#2 運命の邂逅
村を出てどれだけ時間が経っただろう。
数時間前、思い立ったように十年育った村を飛び出てきた少女ミユは、現在鬱蒼と木々が生い茂る森をさ迷っていた。
休むことなく歩き続けているため足はヘトヘトであるが、気が張りつめているため眠気は一切ない。
(ずっと歩いてみたけど……)
未だに街に出る気配がない。
村から出た後の分かれ道でナイフを持つ方の手、すなわち右を選んで進んできた。首都に行くには西へ向かわなければいけなかったのだが……。
(西じゃなかったか〜……)
地図を持っていても読めなければ意味がない。ミユは自らの学の無さを呪った。
育った村に学校はなかったが村の子供たちを集めて教えを説く小さな学習塾のようなものはあった。幼い頃ミユとセンリもそこへ通っていた(伯母に通わされていた)のだが、身についたのは簡単な読み書き程度である。
とりあえず始めの分かれ道まで戻ろうとミユは元来た道を戻り始める。
(それにしてもこれだけ広い森なのに動物が一匹もいないなんて……)
ミユは当たりをキョロキョロと見渡す。
狼が出たらどうしようかと心配して森を出るまで歩き続けようと思ったのだが、ここに至るまで狼どころか兎やリス、ネズミ一匹とも遭遇しなかった。
そして夜の森はただただ寒い。ミユは先の見えない旅にしてはかなり軽装なノースリーブのワンピースから出た細い腕を摩る。
頭上を見上げると木々の隙間からは星の光が差し込んでいた。人里と違い一切灯りがないせいか、村にいた時よりも星の光が明るく感じる。おかげでランタンも付けずに済みそうだ。…もっともそんな物持ってきていないのだが。
ミユは少し休憩するために近くにあった木の根元に腰を下ろした。肩に背負っていた鞄を傍に置き、中をゴソゴソと漁る。
(あった、あった)
鞄の中からとっておいたおやつのクッキーを取り出す。無惨なことに他の荷物の下敷きになりボロボロになっていたが大事な食料に変わりはない。
「いただきます」
ミユは手を合わせるとボロボロになったクッキーの欠片を摘んでは口へと運ぶ。
(なんかいろいろあったな…)
突然やってきた軍人、父の携わっていた研究、エトワールシリーズ……。全てが数時間前の出来事だと思えない程情報量が多すぎて未だに頭が追いついていない。なんだか夢の中にいるような気分だった。
(センリたちどうしてるかな)
歩き続けていたとはいえ未だに追ってくる気配がないということは既に私はどうでもいい存在になったんだろうか。それとも西へ探しに行ったか……。
そんなことを考えながらひとしきりクッキーを食べた後、ミユは重大な事に気がつく。
(口の中パサパサする……水…)
なけなしではあるがありったけの食料もとい菓子類は持ってきた。しかし肝心の水は持ってきていない。
街に出られれば所持金で水くらいは買えるだろうと思っていたが……。
たった十四歳の少女の旅。やはり準備は不完全であった。
(私このままここで干からびて死ぬの……?)
ミユは自分が干物になった姿を想像してゾッとする。
とりあえず川を探さなければ。
ミユは広げた荷物をまとめると川の流れる音を探しながら再び森を歩き始める。
川のせせらぎを聞き逃さぬよう耳をすましながら歩いていると、突然パァァァァンという耳を劈くような音が森に響く。
「何!?」
ミユはびっくりして思わず尻餅をついてしまった。木の幹に手をかけながらよろよろと立ち上がると周りを見渡す。
パァァァァン
再びの耳を劈くような音にミユは母の形見である刀をぎゅっと握りしめる。
実際の音を聞くのは初めてだがこれは銃声である。
(狩り?でも動物なんかいなかったよね…)
そう考えていると、ミユはセンリとの会話を思い出す。
『戦争って終わったんじゃなかったっけ?』
『大規模なのはな。今でもうちの国境付近では争いが続いてる』
生まれ育った村はアルカディオの北寄りの東に位置する。それをずっと東へ向かって歩いてきたのだ。
