四章 君のための一皿①
翌日も、「ばんめし屋」はいつもと変わらず午後七時前に開店した。
いや、いつもと変わったことが一つだけある。そう、海里のシャツの胸ポケットに、あの眼鏡……いや、ロイドが入れてあることだ。
実は開店前の自由時間に、海里はスクーターを借りてJR芦屋駅前に出て、ごくシンプルで安いコットンシャツと、眼鏡スタンドを買ってきた。
みずから「お試し期間」だと宣言したわりに、どちらの品物もロイドのためである。
ところが眼鏡スタンドはロイドには大いに不評だった。
『わたしのためのお買い物だということは、重々承知しております。ありがとうございます。しかし街中では気軽に
海里が帰宅して自室に行くなり、Tシャツの襟からぶら下がった眼鏡姿のロイドは、相変わらずのもってまわった言葉選びで苦言を呈し始めた。
「あ? 何が不満だよ。サイコーにいかしたアイテムじゃん。俺、これを見つけた自分にちょっと
そう言いながら、海里は紙袋をガサガサと
「ほら。この何もかもが昭和じみた部屋では、
眼鏡スタンドは、アルミニウムだろうか、とにかく軽いメタル製で、つや消しの銀色に塗装されている。
断面が丸い金属棒一本を曲げることにより、円形の土台と、斜めに立ち上がった部分を形作り、そこに眼鏡を引っかけるためのパーツを三つ取り付けてあった。つまり一つのスタンドで、眼鏡が三つも掛けられる。
海里が自慢するとおり、実にシンプルで都会的なデザインの眼鏡スタンドと言ってもいいだろう。
とはいえ、ロイドの不平も、ただの言いがかりではない。
その「眼鏡を引っかけるためのパーツ」が、何を思ったか、実にリアルな「鼻」の形なのである。下から見ると、鼻の穴まできっちり空いている。
つるを両方折り畳んで引っかけることにより、眼鏡がその鼻の上に、実に安定良くおさまる構造なのだが、ロイドはその金属の鼻を醜悪だと感じているらしい。
「何だよ、気に入らねえの?」
海里は早速、いちばん上の「鼻」にロイドを慎重に掛けてバランスを取り、満足げに頷きながら問いかけた。
『おそれながら、ここに置かれるのはいささか不本意と言わねばなりませんね』
ロイドはやはり眼鏡のままで答える。日が落ちるまでは、本当に人間の姿にはなれないらしい。
海里はTシャツを脱ぎ捨て、まずはこれも今日買ってきたばかりのハサミをパッケージから取り出し、次に新品のコットンシャツを樹脂の袋から出しながら言い返した。
「なんで? すっげーかっこいいぞ、お前」
『……さようでございますか?』
声だけでも、ロイドが大いに
「さようでございますよーだ。メタルの鼻の上に、レトロな丸眼鏡だもん。最高にいかすよ。このギャップがいいんだよ。ちょっと待ってな。ほら」
とりあえずシャツを畳の上に置いて、海里はバッグからハンディミラーを取り出した。それを眼鏡の前にかざしてやる。
「目もないのに見えるんだろ? マジでどんな仕組みなんだかなあ」
『おや、これは……。なるほど、思ったほど悪趣味ではございませんねえ』
気取った口調で、ロイドは意外そうな声を出す。海里は得意げに胸を張った。
「へっへー。俺の趣味の良さを認めろよ」
だが、人間のときの姿が性格に反映されるのか、ロイドも
『いいえ、店でこの眼鏡スタンドを見たときは、確かに醜悪でございました。今、さほどでもないのは、そこに、このわたしが掛かっているからでございます。つまり、我が
「ああ言えばこう言う奴だな、ったく! こういうときは、ご主人様を立てるべきなんじゃないのかよ?」
『いえ、長い目で見ますと、やはり申し上げるべきことははっきり申し上げたほうが、我が主のためにもなると……』
「うっせえ黙れ。とにかく気に入ったんなら、黙って掛かってろ」
