第一章 誘拐 ③

      3


 翌日――。

 凜は叫んだ。

「絶対に無理!」

 凜の前には陶器でできたおまるが一つ。

「なにが無理なのですか」

 手洗い用の水をはったたらいを小葉が運んで来た。そしてにこにこと凜の衣を脱がそうとする。

「ちょ、ちょっと待ってください」

 小葉はため息交じりに凜を見る。

「使用人に丁寧な言葉はなりません。私が叱られてしまいますわ」

「そうじゃなくって……」

 誰だろう、「郷に入っては郷に従え」などということわざを作ったのは。

 とても従えそうにない。

「お嬢さま、どうされたのですか」

「困るんです」

「なにが困るんですか。さあ、お手伝いいたしますよ」

「あの、いいから一人でさせてください」

「でも……」

「お願いします……ほんと、お願いします」

 もう懇願しかなかった。

 小葉は「お嬢さまったらどうしたんだろう?」と、この状況を不思議がって、首を傾げながら出て行った。凜はおまるを見下ろす。

「現代に帰りたい……」

 温水洗浄機能付きの温かい便座が懐かしかった。そして恥じらいとはカルチャーによって違うのだとしみじみ思う。

 とはいえ、他に選択肢はない。使うしかなかった。用をすませて立ち上がると、部屋の外で待っていた小葉が現れて、おまるを年若の侍女に渡して片付け、丁寧に凜の手を洗ってくれた。

 ――もうどうにでもなれ……。

「お嬢さま、そろそろ身支度をいたしましょう」

 小葉は赤面している凜に気づかずにその髪を丁寧にでた。

 後頭部の傷にさわらないように左右に三つ編みをしてもらう。それを丸めて頭の上で白いリボンで二つに留めてもらった。

「お嬢さま、これは双鬟そうかんと呼ばれる髪型で、婚礼前の娘しかできないものですわ。よくお似合いです」

「へえ、本当に可愛い」

 兎さんのような中華女子の完成だ。

「どれになさいますか」

 次いで小葉が差し出したのは宝石箱。中には金のちようの釵、チェーンがきらきらしている釵、水晶の珠がついた釵、絹で花を作った愛らしい釵がざっと見ても二十本ほど入っていた。

「可愛いですね。どれでもいいんですか」

 丁寧な言葉遣いをしたせいか、小葉が困った顔をする。凜は慌てて両手を振った。

「ごめんなさい。どうも年上の人にため口って慣れないんです」

「他人行儀の方が寂しくなりますわ。どうぞお気になさらず」

「分かりました、ではなくって、『分かった』。もう堅苦しくしないから安心して」

 小葉は嬉しそうに微笑んだ。トイレの片付けまでもしてもらったら、もう家族といってもいいのかもしれない。遠慮していても仕方ない。

「さあ、髪飾りをお選びください」

 凜は左右のお団子につけることができる対の銀製の髪飾りを中から選んだ。

「とってもお似合いです。お嬢さまは杭州一の美女ですわ」

 小葉はよくできた侍女だ。よいしょを忘れない。そして、それはお世辞ではないと凜は思う。鏡に映る自分は確かに可愛いのだ。年はおそらく二十歳くらいか。二十八の凜に再び花の二十歳が訪れたのは一度死んだ怪我の功名といえる。凜は、この世界に来た時からずっと抱きしめ続けていた緊張を少し緩めた。

「衣はどれになさいます?」

 侍女が五人現れ、可愛い衣を十枚見せる。抹胸(ベアトップ)に短衫という単衣ひとえを重ね、ひだがたっぷりある裙(スカート)にインし、飾りのひもで留めるのがこの世界のファッションらしい。南国の暑さをしのぐためだろう、うすぎぬしやで作られている。

「あっ、それがいいな」

 凜が選んだのは、白い花が刺繍ししゆうされた薄桃色の抹胸に水色の裙。短衫は若竹のような緑色だ。

「こちらですね」

 下半身にはと呼ばれるズボンを穿くので動きやすい。寒ければ裏地のない衫や筒状の袖の褙子と呼ばれるはおりを着るようだ。着物も面倒ではあるが、この世界の衣もかなり大仰で数人がかりで着付けをしてくれる。