「もしかして国境に近い…!?」
先程の銃声は狩りのためのものなどではなく、人の命を奪うためのもの。道理で動物一匹いないわけだ。この森は戦場なのである。
ミユは早歩きで森を抜けようとするが、東西南北どこまで行っても木しかない森の中、恐怖も相まって最早方向感覚すらなくなっていた。
遠くで人の怒声と悲鳴が聞こえてくる。
平穏な日常とはかけ離れた戦場。
「何の考えもなしに勝手におばさんたちの家を飛び出したからバチが当たったんだ…」
ミユは泣きながら震える足を進めようとする。
「パパ…ママ…」
とうとうその場にしゃがみこんでしまったミユに追い討ちをかけるように何かが肩を掴む。
「やっ……!」
パッと振り向くと、そこには深緑の軍服を着た身体の大きな男が立っていた。こんな森の中だとまるで熊のようだ。
しかし重要なのはそこではない。男の着ている軍服だ。あのツルなし眼鏡の軍人は黒色の軍服を着ていた。つまりこの熊のような男は敵国の軍人なのである。
「おい」
「ひゃいっっ!」
反射的に返事してしまったが思わず声が裏返ってしまい顔に熱がともっていくのが分かった。
「君はアルカディオの者か。子供がこんな所で何をしている」
男は怪訝そうな顔でミユを覗き込む。
ミユはまるで魚のように口をパクパクさせながらその場から逃げ出そうとするが足が動かない。
男の大きな手が自身に向かって伸ばされるのを見てミユは思わず目を瞑る。きっと捕まってアルカディオ軍を誘き寄せるための道具にされるか売り飛ばされるか……。
そんな予想とは裏腹に男の大きな手はミユの頭を優しく撫でた。
「…?」
状況が分からないといった表情で見つめるミユに気づいた男は「ああ、すまない」と慌てて手をどかす。
「俺にも君ぐらいの歳の娘がいるからつい、な」
男はハハハッと頭を掻きながら笑うと少し寂しそうな表情を見せた。
この人は敵国の人だ。自国の人間をいっぱい殺してきたはずだ。なのに—————
(全然悪い人に見えない……)
ミユは男の寂しそうな表情を見つめながら考える。
この人は一体なんのために戦っているのだろう。
そんな考えを巡らせていたらぐぅぅ~〜というなんとも緊張感のない音が響く。
「あ……」
ミユは自身の腹を押さえて再び顔を赤くする。
やはりまともに夕飯を摂ってない上、歩き続けた身体にはクッキーだけじゃ足りなかったらしい。
「よかったらこれ食べるか?」
男はミユの腹の音を聞いて笑うと上着のポケットから紙に包まれた何かを差し出す。
ミユが受け取って紙をめくってみると中にあったのは両掌ぐらいのパンだった。
「一応言っておくが毒とかは入ってないぞ」
別にミユは疑ってなかったのだが、仮にも敵国である軍人が敵対する国の子どもに食料を渡すなんて裏があるとしか考えられない。信じてもらえなくても仕方がないのだろうが男は念を押した。
「でもこれおじさんの分…」
「目の前で腹が減ってる子どもがいて俺はパンを持ってた。それだけの事だ」
男はにっと笑って再びミユの頭を撫でた。
遠くでまた銃声が響く。
「いいか?あっちへ向かって真っ直ぐ進めば森を抜けられる」
男はミユの目線にしゃがんで一点を指差す。
「家出か何だか知らないがきっと家族が心配してる。早く帰りなさい」
自分はどこかで勘違いをしていた。
この男は敵国の兵士である以前に誰かの父親なのだ。
ミユはパンを半分にちぎると片方を男に渡す。
「ありがとうおじさん」
男に一礼するとミユは先程指差された方向に向かって歩き出す。
「優しい子だな…」
ミユの姿が森の彼方に消えた頃、男は半分にちぎられたパンを見つめてぽつりと呟いた。
☆ ★ ☆
男と別れたミユはパンを食べながら小走りに走っていた。
遠くの方に黒い軍服を着た兵士が数人立っているのが見える。その兵士たちが臨戦態勢ではないということは敵陣からは無事脱出できたのだろう。
