変わるもの変わらないもの

西沢哲也

88歳

いよいよ88歳というカクヨムのお題に小説が思い浮かぶわけもなく、時間も限られてくる今日この頃に思ったことを徒然なるままに書くしかないと感じ、短いし見てくれる人もそんなにいないはずだと信じ、この文章を進めていく。


今年88歳になる人は昭和9年生まれでちょうどうちの祖母がその世代に当たる。

有名でも何でもないので軽く言えば、横浜の下町で綿打ち職人(当時は布団や座布団の綿は古くなっても打ち直して使っていた)の親の元で生まれて太平洋戦争の疎開を経験し、(といっても横浜市内)東京五輪の年に娘が生まれ、卒業式の日には婦人会総出で着物を着て参列し、旦那はバブル絶頂期のころに亡くし、2回目の東京五輪が開催させる予定だった2020年にひ孫(私の姉の子供)が生まれたようなそんな人生を歩んできている。


歳を取るにつれて足も悪くなり、このままじゃあとてもじゃないけど動けないといったこともあって、両足ともに人工関節手術を受け、無事にまあまあ歩けるようにはなってきたといったところで、私自身も安心しているところではある。


そんな祖母の付き添いをかれこれ運転免許をとって4.5年しているもので先日もスーパーの買い物の付き添い中にうっかり見失って探していたらレジにいたもので向かったら、その途端に祖母が私を呼ぼうと叫ぼうとしているもんだから止めたら、レジの人も後ろの人も笑っているもので恥ずかしいものであった。そのあと、並んでいる人が祖母に向かって「いいお孫さんだね」というものだから、「自慢の孫です」って即答するから恥ずかしいことこの上ないですが、まあお婆ちゃん子なんだろうという自覚が私自身もある。恥ずかしいけど……

いつまでたっても、はずかしいものは恥ずかしいもので、8年前の喜寿の誕生日に寄せ書きみたいなものを家族で書いたものですが、やっぱり恥ずかしくて見返してみるとほんとにと言えているのか不安になるような不器用な文章でそれで泣けてくる。中学の時に作文を書こうとした時も祖母のことを書こうとして泣いた。そして、今も泣きそうだな(笑)


そんな、風に思っているとそろそろ来るだろう別れの時とかも頭をよぎったりしてしまう。いくら孝行したって、何かをなくすっていうことはやはり悲しいし、後悔の念が生まれるだろう。

人は明日も今日みたいな日が同じように来ることを願っているか願わくば今日よりももっといい日が来ることを祈っている。当然何かを失うなんて想像したくもない。でも、災害や戦争、疫病といったものは突然起きて変化は否応になく受け入れなくてはいけない。

最近はウクライナとロシアのことがあるが、そのニュースを見るたびに祖母は「戦争は嫌だな」と口々に言う。誰だって、責められて故郷を家族を失いたくないし、明日も今日と同じように過ごしたいと思っている。



願わくば、早く明日も今日と同じような安定した日々を誰もが過ごせるような日々に戻ってほしいと思っている。

また、もし仮に変化が起きることは当然ながら避けられないものだからこそ、それを受け入れる用意はしないといけない。いや、恥ずかしいけどね。

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変わるもの変わらないもの 西沢哲也 @hazawanozawawa

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