第7話
「片方の肺が潰れてるのに、容赦無いなぁ」
ダブつく重低音と共に火花が頬を撫でる。熱いと感じる間も無く光を失う無機質な火花が何度も生じている。
「昨日の今日で良く反応できますね」
「いえいえ。もうスレスレのギリギリのソレですよ」
(流石に折られた肋骨をあの指先で引っ張られるのは簡便ですよ。痛いし、息が血なまぐさいし)
「使う前に一瞬だけ魔力の動きが視えるんです。量と圧。真似して身体に巡らせてみたんですが……」
キーパーの武器を弾き飛ばし、胸を蹴り飛ばす。吹き飛ばされながらも空中で姿勢を整え地面へと降り立ったキーパーは直ぐに姿勢を正し、割れた握り手を地面へと捨てた
「……エイハブ。良いでしょう。今日は英気を養い、旅に向けて準備なさい。稽古はこれまでです。あとは自分で伸ばすだけ」
互いに向かい合って、深く頭を下げた。
「……ありがとうございました」
「こちらこそ。……アルフレッドの部屋に旅に必要な装備が置いてあります。貴方の訓練が済み次第、渡すようにと。万が一があった場合に」
「……わかりました」
大柄の男が普段使っていた装備一式を纏ってみる。直した痕跡はあるが少しだけサイズが大きいように感じる
装備と言っても厚手の防寒具と防毒マスクにバックパックくらいなものだけが入っているだけだ。遭難しても数日は持ちこたえられるだけの必要最低限の装備と言い換えれば良いだろう。
バックパックの中に入っていた手帳に目を通す。正直言ってこの手帳が最も重要な装備と言っても良い。各コロニーで何が高値で売れるか、宿代、食事費用。魔術師に対して寛容であるか、そうで無いかなどが記されている。
薬効植物、変異後の生物から取得できる有用な分泌物など、陰影をつけずに描かれた絵は見事なものだった。腹を開いた際の絵まで精巧であった。
「コンパスに……少しの銀」
武装を吊るすホルスターがあったが、吊るす武装は無かった。武装の予備まで備える必要が無かったのだろう。あのゴーレムを造れるのならクロスボウなど子供のオモチャと同等だ
軽装とは言えど、そこそこ重量を感じる。今の今まで粗末なシャツにボロいズボン履き、キツく縛ったサンダルで訓練していたのと比べれば動きは落ちるだろう。
霧の原生動物に囓られた程度であれば問題なさそうだった。鋭利な刃物には無力そのものだろうが。
「キーパー。剣が無いんだけど。……まさか、丸腰で迎えと。……管を拳に巻いて胸を殴ればカニバルも無力化できるか。……まぁ、何でもかんでも貰っては駄目だよな」
「……妙ですね。ついて来てください。そちらに無いのなら納屋を探してみましょう。丸腰で出すわけないでしょう。アホですか」
「……へへ。スンマセン」
霧の中へと進み、昇降機側とは逆方向へ向かった。湿った土と涼しい風。今日はまだ温かい方だ。手帳で読んだのだが、場所によっては蒸し暑いまであるのだとか
納屋へと立ち寄り、キーパーが鍵を渡す。
「ご自由に」
「え。勝手に入っても良いんですか?」
「えぇ。どうぞ。私には開ける権利はありませんので」
「……訓練はまだ終わってないとか言って背中からブスリとか」
「しませんよ。するなら一声かけますし」
「えぇ……。じゃ、じゃあ、お。お邪魔しちゃいますか~」
ほんのりと湿った錠前を開こうと鍵を挿し込んだ時、妙な匂いがした。訓練後の汗臭さかと一瞬思ったが、そうではない。胸焼けを起こすような刺激臭と生臭さが鼻をついた。
「キーパー。中に死骸でも入ってる?」
「判りません。ただ最優先のオーダーとして鍵を渡してからのこの建屋周辺での記憶は残さないようには仰せつかっていますので……では私は庭へと戻っておりますので」
そっと扉に手を掛ける。キーパーから受け取った蝋燭の火が納屋を照らす。あるのは農耕具の予備に、肥料の詰められた袋くらいなものだ。
「……お〜怖」
奥へと進むと、売りに出す予定の武具が並んでいた。外見を良くして高く売ろうとするための彫金道具が作業台に並んでいる。
武器を保管する棚を見つけ、手に馴染みそうな武器を見繕う。暗い中で鞘から抜いては感覚を確かめた。
「こいつが良い。練習で使ってたのよりも少し軽いくらい……処刑刀にしては肉厚……」
(鎧を着てるタイプだと胸を刺せないからなぁ。……頭部を切り離せばいいか。振り下ろしなら重さで骨ごと……こんなことを平然と考えるようになってしまったか。終わってるよな、自分の倫理観)