ミユは兵士たちに見つからないようコソコソと木々の間に隠れるようにして道を急ぐが、途中何かに躓き顔面から盛大に転んでしまう。
「いててて……」
ミユは顔面を押さえながら起き上がると躓いたのが何なのかを見る。
「木の根っこ?」
所々地面を突き破るように四方八方生えている根っこの先に目を向けると、そこには巨大な木が生えていた。恐らく樹齢数百年といったところだろうか。
ミユは自分の背より遥かに高い木に近づいてみると、人が何十人も入れそうな幹の割目の隙間から何か赤い光が見えたような気がした。
「今なにか光ったような…」
もう一度確認しようと覗き込もうとした時話し声が聞こえてきたので慌てて木の反対側へと隠れる。
「へえ〜ここに噂のエトワールシリーズがねえ」
「まさか本当に実在するとはな」
ミユがそっと顔を覗かせるとそこには黒い軍服を着た男が二人いた。
「…にしても総司令官も無茶言うよな〜。いきなり戦争で勝つためにエトワールシリーズ使うとか言い出して」
男のうちの一人が総司令官の真似、と言って眉間に皺を寄せ、それを見たともう一人の男はげらげらと笑っていた。
眉間に皺を寄せるのが特徴的な軍人—————
村を訪れたあの軍人が総司令官であり現在のアルカディオ家当主なのだろうか。だとしたらたしかに噂に違わぬ厳格っぷりである。
「でもまあこの兵器さえあれば俺たち楽勝なんだろ?」
「おうよ。なんてったってあの星の制裁を起こしたエトワールシリーズなんだからよ。敵軍なんか一掃だ」
「お前それって敵味方関係なしに攻撃するって事だろ」
「お?そうか?」
二人はそんな会話をしながら先程ミユが赤い光を見たと思われる幹の隙間を覗き込む。
「これがエトワールシリーズか〜。こんな大木の幹の中に隠れてちゃ見つからないわな」
「で、これどうやったら動くんだ?」
「さあ?とりあえず見つけるだけ見つけたし伝達でも送るか。総司令官殿ご愛好の伝承鳩で!」
そう言うと二人は伝達を送るためかその場を去った。
ミユはそろりと木の反対側から出ると幹の隙間を覗き込む。暗くてよく見えないが何か大きなものがあるのは確かだ。
よく見ようと身を乗り出してみたら奥の方で薄らと赤い光が見えた。
(あ…やっぱり光った)
そう思った矢先、薄らと見えた赤い光は鈍い赤黒い光へと変わり、突然地面が唸るような地響きが鳴り響く。
地響きでバランスを崩し地面に手をついたミユは顔を上げるとハッと息を飲んだ。
「これって……」
大樹の隙間から大きな亀裂が走ったかと思うと、目の前に現れたのは通常よりも数倍大きい戦車のような大きな機械だった。そして赤黒く不気味に光っている"13"という数字に目が行く。
「エトワールシリーズ…!?」
所々蔦が生えていたり苔が生えていたりしたが、あの研究資料に貼ってあった写真と同じだ。
(ど、どうしよう…どうすれば…)
エトワールシリーズを壊すと啖呵切ったはいいものの、実際兵器と呼ばれるものを目の前にすると足が竦む。
「たしか核になる部分を壊せばいいんだよね…?」
ミユは意を決して刀が包まれている布を外す。
父の手記に書かれていたエトワールシリーズの壊し方を思い出す、が—————
「核ってどれー!?」
全身鋼鉄のボディーで包まれたエトワールシリーズ(No.13と呼ぶべきだろうか)はどう見たって刀なんかじゃ壊せそうにない。
ミユが慌てふためいていると先程伝達に行っていた二人の兵士が戻ってきた。
「!?何だこれは!!?」
信じられない光景を前に二人ともミユの存在に気づいていなかった。
「何だか知らないが動いてるぞ!これをどうにかして敵陣営近くまで…」
二人の兵士が近づこうとすると、No.13はギギギ…と錆びたような音を立てながら大きな筒が付いた半球体の鉄の塊のような首を回し、動きを止める。もしこれを戦車と呼ぶならば、今照準を向けられているのは二人の兵士だ。
(危ないっ…!!)