『まあ……当初、想像したほど絶望は致しませんでした。この高さからの眺めも、新鮮でよろしゅうございます』
「そうかよ。ったく、素直じゃねえな。気に入ったんなら、素直に気に入ったって言やあいいだろ。作った奴と前のご主人様と、どっちに似たんだ。いや、独自の性格って奴? 子供だって、親に似るとは限らないもんなあ」
ブツクサ言いながら、海里はまだ真新しいせいで少しごわつくコットンのワークシャツに
『おや、我が主は、ご両親には似ておいでではないので?』
そう問われて、海里は
「父親はどうだろ。早く死んだから、あんま覚えてないんだ」
『これは無神経な質問をしてしまいました。申し訳ありません』
「別にいいよ、単なる事実だし、覚えてないってことは、悲しんだ経験もなかったんだろうし。母親には、優柔不断なとこが似てるかな」
『それはまた、お母君を語るには、いささか
ロイドの声音にわずかな非難の響きを感じて、海里は居心地悪そうに身じろぎしながら、弁解した。
「や、別に
『たいへんご立派な兄君でいらっしゃいます』
「その通り。兄君がご立派過ぎて、うちの母親は、いつも兄貴に遠慮するんだ。青春を俺と母親の食い
『ほう、遠慮なさるわけですか』
「そ。遠慮っていうか、家族が母親と兄貴と俺の三人だろ? 何か
『恐れながら、それは年長者であり、社会人としての経験の長い兄君の
礼儀正しく辛辣な突っ込みを食らって、海里は不満げに唇をひん曲げる。
「へいへい、どうせ兄貴は品行方正のお利口さんで、俺はチャラチャラしたお気楽な弟ですよ。……まあ、たいがい兄貴の言うことが、世間的には正しいんだ。だけどさ、俺には俺の考えとか夢とか理想とかがあって、せめて家族には、ちょっとくらいわかってほしいと思うの、我が
『それは当然でしょうねえ』
「だろだろ? だけど、母親は百パー兄貴の側に立つ。そのくせ、いつも『本当はあなたの言いたいこともわかっているのよ』って言いたげな目つきをするんだ。それが余計に嫌でさ。何で親が兄弟の片方だけにへつらうんだよ。そりゃ、経済的にはまだ助けてあげられなかったけど、俺だって実の子供なのにさ」
長年、仕方がないと
ロイドがさすがに返すべき言葉を見いだせずにいるのに気付いて、海里は「
「聞き流してくれよ。眼鏡相手に愚痴とか、みっともないにも程があるな」
しかしロイドは、人間の姿であればきっとかぶりを振りながら言ったであろう言葉を発した。
『いいえ、我が主のことでしたら、何でも覚えておきたいと存じますよ』
「こんなことは別にいいって。兄貴に実家から追い出されちゃったから、もう会うこともないだろうしさ。お前には関係ない人たちだよ」
『そうとは限りませんよ。家族の
やけに哲学的なことを語り出す眼鏡を、海里はシャツの上からエプロンをつけつつ、面白そうに見下ろした。
「何だよ、それ。前のご主人様の家のことか?」
ロイドはあっさりとそれを肯定する。
『はい。昨夜は、前の主は温かな家庭を築かれたと申し上げました。それは本当でございます。ですが、三人のご子息は皆様、主のお望みに反し、どなたも学者の道にはお進みになりませんでした』
「あー……跡継ぎ、いなかったんだ?」
『はい。前の主は、そのことでご子息がたを責めることは決してありませんでしたが、やはり落胆というのは、伝わるものでございます。後ろめたさからか、ご子息がたは徐々にご実家から足が遠のき……前の主は、ずいぶんと寂しい思いをなさったようでございます』
「なるほど。その頃はまだ、お前、
『はい。当時、口をきけましたなら、主をお慰めすることもできたかと。
「ふーん。ま、そういう素敵な親子もあらあな」