再び肥料の側へと近づくと不愉快な臭いが立ち込めていた。蹴飛ばして撒き散らさない様に蝋燭を腰の高さまで低くして床板を照らす
金属の反射光が見えた。入ってきた扉の陰に何かがあるようだった。あの光は何だ? 緊張と好奇心に刺激されたエイハブは、扉に近付き確かめてみようとした。このことを直ぐに後悔することとは知らずに。
「……なんてことを」
あの光を放っていたもの。それは足枷であった。冷たく重い、従属の証。それをはめられた脚の片方は腐り落ち、乾き切った茶色い痕跡を呈している
「……」
暖かな光が、暗闇の奥深くに隠された正体を照らし出す。人間だったモノ。乾いた植物のような肌、少しばかりの湿気を残して白んだ瞳。腐敗液で真っ茶色に変色した女物の寝巻き。
何を気に病む必要がある。ただのカニバルだろう。今までに散々、胸を刺したり頭を潰したりしただろうに。
そうではない。元は人間だった遺体を直ぐに処理するわけでもない。解剖して変異を研究するだとか、進歩の為に用いるだとか。そういった目的を感じさせない様子だったからだ。
カニバルを捕えて鎖に繋いでおく事自体も不気味だが、動機が見えて来ない気持ち悪さがあった。何故捕えているのかが見当もつかなかった。
カニバルの口が震え、うめき声をあげている。襲ってくる素振りもなく、エイハブの持つ灯火を見ているだけに思えた。
カニバルの薬指にはめられた指輪が目に入った瞬間だった。背筋が寒くなる仮説を脳内で立てきる前に、目の前で起こった事に思考が止まってしまう。
「アルフレッド……ねぇ……貴方なの……?」
「……」
息をすることを忘れていた。ほんの一瞬が10秒程に感じるほどに。それからも虚ろな目のまま、……ねぇ……ねぇ……。と繰り返すカニバルの顔を見ることが出来なかった。見たくなかったのだ。このカニバルが突如襲いかかって来るかもという危険の事など頭になかった。かつて親しい仲だっただろうに。
「……いないの……良かった。……見つけたのね」
頭の損傷は確認できなかった。霧蛆が湧いている訳では無い。よく見ると側の堆肥には虫の幼虫が蠢いている。ふと、この周りにある暗がりがアルフレッドの心の闇を表しているように感じた。愛情のため手を下せずにいるのだろうか。歪んだ支配欲ではないと願いたい。……そうであってほしい。
他のカニバル達とは違う。こんなにはっきりと言葉を発するのは初めてだ。このことを手帳に書き留めることにした。何故ペンを取ったのかは判らない。記憶を失う以前の彼自身の人柄が現れているのだろうか。どこから湧いて出たかもわからぬ使命感に背中を押されて筆を進めた。
彼女の言葉を聞き逃さないように、集中する。堆肥の中に蠢く音が消え、非常に微かな隙間風の音すら聴こえなくなった。無意識に自分の鼻息の音すら消して耳を傾けた。走らせる筆の音すら出さないように声を聴いていた。
不気味だとか、汚らわしいだとか。そんなことは一切感じなくなっていた。どのように言い表すのが正しいだろうか。ただ側に居て話を聴きいていると安心する。聴いてあげたい。あげたくなった。この感情がわからなかった。
筆を執ったのはカニバルがはっきり喋った事実を記録するのが目的ではないのだと思う。この事象が起こった際に何故自分がこのような心持ちとなったのか。今は解らないこの感情を記録したくなったのだと思う。
カニバルの声は時間が経つに連れ聞こえなくなっていた。ほんの少しの時間だと思っていたが。このあと家へと向かった時には星空が広がっており、長い間、闇の中で耳を澄ませていたのだ。
彼女は眠っているように見えた。話していた内容は最初に発されたものと変わらない内容であった。
楽にするべきか、柄巻を撫でながら考えた。それをするかしないかは、アルフレッドにあってからにしようと思う。自ら手を下せずに居て、楽にしてあげてほしいと言われたのなら、悩まずやるだろう。
彼女とアルフレッドの関係を知らないエイハブが手を下すのは早計だろう。
「キーパーさ。カニバルに生前の記憶があるとしたらどうする?」
「危険があるのなら排除します」
「意思の疎通ができるなら?」
「排除します。リスクは消すべきです」
「そっか。自分がカニバルになったとしたら、どうする?」
「排除します」
「そっか。だよね」
「何かありましたか?」
「いいや。何もないよ。なんにもね」
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