続けたおかげなのかもしれない。
もしかしたら、忌まわしい記憶も、こうやって思い出して――。
「あ、あの……」
遠巻きに澄子を見ていたギターの青年が、声をかけてきた。そして、澄子から少し離れた位置で足を止める。
「かき、柿さんの彼女さんですよね?」
「え?」
相手が尚も頭を下げる。
「はじめまして……えっと、あの……良ければ、リハーサルを見に来ませんか?」
なぜか、青年の顔がとてつもなく赤い。それがやたらと若く思わせるのだが、二十代半ばくらいだろうか。
「柿さんも喜ぶと思います……もし、無理でしたらいいんですけど」
鋭い目をした、愛しい人の姿が脳裏に浮かぶ。
――柿坂さんに、話を聞いて欲しい。
「そ、そちらに、お邪魔します。よろしくお願いします」
澄子はギターの青年に頭を下げた。
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