投げやりな口調でそう言い、海里は眼鏡スタンドからロイドをヒョイと取り上げた。ワークシャツの大きめの胸ポケットに、しっかりと眼鏡を収める。
『おや、これでは視界が
早速不平を述べる眼鏡の、
「我慢しろよ。さっきスマホでちょちょっと調べたけど、セルロイドって熱に
『……ああ、それは確かでございますね。大昔、前の主がわたしを煙草で少し溶かしてしまわれたことが……つるの部分を交換する大ごとになりました』
「だろ?」
得意げに、海里は鼻の下を
「俺の仕事は定食屋の店員なんだからさ。火を使うだろ。Tシャツに引っかけるだけじゃ、落ちやすいし、油も飛ぶし、危ないじゃん。身につけてなきゃいけないんなら、せめてポケットにしっかり入っとけ。どうしても見たいもんがあれば、小声で催促すりゃいいだろ」
『おお……我が新しい主が気立ての優しいお方だとは存じておりましたが、軽薄な見かけに寄らず、たいそう思慮深いお方でもあったとは。このロイド、感動致しましたぞ。この上は、ますます心を込めてお仕え……』
「もういい。話が長すぎるっつってんだろ。だいたいお前、お仕えするとか低姿勢なこと言うわりに、何で視線だけは常に上からなんだよ!」
そんなジャブの応酬のような会話を経て、今、海里とロイドは初めて共にカウンターの中にいた。
無論、お喋りであるらしきロイドを
夏神は、接客を海里に任せ、黙々と調理に励んでいる。
今日の日替わりメインは、
一人前には小さめの鰺を一尾使うので、スティック状の鰺フライが四本出来上がることになり、なかなかのボリュームである。
それに、皮を
その日の日替わりメニューが決定すると、夏神はそれを小さなホワイトボードに書き付け、夕方までに引き戸にぶら下げておく。
客の中には、事前にメニューをチェックしておいて、気に入れば夜、改めて店を訪れるという人もいるらしい。
そして、鰺フライというのは、やはり人気のメニューなのだろう。開店直後から次々と客が訪れ、夏神も海里も仕事に追われた。
ようやく客の流れが落ち着き、店内にいる客たちにはすべて料理を出し終えた頃、夏神は冷蔵庫を
「イガ、茄子が切れた。新しいのを一つ切って、衣をつけといてくれ」
「了解っ」
夏神の何げない指示に、海里は飛び上がりそうに弾んだ声で返事をした。
まだ、調理のごく一部しか手伝わせてもらえない海里にとっては、この忙しさは絶好のチャンスである。
最初こそ慣れない乾物を持ち出されてしくじったが、ハンバーグの生地で、夏神に少しは見直してもらえたはずだ。
フライなら番組の中で何度も作ったことがあるので、ここで一気に評価を上げ、もっと調理にかかわれるようになりたい。
別に、テレビで料理コーナーを持っていたという過去の栄光に
自分が一から十まで作った料理を出し、客に
海里はころんとした米茄子を取り出し、ピーラーで皮を剝いた。そして素早く切り分けて、たっぷりの水につけてアクを抜く。
それから海里は、さっき夏神が茄子用に作っていたのを見て覚えた衣作りに取りかかった。
「鰺は、粉をはたいて卵をつけてパン粉っちゅう流れが、衣が薄付きになって旨いんやけどな。茄子は……特に米茄子は水気が多うて柔らかい。せやから、衣を厚めにしてカリッときつめに揚げたほうが、食感にコントラストがついてええねん」
夏神はそう言って、小麦粉と水、卵、それにほんの少しの酢を目分量でざくざく混ぜて、衣を作っていた。
海里もそのときにボウルに入った材料の量を思い出しながら、適当に混ぜてみる。
やや水っぽくなってしまったので粉を足し、今度はネバネバしてきたので水を足し……とやっていたら、思ったより大量の衣が出来てしまったが、盛況の今夜なら、無駄にはならずに済むかもしれない。
(そう、大目に作っとけば、いちいち作り直さずに済むし!)