 そして披帛ひはくという桜色のショールを腕から垂らせば、凜はどこから見ても完璧な美少女だった。

 ――可愛い。

 現実の自分の容姿は、記憶にも残らない普通の顔に中肉中背。

 中学のころは鏡を何度も見て美人でないのを嘆いたけれど、大人になってからは気にしたことはない。ただ、美人が社会で優遇されるのは、よく知っているから残念に思うことはあった。

 そんなことを考えると、今、こうして美女に転生したのは、不思議な感覚だった。自分が自分でない人物になっている。

「お嬢さま、もし、ご気分がよろしかったら、お庭を歩いてみたらいかがですか」

 凜はうなずき、手を差し出されるままに一歩部屋から出た。

 赤い柱の向こうに庭院なかにわがあり、名前も知らない南国の鮮やかな赤い花が真っ青な空の下に咲いていた。

 ――やっぱりここは現代じゃない。

 改めて凜はそう思った。

 今はもう夢だと自分をごまかせない。この五感のざわめきは、まやかしというには、あまりにリアルだからだ。

「さあ、こちらです」

 凜の腕を支えるように歩く小葉が左へと促した。

 このやしきは広大だ。まず、母屋ともいえる建物には成王が住み、離れだけで五棟ある。百人もいる使用人のための建物もいくつかあり、やれ台所だ、うまやだ、蔵だと見渡す限り成王の邸、成王府だ。

 凜が居候している棟は北東にあり、北西にある庭へは回廊で繋がっているらしい。小葉は凜の手をとりゆっくりと歩く。

 頭はまだ痛むけれど、現状を把握することの方が優先だ。

 瓦が太陽で銀色にきらめく屋根の外に出れば、使用人たちが忙しそうに小走りで回廊を渡っていくのが見えた。回廊から一歩外に出ると日差しは強く、すぐに額に汗が浮かぶ。

「暑っ。いったい今は何月?」

「九月の半ばです。昨夜は彗星すいせいが夜空を駆けたとか。杭州では大きな騒ぎでした」

「彗星? あ、わたしも見た!」

「流れ星も見えたという人もいて、突然の天の異変に、使用人も街の者たちも、恐れおののいておりますわ」

 凜はそれでふと思った。

 自分がこの世界に連れて来られたのも彗星のせいではないだろうかと。

 あの日、現代の日本でも彗星が流れた。

 きっと時空のゆがみができて長峰凜の魂は南凜の体に入ってしまったのだ。

「さあ、あちらに園亭がありますよ」

 石畳を行けば、赤い扉の前につく。ゆっくりとそれを押し開けると緑豊かな庭園が広がっていた。小鳥の鳴き声もする。

 奇石があちこちに配され、庭の中に小川がある。水ははすが一面に広がる池へと流れる。池にはたらいに乗った侍女の姿が数人あった。小葉に聞けば蓮の実を取っているという。なんと風流なスローライフだろう。

「行ってみましょう、お嬢さま」

 赤い半円の橋を渡り、木槿むくげが咲く横にある一休みできそうな赤い屋根の園亭に着いた。

「よくこちらでお嬢さまは琴を弾いておられました」

 琴など弾けないから、もう弾くことはないだろうが、園亭は凜の好みだった。ぐるりと三百六十度にベンチが置いてあり、中央に南凜が弾いたときに使ったであろう卓がある。

 景色は一面のあお

 柳が枝を池に垂れ、梧桐あおぎりはまだ色づいてはいない。

 秋の風が木々の間を通りすぎ、木漏れ日が揺れる。高台に庭が見えるように建つ堂の開け放たれた窓から成王の姿が見えた。

「なにをしているの?」

「読書堂には成王殿下の秘蔵の書がおいてあるので、それを読んでおられるのでしょう」

 凜ははたと思いついた。

 ――転生について、この世界の書物になにか書いてあるかも!

