第二章 玄永家の一族 ②

しかしそれはゆうに終わった。

 玄永家に入った直後、宵江は急ぎの仕事が入ったとかで慌ただしく出て行ってしまったのだ。

 智世は安堵して、通された部屋の中、一人座り込んでしまった。鏡台があり、洋風の長椅子と座卓があり、書き物机がある。そして──一人用の寝台も。

(……そうよね。いくら何でも今日が初対面なわけだし)

 純和風の武家屋敷のような外観とは裏腹に、屋敷の内装は和洋折衷だった。というよりも洋館に近い。しつらえられた家具調度はどれも高価そうなものばかりだが、ごてごてとした華美さはなく、落ち着いた色で統一されていて好ましい。

(でも……ちょっとだけ)

 ──寂しい。

 そう思った自分に驚く。

 寝室が別であることも、婚礼の夜に夫が仕事に出てしまったことも。

 何となく──拒絶されてしまったようで。

 覚悟が決まっていなかったのだから、今のこの状況は智世にとっては願ったりかなったりのはずだ。でも。

(……お話しくらいは、したかった)

 まだ宵江のことを何も知らない。黒曜石のひとみを持つ、無表情なのに感情豊かな、ちょっとかわいらしい人だということぐらいしか。

 ──黒曜石の。

(……あれ?)

 ふと──何かが引っかかった。

 しかしそれが何なのかを探るいとまもなく、扉の外から声が掛かった。

「智世さーん」

 明るい声で呼ばれる。若々しい青年の声だ。智世が返答する前に、別の声が青年を制す。

「違いますよさん、奥様ってお呼びしないと」

 それはさっき門前で智世の様子をうかがった少年の声だった。智世は思わず腰を浮かす。

「えー? いいじゃん別に。とおがみは堅苦しいな」

「茨斗さんが緩すぎるんですよ。まったく、こんな人が使用人頭だと奥様に知られてしまうなんて」

「何をーっ!」

 じゃれ合うような、まるで仲の良い兄弟げんのような様相だ。

 智世は扉まで駆けていって、そっと開いた。

「あの……智世でいいです」

 こちらを見る、恐ろしく美しい二つの顔と目が合って、智世は固まった。

 予想に反して顔かたちは全然似てはいない。どうやら兄弟ではないようだ──何しろ片方は黒髪、そして片方は、おとぎ話で読んだ西洋のお姫様のような、珍しい金色の髪をしている。二人とも宵江が着ていたものとよく似た黒い制服を着ている。あの外套の下に着用していたということか。

 二つの美しい顔が、言葉の続きを待っているようにずっとこちらを見つめ続けるので、智世はまたしても言葉を絞り出す羽目になった。

「えっと……奥様っていうの、ちょっとまだ慣れないかなって……」

 すると──茨斗と呼ばれた青年のほうが、明るく天真らんまんそうな顔立ちに、実に明るく天真爛漫な表情を浮かべた。長い黒髪をしつのようにまとめた、智世自身と同じぐらいの年頃に見える青年だ。頭からつまさきまで黒ずくめなのに、暗い雰囲気はまったくない。顔立ちの美しさよりも、くるくると変わる表情のほうが印象に残るような、そんな青年である。

「ほらぁ! 智世さんも智世さんでいいって!」

「まったく……ご本人がそうおっしゃるんじゃ仕方ないですけど……」

 渋々、といったふうに十咬と呼ばれた少年がうめく。こちらは肩につかないほどの長さの金髪の、絵に描いたような美少年だ。背丈は茨斗よりも低く、智世より少し高いぐらいで、十四、五歳だろうか。まるでボーイッシュな美少女のようにも見える。しかしどう見ても十咬のほうが年下だろうに、まるで兄のような物言いだ。

 智世は戸惑いながらも問いかける。

「あの、何かご用でしょうか? えっと、立ち話も何ですし、よかったら中に」

「あ、智世さんダメですよ。男を軽々しく部屋に誘っちゃ」

 茨斗に悪戯いたずらっぽくそう言われて、智世は思わず真っ赤になった。

「違います! そういうつもりで言ったんじゃありません!」

「わかってますって。ちょっと言ってみただけ。おっ邪魔しまーっす」

 茨斗は鼻歌でも歌いそうな勢いでそう言って、本当に遠慮なく部屋に入ってきた。

「……えぇ……?」

「申し訳ありません、智世様。うちの使用人頭、あんな感じなんです」

 言いながら十咬も、こちらはいくらか遠慮がちに部屋の中に入ってくる。手にきゆうや湯飲みが載った盆を携えているから、これを持ってきてくれたということだろう。

 座卓に盆を置くと、二人は並んで智世の前に立った。

「俺は茨斗。この玄永家の使用人頭です。何か困ったことがあったら、何でも俺にいてくださいね」

「僕は十咬です。智世様のお世話係を仰せつかりました」

「初めまして。雨月智世です」

 慌てて一礼すると、茨斗がにやりと笑った。

「違うでしょ智世さん。雨月じゃなくてー」

「あっ……」

 智世は頰を赤らめた。すると十咬がかばうように茨斗との間に割って入る。

「いい加減にしないと宵江様に言いつけますからね」

「げっ。きようだぞ十咬!」

 智世は思わず笑った。そして二人に椅子を勧めたが、使用人だからと断られてしまう。

「でも、立ったままお話しするなんて。お願い、私が落ち着かないから座ってください」

 そう言うと、二人は顔を見合わせて、それじゃ、とようやく座ってくれた。茨斗などは勧めずとも椅子に腰を下ろしそうなものなのに、妙なところで線引きをしているようだ。

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