天国酒場通り地獄の大釜にて

真南大道

一、妻からの相談を受けて困った鬼之面が懐刀を呼び出すの回

 その厳めしい顔つきと巨大な体つきから鬼之面おにのめんと呼ばれている分隊長は兵士たちから敬われ、また十分慕われてもいたのだが彼にはどこか人を寄せつけないようなところがあって、鬼之面とくだけて接する兵士は誰一人いなかったのであった。

 他の隊では大きな討伐が終わる度、また討伐がない時でもなにかと理由を見繕ってみなでそろって飲みに出かけるのが慣例のようになっていたのだが、鬼之面の隊ではそういうことはほとんどまったくなく、みなでまとまってというよりはそれぞれがばらばらに二、三人で連れ立って出かけていくようであった。

 これはもはや周知の事実であるが、鬼之面が仕事の後にまっすぐ帰るのはどうやら妻の手料理を食べたいというのがその理由らしく、自分の妻のことを随分に愛しているらしかった。鬼之面の妻の姿を見かけたものも大勢いるのだが、背の小さなかわいらしい人で、鬼之面と歩くとまるで巨人と子供が連れ立っているかのようであった。

 いつも一人で先にそそくさと家に帰るので、自分の隊の兵士が夜にどのように過ごしているのか鬼之面はよく知らなかったのだが、独り身の若い連中はよく「天国酒場通り」という、猥雑なお店が立ち並ぶ通りに足繁く通っているようであった。そのことに関して鬼之面は特に感想もなかった。なにしろ自分は「天国酒場通り」に足を踏み入れたこともなかったので、感想の持ちようもなかったのである。

 自分たちの給金をどのように使うかはそれぞれの自由なわけであるから、鬼之面は気にしたこともなかったのだが、ある時妻から相談を受けたことで鬼之面にとって解決すべき事案として持ち上がってしまった。それというのも妻帯者の兵士たちも今やこぞって「天国酒場通り」に熱心に通っていて、それをどうにかしてほしいという妻たちの苦情を鬼之面の妻は一心に受けてしまったのである。

 そこで鬼之面は自分の隊の兵士たちに何度か家庭をおろそかにしてはならぬぞと遠まわしに忠告したのであったが、迂遠すぎて伝わらなかったのか、みなは顔を赤らめて困ったように半笑いでうなずくのみであった。そのようにいつまで経っても状況が改善しないので困った鬼之面は自身の右腕と目されている、懐刀ふところがたなと呼ばれる男を呼び出した。

 懐刀はこことは別の町で生まれ育った男で、なにかよんどころのない理由があって故郷を離れているらしかった。別の町から来たという、それだけでみなから嫌悪感を抱かれ、賃金を安く叩かれる傭兵の暮らしを送らざるをえなかったのだが、彼のあだ名の由来ともなった、短刀を素早く取り出してぐさりと相手の心臓を貫くその手腕が見事なものだと知った鬼之面によって、正式な入隊が許されたのであった。  

 思いもよらぬ抜擢に喜んだ懐刀は大喜びし、それ以来鬼之面のことを兄貴、兄貴と慕っていて、また実際、鬼之面の隊に懐刀が入ったことは鬼之面にとっても非常によかった。懐刀は自身も遊びを知っているから話が分かる、くだけたところがあって、鬼之面には話せない話もみなは懐刀にすることができて、隊の中で潤滑油のような役割を果たしていたからである。

 たとえば支払いが足りなくなるとみなは懐刀に借りたり、揉め事があると懐刀に仲裁してもらったりしていた。生真面目で隙がなさすぎる鬼之面にはとてもそんな相談はできなかったのだ。はぐれ者として生きて来た懐刀は人の心の機微に詳しく、誰にとっても接しやすかった。懐刀に言えばなんとかなる、それがみなの合言葉のようになっていた。

 鬼之面から呼び出され、「天国酒場通り」について聞かれた懐刀はぎょっとした。しかし鬼之面も男だからそういう気分の時もあるかも知れないと思い直し、頭の中で算盤をパチパチ弾くようにどの女が鬼之面にふさわしいか、また鬼之面を満足させられるか考え、自分ではよく分からなかったから、大きな足をしていることから大足おおあしと呼ばれている、自身が足繁く通う店の女から、よさそうな女を見繕ってもらおうと結論づけた。

 ところが思いがけず鬼之面から相談されたのは兵士たちのことで、とりわけ家族持ちの兵士たちの「天国酒場通り」通いをやめさせるか、またやめさせる必要はないまでも、頻度を減らさせられないだろうかという話だったので自分の鬼之面を見る目は間違っていなかったとほっと胸を撫でおろした。そうして懐刀は、どの兵士がどのくらいどの店に行っているかこっそり調べてみることを請け負ったのだった。

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