 彼女は小葉を置いて坂道を駆け上る。窓の向こうの成王がこちらを向いて微笑んだので凜もつられて破顔した。

「せいお――お義父とうさま」

「おお、凜。調子がよいようじゃな」

「ええ。頭はまだ少し痛みますが、だいぶよくなりました」

 成王は手にしていた書を置き、窓から顔を出し、挨拶あいさつもろくにしない凜を気にする風もなく茶を飲む。

「どうしたのじゃ、そんなに慌てて」

「彗星のことが聞きたいんです」

「彗星のことなら皆が聞きたいであろうのう」

 街はその話題でてんやわんやらしい。政治から一線を引いている成王のところにすら同じ問いをしに客がやってくるので、仮病を使ってここに隠れているそうだ。成王は、他人とその話をしたくないが、凜の興味にこたえてやりたいと思ってくれたのか、少し考えてから口を開く。

「古来虹霓こうげいと彗星は凶兆と言われておる。国の滅びや戦乱の予兆だからじゃ。別の言い方をすれば、天からの警告なのじゃよ。書物によれば彗星が見えた国は慎まなければならぬという。特に兵を起こしてはならないと戒めておる。昨今、皇上をないがしろにする臣下がいるからそのせいじゃろう」

 凜が知りたいことではなかった。彼女は注意深く聞き直す。

「お義父さまは、転生についてなにか知っていますか」

「転生?」

「例えば、過去と未来――二つの世界は交わることはあるんでしょうか。彗星のせいで過って未来の人間が過去に生まれ変わってしまうことはありませんか」

「凜、そなたはとても難しい問いをするのぉ。儒学生とてそのような問いを師にしないであろうよ」

 成王は立ち上がると一冊の本を棚から取ると凜の前に見せた。

いにしえから今にいたる無窮の時間を宙といい、広がる無限の空間を宇という。時には長さがあると言うが、輪廻は無始無終。始まりも終わりもない。これはわしの考えだが、もしそうだったら、未来と過去にどうしてその前後があるというのかね。未来は、本当は始まりで、過去は、結末なのかもしれぬぞ」

 ――始まりも終わりもない、かぁ。

 宇宙は神秘に満ちている。火星に生物がいるかもしれないのなら、凜が異次元の世界に転生しても不思議はない。世界にはまだ解明されていない真理がたくさんあるのだから。

「ありがとうございます、お義父さま。もうお邪魔しません」

「うむ。遊んでおいで」

 凜はぺこりと頭を下げると、にこにこしている成王に笑みを返してから背を向けた。それを小葉が後ろではらはらした顔で見ていた。

「どうしたの?」

「義父とはいえ、お相手は成王殿下でございますよ、お嬢さま。あんなぶしつけに窓から話しかけるなど無作法でございますわ」

「怒ってなかったけど」

「そういう問題では……」

 凜は心配性な侍女、小葉の肩をたたくと先ほど来た坂を下り始める。眺望がよく、庭の全体が見えた。

「――ここはいいところね」

「はい、杭州で一番美しい邸だと評判です」

 凜は、小葉に自分は別の世界から来た長峰凜で南凜ではないと説明しようかと思った。気のいい彼女なら話を聞いてくれるだろうし、一緒に帰る手立ても考えてくれるかもしれない。でも――。

 ――だめ、だめ。やっぱりやめておこう。頭を打っておかしくなったと思われるだけよ。

 小葉がいぶかる顔をして、青竹が刺繍ししゆうされた団扇うちわで凜に風を送る。九月といえ、まだ暑さが残る。温暖化が著しく、アスファルトの照り返しのすさまじい日本の夏にスーツを着ているのに比べれば少しはましに思われるが、ここは南方の土地だけあってじっとりした湿気がある。

 凜はのどが渇いた。

 察しのいい小葉は頼まれるまえに茶器を並べ始める。日本のものより少し小ぶりの急須きゆうすと湯飲みで、中は水のようだ。

「これ――」

 凜は飲もうとした手を止める。

 土が水にまざって黄色くくすんでいたのだ。湯飲みを揺らしてみると、細かい土が水の中で浮遊しているのが肉眼でも見える。

 成王府はこれほどリッチな家なのに、こんな汚い水を飲んでいるなど信じられない。やはり現代と違って衛生面で問題がありそうだ。

「小葉、いつもこんな汚い水を飲んでいるの?」

「あ、はい。このやしきの井戸はあまりいい水が出ないものですから」

 聞けば、この邸に引っ越してからまだ半年と経っていないという。皇帝から新しい邸を下賜されたが、井戸の水質がよくなかったと知ったのは引っ越した後でのことらしい。小葉が言う。