ミユがそう思うのと同時にNo.13は大砲を放った。
大きな音と共に爆風が生じ、近くにいたミユも吹き飛ばされる威力だった。二人の兵士は衝撃波に巻き込まれたことが幸をそうし命中を免れ無事だったが、薄暗かった森が瞬く間に炎の光に包まれる。
「なんだよこれ!!このままじゃ味方陣営が火の海になるぞ!!総司令官からの伝達はまだか!?」
木が密集しているこの森で火が広がるのは時間の問題だろう。炎で行く手を阻まれて最早森を抜けるどころではなくなってしまった。
流石に異変に気づいたのか、遠くにいたアルカディオ軍の兵士たちも近づいてくるのが見えた。駆け寄ってきた一人の兵士が何か書かれている小さな紙を二人の兵士に渡す。
「起動はさせるな?そのまま本部に持ち帰るか無理なら核だけを外して持ってこい?早く言えよ!!」
総司令官からの伝達だったのであろう。伝達を読んだ兵士は半ばキレ気味にその紙を丸めて炎の中へ投げ捨てた。
「総司令官もこの近くに来ていたらしく、今こちらに向かって……」
伝達を持ってきた兵士がそこまで言った途端「あ!」っと声を上げる。ミユもつられて声を上げそうになった。そこに現れたのは、ツルなし眼鏡が特徴的で白髪が目立つ髪を結んだ六十代ほどの軍人。ミユの予想は的中である。
(やっぱりこの人がアルカディオ軍総司令官……)
キレていた兵士も後ろを振り向き一瞬青ざめた後すぐに敬礼する。
「お疲れ様です!ドーヴェ総司令官!」
ドーヴェと呼ばれた軍人はやはり癖なのだろうか、眉間に皺を寄せながらNo.13を見ると、眼鏡をクイッと上げ兵士たちに指示を出す。
「ご苦労であった。この場は任せてお前たちは国境を死守しろ。この森を越えられると一般国民の生活も脅かされる。こちらの混乱を悟られぬようくれぐれも注意しろ。私は各隊に指示を出した後この兵器を止める」
そう言ってドーヴェと三人の兵士たちは森の向こうへ姿を消した。
誰もいなくなった事でミユも自由に行動できるようになったが火は以前広がるばかりだ。No.13はというと、一度弾を発射して以来動く気配はない。
「もしかして壊れちゃった?」
ミユはそ〜っと近づいてみるがやはり動く気配はなかった。
それにしても軍はこの兵器をこの戦場で使うんじゃなかったのだろうか。まあこの現状を見て人間が扱える代物ではないということはよく分かったが。
(よかった…こんな大きな兵器使われたらあの熊のおじさんだって無事じゃないよ)
ミユはふう…と胸を撫で下ろした。
「おじさん大丈夫かな?」
そんな心配をしながらミユも炎を避けて先を急ごうとしたその時—————
ギギギ……ギギ……
背後から響くその錆びた歯車が回るような音にミユは全身の毛穴から冷や汗が出るのを感じた。
おそるおそる振り向くとNo.13は大きな銃口を今度はミユに向けていた。
「や…こんばんは…?」
パニックで兵器相手に謎の挨拶をしてしまったミユは我に返ると青ざめる。
(バカバカ!何やってんの私!!)
自身がバカなのは自覚があったが今日ほど自覚した日はない。
大砲のような大きな銃口から弾が発射されるのを見た。
「ああああ〜!!ごめんなさい!!おばさんおじさんセンリ!!パパ!!ママ!!」
人は死を前にすると時間の流れが遅く感じるというのは本当らしい。
本来なら一瞬の筈なのに弾がやたらゆっくりに見える。だからといって避けることもできず、ミユはただ刀を握りしめながら固く目を瞑るしかなかった。
「っ………………」
どれ程経ったのだろう。いくらゆっくりに感じたって流石に焦らしすぎではないだろうか。
瞬間、微かに頬に風を感じてミユは閉じていた目をそっと開ける。
「え…」
ミユはまたもや信じられない光景に目を丸くする。
星空が、見える。
一瞬天と地がひっくり返ったのかと思ったが自分は今、誰かに抱えられているのだ。
「ええ〜〜〜!?」
腕の中にいる少女の声に気づき、抱えている人物はミユを見つめる。
目と目が合ったその瞬間、ミユは思わず息を飲んだ。
長い睫毛に縁どられたその瞳は深い青緑色をしており、光の反射でチカチカと瞳の奥が瞬いているように不思議で、まるで満天の星空をそのまま映したかのようだった。
星空の瞳をした人物はミユが無傷であることを確認するとそっと下ろす。地面に立ったミユは改めて自身を抱えていた人物を見る。
夜風に吹かれふわりと髪が靡く。ミユの髪を星明かりが照らす夜空のような黒髪と例えるならば、この人物の髪はあの空に輝く星々の光を全て吸い込んだかのような美しい白髪だった。
背格好的に男なのだろうが、中性的な顔立ちをしているせいか青年と呼ぶにはまだ幼さが残る。まるで空から星が降りてきたようなこの少年、ここが炎の中だと忘れてしまうぐらい美しかった。
「星みたい……」
無意識にぽつりと出てしまった言葉に少年は何故か一瞬だけ反応したように見えたが、ミユにはその意味が分からなかった。
(あれ、何か変なこと言ったかな…)
ミユは少し首を傾げ考えてみるが、その意味を知るのはまだ始まったばかりの旅の先。
この出会いは運命であったのか、それともただの偶然であったのか—————
星空の下、二人の少年少女は出会ったのだった。
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