二〇一六年二月十四日 2016/02/14(日)夕方
悶々としながら、一週間が過ぎた。
四十歳になる女が、何という醜態だろう。
相手には近づきたくない、こちらにも近づいて欲しくないと思いながら、他の誰かが近づくのもイヤとか、嫉妬という範疇を超えている。ただのワガママだ。それに、あの女性が柿坂のことを想い慕っているなどと、勝手に一人で想像して落胆しているのだから情けない。
――そう。情けないくらい、柿坂さんのことばかり。
ひそかに楽しみにしていたバレンタインを、こんな気分で迎えるとは思わなかった。それでも、迷いに迷った挙句、澄子は先週買ったチョコレートを持って、ポプラ公園のベンチに向かった。
いつもの時間、もしかしたら柿坂はいないかもしれないが、ここでいなかったら二人の関係はそこまでなんだと踏ん切りがつくような気がしたのだ。
そして、柿坂の姿はそこにはなかった。
葉を落としたポプラの木々の下、澄子は一人で立ち尽くした。
心のどこかで、柿坂がベンチで座って待っていることを期待していた。
バレンタインだの何だの関係なく、そこにいて欲しかった。
――何しているんだ、わたし。
どこまでも中途半端な関係。仲が良い友達でもない。片腕の距離しか近づけない永遠の片思いだ。
「帰ろう」
時間を確認するために取り出した携帯が点滅している。メールの受信を知らせるものだった。
――か、柿坂さん?
メッセージには、こう書いてあった。
『インフルエンザにかかりました。今日は公園には行けません。念のため』
「なっ、嘘!」
澄子はかじかむ手で『大丈夫ですか』と返信した。しかし、メールが送られてくる様子はない。
二十分待ったところで、ついに電話をかけた。
呼び出しコールが五回鳴った後、たいそう不機嫌そうな声が届いた。
「……はい」
「い、和泉です。柿坂さん、平気ですか」
「平気じゃねえですよ。……アンタは、外ですか。やっぱり公園に」
ゴホゴホと苦しそうに耳元で咳き込む柿坂に、澄子まで苦しくなった。
「わ、わたし、行きましょうか?」
「……私んとこに来て、何するつもりです」
「お、食事くらいなら作れます」
「バカですか、アンタ。男の家ですよ。たいがいにしなさい」
バカと言われ、澄子の中で何かがキレた。
「ど、どうせ節操なしで常識外れのバカな女だって言いたいんでしょう?じゃあ、伺いますけど、柿坂さんはわたしを襲いたいのですか?そうじゃないでしょう?」
そこまで言ったところで、澄子はまたしても息苦しく、そして自己嫌悪に陥った。
――やっぱりバカだ。わたしは。
「……は?」
予想通り、柿坂の低く怒りに満ちた声が届いた。
――ちゃんと、真意を伝えなくてどうするんだ。
「わ、わたしは、柿坂さんが心配なだけです」
「それで、菜箸でも使って水枕を換えてくれるってわけですか」
――。
澄子は、誰もいないベンチを見つめた。
「そう、ですよね。わたし、何を言ってるんだろう。貴方のために何もできやしないのに」
「……」
「……すみません。今の話、全部忘れて下さい。ごめんなさい」
長い沈黙。耳鳴りがする。
もう電話が切れてしまっていると思った時、深いため息が聞こえた。
「嘘かと思っていましたが、アンタ……本物みたいですね」
「ど、どういう意味ですか?」
「いや。とにかく、今日は家に帰りなさい。私も薬を飲んで寝ますから」
澄子はふいに、持っていた小さな紙袋を思い出した。
「……だって、今日はバレ……」
「もう一度言いますが、インフルエンザなんですよ。少しでも寝ていたいという、こっちの気持ちは伝わりませんか」
「……」
「帰りなさい」
今度こそ電話は切れた。
枯木立の中、澄子は立ち尽くしたまま、いつまでも無人のベンチを見つめていた。
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