「そもそもこのあたりの井戸の水は塩辛いのです」

「そうなんだ……ねえ、この邸では、誰かお腹を壊しているんじゃない?」

「お腹ですか……そういえば、成王殿下は最近ずっと、お腹の具合が悪いそうですが、それは呪いによるものだともっぱらの噂で――」

 巫医ふいがおはらいをして治療したのだと本気で言っている小葉に凜は呆れる。

「原因は十中八九この水よ」

 凜の言葉に小葉は茶碗ちやわんのぞき込む。

「確かにそうかもしれません。以前のお邸ではこんな水ではありませんでしたもの。でもどうしたらいいでしょう。邸の井戸はどれも似たり寄ったりですわ」

「そう……」

「もし病の原因が水であれば、使用人たちは遠くの井戸まで水汲みに行かねばなりません。難儀いたしますわ」

 凜はあごに手をやるとぼんやりと考え込んだ。使用人たちは皆苦労している様子だ。廊下で通り過ぎた侍女たちは洗濯や掃除をし過ぎて手を真っ赤にしていたし、井戸から水を汲むのは重労働だろう。なんとかできたらいいのにと思う。

「なにかいい方法はありませんか、お嬢さま」

「うん……そうね、なにかあればいいんだけれど……」

 凜は遠くを見やった。池の石や砂利がふと目につく。

「あ!」

 すくりと彼女が立ち上がり、小葉は驚いて手を止めた。

「お嬢さま?」

「ひらめいた!」

 中学の自由研究のテーマは防災だった。ペットボトルで作るろ過装置はなかなかの出来だったのを思い出す。あれを作るのは簡単だ。

「小葉、空のたるってある?」

「樽ですか? なににお使いになるのですか」

「いいから、いいから。力持ちに井戸の側に持ってくるように言ってくれない? 絶対後悔はさせない」

 凜は微笑んだ。小葉は「はい」と頷く。

 そこへ、くわっくわっと鳴き声を立てて巨大なアヒルが現れた。艶やかな白い羽に立派な黄色いくちばしはなかなかのものだ。愛嬌あいきようのある瞳が可愛い。

「成王府でアヒルを飼っているの?」

「それはお嬢さまが辺境から連れて来た『家族』の呱呱ここです」

「えっ、わたし、アヒルを飼っていたの?」

「お忘れになっては可哀想です。辺境の戦場からお嬢さまは命からがら呱呱だけを抱いて逃げてこられたのに」

「そう……」

 凜はアヒルの頭を撫でてみた。

 くわっくわっと嬉しそうに鳴く。

 文鳥を飼ったことのある凜は二本足の動物に抵抗はない。アヒルは幼稚園のとき戯れた経験もある。

 凜は少し孤独だった異世界で仲間ができたことが嬉しくなった。しかも、本物の南凜が家族として大切にしていたのなら、自分も大事にしなければならない。

「呱呱、よろしくね」

 見れば呱呱の首には可愛い赤いひもがついていて、銀の鈴がちりちりと鳴る。しかし、小葉が恐ろしいことを言う。

郡王ぐんおう殿下はアヒル料理が好物なのでお気をつけください」

「そうなの!?」

 ――アヒル料理!? まあ、北京ダックもあるし……。

「呱呱は人に慣れているのですぐに捕まってしまいます。あまり夜は放し飼いにしない方がいいかと思います」

「つまり、部屋に入れろってこと?」

「はい、以前は一緒に寝ておられました」

 猫や犬なら分かるが、アヒルと寝るとはなかなか南凜という人も変わっていたようだ。

「分かった。郡王に食べられると最悪だから、家の中に入れる」

「昼間は庭院なかにわおけに水を張っておけば大丈夫です。ああ、あと周妃さまが寝ずに枕を縫って持って来てくださいました。もう頭が痛くなることもございませんわ」

「え、そこまでしてくれたの? 陶器の枕じゃ寝られなかったから嬉しい。周妃はいい人だね」

「凜さまを本当の娘のようにお考えなんでしょう」