そんな自分に大甘な言い訳をしながら、海里は茄子を水から引き上げ、
ドロドロした衣を茄子にまんべんなく絡めて、余分を振り落とし、それからパン粉のバットに置く。乾燥パン粉をくっつけて完成……と思いきや、
「そないガチガチにパン粉を押さえつけたらあかん」
「へ? だって、しっかりつけとかないと揚げるとき、
海里は不服そうに反論したが、夏神は「
「こうや。ぎゅうぎゅう押したら、茄子の組織が
「それ、夏神さんの手だからできることなんじゃ……」
「そう思うんやったら、お前も
そう言ってニヤリと笑うと、夏神はサッと手を洗い、鍋の前に戻る。
「くっそ~!」
客の前なので押し殺した声ではあったが、海里は顔をうっすら紅潮させ、悔しげに
海里とて、キャベツの千切りを
乾燥パン粉にもかかわらず、夏神がつけた衣は、ふんわり柔らかな感じがするのだ。それに対して、海里がつけたパン粉は、まるで「武装」と言いたくなるような固さがある。
それだけ、海里が柔らかな茄子を、無駄に強い力で押さえてしまったということなのだろう。
『経験の差とは、恐ろしいものでございますねえ』
ふと胸ポケットの中から、小さな声でロイドが
「追い打ちかけてんじゃねえよ」
ヒソヒソと
そろりと手を離すと、なるほど、夏神のものほどではないにせよ、さっきよりずっとふんわりとパン粉をまとわせることができた。
「あ、わかってきたかも」
海里は胸を弾ませ、次々と衣をつけていった。
料理コーナーを担当していた頃、フードコーディネーターや料理研究家が指導を担当してくれていたが、やはり芸能人の片手間仕事と思われていたのだろうか、面倒な作業は前もってすべてアシスタントがやってくれていた。
何をしても「そうそう、上手」と適当に褒められるだけで、こんな風に短く的確にコツを教わるようなチャンスは、これまでなかったのだ。
「ほんの小さなことで、出来上がりが変わってくるんだな……」
料理の難しさ、奥深さを今さらながらに実感しながら、海里は茄子一つ分の衣をつけ終わり、夏神のもとへ運んだ。
「出来ましたっ」
夏神は揚げ油から沈んだパン粉を
「何や、初めて敬語やな」
海里は照れ臭そうに笑って、アルミのバットを差し出す。
「だって、初めて料理を教えてもらったからさ。もう、上司っていうより、俺の先生だろ」
「なるほどなあ。せやけど、一瞬か」
「ずっと敬語でもいいけど、なんかめんどくさくね?」
「確かにな。まあ、リスペクトは受け取ったわ」
そう言いながら、夏神は茄子を二切れ取り、油に放り込んだ。
「ええか、茄子はすぐ火が通る。せやから、茄子を料理するっちゅうより、衣を料理するんや。魚より高い温度で、衣にしっかり揚げ色をつける」
「なるほど」
夏神の隣に立ち、海里はふんふんと
やがて濃い目のきつね色に仕上がった茄子を油切り用のバットに上げた夏神は、
「食うてみ」
「へ? 俺用?」
「お前が衣つけた最初の奴は、ちょっとお客さんには出されへんからな。勉強のために食うとけ。左がお前の、右が手本に見せた俺のや」
「マジで? 揚げた後でも、見てわかるもん?」
「当たり前やろが」
「すげえな」
またしても感嘆し、夏神に心からの尊敬の
確かに、外見にさほどの差はないのに、仕上がりがまったく違う。
「俺の奴は、茄子どこ行った状態になってる! 衣ばっかり……。だけど夏神さんのは、すっげージューシー。とろけそうだけど、茄子、ちゃんといる!」
驚きに満ちた海里の感想に、夏神は得意げに「せやろ」と頷いた。
「繊細な食材は、丁寧に扱ってやらなあかんで。基本がスカスカやな、お
「く~~!」
ポンと肩を
しかも夏神の顔に浮かんだ笑みは温かくて、海里を
「夏神さん、すげえ。そんで料理、マジすげえ」
だからこそ、海里の口から、そんな素直な言葉が漏れた。夏神は、
客は皆テーブル席にいるので、小声で話している限りは、客に二人の声が聞こえることはないだろう。彼らはそのまま、ヒソヒソと会話を続けた。
「ホンマにな。俺もまだ修業中やけど、基礎中の基礎くらいは、教えたれるで。お前が望むんやったらやけど」
そう言った夏神は、海里が答える前に、素早くこう付け足した。