 そうこうしているうちに使用人たちにより、わっしょいわっしょいと三人がかりで大樽が運び込まれ、凜に言われるまま井戸の横に置かれた。

「ここでよろしいですか」

「ああ、皆さん、重たいのにすみません」

 凜は腕まくりをする。

「待ってて」

 凜は、材料の石や砂利を集めようとすそをめくって靴を脱ぎ始めた。しかし小葉が、池に入ろうとする凜の帯をしっかり握って離さない。

「おやめください、お嬢さま。お願いです……」

 結局、使用人たちに全力で止められて、凜はしぶしぶ靴をはき直す。手にしていたザルも取り上げられ、

「私たちがやりますので」

 と男たちが代わりに池に入って石と砂を収集してくれた。

「お嬢さま、これでよろしいのでしょうか」

「ええ。ええ。そこに置いて」

 凜は、まず池で集めた小石と砂利を井戸の前に座り込んで綺麗きれいに洗う。

「台の上に樽を置いてくれる?」

「は、はい」

 男たちが樽を持ち上げる。凜は、底に水の取り出し口となる穴を開け、麻布でふさいだ。そして、小石を樽の底に入れ、綿を重ねる。上から木炭を置き、さらに砂利を敷き、層を作るように積み重ねる――。

 凜は声を上げた。

「完成!」

 手伝いでやって来た十人ばかりの使用人たちに凜は誇らしげな笑みを向けた。皆、これがなにか分からないらしく、きょとんとしている。

「さあ、ここに水を入れてみて」

 使用人たちは高貴な人の酔狂だと思った様子だが、一応、真面目に付き合ってくれて梯子はしごに登って井戸の水をそろそろと樽に入れる。

 凜は取り出し口の麻布を外すと、部屋にあった水晶で作った玉碗ぎよくわんを取り出した。

「見てて」

 ゆっくりと水が落ちてきて、水晶の碗を満たし始める。

「おお~!」

 澄んだ水が出てきたことにどよめきが起こり、凜はくいと顎を上げた。

「このまま飲んでも大丈夫だとは思うけど、成王殿下はお腹を壊しているから必ず一度沸かしたものをお出しして。料理にもこの水を使ってね」

 拍手喝采かつさいがあがり、皆が次々に水を飲み始める。

 ――わたし、世界を救ったんじゃない?

 水は人体の六十パーセントを占めている基本成分だ。

 成王の体調不良も現代人が考えれば水のせいなのに、この世界の人は呪いのせいだと信じている。水が悪かったのだと分かれば、邸の人間も少し安心することだろう。

 なによりこんなささいなことで喜んでもらえるのは正直嬉しい。

「ありがとうございます、お嬢さま」

 使用人たちが集まって来て笑顔で礼を言うのを見て、皆と打ち解けることができたように感じ、凜は嬉しかった。見知らぬ地に飛ばされた不安が少し和らぎ、緊張で重かった肩から力が抜ける。

 皆が、凜をねぎらい、「菓子をお部屋に運びましょう」などと言ってくれるので、れた手をく。

「じゃ、お言葉に甘えて、部屋に帰って綺麗な水で茶を飲もうかな」

 そして使用人とともに、がやがやとその場を去ろうとした時、小葉がささやいた。

「あの、お嬢さま……」

 小走りに裾をつまんで走って来たのは、顎鬚あごひげが数本しかないのに伸ばしているのが寂しい七十くらいのおじいさんだった。すかさず記憶喪失の凜を支える小葉がささやく。

「家宰のえんさまです。お嬢さまは『燕じい』とお呼びでした」

 つまり現代でいうと執事のことらしい。

 そのおじいさんが帳簿らしきものを手に頭を下げた。

「お嬢さま、大変申し訳ないのですが、成王府のお金が足りませぬ。今月からお小遣いを半分に減らさせてください」

 凜は唐突な申し出に、手にしていたアヒルを抱き寄せた。

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