「ああいや、せやけどお前は、行くとこがのうてここにおるだけやもんな。芸能人として、しっかりやっとったんや。元の職場に戻れるんがいちばんええ」
「え……あ、いや」
「俺は別に、お前を料理人にしたいんと違うんやで。無理して料理の勉強はせんでええ。ただ、お前がきつい目に
夏神は珍しく
「勝手にじゃない! 俺、ここに来たのはドサクサだったけどさ。店を手伝うのは、別にいやいやじゃなかった。その……最初はテレビで料理コーナーやってたし、人気もあったし、定食屋の仕事くらい簡単だって思ってた」
エプロンで汚れた手をゴシゴシ拭きながら、海里は恥ずかしそうに告白した。
「でも、最初の日にガツンとやられたじゃん? 高野豆腐も切り干し大根も知らねえって」
「あれはまあ、考えてみたら、若い奴は使わん食材やったわな。そんなつもりはあれへんかったんやけど、苛めたことになってもうたん違うかって、少し反省しよったんや、後で」
「んなことないって! あそこでプライドをベキッと折られてよかったんだよ、俺。それでも夏神さん、もっぺんチャンスをくれたし。サラダの盛りつけとか、あと、ハンバーグの生地、しぶしぶでも作らせてくれたじゃん? あれ、じゃあもしかして」
「乾物で、お前を苛めてしもた罪滅ぼしもあったんや。そら、作らせてアカンかったら、俺が作り直さなと思とったけど、
「うん。……マジで
「おお、大きゅう出たな」
真顔で突っ込まれて、海里はますます恥じらう。
「なんか、自分を異常にビッグだと思ってたかもなあ。ミュージカルに出て、女の子たちにきゃーきゃー言われて、そっからずっと勘違いしてた気がする。あんなことがあって、芸能界を突然放り出されて、やっと、現実の俺は
「まあ……アレや。……華やかな世界におったら、勘違いするんはお前だけ違うやろ」
「サンキュ」
夏神の無骨な慰めに礼を言い、海里は照れ隠しのようにピッチャーを手にした。客席を回って水を注ぎ、猫のように静かに戻ってきて、夏神に
「俺、東京からこっちに帰ってきても、イメージの俺と現実の俺が違いすぎて、凄く惨めだったんだ。……だけどここに来てさ、店を手伝ってるうちに、久しぶりに地に足がついたっていうか、俺は最初からこの程度だったんだ。もてはやされて勘違いしてたけど、誰のせいでもない、いつかはこうなったんだって思えるようになった」
そんな海里の告白に、夏神は何か言葉を返そうと口を開いた。だが、言葉が
夏神と海里は、同じタイミングで海里のシャツの胸ポケットに視線を落とす。
もう一度、ズビッ、と
「お、おい。眼鏡のままで泣くのかよ。お前、
海里は慌ててロイドをポケットからひき抜いたが、予想に反して、眼鏡は少しも
『お二方のお話を聞いて、あまりにも美しい師弟愛に涙が零れたのでございます。いえ、正しくは、心で泣いているのでございます』
「……ますます器用や」
海里も夏神も、揃って
『それより、何やら、あなた方よりわたしに近い者が現れたようですね』
「!」
海里はギョッとして、いつもの場所……入り口にいちばん近いカウンター席のほうに身体を向けた。
(いた……! また来てくれた!)
そこには、さらに存在が薄くなった青年の幽霊が、いつものようにぽつんと座っていた。カサリとも音を立てず、身動きもせず、ただ無表情に
幸い、今夜は霊感の鋭い客はいないらしい。テーブル席にいる人々は誰も、幽霊が来たことにも、カウンターの定席に座っていることにも、気付いていない様子だった。
『この店には、幽霊の常連客もいるのですね』
大真面目な口調でロイドは言う。
「いいから、お客さんがみんな帰るまで黙ってろ」
『御意』
いかにも芝居がかった返事をして、ロイドは黙り込む。
「皿、今の内に洗っとく」
今夜こそ、幽霊の青年とさらなるコンタクトを取ってみたいところだが、とにかく客が店内にいなくなるまでは何もできない。
「……おう」
その一言と何か思い詰めたような表情で、色々と察したのだろう。夏神はさりげなく外に出ると、「営業中」の札を「本日売り切れ閉店」と入れ替えたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます